第三部 第二章(九)
2026年WOWOWで北方謙三原作の水滸伝が放送開始されます!
かなり内容は違いますが、別系統のスピンオフ、として読んでいただけると有難いです。
早朝、新郷村を出た燕青は、「吹毛剣」を帯の左腰に挟み込み街道を歩き始めた。
燕京へ続くこの大きな街道は、朝から往来が多い。いかに黒猴軍が皇城司の下部組織とはいえ、衆人環視の中、白昼堂々と燕青の殺害を企てるのは憚られる。殺すにしても、人目に付かぬ場所で一気に行いたいところだ。
だが、燕青の後を尾行し始めた蘇峻華はある地点から動けなくなった。
町外れまで来ると燕青は立ち止まり、こちら側を振り向き、何やら人待ち顔で松の大木の下に佇んでいるのだ。
曹琢と陶凱は昨夜のうちに、待ち伏せに良さそうな場所を探すため、馬で先発している。襲撃場所が決まれば、陶凱が密かに戻って蘇峻華とともに挟撃する手筈だった。だが、燕青は立ち止まったまま動かない。
ええい、燕青一体何をしてやがる? まさか気づかれたか?
一里(五百m)ほど離れた杉林から、苛立ちながら見つめる蘇峻華の耳に、街道を進む一軍の、甲冑の擦れる音が近づいてきた。
何だい、こいつら? 煩わしい!
蘇峻華は、視線を燕青と近づく兵団の間を忙しく行き来させた。
百名ほどの兵団の掲げる旗印には「宗」の文字が見える。
宗?・・・・・・ちっ、「宗沢」配下の義勇軍かい!
通り過ぎる兵団は、官軍にしては装備がまちまちで、ほとんどが歩兵である。蘇峻華の睨んだとおり、これは開封府で結成された義勇軍であった。
目的地は相州。一帯を荒らし回る盗賊団の追捕のために結成された一団である。
宗沢は今年六十三歳になる、北宋の政治家でも屈指の硬骨漢だ。
あちこちの州郡の官吏を務め、後に金国の侵入に対し、東京開封府留守として戦い、金軍からは畏怖を込めて「宗爺爺」と呼ばれた名将でもある。
義勇軍ということもあってか、行軍は一糸乱れず、というほどではないが、それでも一定の規律を守って進んでくる。蘇峻華の前を通り過ぎ、徐々に燕青の方へと近づいていった。と、
ちいっ!
蘇峻華が舌打ちする。
行軍が近づいてくるのを見計らったように、燕青が松の木の下から出てきて、兵士たちの前方を一定の距離をとって歩き出したのだ。
これでは、下手に近づけば兵士たちに見とがめられてしまう。ましてや、街道のどこかで襲撃するなど思いもよらぬ。
ええい腹が立つ! 兵隊どもを鏢局代わりにしやがって!
胸中で呪詛の言葉を吐きつつ、蘇峻華も兵士たちのはるか後ろから追跡を再開するしかなかった。
東亰開封府を出るにあたって、「神医」安道全が呼延灼から「吹毛剣」を借りてくる際に、宗沢の集めた義勇軍が賊軍討伐に出撃することを聞き込み、燕青に教えてくれたのである。
燕青としては、虎の威を借るなんとやらの感があり、かなり後ろめたい気持ちであるが、何せ左手の自由が効かないこと、そしていくら宝剣とはいえ、拳法や弓と比べてあまり馴染みの無い剣に頼るしかない心許なさを軽減する、苦肉の策であった。
兵士たちが休めば燕青も止まり、兵士たちが歩き出せば燕青もまた進み出す。
もしも兵士たちの後方で同じような動きをすれば、何らかの悪意を持って付けてくるのかと怪しまれてしまうだろうが、前方を歩く分には、百人の衆人環視の中である。兵士たちも「ああ、俺たちを盗賊避けに使ってやがるな」と、さほど違和感を持たずに進んでいた。
逆に、怪しまれぬよう後を付ける蘇峻華の方こそ、尾行が難しくなっている。やがて道端で待ち構えていた陶凱と合流したが、この状況では街道で襲撃するのは難しいと、意見が一致した。
さらに前方で待ち伏せしていた曹琢も、燕青の後方半里(二百五十m)ほどを進んでくる兵士たちを見、襲撃を断念せざるを得なかった。
三人は合流し、代わる代わる兵隊を間に挟んで、燕青のあとを追った。
日が傾く酉の刻(午後六時)には安陽県に入り、兵士たちは県城内の兵舎に入り休憩をとった。兵士たちとともに入場し、町の宿に入った燕青は、夕餉を摂ったのち、部屋の隅にもたれ、吹毛剣を抱いたまま眠りについた。
