お嬢様の護衛と胡散臭い隠者
聖都に着いたのが、聖誕祭三日前の夕方頃。そしてたった今起きたのが、聖誕祭二日前の夜だ。丸一日以上を寝て過ごしたツナギは、疲労こそ回復したものの空腹感に襲われる。故に、街で食事を取ることにする。
ツナギくんは護衛とか何も知らないはずなので、聖誕祭当日までは気兼ねなく遊べるのだ。一応顔がバレないように、フードは被る。
夜だとは言え、ここは聖都。この国でも三本の指に入る大都市だ。祭りが近いこともあってか、繁華街は大勢の人で賑わう。今が昼かと思えるほどの光源が街を照らす。
「いらっしゃいませー!一名様で?そこ空いてまーす!」
両手の塞がった店員に促されて座るのは、大きな丸いテーブルの一席だ。纏まった人数の客がいなければ、単発の客を何人かまとめて座らせる席だろう。奥に詰めて、他の客の席も空けておく。ツナギの左隣には、暗い赤色のローブを着た少女がすでにいた。
「ご注文は?」
ツナギが席に着くと同時に、ちょうど都合よく店員が注文を取りに来た。
「「ドラゴンヒレステーキと大太ネギのスープを」」
隣の少女と、一言一句同じ言葉が口から出る。
「あ、俺は大盛りで」
「かしこまりました。オーダー入りまーす!」
店員が厨房にオーダーを通す。ツナギはテーブルの中央に逆さに置かれたグラスを取り、それに水を注ぐ。
「ふーん。あなた以前にもここに来たことあるの?見たとこいかにも旅してます、って恰好だけど」
「ん?ああ。初めはじいちゃんに連れてきてもらってね。聖都に来た時は必ず寄ってるよ。ここの料理は美味しいし」
「わかるぅー」
寝起きの渇いた喉を冷水で潤し、ツナギは少女からの質問に答える。料理が出来上がるまで、まだ少し時間がある。いつもの話し相手が起きていないので、暇つぶしに少女と会話することにする。
「君は聖都に住んでる子?」
「ええそうよ。生まれも育ちもずーっとここ。どこかに出かけたこともないわ」
「ふーん」
少女は頬杖を突いて、それが不満であるかのように振る舞う。
「私ソフィア。あなたは?」
「ツナギ」
「ツナギ……?どっかで聞いたことある気がする……」
「多分気のせいなんじゃないかなぁ」
ソフィアのみならず、聖都でツナギの名はそこそこ広まっている。レイさんの名を出すと、点と点が線でつながる。聖都の襲撃?きっと無関係だよ。
「いろんなとこを旅するの?」
「うーん。危ないところにはよく行くけど、こういった街に来るのは少ないかな」
ツナギは基本引きこもりなので、魔の森の外に出かけることは少ない。今回のように、やむを得ない状況でなければ人が集まるところには行きたくない。関わりたくない。
「でもそうだなぁ。美味しいメシのお店なら知ってるかな。一番印象深いのはハムスにある店なんだけど」
「えーいいなー!私も行きたーい!」
「まあ、ここからじゃ大分遠いけど」
ハムスというのは、マノガスト聖王国西部に広がる商業都市群の名だ。湾岸沿いに広く分布する商業が盛んな地域を、まとめて『ハムス』と呼んでいるのだ。海を渡っての交易も盛んで、世界中どこを探してもこの群を超えるほど人の密度が濃い街はない。
そこでの食事の一席が、ツナギには忘れられない。
「お待たせしましたー!」
とは言え、ここの料理も負けていない。山のように積み上げられたドラゴンヒレステーキを前に、空腹に耐えかねたツナギの腹が鳴る。
「待ってました!」
それは、隣に座るソフィアも同様だ。緩んだ表情で、よだれを垂らす。
ナイフで器用に切り分けた肉を、フォークで口まで運ぶ。濃厚なソースがよく絡み、付け合わせのパンがよく進む。手でちぎったパンを、口にひとかけ放り込む。
「おいし~。あ、そうだ。お水!」
「ん?ほい、どうぞお嬢様」
ソフィアの持ったグラスに、ピッチャーを持ったツナギが水を注ぎこむ。自身のグラスに水を注いだ時から、ずっと手元にあったのだ。
「ありがと」
「どーも」
『ぷっ』
この微笑ましいやりとりに、笑いを堪えられなかった悪魔がいる。
