そういう設定
ベンマトル森林地帯特異研究所第三拠点。そこに駐在する騎士パナールは、この場の異変にいち早く気付いた。差し入れとして貰った果実を、思わず落としてしまう。脱いでいた兜に頭を押し込み、再び全身を鎧で包む。
「これは……」
『こちら、ニュートです。各自現状の報告を』
ノイズ混じりの通信魔法が届く。この地を守護する騎士として、迅速な対応が求められる。
「第三、多数の不穏な影を確認……前方約15km。大きいのが空を飛んでいますね。ドラゴンです」
『どこもかしこも同じ報告ですか……』
パナールの視線の先、塩の一粒にも満たないほどの黒い点が、空を飛んでいる。よく目を凝らすと、そのさらに奥の方から同じようなものが噴き出しているのが見える。
「まさかとは思いますけど」
『迷宮決壊でしょうね。各自その場を待機。拠点防衛に努めてください。兵を送ります』
「了解」
必要に迫られた必要な報告を終えたパナールは、続いてやってくる仲間の下に向かう。通信魔法終了後時間を置かずに、拠点の中央へ援軍が届けられる。
「ニューさ……団長!」
「オェッ」
援軍をここまで一瞬で届けたのは、膝を付いて崩れ落ちる頬の痩せこけた男だ。自身の口に手を当てえずく。彼の背後には、20名ほどの騎士がいる。
「……つらいですか?」
「……お構いなく。慣れてますから」
思わず駆け寄ってしまったのは、パナールの生来の優しさ故であろう。この人はかわいそうな生き物だと理解しながらも、手を差し伸べられずにはいられない。騎士たちをここに連れてきた魔法の代償だ。
「わかりました……。我々は防衛でいいんですね?」
「はい。その間に私含む数人で殲滅します」
『通達。魔の森内の各拠点にはニュートが戦力を送り込む。お前らの任務はそれぞれの拠点の防衛だ。次、魔法師による魔物の殲滅を行う。人里がある方向に向かう奴らを狙え。それ以外は捨て置いていい。繰り返す――』
「――今言った通りです」
通信魔法により、迅速に指示が飛ばされる。問題の検知からここまで1分とかかっていない。
「これは……団長様」
拠点内に突如として現れた騎士たちに、スピルクがようやく気付く。騎士たちはすぐに動き出し、各々が配置に付いた後だ。
「迷宮決壊です。ですがご安心ください。私の団が、あなた方を守ります」
「……お願いします」
「では、私は失礼」
ニュートは、ここに来た時と同じようにこの場を去ろうとする。その前に忠告を一言。
「気を抜かないでください。速いのは、案外すぐに来ますよ」
そして、この場からいなくなる。
「あ、パナールさん。さっきグレイさんからの通信が――」
「何をしているのですか。早く迎え撃つ準備をしなさい」
「――了解っす」
/
世界各地で散見される迷宮。その中では、魔の森にも負けず劣らずの怪現象が見られる。そもそも迷宮含めての魔の森であるのかもしれないが。
そこの議論はさておき、迷宮のような特殊な環境下では珍しい魔物も姿を見せる。もはや迷宮内でしか生きられない生態のそれらが住処を失えばどうなるか。
行く当てのない死出の旅の始まりだ。それが迷宮決壊。
元来、迷宮と呼ばれる洞窟は、ただの怪現象が起こる魔物の住処でしかない。その最奥に要はあっても金銀財宝の山はない。そんなところに潜る物好きが求めるものは名声か、それとも単なる腕試しか。
どちらにせよ迷宮が崩れたということは、要が壊されたか持ち去られたということであり、その場には迷宮を攻略した者がいるということでもある。
そして、そんな不届き者に目もくれず溢れ出した魔物の一部がここにいる。
「結界は張ったな!?――来るぞ!」
第三拠点をドーム状に包み込む結界魔法の外で、剣を構えたパナールが指示を出す。普段は無口な彼女だが、このような特殊な状況下では高圧的な口調で饒舌になる。
「撃て」
