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5/5

5 after that 〈了〉

 矢野修一という男は控えめに言ってクズである。

 何股もかけた代償は大きく、遂に彼女たち数名を孕ませると、流石に責任を取りきれず、両親からはこってりと絞られ、学校を退学することとなった。

 それからの彼の生活は荒れ放題だった。

 良くない不良グループとつるみはじめ、遂には身体に良くないドリンクまで扱うようになる。


 しかし、矢野は時折、過去の栄光を思い出し、眠れない日々を過ごすことも少なくなかった。



 その日、矢野は歯噛みしながら、スタンドで高校野球県大会決勝の試合を見守っていた。

 元カノである真由美が、どうやらD高の瀬戸建太郎と時折り会っているらしいというのは公然の秘密となっており、それは矢野の耳に入ることになった。

 光を浴びる瀬戸選手をテレビで見るたびに、矢野は真由美の事を思い出し、口から血を流すほど歯噛みしていた。


「なぜだ……! 俺はこんな酷い目にあってるのにアイツの彼氏は甲子園行きだと……! 納得出来るか!」


 思えば、真由美と別れてから矢野の転落は始まった。

 矢野は森山真由美に会う為に、今日この場に赴いていたのだ。

 ギラリと光る、その目の光は尋常ではなかった。





 ◇






 私たちは人混みの少ない球場の端の通路でこっそりと会う事にした。

 私は思い切り元気の良い声を出し、瀬戸くんに笑いかける。


「瀬戸くん、甲子園出場おめでとう!」


「ありがとう、森山。お前のお陰だよ」


 白い歯を見せて瀬戸くんは、私に相変わらずのさわやかな笑顔を見せてくれる。


「私なんてそんな……」


 そんな甘い時間を切り裂くような、低い嫌な声が不意に背後から響いてきた。


「おい、真由美」


 振り向くと黒いシャツを着た男が、私を冷たい目でじっと見つめていた。

 思わず叫びそうになる口元を抑えながら、私は男をじっと見つめ返す。


 ……異常なまでに負の感情を纏ったその男は私の知っている人だった


「修一……?」


 その男は一年前に別れた矢野修一だった。

 噂によれば、彼女たちを何人も孕ませて、退学になったと聞いた事がある。

 何にしろ、私には関係ない話だが、なぜこんな所にコイツがいるんだろうか……

 というか、こいつこんな顔してたっけ?


 まるで凶悪犯のような相貌になってしまった修一に私が戸惑い、怯えていると、奴はますます私に近づいてきた。


「何だ? その男は? ……おい、お前と別れてから俺は散々な目にあったぜ! どうしてくれんだ⁉︎」


 余りな言い草に私は苛立ちを覚えるが、怖さで後退りしてしまう。

 彼の目は尋常ではなかった。

 もう矢野は気が狂ってしまっているのかもしれない。

 毅然として矢野の目を見つめながら私は言い返す。


「何を言ってるの? アンタの浮気が原因で別れたんでしょ? もう近づかないで!」


 しかし、修一は顔を紅潮させながら、目を血走らせる。


「……何だ? その態度は? おい!」


 恐怖を抑えて私は精一杯の声を出した。


「近づかないでって言ってるでしょ! アンタなんかもう関係ない!」


「このクソ女ぁぁぁぁ‼︎」


 修一は逆上したのか、懐から何かを取り出して私に突進し始めた。

 私は両腕を前に出して目を閉じることしか出来なかった。


「きゃぁぁぁぁぁ⁉︎」


 次の瞬間、修一の身体が吹っ飛び、間抜けな声が漏れる。


「グベェ⁉︎」


 目を開くと、瀬戸くんが私を庇うように前に立っていた。

 どうやら瀬戸くんが修一を殴ったらしい。


「おい、コイツがお前の前の彼氏か? 狂ってんじゃねえか」


「えっ? ぼ、暴力はダメだよ…… 瀬戸くん」


 瀬戸くんはふんと、笑いながら倒れた修一の腹を蹴り上げる。


「はっ! こんなナイフ持ったキチガイ、何で殴っちゃいけないんだよ」


「ごはっ! やめっ! ……グアッ‼︎」


 よく見ると、ナイフが地面に落ちている。

 こんなものまで持ち出してきたのか……

 瀬戸くんが居なければどうなっていたことか。

 私は青ざめながら、震える。


 瀬戸くんは地面に倒れた修一の背に乗ると、その動きを完全に封じ、集まってきたギャラリーに向けて指示を出す。


「おーーい、そこのアンタ、警察だ、警察。見てただろ?」


 そうして、逮捕された修一は後日、起訴され、鑑別所に送られることとなったそうだ。





 ◇





 時は流れ、秋。

 受験前に私たちはネズミーランドで遊んだ。

 余韻に浸りながら夕闇の遊園地を観覧車から見下ろす。


「楽しかったね、ネズミーランド」


「ああ…… 本当に楽しかった」


 結局、D高は甲子園ベスト16まで勝ち残るという健闘を見せ、瀬戸くんもプロから注目されることとなった。

 彼には野球の才能がある。

 いずれ、私とは別の道を歩むことになるだろう。

 そう考えると寂しくなるが、仕方ない。

 棲む世界が違うのだ。

 ……私たちはいつまでこうして遊べるかな


 そんな事を考えていると瀬戸くんが、真面目な顔で話しかけてくる。


「なあ、真由美」


「何?」


 瀬戸くんは相変わらずの澄んだ瞳で私を見つめてくる。


「俺はK大に野球推薦で入学することが決まった。受験勉強の必要がなくなったんだ。いいだろ」


「へえ、羨ましいな」


「お前は…… 都内の大学志望だよな」


「うん、なんとか行けると思う」


 暫く、沈黙が続くと瀬戸くんは意を決したように切り出した。


「なあ、真由美…… 俺と付き合ってくれないか? 絶対、お前を大切にする! プロや名門野球部に入学する際に彼女と別れる選手って多いけど、俺は決して裏切ったりしない!  お前が何より大事なんだよ!」


「瀬戸くん……」


 その熱すぎる、誠実な瞳をずっと見ていられず、私は思わず目を伏せてしまった。

 瀬戸くんはじっと私の顔を見つめてくる。


「下の名前で呼んでくれよ。な? 返事はいつでもいいから」


 ここまで、誠実にアプローチされた事は初めてだ。

 私もきちんと瀬戸くんと向き合わないといけない。


 気合いを入れて、真っ赤に火照っているだろう頬を押さえ、私は建太郎の顔を見つめ返す。


「……ううん ありがとう、建太郎。私と…… 付き合ってくれる?」


 声が小さかったのは自分でもわかった。

 建太郎は不安そうに、私の目を見つめてきた。


「OKってことでいいのか?」


 私は俯きながらコクリ、と頷く。

 建太郎は観覧車の中で飛び跳ねながら、喜びを表現した。


「やった! ありがとう! 真由美!」


「ちょっと! 危ないし、怖いよ!」


 もうすぐ観覧車が到着する。

 ……そこから、私たちの新しい関係が始まることになるのかな





 〈了〉

最後までお読みいただきありがとうございました。

ご感想やご指摘など頂けましたら、励みになりますし、次回作への参考にもなります。

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