邂逅
「メリィ、なにか食うもんない?」
「あたしの夕食のパンとスープ以外で、っすか?」
「メリィの夕食込みで」
「なに言ってんすか。あげませんよ」
運転席のガラス越しに、操縦手のメリィがつれない返事を寄越す。
魔術結晶で灯りを灯しているが、広さに対して光量が足りていないため、球型船の中はどうにもぼんやり薄暗かった。十数人は同乗できるだろう機内は、いつものことながら一人だと寂しいものがある。
「俺……この中をいっぱいの仲間で旅するのが夢なんだ……」
「わ、急に切ないこと言い出したッスね……。あ、さては同情を買ってあたしの夕食を奪う気ッスね? あげませんよ?」
「……いやいや、穿ちすぎだろ」
バレていたので、小芝居を終わりにする。メリィの空気を読む力というか、人を観察する目は尖すぎる。
仕方ない。非常用の缶詰に手を付けるしかないようだ。
俺は背嚢を漁って、適当な缶詰をチョイスした。やたらファンシーな魚の絵が塗装されている。
戻した。
「いや、煙草吸えば腹は膨れるな……」
「どんな原理なんスか、それ」
ひとりごとに、不気味そうにメリィが反応した。こればかりは吸ってみれば分かるとしか言いようがない。
「さすが“煙突”さんッスね」
「おいおい、陰口を本人の前で言っちゃうのかよ」
「影で言ってないんで、陰口じゃないッス。これは光口ッス」
「あーね、そーね」
くだらなすぎて返事がふにゃふにゃになる。
“煙突”というのは煙草を吸っている俺のことらしい。用例は「なんか煙いと思ったらこんなところに煙突が」「“導き手”を始末するなんて煙突だってできるぞ」「煙突でさえパーティ組んでるのにアレクセイときたら」など。全部実際に聞いたので正しい使い方なはずだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。今は飯の時間だ。そう思い、煙草に火をつけるか缶詰を開けるか迷っていると、
「……ん?」
ふと、妙な気配を感じた。
なんだ?
「…………」
なにか、いる。
具体的には貨物室——ソロなので使うことはほとんどないが——に、なにかいるような感じがする。
「……メリィ」
「今度はなんスかー?」
「この球型船っていわくつきだっけ」
「新品だったんすよ? ジンさんが誰か殺して詰めてなければ、付くいわくはない気がするッスけど。……お化けッスか? 出たんスか?」
「大丈夫。お化けも殴れば死ぬ」
「いたとしても、絶対挑発しないでくださいっすよ! 殴るの禁止!」
不安そうなメリィの声を背に、俺は取り出した煙草を背嚢に突っ込み、トランクルームに近づいてく。
「——よっと」
意を決して仕切りを開けると、なにかが闇の中で動いた気がした。
「なんだ……?」
野良猫か……?
いや、野良猫だったらいいな。野良猫でありますように!
俺は少なくとも幽霊でないことを祈りつつ、手に持ったランタンで辺りを照らした。
「————」
黒い布があった。
黒い布ではなかった。
それがローブを纏った小柄な人間であることに気がついたのは、布が動いたからだ。
「…………」
それは、小柄な少女だった。
フードで頭をすっぽりと覆い、その淵から紫色の瞳がこちらを伺っている。
奇しくも少女は猫のような目をしており、そこだけは願った通りだった。オレンジ色の光に照らされた肌はやや小麦色で、日に焼けているというよりは地肌だろうと思わせる。
目の前にいるのは少女なのに、ある種成熟した空気を纏っている感じ。どこか、神秘的だった。
と、状況を理解するのにしばらくかかったが。
「…………」
「…………」
「えーと……こんばんは?」
「…………」
とりあえず挨拶をしてみたが、褐色の少女は警戒を緩めない。
じりじりと暗闇を求めるようにトランクルーム内を下がっていき、
「————っ」
ごつ、と頭をぶつけていた。痛そうだ。
「あー、大丈夫か?」
返ってきたのは無言だったが、痛さに耐えている雰囲気は伝わってきた。
「えー、っと。とりあえず、こっち来たらどうよ」
「…………」
「——って、言われて来るわけがないか」
俺だったら絶対に行かないもんな……。
お互いに打破できない硬直状態が続く。
……これ、どうしたらいいのか分からんのだけど。
「というわけで、どうしたらよろしいの専門家のひと?」
運転室の近くまで戻って、メリィに訊いてみる。が、
「お化けは専門外ッス!」
耳をふさぎながら叫んでいる。いやちゃんと運転してくれ。
事情を説明すると、メリィはようやく振り返って、その後に困った顔をした。
「……女の子、ッスねえ」
「ユイと同い年くらいか?」
「や、十七って感じじゃないと思うんスけど」
「いや、ユイは十五歳くらいだろ」
「そうなんスか!? あれ? 本人、十七歳って言ってたッスけど」
「それ嘘だぞ。なぜなら俺と比べて顔が子どもっぽすぎるから」
「それ、ジンさんが老け顔だからじゃ? あと言うほど年齢も近くないからじゃ?」
「…………」
傷ついたので年齢議論はやめた。ひそひそ話して警戒を強められても困る。
「そもそも、その女の子は何者なんスか? 街の子どもが入り込んじゃったとか?」