拠点に近づく魔物――竜を、魔法の斉射が襲う。赤い竜、青い竜、黒い竜。色とりどりの鱗を纏う相手だが、それに見惚れるような暇はない。パナール含む剣を使う騎士たちは、魔法によって撃墜された竜と、地上に降りてきた竜にトドメを差す。
「硬い……」
鱗の上からでは刃が十分に届かない。故に喉元から剣を突き刺して一撃で殺す。もしくは、鱗の隙間から肉を裂く。それでもかなりの力を籠めないと効果は得られない。
魔物にも当然、個体差がある。すでに接敵しているのは、飛ぶのが速い個体だ。そういう個体は得てして、群れの中でも強者だったりする。
「……」
この場に目もくれず、素通りする黒い竜がいた。その竜が向かう先には聖都があるが、パナールはあまり心配しない。ここを守る自分たちよりも遥かに強い仲間が、あの竜を止める。おそらく魔の森を抜けることすら叶わないだろう。
自分たちの任務はここの防衛であり、それ以上はない。故に深追いは望ましくない。
イルルは、空を見上げていた。いつもの青空を、結界を隔てて見ていた。その瞳に影が差す。一匹の黒い竜が、お腹を見せて飛んでいる。
実のところイルルは、この状況をあまりよく分かっていない。取り乱しもしない。ここを守る騎士たちが、微塵の恐怖もイルルに感じさせていないからだ。
だから、ただぼんやりと、いつものように空を眺めていた。
シャキンッと音がして、黒い竜の首が落とされる。首の周りで、剣の軌跡に沿って炎が舞う。
その近くに、人影が一つ。
「このカラフルドラゴン……ってことは壊れた迷宮はあそこか!鍾乳洞の!」
『空間がねじ曲がってるからだだっ広いんだよな。中からウジャウジャ湧いてくるぞ』
「頼むから猿はじっとしててくれよ~」
死んで翼で羽ばたくことができなくなった竜は、慣性に従い薄い角度で地面に落ちる。
斬ったのは、剣に炎を纏わせたツナギだ。
重力に従って落下を始めるツナギに、別の白い竜が襲い掛かる。大きく口を開けたところに剣を叩き込み、魚をおろすように両断する。刃の通った箇所から肉の焼ける音が聞こえる。
「ふぅ」
拠点をドーム状に覆う結界の上で、ツナギはようやく一息つく。
馬車で3時間かかった距離を、どうやって数分で戻って来たのか。その鍵は、ツナギではないもう一人が握っている。文字通り、弾丸のように飛んできた。
「おとうさん!あれ!あれ!」
「ツナギくん!?」
イルルの目が輝く。そこにツナギの姿が映る。
「グギャルアアアァァァ!!!」
突然の乱入者を脅威と判断したのか、ひときわ大きい赤い竜がツナギに狙いを定める。大きな角をこれでもかと振り回し、大きな翼が突風を引き起こす。ツナギの体躯をゆうに10倍は上回っている。
『結界を切らすなよ!張り続けてろ!』
「ッはい……!」
ペンダントを介して、リュウゴの指示が騎士たちに伝わる。
それと同時に、赤竜の喉の奥に炎が灯る。ツナギは、未だ燃え続ける自身の剣の切っ先を赤竜に向けた。
「ガアアアァッ!!!」
赤竜の咆哮。炎の塊が敵を燃やし尽くさんと放たれ――
「【エンチャント】」
その火力の全ては、ツナギが持つ剣に付与された。
その剣を両手でしっかりと握りしめ、赤竜の頭部を一度、二度、三度斬りつける。瞬きする間の出来事だ。さっきまでツナギがいたところには、火の粉が落ちるのみ。竜の背の上で残心する。
「あの子……」
この拠点の防衛線は終わった。しばらく警戒は必要だが、これ以上この場に竜は現れない。
迷宮決壊による魔物の大量発生への対処として最も適しているのは、高威力の魔法をすぐさま巣穴にぶち込んで中の魔物を根こそぎ殲滅することである。迷宮の要を破壊、もしくは確保した攻略者がその役を担うのが一番手っ取り早い。蟻の巣に逆向きにセットした打ち上げ花火を発射するのと本質的に同じ行為だ。
しかし今回の攻略者はどこの誰かも分からない状況。次善策として、迷宮の周囲を結界で覆い、魔物が無遠慮に広がるのを防いだ。拠点防衛で戦ったのは、その際に移動の速かった魔物たちである。逃げ場を無くして、確実に仕留めるつもりだ。
