第一章(一)
リアル中華史にゴリゴリのファンタジーをぶっ込んでみました!
初秋、好天。中国は北宋、北東部薊州の山道。
第八代皇帝、徽宗の御代。宣和五年のことであった。
一人の若者が谷間の街道を足取り軽く登っていた。
年の頃なら二十代前半、長い髪を団子にして頭頂でまとめ、灰色の袍に同色の褲子と黒の帯という、地味だがこざっぱりした服装に、斜めがけの行嚢。黒い天鵞絨の半長靴で足拵えをしている。
背は五尺三寸(160センチ弱)と、さほど大柄ではないが、引き締まった体つき。色白の肌の胸元から、鍛えられた筋肉の上に極彩色の牡丹の彫り物がちらり顔を覗かせる。
細く整えられた眉の下に切れ長の目、深い瞳の色が意志の強さをうかがわせると同時に何とも言えぬ色気の漂う、まさに眉目秀麗な美丈夫。
かといって取っつきづらさは微塵もなく、初対面でも気安く声をかけたくなるような親しみやすさが口元に浮かぶ。
一言で言えば、気の置けぬ小粋な色男、なのである。
その若者の足どりが急に止まった。
道端の草むらの中に、斜面の上に続く石段を見つけたのだ。石段の脇にはかろうじて「顕星観」と読める、苔むして蔦の絡まった石柱がある。どうやら、人に忘れられた道教の寺院があるらしい。
登って御堂でひと休みしようと思いつき、若者は石段に脚を掛けたのだが、その石段に覆い被さった秋草が、何者かによって踏みつぶされていることに気づいた。ちぎれた様子から見るに、つい今し方のようである。
(はて、俺以外にこんな古道観に入って何をしようと?)
若者は、どうせ急ぐ旅でもないと、好奇心に任せて石段を登っていく。不思議なことに若者はかなりの早さで登っていったにもかかわらず、足音一つ聞こえなかった。
門前まで登ってみると、あちこち瓦が落ち、周りを囲む高さ一丈(約3m)の壁は所々崩れている。門の前で立ち止まり、耳を澄ますと数人の喚き声が聞こえる。
門に隠れて密かに覗きこむと、武器を持った男が四人、素手の大男がひとり。その五人がひとりの子供を取り囲んでいるのだ。
囲まれている子供は身の丈四尺五寸(135センチ)ほど。取り囲む男たちの胸ほどもない。若者に背を向けているので顔は見えないが、腰まである長い黒髪から女の子だとわかる。
背に白と黒で太極図の描かれた、濃紺の膝まである長い袖無しの羽織を着ている。羽織の下には白地の道服に、黒の袖口と裾に金糸で刺繍のある上下。足は濃緑の半長靴を履いている。そしてひときわ目を引く、羽織の太極図の上に斜めがけされた三尺ほどの長剣。
(あんな長剣を、あの小さい子が抜けるのかね?)
若者は妙なことを気にしつつ、話し声に耳を澄ませた。
「だからあたしはこの道観に住みついた魔物を退治しに来たんだって、危ないから出てってよ!」
「わかんねえガキだな。俺たちゃひと仕事終えてここで休んでたんだぜ。後からのこのこやって来て、出て行けたぁ何様のつもりだ」
弓に矢をつがえた男、短槍をしごく男、六尺棒を担いだ男、朴刀にもたれた男、そして若者に背を向けたまま、何も持たず腕組みして立つ大男。みなにやにやと、取り囲んだ中に立つ道士の少女を嘲り笑っている。
「じゃあいいわよ、とりあえずあたしは御廟で仕事するからそこどいてよ!」
少女の甲高い声が響いた。
それを聞いて男達は互いに顔を見合わせ、にやりと笑って両手を広げ少女の行く手を阻んだ。
「おおっと、そうはいかねぇ、中にゃあ俺たちのお宝が置いてある。行かせねえよ」
「お宝ってなによ」
「がはは、教えてやろうか、俺たちが近くの屋敷からかっぱらってきた金目の物だよ。この界隈で押し込みの袁五兄弟と言やあ、知らぬ者のねえお兄いさんたちだ」
「気の毒に、これを聞いちまった以上お嬢ちゃんもう無事にゃあ帰れねぇぞ。見りゃあガキだしガリガリで胸はつるぺただけど、どっかの好き者には高く売れるだろうぜ、へへっ」
「まぁ、何だか目の色が変だけどよ。面ぁ悪くねえしな、何なら売っぱらう前に俺たちが味見してやろうか。ふひひっ」
聞いて若者は小さく舌打ちした。大体の事情と、この袁五兄弟らが押し込み強盗やらひと攫いやら、救いようのないろくでなしであることが分かったのだ。
(この娘を見殺しにしたんじゃ「侠」がすたるってもんだ )
道士の少女を助けることに決め、飛び出そうとした瞬間、少女がこちらを向いた。
(!)
