知らない存在〜再襲鯨〜
「この騒動を起こしたのはオマエらか?」
皆無は目はガラスの破片のように鋭く、圧をかけるように睨みつける。時間が止まったかのように音がなくなる。皆無は黙り込む二人に血が上る。
「無視かよ……上等だ!」
すると、二人のうちの片方の着物を棚引かせる者が左手を天に向ける。手の先には時空が歪んだかのような波紋が広がる。五人がそれに見入っている内に真上にあった手はいつの間にか降りていた。
「群れろ」
言葉に応えるように波紋から大量の魚群が出現して皆無たちを襲う。
皆無は獺酩戦で使った魂の盾を使って織姫共に防ぐ。
ソルは刀を抜いて魚の嵐を捌くが、後ろにいる疲れ果てた易陽と空夢の範囲まで捌いているため対応が追いつかない。ソルはすぐに判断する。
「オマエら、織姫さんのところへ行け!」
そう言うと、ソルは体を捻らせる。
それを見た易陽は空夢を担ぐ。
そして、ソルは捻らせた反動で易陽に蹴りを入れる。
易陽はその蹴りを土台にして織姫の方へ飛ぶ。同タイミングで織姫も易陽たちの方へ向かう。無事に織姫の華麗なる八本の帯が魚群を捌き、易陽たちを守る。
(動けるのは私と皆無とソルだけ、相手は霊魂級が二人。……ここは任せるか)
「出番だ、オマエら」
織姫の声の合図と同時にソルは魂を刀に乗せて斬撃を林に向けて放つ。木は倒れて足場のない二人は地面に降りてくる。そこへ皆無が飛び込んで突きと蹴りで二人を離す。
「待ってました」
「ちょうど退屈してたところだ」
皆無とソルは息を合わせるように魂を纏って織姫たちの前に立つ。
「「暴れさせてもらうぜ」」
数キロ先ーー
高い木が立ち並ぶ林の枝先にまるでスポーツ観戦をするかのように楽しんでいる男が立っていた。
「おっと、試合が始まったか。相手は皆無とソル、こちらは鰰とフラムか。どうなるか見ものだな」
遠くから魔女の道具を使って様子を伺う男に輪廻は問いかける。
「賭けには勝ったのか?」
「いいやまだだ。これはほんの少しの通り道に過ぎない。次に備えるようか」
そう言って、魔女の道具を輪廻に渡して男は立ち去る。
ソルは距離の近い鰰へと飛びかかる。
鰰はソルの歩幅、速度、距離から足場を予測して罠を仕掛ける。
ソルはその足場を踏む前に地中からの微妙な魂を感じ取って、踏むと同時に後ろへ下がる。地中からは鯨がソルと鰰の間に顔を出して、巨大な壁となる。
ソルの目から離れた隙に鰰は距離を取って、間合いを広げる。
鰰は先ほどの魚群を発生させて、ソルを追い込もうとするが、ソルは自慢の刀を振ることなく、瞬発力で全て躱して鰰との距離を詰める。
ソルが鰰を一足一刀の間合いに入れるとすぐに鞘から刀を抜く。刀から放たれた殺気に鰰は危機を感じて右腕に甲羅の盾を張る。
(鎧の骨)
ソルは確信する。
(防御とは、攻撃を防いで自身の身を守ること。元々の役がタンクであるなら防御の先の行動は読めない。だが、それ以外の役であり、攻められている最中で出す突発的な防御の先の行動は二つ。攻撃思考を捨てる完全防御。もしくは、カウンター狙い)
ソルは刀の他に目へ魂を集中させる。その目から見える景色は肉体を透かして魂の流れを感じさせる。魂の流れをまるで自然の小川を逆流して歩くかのように辿ると、そこには核と言われる源があり、そこから根を張るように魂の導が広がっていく。そこにある源は核を中心に綺麗な輪が映し出される。それはまるで神が地にもたらした光、太陽のように。
ソルは盾の核を見つける。
(ぶち破る)
ソルは横一文字に刀を振り切る。盾は核を中心に亀裂が入って粉砕する。
鰰は驚く。
(この古代魚の盾を斬ったのか? それより、刃が腹に届いてる)
鰰が驚いた理由は盾を破壊したことよりも、その先の腹部までソルの刃が通ったことだった。だが、ソルの刃は胴体を両断することはできなかった。