『ククク、あっひゃっひゃっハハハ!腹ァよじれる!』
ツナギの網膜にこびり付いた落ちない汚れが、右隣の椅子の上で腹を抱えて笑っている。その声は、ペンダントを介して店中に響く。
ツナギは即座に外套を脱ぎ去り、それでペンダントをぐるぐる巻きにする。地面に思い切り叩き付け、足元に転がす。鳴り止まない笑い声は、その中からわずかに聞こえる。
もともと賑やかな店内だ。高笑いが響いた程度では、すぐさま元の賑わいが戻る。
「何?それ」
「燃えないゴミ」
『ひっでぇ』
ツナギの足元のゴミの中から、くぐもった声が聞こえる。ツナギとソフィアの両名にかろうじて聞こえる程度の音量だ。
「いつから起きてた。インチキ妖怪」
『ガヤガヤうるっせぇからな。お前のナンパは全部見てたぜ。ここまで笑いを堪えるのに必死だったわ。「どうぞお嬢様(キリッ」。ぶぁっはっはっは!』
「ハァ……」
ああそうだった。こいつはこういうのが大好物なんだった。エサを与えた自分が悪い、とツナギは思った。
『いやぁそれにしても、ツナギちゃんもついに女の子を口説く年ごろかぁ!我が子の成長が嬉しいねぇ!』
「俺が?口説く?ハハハないない。お前じゃないんだからさ」
バンバンと背中を叩いてくるリュウゴを鼻で笑う。しかしそれは悪手だ。バカにされてそれに腹を立てないほど、ソフィアはお淑やかではない。
「ちょっと。それはそれで私もムカつくんですけど?」
「ちょ、痛たたた……耳を引っ張らないでぇ」
どちらにせよ、もう詰んでいる。あちらを立てればこちらが立たず。嘲笑と制裁の内、どちらか一方は受け入れなければならない。ならばツナギは、リュウゴを貶める方に全力を注ぐ。
「で、結局それは何なの?」
「このバカは生きた人間でもあるから、生ゴミなんじゃないか?」
靴の裏で布に巻かれたペンダントを踏みつけるが、リュウゴ本体はここにいないのでダメージはない。ペンダントはあくまで、声を世界に届けるためのマイクでしかないのだ。それでも、マウントを取るために踏みつけるのをやめない。
『心外だな、マイバディ。俺とお前の仲じゃないか。もっと媚びてくれてもいいんだぞ?』
「同列に見られたくないから話さないでくれるか?」
『――お前ホント最近どうした?言葉がすっげぇ鋭利だぞ?』
ツナギにしか見えないリュウゴが、勝手に肩を組んでくる。しかしその姿は、ツナギ以外に認識できない。ならば、ツナギの頭の中でそんな奴いないことにすれば全て問題ない。完全なる無視、最もとっつき易く、最も忍耐のいる対処法だ。
「世の中にはいろんな人がいるのね」
ソフィアがグラスを傾け水を飲む。
自分が特異である分、人の個性には寛容だ。水のように柔軟に。ソフィアは一つ、賢くなった。
/
「ねえ、もう随分遅い時間だけど、あなたはこれからどうするの?」
「起きたばっかりだからなぁ……。しばらくぶらぶらしてようか」
ツナギくんは護衛とか何も知らないはずなので、夜更かししようが関係ない。当日起きてさえいれば問題はないのだ。そもそも夜は雇用時間外のはずだろう。
「じゃあ少し付き合って」
「まあいいけど。暇だし」
ほぼ同時に食事を終えたツナギとソフィアは、会計を済ませて店を後にする。そこで今後の予定を聞かれ、ツナギは少しの間ソフィアと行動を共にすることとなった。
『ツナギくん。女の子と夜遊びするようになって……。ブフォッッ!!』
「消えてくれないかなぁ……!」
『いや、確かにこの場で俺は消えた方がいいが、分離できない以上はもう茶化すしかないだろ』
「何もしないという選択肢は」
『俺の辞書にない』
「そうかくたばれ」
「ん、何の話?」
「こっちの話。ひとりごとみたいなもんだよ」
ペンダントは厳重に密閉してポケットに突っ込んでいるので、ソフィアの耳が汚される心配はない。この劇物はツナギが処理しておけばいいのだ。
「それじゃあ、さっそくだけど撒くわよ」
「――撒く?あれは君を見守ってるだけじゃないかな」