「さあ……」
トランクルームの影からこちらを伺う少女に目を向ける。格好だけ見れば魔術師だけど……探索者、って感じでもない。
と、思っていたその時、
「わたしは、」
会話が聞こえていたのか、少女が初めて言葉を発した。めっちゃびっくりした。
フードのせいで表情はあまり伺えないが、声が震えている。
「わたしは、迷宮にいきたい……」
言って、さらに俯いてしまう。
もしかしたら、頭を下げているのかもしれない。再びの沈黙。
「迷宮に……ってことは、探索者なのか?」
「——ちがう」
問いかけると、ふるふるとフードが揺れた。
「わたしは、錬金術師」
「れ、レンキンジュツ……?」
耳慣れない単語に首をひねる。だが、少女はこくりと頷いて黙ってしまった。
……錬金術とやらの説明は望めなさそうだ。
「えーっと。とにかく、迷宮に行きたいのか」
「…………」
肯定。どうにも言葉数が少ない。まるで、単語の知識はあるのに会話の経験がない感じ。
「で、わざわざこの船に忍び込んだのは?」
「……許可証? なくて……」
許可証。
「あー、受付でいつも出すやつか」
「正式には、球型船利用許可証ッスね」他人事モードでメリィが解説を入れる。「探索証があれば十分で作れるのに」
「……その探索証がないんだろうなあ」
思わずぼそっとつぶやくと、メリィは複雑に唸った。
「……あれなんか十秒ッスよ?」
「ユイの場合は五分くらいかかったけどな」
なにせ、あいつは記憶も身分証もなかったのだ。最終的に俺が身元保証人みたいな真似事して申請を通したけど。いや、本当はそれで通っちゃだめなんだが、そこらへんはかなりザルなのだ。
「ジンさん。変な気を起こす前に言っておくッスけど、その子を迷宮に連れてっちゃダメですよ。面倒なことになるッス」
「……分かってるよ」
俺がいくらお人好しでも、少女の願いは聞けそうもない。許可証のない人間を迷宮に入らせたことがバレたら、俺は探索者でいられなってしまうからだ。
それは阻止したい、絶対に。できれば、とかじゃない。そういうリスクも背負いたくない。
「だからまあ、帰りはあの子のこと頼んだわ——って、ぅおい!」
「……? !? ちょ、ちょっと! なにやってるッスかっ!」
いつも飄々としているメリィまでもが素っ頓狂な声を出すのも仕方がない。
少女が窓を開けて、その身を投げ出そうとしていたからだ。慌てて駆け寄って腰の辺りをひっつかんで、半分出した身体を引きずり戻す。ごうごうと風が唸っていた。
「——っぶねー! 死ぬ気か!? ヤケクソか!?」
「やっ……! はなし、て……っ!」
「ダイブする気満々の人間を離せるかバカ! この、愚か者!」罵倒のバリエーションのなさが露呈しつつ、「どういうつもりだ!?」
「いかなきゃ、いけないの……っ! だから、ここで、降りるっ」
ジタバタと暴れる黒ローブ。馬乗りになろうとする俺。
「ここまだ地上のはるか上だから! 降りたら行き先はお空の上だから!」
「いいのっ……それでも……——ぁぅっ!」
苦労して床に組み伏せる。少女は細く、手荒に扱えば折れてしまいそうだがそんなことを言ってられない。
「はあっ、はあ……っ、頼むから、大人しくしてくれ……」
「や……っ、はあッ、や——だッ」
じたばたと暴れているが、流石にマウントの優位性は覆らない。
「はなして、はなしてよ……ぅ」
声が涙に濡れていることに気づく。なんという罪悪感……メリィ代わってくれないか……? そんな「嫌っす」みたいな顔しないでさ……。
押さえつけていた力を緩める。抵抗する気力は残っていなさそうだし、大丈夫だろう。
「手に入れなきゃ、いけないのに……」
荒い呼吸を繰り返して、うわ言のように少女は言っている。
……独特の浮遊感。操舵に戻ったメリィによって、球型船の着陸が始まっている。迷宮を覆う靄の中に、俺たちは着いたようだ。
あとは、少女を身動きできないようにすればいいだけだ。それで、この少女は折り返しで街に着くだろう。
「どうして」
……そのはずだったのに。
俺は少女に尋ねていた。
「……どうして、そこまでして行きたいんだ」
——ああ。
訊いてから、遅すぎる予感がした。
——駄目だ。
その答えを聞くべきじゃないんだ。いや、そもそも尋ねるべきじゃなかった。
そういう予感だ。
なぜなら、それはきっと俺を——他でもない俺を、強く揺さぶってしまう答えだから。
そうだ。少女も同じであることを、俺は心の何処かで予感していたんだ。
だから、確かめてしまった。
だから俺は、
「——そうしなきゃ、いけないから」
その答えを、半ば諦めるように聞いていた。
「…………」
組み伏せられたままこちらを見る紫色の目。
その瞬間沸き起こったのは、ひどく悲しいものを目の当たりにしてしまったような胸糞の悪さだ。心の奥のなにかが共鳴し、彼女を他人と思えなくなるような感覚。
俺はゆっくりと、少女の身体から離れた。それ以上拘束する気にはどうしてもなれなかった。
つまり、まあ。
「——あたし、忠告はしたッスよ?」
操舵室から戻り、俺の顔を見るや否や、そう言ってメリィは笑ったのだった。