もう一つの人生
ある暑い夏の日、日差しが森林の葉たちの間を抜けて、槍のように地面を突く。森林にはぽっかりと穴の空いた木の群れを成さない場所が存在した。そこは誰一人として住んでいない廃れた小さな村があった。そこにはある悪魔たちが住み着いていた。それが猫又だ。
猫又は山岳地帯を拠点とする下級の悪魔。姿は一般的な猫と同じで、世間で知られているほど人間に害をなす悪魔ではなかった。猫又たちは人間の言葉を理解することはできても、話すことはできない。同族にしか通じない独立した言葉を持つ。そして家族を持つ、珍しい悪魔だ。
*この後の言葉は人間の言葉に変換します。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「今晩の野菜を取っているんだ。一緒に手伝ってくれ」
「わかった」
緑の生い茂った畑に姉のるなと妹の猫又がトマトやきゅうりといった夏野菜を収穫する。
二匹の猫又は収穫を終えると一軒の壊屋へと潜り込む。
「父さん、母さん。今日はたくさん取れたよ」
妹の猫又は父と母のいる居間へと飛び込む。
「それは良かった」
「今日の夜ご飯は夏野菜の何かにでもしましょうか」
母はるなから野菜を受け取る。
「やったー」
妹がスキップをして喜ぶ。
「二人にちょっと頼み事をしていいか」
「何ー?」
父は戸棚の上にある小包を自慢の尻尾を伸ばして取る。
「これを長に届けてくれないか」
「わかった。行ってくる」
「気をつけてね」
父と母は笑顔で見送りをする。
長のところまでは、歩いて五分ほどとそう遠くはない。だが、たった五分……この五分で境地は一変した。この後の記憶は鮮明に覚えている。忘れようとしても忘れられない記憶だ。
るなたちは長のところへ着くと父に渡された小物を手渡す。
「ありがとうね。こんな遠くまで」
「いいえ。全然大丈夫です」
(五分しか歩いてないし)
長は空を見上げる。先ほどまで晴れていた青い空に突然として黒い雲のカーテンがかかっていることにるなたちは気づく。
「最近雲行きが怪しくて、何か起こるんじゃないかと思って心配なんじゃが、オマエさんたちのところは元気にしておるか?」
「とても元気です」
「それは良かった」
長はホッとして顔色を明るくする。
「気をつけるんじゃぞー」
長は手を振るかのように尻尾を振る。それに応えるようにるなたちも尻尾を振る。
「お姉ちゃん、早く帰ろう。お腹空いた」
「そうだな。早く帰ろう」
るなと妹は尻尾を振らせて元の道を帰ろうとしたその時、鐘の音が村全体に響き渡る。
(これは……緊急事態を知らせる鐘の音!)
鐘の音は村を騒々しくさせる。それもそのはず、鐘の音は村の危険を知らせるものとして機能していた。
「母さん、父さん!」
るなは無我夢中に走り出そうと体の重心を前に置くが……。
「お姉ちゃん待って」
横には恐怖から泣きそうになる妹の姿があった。妹は運動が得意ではない。当然ながら走るのも苦手だ。だからと言って、妹を置いてはいけない。るなは妹のペースに合わせて家へ急ぐ。
途中、避難するために長の方へ向かうものたちが多く見受けられた。
(もしかしてこの先で何か起きているのか?)