「それが嫌なのよ!四六時中監視される身にもなってみなさいよ。気が休まる暇もない!」
(聖都にエルムがいる以上あまり変わらないと思うけど)
ツナギ自身も、自分が見逃されているという自覚はある。エルムにかかれば、この広大な聖都のどこに誰がいようと、その場所を把握しているだろう。多分今も、ツナギは見られている。小言の一つでも言いたい気分だろうが、ちゃんと来ただけでも褒めてほしいくらいだ。
「ついてきて」
急に走り出すソフィアの背中を追いかけ、路地裏に逸れる。
と、その前に露店の店主から焼き鳥串を二本購入する。お金はピッタリの額の硬貨を指で弾いて箱の中に入れておいたので問題ないだろう。そのうち一本を咥え、ソフィアと離れた距離を小走りで詰める。
「なにしてたの?」
「――いる?」
「――いる」
一応二本買っておいてよかったとツナギは思った。嫉妬でもされたらたまったもんじゃない。リュウゴのように駄々を捏ねられても困るのだ。
うん、うまい。ちょっと肉が固い気もするけど、タレがよく絡んでいる。
聖都の街は、たとえ路地であっても綺麗に整えられている。そこから路地裏に入りこんでもそれは同様だ。石のタイルが規則正しく敷き詰められている。
「どこまで行くんだ?」
ツナギには、ソフィアが適当に角を曲がって進んでいるようにしか見えない。だが、それでいいのだ。舗装された道は、ソフィアの逃走経路ではないのだから。
「空に逃げるの。遠くまで!」
「悪いが俺は飛べないぞ」
「ふふん。驚いてくれていいわよ」
得意げな顔で振り返る。そんなソフィアの次の一歩は、地面よりも一段高いところだった。白く半透明なガラスのような板が、夜の暗闇とのコントラストを魅せる。それが点々と、空への階段みたいに続いている。
(魔法かな?)
ソフィアによって生み出されたと見られる空中階段にツナギも足を踏み出して――
「!?」
しかし、ツナギの足はすり抜ける。踏み外したのではない。すり抜けたのだ。ソフィアが歩く足場など、そんなものは存在していないかのように。
大地のありがたみを突発的に感じながら、くるりと一回転。さすがに転びはしないが、咥えていた焼き鳥串で危うく喉を突きそうになった。
「あっぶっなっ!」
「えっへっへ、ウソウソ。そっちでここまで登っておいで」
ソフィアが指をパチンと鳴らすと、ツナギの近くに階段が出現する。白い板が点々と浮かび、それらはツナギの頭上にいるソフィアの下へと螺旋を描くように展開された。
(パンツは見えそうもねぇな。つまらん)
位置的にソフィアの真下に来たので、リュウゴはこれ幸いと顔を上にあげる。しかし、下卑た欲望は叶わない。謎の白い聖域に守られて、ということもなく、単純に服の構造だ。スカートのようにひらひらしたズボンのせいだ。そうと分かれば、リュウゴの興味は一瞬で消え失せる。
「なるほど、魔法じゃなくて【アーク】だな。これは」
『え?何の話?』
「見てりゃ分かるだろ」
『見えなかったろ?』
「何の話をしているんだ?」
微妙に会話が嚙み合わないリュウゴのことはもう放っておいて、ツナギは目の前の現象についての考察を始める。
(ある対象をすり抜けるって魔法があるのかは知らないけど、多分それじゃない。ソフィアが、杖も魔法陣も詠唱もなしで高度な魔法を扱える子には見えないし。あっちもこっちも、本質は何も変わらない。アークなら、細かい理屈抜きで直観的に扱えるからね。能力の全体像はまだ掴めないけど)
自身の感覚と、詰め込めるだけ詰め込んだ魔法の知識、そして魔法の師などの判断材料を用い、正解にたどり着く。
【アーク】と呼ばれる能力がある。一国に5人もいれば国を侵す者なしと言われ、英雄ともてはやされる。また、不思議な現象を操ることができるとされており、その性質もバラバラ。一説では本人の性格に左右されるとかしないとか。
ソフィアがアークを持っている、その上で隠そうともしていないことに、誰かが言った護衛任務のことがちらつくも無視する。