同じ頃、別の宿の一室。
「隠密裏に始末しようと思っていたが、これ以上燕青にばかりかまってはおられん。幸い、今日来た兵隊どもは、数日この町に留まるらしい。明日街道で燕青を殺ることにする。目撃されてもやむなし」
今までずっと、人に知られず「仕事」を済ませてきた曹琢としては痛恨の決断である。だが、すでに二度襲撃を失敗し、さらに馬征の仇討ちの意味も含め、なり振りかまわぬことにしたのだ。曹琢の心中を察し、陶凱と蘇峻華がうなづく。
翌日、日が高くなり人通りが多くなった時刻に、燕青は動き出した。昨日露払いに使った兵士たちは、この安陽県を本拠地として付近の盗賊討伐にあたるとのことで、ここから先兵士たちは当てにできない。
黒猴軍とやらは隠密部隊らしい。できるだけ人目につきたくないはずだ。まさかこれほど往来の多いところで襲ってはこないだろう・・・・・・という、燕青の目論見は見事に外れた。
日も高くのぼったころ、街道を進む燕青の前に、前方の草むらからいきなり曹琢が躍り出て、大音声で叫んだ。
「とうとう見つけたぞ、この人殺しめ! 大人しくお縄につけ! 抵抗するならば殺してもかまわぬと言われている!」
曹琢は戦袍に軽甲冑を着込み、短槍を手にどこぞの検非違使のような、堂々とした風格を漂わせている。振り返れば陶凱と男装の蘇峻華が、巡検中の都頭(伍長)のような体で、刺叉を手に逃げ道を塞いでいる。いずれも口元を布で覆い頭巾を被り、目だけを出した状態だ。
周囲にいた十数人の旅人は、巻き添えは御免だとばかりにさっと散らばり、かといって消え去るでもなく遠くから様子を見ている。
燕青は、黒猴軍がこれほどあからさまに攻撃とは予想もしていなかったので一瞬挙を突かれたが、すぐに曹琢を指さしながら同じく大声で叫んだ。
「何を言いやがる! 手前ら花石綱の役人に、 たかだか岩を運ぶ邪魔になったからって斬り殺されたたった五才の妹の仇を取っただけのこと、何が悪いってんだ! どうでぇご覧の皆様よ!」
言っていることはもちろん即興の作り話だが、「花石綱」と聞いただけで旅人たちの空気ががらりと変わった。
徽宗の悪政は、外交面にも多々あれど、特に内政においてこの「花石綱」は庶民の怨嗟の的である。周囲にいた十数人の旅人の間に、あるいは罵りあるいは囁き、ざわざわと捕り手に扮した黒猴軍を白眼視する雰囲気が広がっていく。
この燕青、嘘八百並べやがって!
曹琢は怒りを押さえ込みながら、短槍を構え燕青に襲いかかった。
燕青は左腰に差した「吹毛剣」を、動く右手で引き抜き槍を受ける。と、剣に触れるか触れないかの瞬間、大根でも切るかのようにすぱりと槍の穂先が切り落とされた。
むっ!
曹琢は槍を捨て跳び退き、帯の後ろから拐を引き抜き構える。
燕青は燕青で、「吹毛剣」のあまりの切れ味に一瞬愕然としたが、それに力を得て、逆に曹琢に襲いかかった。
かつて「青面獣」楊志が、積み上げた銅銭を、刃こぼれもせず両断してみせた切れ味は衰えを見せず、曹琢の構えた拐をも容易く切り飛ばした。
周りの野次馬は燕青の応援を始める。燕青の虚言を聞き、花石綱に加担し幼児を殺した「悪い役人」と信じ込んで、てんでに罵声を浴びせかけはじめた。
だがその悪口雑言が、逆に曹琢を冷静にさせたのだ。
いくら切れ味が鋭いとはいえ、燕青はそれほど剣術に秀でているわけではない。そして左手は感覚が戻らず、だらりと下がったままである。
曹琢は距離をとり、燕青の左手側へと回り込み始めた。燕青は吹毛剣の切っ先を曹琢に向けたまま、曹琢の動きを追従し構えを崩さない。
と、曹琢の動きが止まると同時にふわりと後ろへ跳んだ。
燕青は距離を詰めて追い打ちをかけようと、一歩前へ踏み出そうとした。
ところが、その足が止まった。いつの間にか足下に木の根のようなものが生え、
軸足が地面に縛り付けられていたのだ。
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