ソルはすぐに刀の持ち方を逆手に変えて斬りかかろうとするが、鰰はカウンター狙いしていた時の魂を瞬時に発散させる。鰰の周りで魚群と数匹の鯨が姿を現して一斉にソルを襲う。
ソルは魚群の先頭の数匹を捌き、鯨に注意しながら後ろへ下がる。
だが、下がった先には鰰の仕掛けたトラップが発動する。
魔法陣からソルを囲うように水が纏わりつく。やがて球体となる。
ソルはすぐに抜け出そうと刀を振るが、刃は水膜を破ることはできなかった。
鰰はソルを馬鹿にするかのように嘲笑って近寄る。
「お前の能力、魂の流れを読むことだろ? そして、強弱のある部分を叩く。確かにいい能力だ。だが、それも能力がわかって仕舞えば対策できる。しかも、簡単に。お前の欠点は均一された魂の流れ。そう、自然に存在するもの。炎、水、風、空気、その他様々……お前たちには理解できない未知なる存在だ。そんな顔するな、わかっているさ。この水は俺が操っているから流れがあるはず、と言いたいんだろ? 残念だったな。これは魔女の道具の力。無能力者でも使えるように魂を必要としない魔女の道具。この水はほとんど自然そのものという理由だ。だから、お前じゃ斬れない。悪いな。少し大人しくしててくれ」
鰰はソルに背を向けてフラムの加勢へ向かう。
(こいつ、あの短時間で能力と対策まで)
「ふざけんな」
ソルの言葉は水の中では泡となり浮いてしまうが、殺気による刃が鰰の足を止めさせる。
(確かに不可能だ。どれだけこの眼で海を見ても、山を見ても……何も見えない。見えるのは色彩豊かな景色だけ。だが、俺は一度だけあの景色を見た。天から注がれる魂の流れを。不可能と決めつけたのは俺の悪魔。見てやるよ。この眼で世界を!)
ソルは思考を止めて、集中の極限へと達する。そこから見えた光景は小さい核を多く映す。
(水ってこんな感じなのか)
ソルは重くなった刀を振るい上げて、四方八方を一瞬にして切り裂く。
水は形を保てなくなって破裂する。
鰰はその光景を目の前に舌を巻く。
「生まれ変わった気分だ。敵ながら感謝する。俺はまだ更なる高みを見れる」
「恩を仇で返すか。いいだろ、次のショーへ誘ってあげよう」
一方、皆無とフラムは林の中を業火の戦地へと変えていた。
フラムは炎の玉を皆無に連続で投げつけるが、皆無の魂の壁が炎を無とする。
皆無は距離を詰めてフラムに右ストレートを決める。
フラムは途轍もない速度で木を薙ぎ倒して瓦礫にぶつかる。
皆無は容赦なくそこに壊を三発打ち込む。
「無差別に炎をぶっ放し、敵には攻撃が当たらない。仕舞いには威力や速度も負けている。そんなの陶犬瓦鶏な戦時の火炎放射器。誰が怖がるか。そんなもの」
皆無は圧倒的な魂量の圧と殺気で戦場を包み込む。
それに対抗するかのように熱気が殺気と激突する。
フラムは火柱を立てて燃え上がる。フラムの身体には密度の高い魂が纏わりつき、それを炎が完全に覆う。
皆無はそれを見てより一層強い圧を張り巡らす。
「そう来なくっちゃ」
戦闘が始まり、一人取り残された織姫は状況の把握、これからの行動を瞬時にして考える。
(さー、ここからどうする。あのニ人なら数十分したら片付くと思うが、その間に追っ手が来てしまう。そうすると、私たちの生存率は半分もないだろう。生存を確実にするには今すぐここから逃げること。だが、相手もそう易々と逃してくれはしない。考えるんだ、今の私にできる最善を)
すると、背後からニ人が立ち上がる。
「オマエら! そこで大人しくしていろ」
織姫は必死に警戒を呼びかける。だが、ニ人は警戒など耳にしない。
「ダメなんです」
「ソルが戦っている以上」
「「私たちも戦わないと」」
ニ人は精悍な目つきで主張する。
「オマエら……」
易陽と空夢の強い意志に織姫は心動かされる。
「私たちにできることを……」
「指示をお願いします」
織姫は振り返って易陽と空夢の輪に入るかのように近寄る。
「まだ動けるか?」
「「はい」」
「今から作戦を講ずる。極めて合理的に行くぞ」