殲滅戦は問題ないだろう。ただ、問題が一つ。
「あなたがここで一番偉い人ですよね?」
「え?へぁ?」
「迷宮跡地を魔法で消し飛ばしたんですか?」
「あ、いや、結界で……」
「なるほど閉じ込めた、と」
ツナギがパナールに詰め寄る。先ほどまでパナールが発揮していたリーダーシップは跡形もなく消え去り、ツナギの問いかけをしどろもどろに答える。
ツナギの剣は、まだ燃えている。
「ありがとうございます。じゃ、俺は行きますね」
「あ……えっと、どこに……?」
「現地までー!」
「ちょっ……」
すでに走り出したツナギの耳には、パナールの静止が聞こえない。そもそも声が小さすぎだ。
ツナギが走り出したのは、一つ懸念があるからだ。結界内での殲滅戦。これは、騎士団によって難なく成功されるだろう。問題は、その場に迷宮を攻略するに足る人物がいることだ。魔物が溢れ出したことから、その人物が迷宮決壊について何も考えていないことが分かる。ツナギたちも何度か迷宮を破壊してきた経験があるが、その度に後処理を欠かしたことはない。
敵か味方かわからない奴ほど怖いものはない。
『あーあ。お人好しがすぎるぜ』
「じいちゃんが出かけたままだからね。この森で何かあったら、俺が対処しなくちゃ」
『何を今さら。もともとここはディストピアだろうがよ』
/
大勢の魔法師によって構築された結界。半径は実に2km。その中に、数名の魔法師がいる。
「それでは、殲滅を開始しましょう」
長い杖を手に持ち、各々が魔法を発動させる。ある者は炎を放ったり、またある者は固めた土を飛ばす。空を飛ぶ竜と、地面を逃げ惑う猿の群れは成す術がない。
そんな中、純粋な魔力の塊をエネルギーに変換したシンプルな魔法が猛威を振るう。宙に浮き、単身竜の群れの中でその魔法を使うのは、この騎士団を束ねる団長であるニュートだ。光線を放射状に放ち、それを屈折させて敵に当てる。
「ギャアアァ!!!」
ニュートは、竜が飛び交う空の、まさに中央にいる。当然竜も黙って見ているわけではない。彼らの大きな武器の一つである牙が、ニュートを捉える直前で――
「【転身】」
ボソリと呟いたニュートが別のところに出現する。さながら瞬間移動だ。
攻撃を仕掛けた竜は次の瞬間魔法の餌食となり、地面に落ちる。
魔の森では、死んだ者はすぐに土へ還る。積み上がっていく死骸が、硬い地面に沈み込むように消えていく。それでも遠目で分かるほど、高い山が築かれる。
「あいつはなかなか面白いな。ただ、魔法使いなのが残念だ」
結界内、巨躯の男が、結界外の魔法師に話しかける。魔法師は、男を強く警戒している。
「魔法使いはつまらん」
「質問に答えろ……。迷宮を破壊したのは、お前か……?」
「ん?ああ。アーサーに会いに来たんだがな。まっすぐ歩いて、迷宮を見かけ、寄ってみることにしたのだ。期待外れもいいところだった。ただ広いだけで何もない。ムカついたので壊して出てきた」
男は、自身がここにいる経緯を丁寧に説明してやる。
「一歩間違えれば大惨事だぞ……!」
「知らんな。この程度のトカゲに殺される者に、俺が心躍るはずもない」
「ぬぅ……」
魔法師は冷や汗をかいている。この男の機嫌を損ねれば死ぬと、本能で理解した。
「やはり魔法に頼り切っているな。あれでは絶対に楽しめん」
「俺たちの団長をバカにするなよ……」
「あまり睨んでくれるな。抗う術を持たぬ弱者をいたぶる趣味はない。――お?」
殲滅戦が終わる頃、ニュートの観察に飽きた男が周囲に意識を向ける。一人の少年が、男の琴線に触れた。
「あれは……。ククク、おい、結界を解け。お楽しみにはまだ早い」
「ふざけるなぁ……!俺にも任務が、責任がある。俺一人がこの結界を解除するわけにはいかないんだ――」
「遅い。諄い。煩い」
10人がかりの大結界。それがまるで薄氷のように崩れ落ちる。この世界に存在を許されなかったかのように。
『何だ?』
