制止と小休止。
森の中を二時間ほど進んでいくと、十数人はのびのびと寛げそうな拓けた場所に出る。
迷宮地図では、たいてい「第二休憩所」と書かれる場所だ。
魔術灯でぐるりと照らされた明るい広場は、その名の通り休憩所として利用される。
——そして、この先の道には、魔術灯は設置されていない。
「着いちまったかあ……」
しみじみと、そう呟いてしまう。
賢明な探索者は、夜にこの先に進もうとはしない。
なぜって暗い。危険がいっぱい。すなわちやばい。
だから今回の探索はここで引き返すしかない。
……けど、隣の少女にそれを告げることができない。一応、無駄な抵抗をしてみる。
「……ここまでの道で、探しものはありそうだった?」
「ない」
「断言だな」
「近くにあれば、わかるから。……それに、さっきまでの場所は因子の濃度が薄い」
「……つまり?」
「あるとすれば、この奥」
……やっぱり?
こんなところにそれが生えてるんだったら、薬草屋を何軒か回れば済む話だ。
つまり、ホルトリープなんて安い素材の主な供給者——浅い場所しかいけない実力の探索者の手の及ばない場所に、目的のものはあるんだろう。
さて、と俺は誰もいない、明るい広場で考え始める。
この際、延長料金を覚悟して日の出までここに留まって、ホルトリープを探すとしよう。この時期、だいたい五時半が日の出か。けど、そうなると……リズが師匠』なる人物と約束した七時まで果たして間に合うかどうか……。
いや、そもそも危険すぎないか?
軽く素材を集めるだけのつもりだったから、装備は充分とは言えない。そもそも、リズのような素人を連れて明かりのない道を行くのは、半袖で雪山登山を敢行し、板きれで対岸を渡ろうとするに等しい。
それを伝えようと、口を開いたところで——。
「——これ以上進むのは、おすすめしないな」
と、声が言った。
いつの間にやら俺たちの後方——広場の入り口に立っていたのは、一人の女性だ。
アッシュグレーの髪に、はっきりとした目鼻立ちは中性的で、ともすれば美少年のようにも見える。身長は女性にしては高く、元々無いのか押さえ潰しているのか、胸が出ていないから尚更だ。
そんなこいつのことを知らない探索者はいないだろう。
なにせオルドの中で最も人気のある探索パーティのリーダーである。目立つ容姿も相まって、こいつ自身の人気も男女問わず高い。
「ああ、すまないね、ジン。つい会話が聞こえてしまったものだから」
「おう。こんな時間に会うとか、奇遇だな」
片手を挙げると、涼しげに微笑んでくる。
「運命の導き、かな。会えて嬉しいよ」
リズがくい、と肘のあたりを引っ張った。
「……知り合い?」
「あー、まあ知り合いだな」
小声で訊いてきたリズにそう紹介すると、彼女は細い眉を上げた。
「ずいぶん冷たいじゃないか。私とキミの、“元”が付く仲だというのに」
「元・パーティメンバーね! はっきり言わないと誤解を招くことって世の中いっぱいあるよ!」
「……? そうか、これからは気をつけよう」
気をつけよう、とか殊勝に言ってるけど、ユイに会ったときも同じこと言いやがったからなこいつ。
あの時のユイの気まずそうな顔よ……。
「しかし、早くも二人目のメンバーとは。凄いじゃないかジン」
彼女は微笑みかけたが、リズは俺の背中に隠れるようにしてしまった。おや、という顔。そしてなぜかフォローに回る俺。
「人馴れしてない猫かなにかと思ってくれ」
「随分な言い様だが、なるほど。確かにまだ自己紹介をしていなかった」
そういうことじゃないと思うんだが、ともかく彼女は完璧に微笑んで、
「“ディルク探索団”のミラ・アーメントだ。まだまだ若輩者だが、ありがたいことに頭をさせてもらっている。よければ、貴女の名前もお聞かせ願えないだろうか」
「…………リズ」
葉音より小さな声でそう名乗ると、リズはすぐさま俺の後ろに引っ込んだ。
と、それを見たミラが前髪を掻き上げながらくすくすと笑う。
「ジンによく懐いているようだね。その調子で、私にも慣れてほしいな。そんなに悪い人間、ではないつもりだからね」
「……努力……する」
声ちっさ!