少女の顔を見た若者は一瞬動きを止めた。
緊張のせいか歯を食いしばっているが、きりっと引き締まった顔立ちで、背丈や体格と相まって十歳くらいに見える、美しい少女だった。
そしてその勝ち気そうに光る目は、右が黒曜石のように輝く黒、左は泉のごとくに透き通った青の、いわゆる異色眼だったのだ。
(話には聞いたことがあるが、珍しいな・・・・・・)
若者が気を取られたのと同時に、道士少女は素早くその場にかがみ込んだ。
古道観の前庭は、通路に石畳が敷かれ、その間には玉砂利が散らしてある。その玉砂利の幾つかを両手で拾い上げ、少女は立ち上がった。
周りを囲んだ男たちは、じりじりと少女との間を詰めてきた。間隔が二丈半(7メートル強)ほどに迫った瞬間、少女の両袖が翻った。
「ぐわっ!」「痛ぇっ!」
少女の前にいた四人の男達は、得物を持った手の甲や指を押さえて、次々にその場に踞った。悶絶している様子から、骨が砕けているようだ。
(飛礫か!)
若者は心中で呻いた。飛礫とは、要は石つぶてである。石を投擲して相手に当てることだが、少女の飛礫の早さ、正確さは目を見張るものであった。
(むう、没羽翦の兄貴ほどの威力はないが、凄い使い手だ)
若者は、飛礫の名手だったかつての仲間の綽名を思い出していた。没羽翦とは、「羽の無い矢」という意味である。それほどの威力を誇っていたのだ。
若者が感嘆している間に、少女は呻いている男たちの囲みを抜けて、頭目らしき大男に向き直った。
「よくもあたしの眼を馬鹿にしたわね! おまけにつるぺたって! 今は手で済ませたけど、次は顔面にお見舞いするよ!」
少女が眼を怒らせ、両手に握った玉砂利を示した。
そのとき、ずっと黙っていた五人めの大男が、のっそり前にのりだしてきた。
他の四人より明らかに頭ひとつ大きい。六尺三寸(190センチ弱)ほどはあろうかという巨体である。薄汚れた白い袍の上に、猪か熊のものらしき丈夫そうな胴衣を着込んでいる。
よく見ると袍のあちこちに、古いもの新しいもの入り混じって、血の跡らしき茶色い染みがついている。その袍の合わせ目を押し広げるように、分厚い胸板が見えている。下げた腕は少女の腰ほども太く。こぶしには何を殴ってきたものやら、ごつごつとした胼胝があちこちに見え、切った張ったの荒事の中で生きてきたことがうかがえる。
厳つい顔が不敵な笑みを浮かべ、顎髭をポリポリ掻きながら大男が少女に話しかけた。
「嬢ちゃんよ、ちいとばかしやり過ぎたな」
「何よ、あんたたちがあたしを攫うとか脅してくるから悪いんじゃない!」
「ああ、訂正しようか。さっきまで攫って売り飛ばすつもりだったがやめたぜ」
「え?」
「兄弟の骨を砕かれたとあっちゃ、売り飛ばすくらいじゃ済まされねえ! 慰みものにしてから、一寸試し五分試し、バラバラに切り刻んで鍋にして食ってやらあ!」
大男が獅子吼し。両腕を持ち上げて顔の前で交差させた。
「投げてみなよ、そんな小石当てられても、顔以外なら屁でもねえ」
「だったらこれはどう!」
少女は小石を捨て、来ていた長羽織の内側から長さ五寸ほどの「飛刀」を抜き出して構えた。細い短刀の後ろに、短い布が結わえ付けてある暗器(隠し武器)である。
大男は一瞬怯んだ様子を見せたが、またニタリと笑った。
「いいぜ、使ってみなよ、本当にそれが打てるならな」
「何言ってんのよ! 小石なんかよりずっと打ちやすいんだからね!」
「そうかもな。だが俺が言ってるのはそういうこっちゃねえ。嬢ちゃんに人が殺せるのか、ってことよ」
言われて少女の表情がさっとこわばった。大男がさらにたたみかける。
「そんな若さで平気で人を殺せるわきゃねえよな。当たり前だ。だが俺たちは違うぜ。人を殺すなんざぁ屁とも思わねえ。あの建物に置いてあるお宝ってのも、昨日近くの村の屋敷に押し込んで、八人くれえ叩っ殺していだだいてきたものよ。行き掛けの駄賃でガキをもうひとり追加してやるぜ。さあ、お前に人が殺せるのか?」
少女は苦しい表情で言い返した。
「できるわよ! いざとなったらあんたの頭に打ち込んでやるわ!」
「嘘だね。俺を殺すつもりなら、なぜ背中の剣を抜かねえ? そいつははったりか?」
「こ、これは……」
少女は顔色を失い、飛刀を構えたまま後ずさりを始めた。それを見て、座り込んでいた男たちも勢いを取り戻し、口々に罵声や卑猥な言葉を投げかけ始めた。
「やっちまえ兄貴!」「俺たちのかたきを取ってくれ!」「やいチビ、糞ガキ! てめぇの穴という穴に突っ込んでやるから覚悟しろい!」
「どうした、投げてみろ!」
大男が大喝した瞬間、少女が雑草に足を取られて尻餅をついた。
「きゃっ!」
(いかん!)
次の瞬間、若者は門の影から飛び出し、今にも殴りかかろうとする大男の前に立ちはだかった。
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