「結界が……!」
あと数十匹を残して、檻は取り払われた。竜が四方八方に散って行く。少し離れたところにいるツナギとリュウゴも、その様子を視界に捉えた。
「これだから魔法は好かん」
「おい!ぐっ……、待て!」
男は森の中に消えて行く。
「いったい何が……!?」
「団長!」
「焦らないでください。数は少ない。一匹ずつ確実に仕留めましょう」
ニュートが動揺する部下をなだめる。彼自身も内心穏やかではないが、取り乱してもいいことなど一つもない。故に、冷静に事態の対処に臨む。
「魔法の制御をミスったか?何だかよく分からないが……こっち方面は受け持とう。リュウゴ!」
『俺をパシるのもほどほどにしろよ』
炎の剣を依然携えたまま、ツナギが跳躍する。一撃で竜の首を刎ね、背中を蹴って次の獲物に飛び移る。ツナギも簡単な飛行魔法なら使えるが、戦闘で実用できるレベルではない。空飛ぶ竜の背から背へ、曲芸を披露する。
ツナギとニュートの目が合う。
「うわぁ、初めて会う人だぁ」
『現実逃避は良くないぞ』
ほどなく、周辺の魔物を全て狩り尽くした。
/
「はい。君のことはよく知っていますとも。ご協力感謝します」
「どうもどうも。はじめまして」
ツナギの中では、ニュートとはここで初めて会ったという認識だ。強いショックにより過去の記憶に蓋をかぶせている。知らないおじさんが馴れ馴れしく話しかけてくる。
「早速ですが、君がここにいるのはあまりよろしくない。聖都まで送っていきますよ」
「いやいいよ。聖誕祭に間に合わない距離と時間じゃないし」
「?当日に着くおつもりで?」
「?まあ遅くても」
「もしや当日出席するだけのつもりですか?」
「え?そうじゃないの?」
「……」
ニュートが嫌うことの一つが、情報伝達の不十分だ。相手は当然知っているはず、と信じて会話するも、かみ合わない。その現象が、今ここで起こっている。
「ちょっと来い」
「は――え?」
ツナギが間の抜けた声を上げるのも無理はない。なぜなら彼とニュートは現在、聖都の地に立っているのだから。
ニュートがポンとツナギの肩を叩くと同時に転移。ここはすでに魔の森ではない。聖都のシンボル、大聖堂の目と鼻の先だ。
「君は今回、【アーク】持ちのお嬢さんの護衛として呼ばれました。聖誕祭の開催からおよそ1週間前を目安にその任務を開始してもらうはずでした。ちなみに提言者はエルムさんです」
「ちょっと待って何それ初耳」
「知らずにここまで来ていたのですか……」
ニュートが絶句する。このことについては、アーサー宅に届いた手紙に記載があったのだが、アーサーはその旨を伝えていないし、手紙を預かったツナギとリュウゴはそもそも中身を見ていない。故に1週間前などとうに過ぎ去り、今この瞬間まで知らなかった。
『大遅刻じゃん、おもろ。バカエルムの差し金なら俄然やる気がなくなった』
「奇遇ですね、私も彼は嫌いです。スゥ――『聖託』ぶん殴っていいですよ」
「いや殴らないよ!何でそうなるの!?」
『じゃあエルムとまとめて俺が殴ろう』
「ちょっと黙れ話が拗れる!」
『任せとけよ暗黒騎士』
「あれ……?おかしいな?二人分の声が聞こえる……?これは幻聴……?」
伝達トラブルの原因は『聖託』にあると結論付け、かなり限界が来ているニュートは、リュウゴの囁き声に幻聴を疑う。実際は伝えなかったアーサーが悪いし、手紙に目を通してすらいないツナギとリュウゴはもっと悪い。さらにとんでもない事実が出てきそうなので、ツナギは手紙を放置することに決める。知らぬ存ぜぬでやり過ごすつもりだ。
「俺はこの人から何も聞いていない……。俺はこの人から何も聞いていない……」
ツナギは、記憶改変のプロだ。見たくないものには蓋をする。
これがストレスと共に生きていく秘訣――
「よし!エルムに任せて寝よう!」
ツナギは旅の疲れに勝てず、聖都に着くなり泥のように眠った。
半分本気で、半分はそういう設定。