これは、何も難しい仕組みではない。ソフィアの解釈では、壁がはじくものを設定してやるだけ。
今ソフィアが立っている足場までの数段は、「ツナギ以外の全部をはじく」、それ以外の階段は「全部はじく」という設定をしている。これによりツナギの足がすり抜け、前のめりに傾いた体も板にぶつかることなくすり抜けた。この場合ソフィアは、服も靴もまとめて一律でツナギだと認識しているのでそれらも同時にすり抜けた。
「どうでしょ!羨ましいでしょ!」
「うん、面白そうだね」
「全然思ってなさそーう」
貴重とされるアーク使いだが、ツナギもリュウゴも、周りに結構ありふれているためあまりありがたみを感じない。何ならこの場にはそれが三つあるが、自慢げに話すソフィアのためにも言わぬが花だろう。
ソフィアの監視――もとい私服姿の騎士たちは、目立とうとしていない。空を歩いて遠くに向かうソフィアの後をつけることはしないだろう。ツナギと違い、ソフィアはこの騎士たちの存在を把握していたわけではなく、どうせ見張っているだろうという推測により看破した。そしてどうやら、これ以上の追跡は諦めるようだ。
「まあ、どうせエルムも見てるだろうし」
護衛とか初耳だが、まだ若く、同年代の荒事に慣れていなさそうな少女を放っておけるほど、ツナギも無責任じゃない。関わりたくないという気持ちと、放っておけないという気持ちが両立する。ツナギは自身のマイナスな感情を抑え、後者を実行に移す。
一歩ずつ、足場を疑いながらソフィアの後に続く。一度騙されている以上、信用はそう簡単には戻らない。次の足場を踏むことができるかは、ソフィアの機嫌一つだ。
「にしても、聖都を上から眺めるのは初めてだな」
聖都の夜景は、この時期一段と明るくなる。ほとんどが橙色の温かな灯りで、その中にちらほらと白や黄色が見て取れる。夜の街を明るく照らすのは、魔法で生み出された光だ。さっきまでツナギたちがいた大通りを中心に、そこから枝分かれしている。
「どうでしょー!なかなかいいものでしょ!」
「そうだね。俺が住んでるところでは見られない景色だ」
魔の森での夜の光源と言えば、だいたいが煌々と燃える炎の橙色だ。情け容赦ない山火事と、夜を淡く照らす街の灯りとでは風情がまるで違う。宵の口にもまだまだ遠いが、今夜はずっと明るいままだろう。
「この街のことは好きだけど、ずっとここにいたいわけじゃないの。治めるなんてもってのほか。それよりも私は、いろんなところを旅してみたい。閉じこもったままだったから、外の世界をたくさん見てみたいの」
「そっか。俺も旅自体は好きだよ」
『――治める?』
気になる単語は無視する。それよりも、何だか悲しそうな目をしたソフィアに気を引かれた。過去に何があったかなんて知る由もないが、きっとそれは、現在まで尾を引いているのだろう。理解できると簡単には言えないが、ツナギにも経験があるのでその空気感をひっそりと感じ取る。
「それなのに護衛の子がまったく来なくってさぁ!もうずっと待ちぼうけをくらってるの!」
「へー薄情な奴もいるんだなー」
『ぎゃっはっはっ、ど・の・口・がぁっははは!』
悪魔の戯言は無視する。会話に入らないでほしい。
ツナギを見るソフィアの表情は、頬が少し紅潮して口角が上がっている。全部察した上で、からかっているのだ。ツナギの困り顔が見てみたい。
「ほっとかれるのも癪に障るの!ほらほら~、弁明は?」
「きっとその子にも事情があるよ。骨折の治療とか」
「ウソがつまんな~い」
先日まで実際にアーサーによって折られた腕の骨の治療に当たっていたのだが、それはソフィアに嘘だと判定される。確かに療養の期間はわざと伸ばしたが、その出来事自体は嘘ではない。しかしそんな事実は意味を成さず、ツナギの足を支えるものが消える。
「うぇやっ!?……――落ちたな」
短い悲鳴を上げ、ツナギは地面に吸い寄せられる。取り乱しはせず、頭上のソフィアを恨めしそうに見上げている。
「リュウゴ――」
『ぎゃっはっは!あの女畜生じゃねぇか!』