だだっ広い平野から障害物だらけの林へと戦地を変えたソルと鰰はより激しさを増して交戦する。
鰰は魚群を操りながら林を駆け回る。
ソルは木の柱を上手く使って相手の死角を突いて攻める。
(こいつさっきより攻撃速度が速くなっている。群れを増やしても全て対処してくる。幸いなことにこいつの命中力が落ちている。慣れていない速度に追いつけていないんだろう。仕方ない、あいつの出番だ)
鰰は魂を練り合わせる。
ソルはそれに気づいて速度を上げて距離を詰めようとするが、地面から鯨が飛び出し阻まれる。ソルの視界に鰰が映った時には、鰰の魂は完成していた。
「牙鱺毒」
鰰の前に波紋が広がり、そこから三メートルは優に超える鱓が群れとなりソルを襲う。
ソルは鱓を恐れたのか、一歩下がって捌く。捌いて、捌いて、捌くが、一匹の鱓がソルの剣技を掻い潜り、肩を噛みつく。
(体が上手く動かない。毒か?)
ソルは体制を崩し、鱓の群れに一瞬にして飲み込まれる。
「危なかった。そいつらは俺特製の鱓。本来なら鱓は毒を持たない。だが、この鱓は牙にテトロドトキシンを配合してある。しかも、強力な速効性にして。まあ、もう聞こえていないだろうが……。さてと、あいつの援護に行くか」
鰰が振り返ろうとした時、鱓の群れからソルが一心不乱に刀を握って鰰に飛びかかる。
鰰は油断して手の甲にソルの刃が当たる。
鰰はもう一方の手を鎧の骨で装備して殴るが、ソルは姿勢を屈めて避ける。そのまま地面を踏み込んで跳び上がり、鰰の顎を膝蹴りする。顎に衝撃が加わり、脳にまで衝撃が及ぶ。鰰は一瞬眩暈を起こす。危機を感じた鰰は能力を濫用する。魚群が鰰の周りを嵐のようにして渦巻く。
ソルは魚群の一部を蹴り上げて後ろへ下がる。
魚群は徐々に消えていき、鰰が姿を現す。
「何故動ける? 筋肉神経麻痺の毒を受けたはずだ。オマエの体はもう動けない、鉄のはずだ」
「そうだな。俺には毒の耐性は全くない。我慢以外ないだろ」
鰰は自身が悪魔で相手が人間であること忘れて驚愕する。
「……と言いたいところだが、我慢は嘘だ。俺は魂の流れには敏感なんだ。だから、毒を魂の流れで止めた」
ソルの額からは一粒の汗が滴り落ちる。
(簡単に言ったが、俺にはわかる。噛まれた箇所が多すぎて魂が止まりすぎている。故に活動限界が近い。万事休すだ)
すると、離れた場所で火柱が立つ。それは皆無とフラムが同じく戦闘を激化させていたからだった。
皆無は壊をフラムに向けて放つ。
フラムの体は当たるとすぐに弾け飛ぶ。だが、無くなったはずの体は徐々に形を戻していき、燃え続ける。まるでフラムそのものが炎のように。
「キリがねぇな」
「オ……マエ……は……なぜ……つ……よい?」
まるでフラムは話なし始めた幼児のように、言葉を詰まらせて発する。
「オマエ、成長しているな」
(ヤバいやつを覚醒させちまった)
皆無は少し後悔する。
「皆無、ソル。集まれ!」
草原の方から織姫の言葉が林中に響き渡る。
皆無とソルは戦闘の姿勢を解く。
「悪りぃな。お呼び出しだ。またな」
皆無は左手に即座に莫大な魂を作り上げる。
フラムはあまりの膨大さに心が縮まる。
「どうやってその量をすぐに溜めたかって聞きたそうな顔をしているな。教えてやるよ。俺の放った壊は破裂した際に粒子みたいな細かい粒になって空中に存在し続けている。それを左手のこのグローブが吸収しているのさ。少しづつだが、こうして魂が集まっている。次また会えたら本気でやろうぜ」
皆無はフラムに向けて放つ。
「壊真」
皆無の放った壊真は壊の威力とは比べ物にならないほどの破壊力で、林は勿論のこと地面までも抉る。そして、フラムの姿はどこにもなかった。
一方のソルは声を聞くとともにいち早く林を駆け抜ける。それを追おうとする鰰だったが、体が言うことを聞かない。追おうとしているソルの背中はどんどん遠ざかっていく。
(何が起きている?)