努力する気をまったく感じない。
「つか、ミラ。こんな時間に一人で探索とか珍しいな」
「討伐依頼を我がパーティが引き受けたんだ。その下見さ。……大型の“凶花”が、このあたりに発生したらしい」
「げえ。マジかよ」
“凶花”は“ 導き手”の一種だ。近くにいるあらゆる動植物を喰い、“ 導き手”さえも喰ってしまう食欲の権化みたいなお化け花。食えば食うほど、即時に身体はデカくなり、当然強くなっていく。
出現の知らせが出るほどの大型、ということは、結構育ってしまっているんだろう。道理でさっきまでの道で一回も会敵しなかったわけだ。どの“導き手”も奥に逃げたのだ。
「っていうか、だからこんな人がいないのか」
「ちゃんと掲示板は確認しておくべきだよ。まったく、君は変わらないな」
もっときちんとしろ——と、昔同じパーティにいたときから同じことを言われている気がする。
「出現報告はC-6——第三広場のあたりだったが、まあこれ以上進むのはやめておいたほうがいい」
他パーティの方針に口出しするのも差し出がましいようだが、とミラは苦笑して続ける。
「なにせ、よろこんで死地に行くのがキミだからな」
「そんな変態だと思われてたのか……?」
「でも実際そうじゃないか。まあ、誰かとパーティを組んでいる今なら、そんな無茶もしないだろうけど。……ジンをよろしく頼んだよ、リズさん?」
「まかせて」
「なんでそこは声量デカくなるんだよ」
嬉しそうに微笑むミラにため息を吐いて、さてどうするかと考える。
「……そっちのパーティの討伐時間はどうなってるんだ?」
「ん? ああ。朝一番ということになっている」
「五時とかだよな?」
「夜明け前だろう、それは。十時に停留場集合だ」
「五時にしてくれ」
「いくらキミの頼みでも、それは聞けないな。私のパーティは健全な探索労働環境を目指している」
となると、俺たちは“凶花”を相手にする危険性を含めて更に奥に行かなきゃいけないのか……。
「いや殺す気か……!?」
「そうでなければ、君と私で討伐する、というのも手だね。昔みたいに、無茶をやってみるか?」
「…………」
それもアリだな、と真剣に考えてしまったのが、なんだか悔しい。
俺はともかく、ミラは戦闘に秀でた探索者だ。リスクは多少あるにせよ、“凶花”程度ならあるいは——。
「リーダー! なにしてるんですかー? 早く帰りましょーよ!」
ミラを呼ぶ声が、広場の入り口あたりから聞こえてきた。俺は肩を竦める。
「お迎えが来てるぞ」
「ああ……そうだな」
ミラは少しぎこちなく頷く。
それから「すまん」と小声で言って、若きリーダーは足早に広場を出て行った。
「“凶花”って……」
彼女の後ろ姿が見えなくなってから、ようやくリズが言葉を発した。
「強いの?」
どうにか気のせいであってほしいが、普通に討伐する気っぽくてビビる。
「強いですよ……勝てないですよ……」
ビビったので敬語で宥めてみるが、聞いているのかいないのか、
「ジン」
と、リズは俺を呼ぶ。
続く言葉はない。その切実な視線で伝えようとしている……というより、なにを言って良いのか分からないのだろう。口が小さく開いたり閉じたりしている。
「……わかった、わかったよ」
俺は諦めて、極めて楽観的な未来に賭けてみることにする。
つまり、夜明けを待ち、“凶花”に運良く出くわさず、リズの捜し物が速やかに見つかる未来に。