そんなるなの嫌な予感が的中する。父と母がいる家に向かう際、人間たちを数人見かける。その人間は猫又を見るなり躊躇なく殺しにかかる。そう、人間とは天敵たちだ。悪魔がいると噂されたのか、任務としてこの地に降りて来る。
猫又たちは戦闘経験が全くない種族のため、天敵には到底敵わない。
そのような恐怖の中、進み続けた結果、前方に父と母が走ってくるのが見えた。
「母さん、父さん!」
「良かった、無事で。早く避難するわよ」
るな一家は長のいる中心部分へと戻ったが、手遅れだった。天敵が長たちの領土を占領していた。残っているのは三十ほどの猫又たちだけだった。
父と母は決心した。
「今から、あなたたちをここから逃します」
「母さんたちは?」
「大丈夫だ、一緒にいるさ」
妹の震えた尾を父の尾がなでる。
妹は落ち着いた様子で顔色が戻る。
「良かった」
「こっちだ」
全速力で村を駆け抜ける。だが、妹の足に限界が来たのか、転んでしまう。
るなは助けに妹のところへ戻る。
その時、頭上から天敵が飛び込んできて、刀を振りかざそうとする。
るなは妹を蹴り飛ばし、人に勝てるはずもなく、立ち向かった。死を感じたるなは目を瞑る。真っ暗な視界は数秒と続き、るなの頬に冷たい何かが少しかかる。何かと思って目を開けると、目の前には母と父がるなたちを庇って目の前で斬られていた。
るなはこの時、初めて感情のコントロールが効かなくなった。るなの中にあった感情という力が暴走した。尻尾からは赤色の陽気を放ち、鎌のようにして人を切り刻む。この後の記憶はほとんどないが、るなが気づいた時には周りは血の海だった。周りにあった木も無惨に散って、人一人いなくなっていた。
るなは無気力な目で月を見上げた。
「綺麗だ」
るなの足元には妹が倒れており、気絶していた。
月を見ていたるなの目は下へと自然と降りる。いつの間にか一人の男がるなの目の前に立っていた。るなはそれが天敵だとすぐに見抜く。この時にはるなの力は全てを出し切っており、戦える気力は残っていなかった。ここまでかとるなは覚悟を決めた。
「君には二つの選択肢がある。このままここで生きるか、俺と一緒について来るかだ」
るなは驚いた。さっきまでの天敵は猫又を見た瞬間攻撃を仕掛けて来た。だが、この天敵はるなに生きる道を選ばす。
「何故殺さないのか聞きたそうだね」
男は血の海を揺らしながら、るなの方へと近づいて行く。
「俺は天敵だ。天敵は悪魔を地獄に堕とさないといけない。だけど、悪魔の善悪もつかないのなら、こんな仕事辞めた方がマシだ」
るなは初めて人間を少し理解した。全員が敵ではないということに。
「ほら、行くよ」
男の照らされた顔はるなの目には天使のように明るく映る。その男は後にるなの担任となる、名は皆無。るなたちは皆無に連れられてある森へと導かれる。
「君たちは今日からここで暮らしてもらう」
るなたちの目前には大きな館が構えていた。
「人間と悪魔が一緒に住む世界だ」
るなは皆無に威嚇した。そのような奇妙な世界があると、るなは思わなかったからだ。
だけど、そのようなことはなかった。村長や他の人、悪魔がるなたちを温かい空気で歓迎した。
「よろしく頼むよ。村長」
「任しときな」
皆無と村長は仲が良く、顔を合わせるだけで笑顔になる。
村長はるなたちの目線に合わせるようにしゃがみ込む。
「君たちは私たちが守る、その代わり君たちも私たちを守ってくれ。お互いよろしく頼むね」
それからのるなたちの生活はとても安泰だった。
そして、二年ほどの月日が経ったある日、皆無が村を訪れて皆んなを集めた。
「えーと、今から言うことは命に関わることです。よく聞いといてください」
村のみんなは命と聞き、ことの重大さに静まり返る。
「単刀直入に問う。人間になりたい奴はいるか」
先ほどとは違い、静かだった皆んなの口は次々と開き、ざわつき始める。
「どう言うことだ、皆無くん」
村長が身を乗り出して皆無に聞く。
「悪魔を擬人化させることができると言うことです。ただし、一人だけ」
村長含めた周りは皆んな黙り込んでしまう。
「すまない。不快な気持ちにさせてしまった。この話は忘れてくれ。では……」
皆無が帰ろうとしたその時、一つ鳴き声が響き渡る。るなだ。
「オマエか……もしかして人間になりたいのか?」
「にゃー」
村長は心配してるなを止める。
「猫又くん。本当にそれでいいのか?」
「にゃー」
るなは村長の方を向いて頷いて応える。
「猫又、まだ大事なことを一つ言っていなかった。この擬人化はまだ成功したことがない」