鰰は恐る恐る冷えている腹部に手を当ててみると、何故か腹が切り裂かれていた。誰も何も周りにないはずなのに。
ソルは林を出た後に動けないでいる鰰の方を向いて微笑する。
「オマエ、さっき使ったよな。俺と同じやつ」
鰰はハッと気づく。
「そうだ。魔女の道具だ」
ソルは指をパチっと鳴らす。すると、木が次々と切り裂かれて倒れる。
(これは斬撃の遠隔追撃。あいつ命中力が下がったんじゃなくて、わざと外していたのか。木に刃を刻むために)
鰰は次々と倒れてくる木の下敷きとなり見えなくなる。
ソルはすぐに織姫の方へ走る。すると、横から皆無が林から出てくる。
織姫は帯で四班と易陽、空夢を包み込む。球体となった後ろには受け皿のような器ができて、まるで開花しようとする蕾のように姿を現す。
皆無は左手にありったけの魂を練り上げる。
ソルと皆無はその器に背を向けて飛び移る。そして、皆無は右手にある魂を今解き放とうとする。
だが、その兆しを潰すかのように影が忍び寄り地面から鯨が飛び出る。その口の中には鰰が必死に手を伸ばして待っていた。その手は皆無の足を掴む。
鰰は笑った。
だが、その手はいつの間にか切り落とされていた。
鰰はソルに対しての怒りに舌打ちをする。
「オマエ!」
それはソルの魔女の道具による斬撃だった。
皆無は鰰のいる地に目掛けて壊真を放つ。
勢いを反動に皆無たちはロケットのように打ち上がる。
易陽と空夢は最後の力を振り絞って能力を発動させる。気配を消して空間を高速で移動する。だが、一分も経たないうちに空夢の限界が超える。
解除されて出てきた場所は星の燈に飾られた夜景の街空だった。織姫はすぐに都市の隅にある明かりを灯さない廃墟であろう団地を見つける。遅れて皆無とソルもそれを見つける。
皆無はすぐ様飛び降りる。
ソルは帯の球体の中へと引き摺り込まれる。
織姫は帯を使って軌道を変える。
(まだ易陽の不可視壁が続いている。敵に追跡される恐れはないが、この速度を止めなければ……この街が終わる)
皆無は魂の層を作って先に団地へと突っ込む。団地の一棟を消し飛ばして勢いは止まる。
皆無は周りに積もった瓦礫を吹き飛ばして立ち上がる。
そして、団地の中央にある広場へと向かおうとするが、何故だか足がふらつく。
(落下の反動で体が痺れてやがる。早く向かわないと)
ふらつきながらも目的地へと辿り着く。
「今日は少し疲れたな」
皆無は天を仰ぐ。
空には飛翔体が円を描くように滑空している。
皆無は今までの疲れを忘れるかのようにゆっくりと目を閉じる。腕から伝わる悲鳴や脳裏に浮かぶ影など、先ほどまで感じなかった心情が膨れ上がる。暗い感情が視界を少しづつ塞いでいく。
すると、二人の影が背中を押すように視界を広げてくれる。皆無の疲れはまるで何もなかったかのように消える。
「悪りぃな。終わるにはまだ速すぎる。戦闘放棄は俺たちの趣味じゃねぇ」
皆無は痩せ細った左腕に全ての魂を練り合わせて集める。
皆無の集中力は圧となって周りの空気を震わせる。周りの瓦礫も足踏みをするかのようにカタカタ音を立てる。
その圧倒的な雰囲気を上空で感じ取った織姫は心を落ち着かせて皆無の方へ舵を切る。
「オマエら、ここからは命の保証が効かない未知なる世だ。幸運を祈る!」
織姫は言葉を告げた後、根を張るかのように帯を広く展開させる。
(できるだけ抵抗を大きくしろ。今できることを最大に)
丸かった蕾は花を咲かせる。
織姫は皆無の上空を旋回しながら降りる。降下するにつれて揺れは激しくなる。
織姫は息することを忘れそうになるほど集中する。
(このままだと軸がぶれて的から外れてしまう。パイロットも使う螺旋降下の技法で軸を安定させろ。皆無を見続けろ。あいつは私たちと自分を信じて待っている)
帯にしがみつくことしかできないソルはただ考える。すると、そこに一つの気づきが生まれる。
「織姫さん!」
「何だ! 今話しかけるのは自殺行為じゃないか?」
「俺に帯を巻いてください」
ソルの必死の視線に織姫は力を貸す。
「わかった」
ソルの身体には帯がニ層になって纏わりつく。そして、ソルは帯の花の中から空中へと解き放たれる。ソルは身体を一直線にして抵抗を減らす。
(確かこの近くに……見つけた!)