「――は使い物にならんな。本当に使えん」
『あっひゃっぴゃぁ!』
耳元で気が狂いそうになるほどの鳴き声を聞かされながら、ツナギの体は自由落下を続ける。ポケットの奥のペンダントが微細な振動をする。
ツナギは、魔法がそれほど得意ではない。平均的な魔法師を二回りほど下回る程度の才だ。魔法を習い始めた見習いにも、数か月で追い抜かれてしまうだろう。そんなツナギが、魔法をまともに使う方法。
「【エンチャント:――」
落下を続ける自身の胸に手を当て、最も簡易的な詠唱である魔法名を唱える。
「――フライト】」
ツナギの【エンチャント】。端的に語れば、ものに効果を付与するというアークだ。
A(魔法やアークなどの現象)を、B(剣や人など)と混ぜ合わせる。例えば、剣に炎の魔法をエンチャントすることでより破壊力を得られ、ツナギが解除するまで本来一発限りの魔法を長く使える。代償として、Bの摩耗、消耗、損耗などが起こる。
今回、『フライト』という魔法をツナギの体にエンチャントする。
これはもともと自身の体を対象として発動する魔法で、逐次魔力を制御して空を飛ぶ、という使い方だ。ツナギはこの魔力の制御というのがものすごく苦手で、この魔法を普通に使おうとすると2秒と経たずに墜落を始めるだろう。しかし逆に言えば、少なく見積もっても1秒間はちゃんと飛べるというわけだ。その1秒間を、体に定着させる。
「こうでもしないとまともに使えないからね。魔法」
『持続力がねぇんだよ、お前は』
「魔法使えない奴がなんか言ってらぁ」
『んだとゴルァア!』
ゆっくりと減速しながら、ツナギは地面に着地する。後から魔力の制御によって飛び方を変更することができないので、本当にゆっくり降り立っただけだ。
続いてソフィアが自ら生み出した階段を下って、ツナギの横まで降りてくる。
「強く抗議をしたい」
「却下しまーす」
「――ハァ。リュウゴの同類か」
「ちょっと待って、それは私の品位が地に落ちない?」
「あいつは底の底だよ。さすがにそのレベルとは言ってない」
『てめえら好き勝手言いやがって――お?』
言い合いを繰り広げる二人は、現在路地まで降りてきている。ソフィアによって作られた道を、かなりの距離歩いた。繁華街から大分離れたとは言え、人通りがゼロでないことにいちいち疑問は抱かない。
『おいツナギ、誰か来たぞ。痴話喧嘩はその辺にしとけ』
こんな夜の路地に似つかわしくないフォーマルスーツを着た男が歩いて来る。顔はまだ見えない。ツナギが振り返り、路地を確認する。
「……いないじゃねーか。これだからお前の言葉は聞こえないフリするのが一番――」
『あぁぁ??』
「ねえちょっと聞いてる?」
ツナギはとぼけているような雰囲気じゃない。本当に、そんな人物は存在しないからこそできる受け答えだ。しかし物質的には存在しないリュウゴの瞳は、一人の男を捉えている。
「おーい、ツナギさんやーい」
『説明は後だ。文句言わずに動きを追え』
ツナギにしか見えないリュウゴの体。その座標を、ツナギの体とピッタリ合わせる。
左回りに体を180度回転。リュウゴの手が、腰に差した剣の柄を握る。鞘から剣を引き抜く動作と同時に、左手も柄に添える。完全に抜いた剣を十分に構える暇もなく、敵の剣にぶつける。
この動きを、コンマ数秒遅れてツナギが完璧に再現する。
「!?」
『……』
奇襲を防がれた敵は、ツナギとソフィアに姿を現す。
夜の路地に似つかわしくない燕尾服は、いっそ道化のよう。片眼鏡と帽子で頭部を装い、細めた目とにやけた口元が向けられる。
「おや、見えました?見えないはずなのですが」
「誰だよ、てめえ」
純粋な疑問を投げかけてくる襲撃者に、ツナギが言葉を吐き捨てる。
「ああそうですね。自己紹介は必要でしょう。私の名はローゼン」
うやうやしく、丁寧にお辞儀をする。その所作は完璧だ。王侯貴族に仕えることができるだろう。
――手に剣さえ持っていなければ。
「ソフィアルーク・クランドの命を貰いに来ました」