村長はそれを聞いて少し顔が曇る。
「皆無くん、そんなものを村のものにさせようとしていたのか?」
皆無もその言葉に目線が下に向く。
「二体ほど悪魔を擬人化させようとしたが消滅してしまった。それでも君はやるというか、猫又」
るなは心配そうな村長の顔を見つめる。村長は決心して話し始める。
「猫又くん、私は止めるつもりはない。だけど、自分にとってどれほど大切なものか考えて欲しい。命をかけてでもすることなのかを」
るなはこんなにも重い決断をしたことがなく、苦しくなる。だけど、るなの気持ちは前へ進んだ。人間を少し理解したあの日から、るなは憧れを忘れていなかった。助けるあの姿に。
「にゃー」
「決めたか」
皆無は透明な球体を取り出し、るなをその中に入れる。
「皆無くん、君のことだから信用しているよ。猫又くんを頼んだよ」
村長は泣きそうになりながら皆無に頼む。
「村長……。他人のことをあんなに考えることができるのは、皆んなを愛してくれているからだ。ありがとう」
「だって、家族ですから」
皆無は頷き、その場を後にする。
「猫又、オマエは何故人間になりたいんだ?」
皆無は話せるはずもないるなに問いかける。
るなは仕方なく気持ちだけでも伝えようとする。
「私は……えっ、えー!」
気づけばるなの声は人間にへと通じるようになっていた。
「その球体の中にいると言葉を変換してくれるんだ。で、話の続きだ」
「私はあなたみたいな人にあの時、初めて会いました。人を助けるその姿に私は憧れた。だから、私も人になってみんなを助けたい。そう思っただけです」
「助けるだけなら、悪魔にだってできると思うが?」
「それは、悪魔というのものは世間では悪と見なされていることは身にもって知っています。だから、人間になって悪魔も人間も助けたい。私みたいに同じ過ちを起こさないためにも」
るなの言葉に皆無はある記憶が懐かしさを呼ぶ。
「俺の親友に『悪魔だって人間になりたいんじゃないか』なんて言い出す奴がいて、俺は驚いた。そんな考えをしたことがなかったからな。そいつは研究を重ねて悪魔を擬人化させる魔女の道具を作り出した。だけど、そいつはある事件で他界してしまった。だから、俺はあいつのために証明してあげたかったんだ。だからと言って、悪魔の命を無駄に堕としていい理由にはならない。俺はこれで最後にすると決めた。だから、君は人間になってくれ。そして、俺と天敵になろう。みんなを助けるために」
そう言って、皆無はある一つの部屋に入る。そこは殺風とした場所で、中心に机がおいてあるだけで、それ以外は何も存在しない。ただあるのは十センチほどの直方体をした魔女の道具が机の上にあるだけ。
「あれが……」
「そうあれが擬人化の魔女の道具だ」
皆無は猫又が入っている球体を魔女の道具の置いてある机にそっと置く。
皆無は少し心配そうな目でるなを見つめる。
「心の準備はできているか?」
「いつでも大丈夫です」
るなの固い意志を確認したと共に魔女の道具が開きるなはその中に入る。
「待っているぞ、猫又」
その言葉と皆無の心配という感情を隠すための笑顔とグットポーズを最後に魔女の道具は閉じる。
時間の流れがわからず、ただ暗闇の中でるなは呆然としていた。何も考えられなかった。
(脳内に何も流れて来ない。そもそも私は何故こんなことをしている。あそこで妹と平和に暮らせば良かっただろう。そんなことより、何故あそこで暮らしているんだ? 何故妹だけなんだ? 何故父と母がいないんだ? 何故何だ?)
るなは静かにゆっくりと暗い心に落ちていく。穴の空いた暗い心からは這いあがろうとしても気力が削がれて無気力に落ちていく。るなは消える……
(何故……私は弱いんだ?)
穴の空いた暗い心に突然として太陽のような光が差し込む。その光はるなの目には父と母が映っていた。
(私はまだ死ねない。私は、私は、私は……)
るなは気力を取り戻して穴から這い上がる。そして暗かった視界に光が注ぎ込まれる。
るなは急に入ってきた光が眩しく、瞬きをして徐々に慣らしていく。すると、周りは明るくなり、るなは温かい毛布の中に蹲っていた。
るなは恐る恐る毛布の中から顔を出して周りを確認する。そこは見たことのあるあの殺風とした部屋の中だった。
「ここは、あの場所だよね。もしかして……」
るなの歓喜に合わせるように手を叩く音が部屋中に響き渡る。
「おめでとう」
るなの目の前にいたのは涙目になった皆無の姿だった。
「君は今日から天敵だ」




