マックと取り立て幼女
地面に打ち込まれた杭に留められたその飛行船は、俺たちを待ちわびるかのように微かに揺れていた。
球形船。
その名の通り球型のその巨大な乗り物は、人類の夢と言えるだろう。
なにせ、空を飛ぶのだ。浮力を産み出し、推進エンジンとプロペラで進むのだ。
……まあ、学のない身なのでそれ以上のことはおろか、操縦の仕方も分からないが、とにかく凄いことは分かる。
あと、これがめちゃくちゃ高いことも知ってる。
「しかし、何度も言ってる気がするっすけど」
メリィはため息をついて、運転席のドアに手をかけた。
「個人の球型船なんて、ほんっっっと……羨ましいっすよぉ~! あーもうっ、いいなあいいなあっ」
「いいだろういいだろう」
二週間に一度くらいのペースで羨ましがられるので、こっちの返事も適当になる。
「幸運の男ッスよね、ジンさんは~! や、日頃の行いッスかね? いや、日頃の行いはないか」
「なんでだよ!?」
多大な功績を挙げた探索者でもない俺が、球形船なんて高価な代物を持っている理由は、実のところメリィが言った通り、単なる幸運の結果だ。
昔、死にかけてた奴を助けたら、迷宮に観光気分で来ていたアホの貴族だった、ということがあったのだ。ゴミ拾いをしていたら純金も拾っていた、みたいな話である。
もっとも、対価をくれなどと言っていないし、むしろ固辞したんだが、後日、押しつけるようにして送られてきてしまった。
まあ、結果的に球型船のレンタル代が浮いているので助かってはいるし、貴族さまさまと言ったところではあるんだが。
「ん?」
メリィはなにかに気がついたように視線をこちらの向こうに戻す。
「……あれ? ジンさん、ついにユイちゃん以外とパーティ組んだんですか?」
「おいおい、誰が俺とパーティなんか組んでくれるんだっての」
「ッスよね」
「そこは社交辞令でも一回否定しろよ! ……っと、マジで誰か来てるな。あれは……マックか?」
近づいてくる顔に見覚えがある。
神経質な細フレームの眼鏡をかけて、気難しく唇を結んでいるのは税管理代行者のマクセン——マックだ。……なぜか幼女を連れている。
「お前、誘拐はさすがにまずいだろ……。返して来なさいよ」
「……なにを勘違いしているのか知らないが」口を開けばいつもの固い声だ。「この子は君を探していたんでな。目的を同じくするものとして、共に歩んできただけだ」
「なんでそんな仰々しい言い方するのお前は。……って、俺を?」
幼女に目を向ける。結んだ髪の毛がてっぺんでぴょこぴょこ揺れ動いている、可愛らしい子だ。天使に服を着せたらきっとこんな感じだろう。
見覚えは……ない。
首を捻っていると、マックが咳払いして、腕時計を指で叩いた。
「まずはこちらの用件を済ませよう。税金の話だ」
「と言いつつ?」
「税金の話だ」
「でしょうよ」この堅物に楽しい期待は禁物だ。「で、なにを払えばいい?」
「もはや払い忘れには罪悪感すら抱かんか」
マックは大げさにため息を吐いた。が、反面表情はどことなく嬉しそうだ。こいつは税金を取り立てている時が一番イキイキしている。休日は趣味で借金を取り立てている、と言い出しても特に驚かない。
「水道、並びにギルドへの上納金。しめて——」
マックが請求書を懐から取り出す。俺は一瞥して、
「んじゃ、いつものように口座から引落しといてくれ」
「人を自動口座引き落としに使うのはやめろ。って、それは自動ではなく人力ではないかーい」
「急になんなんだよ!?」
「ユーモアだ」
奴はくすりともしないで言い切った。
「……言い切るほどユーモアか?」
「なるほど。そうか、やはりつまらないか」
俺の評に、マックは眼鏡の位置を直しただけだった。
「いや、憂鬱な取り立ての時間をなんとか和ませようと努力しているんだが、これがうまく行かなくてな」
「いいよそんな顧客サービスしなくて……税の取り立てなんてどうせ嫌われるんだから……」
ズレているが、どこまでも真面目なやつだ。
「そうだな。では遠慮なく言うが、君の口座をあたったが残金不足だ。このまま手持ちで払えなければ、私物を差し押さえることになる」
「はいはい。たかだか一ヶ月の滞納で厳しすぎるんだよこの街は……」
「なにを言う。税とは厳しく取り立てられるものだ。善人から悪党まで平等に支払うことで、市民の一定の生活水準が保たれる。少なくとも、この街ではな。それで、差し引きこれだけ欲しいんだが」
俺の手にある紙の、下の部分に書かれた数字を示す。
まあ、こちらは手持ちで払えなくない。
が、どうやらこれで貯金はすべてなくなってしまったらしい。
……ショックだが、まあ悲観するほどじゃないか。だいたいの冒険者は宵越しの金は持たないくらいだし。
「さて、次はこの子の用件だ」
鞄に徴収した金を入れると、マックは退屈そうにしていた幼女の背を軽く押した。
軽くしゃがんで、俺は幼女の目を見る。うわっ、目綺麗だな! よく晴れた日の星空とか入れてるの?