ソルは視界がぶれる中、四方の道が繋がっている広い交差点を見つける。ソルは瞬く間に地の側まで降り立ち、背に忍ばせていた刀を抜く。
帯を何重にも巻いた刀は棍棒のような姿へと変わっていた。
ソルは刀を振り上げようとするが、抵抗により刀は一ミリも動かなかった。
(やばい……死ぬ)
不変的な交差点を目の前にして、ソルは恐怖から頭が空になる。
ただ目からはアスファルトに混ざったガラスの破片が針のように鋭く尖り、地獄を見せる。
ソルの体は自然と蹲り、身を半回転させる。その際、刀はソルの手から離れ、不自然とソルの足元に滑り込む。まるで先着は自分だと主張するかのように。
刀は地獄を突き破ってソルの着地を成功させる。
纏っていた帯は役目を果たすように滅びる。
「助かった」
ソルは鳴り止まない心音を耳に織姫たちのいる空を静かに見上げて立ち尽くす。
同じく早鐘を打ち、左手を震わせる皆無は今か今かと冷や汗をかきながら待つ。
グローブはかつてないほどの魂量から厚みを感じさせる。
すると、織姫の操作する飛翔体が角度を変えて皆無の方へと狙いを定める。
皆無は左手を引いて待ち構える。飛翔体は距離をぐんと縮める。織姫や皆無、この場にいる者たちに緊張が走る。距離が五十メートル近くまで迫った時、皆無は左手を突き出すとともに大声を轟かせる。
「いけーーーーーー!」
皆無の目の前には巨大な魂の壁が展開される。そこへ超特急の飛翔体が突っ込む。
視覚や聴覚、すべての感覚から伝わる激しいぶつかり合い。
周りの瓦礫は風により吹き飛ばされ、無事だった廃れ団地の建物も亀裂が入り時と共に崩壊していく。飛翔体の速度は一向に落ちることなく、壁を突進し続ける。
皆無は魂を調整して飛翔体を囲み込もうとするが、衝突による風がそれを阻む。
(このままだと周りに被害が大きく及ぶ。抑えないと……)
皆無はもう一押し入れようと足に力を入れるが、足場が力に耐えきれず崩れ始める。皆無は足場が不安定になり力が緩む。
(周りを気にする余裕もなくなってきた。せめてこれだけでも止めないと本当に終わる。俺も……あいつらも……この街も……。それだけは許されない結果。必ず止める)
皆無は足に少量の魂を送って踏ん張る。
「うぉおおおおおーー!」
皆無の雄叫びは周囲に気迫を轟かせ、ある者に届く。
「열고 내 세상」
突然皆無の足場一体が白い平面へと変わる。皆無は包まれるように白い空間へと吸い込まれる。
皆無は口を横に開き笑顔を見せる。
「ナイスアシスト、空夢」
白い空間は皆無の気迫が届いた空夢のメタバースによるものだった。作られた空間は皆無の足場を確保する。
皆無は全ての魂を左手へと注ぐ。壁はより強化されて飛翔体の勢いを徐々に抑える。
空夢は残り少ない体力の中、意識をギリギリ保たせるが、魂の調節ができずにいつも以上の倍の減りで魂を消費する。空夢の意識が飛びそうになる中、織姫が優しく手を差し伸べる。
「掴め! 私の魂をやる。今お前に倒れられたら困る。お前が必要だ」
空夢は織姫の手を掴む。すると、僅かに空夢の顔色が良くなる。空夢は前を向いて少し笑顔を見せる。
(やっぱりお前らは不思議だ。どんな困難でも笑っていられるんだから)