「えーっと、なにか用かな?」
「あのね、えっとね。おやちんのことなんだけどね」
「ん?」
「おやちんのことなんだけどね」
「おち……? ……あ、お家賃ね。はいはい家賃……家賃?」
嫌な予感がした。
ぎこちない笑みを浮かべる俺に、マックは呆れ声をかける。
「滞納、してるんだろう?」
「ま、まあ……一ヶ月くらい……」
「こんげつぶんをいれると、にかげつ」
幼女がいらん補足をした。
「それでね、はらってほしいの。いますぐ、なう」
「えーっと、どうして君が家賃の徴収を? 流行り?」
「あのいえは、おばあさんがけいえいしてたんだけどね、しんじゃったから」
「あ、そうなんだ。この度はご愁傷様で……」
「でね、わたしにあのあぱーとのけいえいをまかせるって、いしょに」
すげえ婆さんだな……。
「で、でもそういうのはほら、パパとママが代わりにやるんじゃ……」
「めいぎをひきついだのは、わたしだからね」
つまり正当な権利がある、と。
それはいいんだけど、その。
こういう年頃の女の子は、ちょっとした不正も許さない正義感みたいなのがあって、無邪気な残酷さで冷徹な判断を下すことが、ままあるような、気が、
「いますぐはらえなかったら、でていってほしいの」
「よし来た。一週間待ってくださいってお兄ちゃん二人で土下座したら?」
「なぜ私を巻き込む」
「でも、だめなの」
そして、子どもの行動力というのは、恐ろしいものがあって、
「——じゃあ、おにいさんのおうちは、もうおうちじゃないね?」
「ちょ、待っ」
「もうにもつははこびだしたから、あしたまでにとりにきてね」
「すでに運びだしてるのかよ!」
「とりたてやのおじさんにおねがいするのはまってあげるから、はやくはらいにきてね」
人一人を宿なしにした人間とは思えないほど楽しそうな笑顔を向けて、幼女は俺に手を振った。
その毅然とした足取りは、俺に彼女の覇道を感じさせたのだった……。
「いや、感じてる場合じゃねえ! くっそマジか……しばらく宿借り暮らしか……」
自業自得とは言え、一ヶ月前はユイを治療したりしてそれどころじゃなかったのだ。まあ、おせっかいの結果だから悪いのは俺一人だけどさあ……けれどもさあ……。
「持っていけ」
顔を上げれば、マックが今しがた徴収した紙幣を差し出していた。
「施しか? いまの俺は恥も遠慮もなく貪るが?」
「なぜ偉そうなのか分からんが、施しではない。今から迷宮へ行くのだろう?」
「……そうだけど」
「球型船を利用して迷宮に向かう者には補助金が適応される。本来は月初めだが、今回は税管理代行人がその場に立ち会ったため——」
「わかったわかった! ……サンキューな、マック」
「これも仕事だ。——探索者よ、貴君のより一層の活躍を期待する」
にこりともせずそう言うと、マックは踵を返して幼女の背を追うようにして帰っていく。
……アレクセイといいマックといい、表面だけでは伝わらない難儀な性格の人間が知り合いに多い気がする。類友、ではないと思うけどな。
「やは、とんだ災難っしたね」
どんまい、とでも言うように、球型船の中で暇をつぶしていたメリィが歩いてきて、肩をバシバシ叩く。苦笑した。
「恥ずかしいところ見られたな」
「じゃあ、あたしも恥ずかしいところ見られちゃったんで、チャラってことで!」
「一応、恥ずかしかったのな……」
「これでも多感な思春期まっさなかッスよ? まあ、今頃になって恥ずかしくなってきただけッスけど」
からからとメリィが笑い、ともかく出発という段になる。
やれやれ。
まあ、この一日二回の探索を続ければ、すぐに当面の生活は安定するはずだ。
それに、数ヶ月もすればユイも別パーティに入れるくらいの実力にはなっているだろう。
そのころには、すっかり元のソロ生活に戻っている……はずだ。なにも不安に思う必要などない。
いつも通りの日常が、続くだけだ。
——などと思っていた俺は、きっと楽観主義ではなかったと信じたい。