皆無は勢いの弱まった飛翔体を壁で囲み込む。そして、飛翔体全体に壁をぶつけさせる。壁と飛翔体が反発し合う力を皆無が最後の力を振り絞って抑える。
「俺の勝ちだ」
飛翔体は止まり壁と帯が崩れ落ちる。帯からは織姫と限界を超えた易陽と空夢が出て来る。
皆無は皆に近寄ろうと歩き出すが、膝から崩れ落ちるようにして倒れる。
易陽と空夢も意識を失ってその場に倒れ込む。
「本当によくやった」
織姫は皆無の頭にに手を置いて呼びかけるように言う。そして、織姫も力が抜けるようにして倒れる。それと同時に四班の入った帯の囲いも崩れ落ちる。全員が倒れている中、メタバースも壊れて半壊した団地のど真ん中に戻される。
一方別行動をとったソルは遅れて団地に来る。
数分前ーー
起死回生で地面に降り立ったソルはある一軒の家の屋根の上で落ちていく飛翔体を眺める。
(今できること……)
ソルは皆無の圧を感じながら刀を見る。
(来る!)
皆無の壁と飛翔体がぶつかり合う際、一瞬地面が揺れる。それを感じ取ったソルは魂を刀と全身に纏う。ソルは猫のように目を見開いて警戒する。その警戒は自身が呼吸をすることを忘れるくらいに極限の集中へと達していた。
そして、その時は来た。激しいぶつかり合いが起きてる場所から何か光る物体がソルの目に映る。その物体は徐々にソルへと近づき、大きさを増す。
ソルは刀を強く握り、横に一振りする。斬撃は魂を載せて物体を核ごと切り裂く。物体は細かくなって地面に落ちる。ソルの目に映った物体は激しい衝突による飛来物だった。それは空を飾るように多数ソルの目に入る。
ソルは斬撃を飛ばしては屋根を飛び回り、また斬撃を飛ばしてを繰り返す。そして、飛来物の雨を止む。
ソルはすぐさま団地へと向かう。そこには全てを出しつして横たわる皆無たちがいた。
ソルは綿雪が消えるように緊張が解ける。
(終わったか)
ソルは障害物のない一面の空を見上げて心を軽くする。空はいつも通りなのに何故か月光がいつも以上に地面を明るく照らす。まるで小さくスポットライト浴びるかのように。
ソルは空から視点を下に向けた時、あることに気づく。それは不気味なことに気配がなく、光も影もない。ただ人がいると言う事実だけがソルの目に飛び込んでくる。
一直線先にいる人物は全身真っ黒で顔も見えない。
「誰だ、お前は?」
ソルはすぐに抜刀の構えを取る。
ソルは怯える。警戒心を解いたとはいえ、気配を感じることのできなかった人物を目の前に恐れを抱く。
ソルは呼吸をゆっくりする。そして、息を殺す。相手がどのような行動をとっても対処できるように目を光らせる。
すると、相手は驚く行動をソルに見せる。相手もまた抜刀の構えを取ったのだ。
(同じ抜刀か。距離は十メートルもない。抜刀術はそこそこ磨いてきた。しかも、今なら感覚が研ぎ澄まされている。いける)
ソルは柄を握りしめて相手の方を向く。相手も同じく柄を握りしめてソルの方を向く。そして、地面を叩きつける足音が鳴ったときには勝敗がついていた。ソルの腹部からは血が流れる。ソルは相手の顔を見ることなくその場に崩れ落ちる。
黒い人物は皆無の目の前に行き、何かを添えてその場を立ち去る。
騒々しく熱気のあった団地は時間が止まったかのように音がなくなり、冷気が漂う。そこへ白い綿が優しく包み込む。
これでこの冬の宵は奇妙に幕を閉じた。