探索準備
「さて、と。……行くか」
なにもなければ、一日を労ってユイと夕飯でも行くところだが、あいにく俺にはやることがあった。
食事でも寝床を求めてでもない。
探索者なら、一日の始まりに必ずお世話になる場所。
小型飛行船——球型船停留所に向けてだ。
そう、つまり本日二回目の探索である。なぜなら、
「そろそろ手持ちがなあ……」
ユイにはああ言ったものの、実はこっちこそ金がないのだった。
……はっきり言ってしまえば、ユイのせいではある。
なにせソロで迷宮に行ってた時よりも素材の集まりは悪く、それでいて金は均等に分けてしまっているし。
貯金はしているものの、それだって彼女の装備一式を揃えるのに切り崩してしまった。
「たしかに、悪癖かもなあ」
奇しくも、アレクセイが指摘したとおりかもしれない。
見ず知らずの他人を助けるために、こっちの生活が危うくなっている。本来であればもっと早く、適当なところで手を引くべきだったのだ。
だが、俺はそれができなかった。
もちろん、俺が妙なところで世話焼き体質なのかもしれないが……一因はユイの事情にもある。
彼女には、記憶がない。
一ヶ月前、俺は迷宮を探索している時に、倒れている彼女を見つけた。
“導き手”に襲われたのだろう、彼女は血だらけで、死にかけていて。
まだ息はあったから、治療はできたものの……記憶は元に戻らなかった。
意識が戻った彼女は「ここはどこですか」と繰り返し、錯乱状態に陥っていた。一時期、「元の場所に帰らなきゃ」とうわ言のように言っていたくらいだ。
身体は治せても精神はどうにもできないので、落ち着くのを待つしかなかった。
食事が喉を通るようになったのはしばらく経ってから。
まともに会話が成立し、ここで彼女が記憶喪失らしいということが分かる。
それから、怯える彼女を外に連れ出して知り合いを探したが……。
奇妙なことに、誰も彼女を知らなかった。探索者ではないばかりか、この街の住人ですらないようだった。
彼女は何者なのか? どうして探索者でもない人間が迷宮で倒れていたのか?
謎はある。怪しい、と言っても良い。
だが、それよりも問題なのは、俺は彼女をどう扱うのか、ということだった。
ユイは記憶喪失で、知り合いもいないのだ。
そんな人間を、治療を終えた時点で、『強く生きろよ』と送り出せば良かったのか。
当分生活できるだけの金を用意して放り出すだけでも、医療術士としては十全に過ぎたかもしれない。
自分のことを考えれば、それらの方法が正しいのは明白だ。
それでも、できなかった。
だから、俺は彼女と行動を共にしている。
けっきょく、アレクセイの『なぜ世話を焼くのか』という問いかけには、そう答えるしかない。
俺には、放っておけなかった。
あの日、ユイは死にかけていた。
彼女は記憶を失っていて、身寄りもなかった。
そして彼女は、生きるすべを身につけることを——探索者になることを望んだ。
それが全てだ、とは言わない。
俺にも“放っておきたくない”事情があって、目的がないわけじゃない。
それに、だ。
俺に「助けてくれ」なんて、あいつは一言も言わなかったし、あの強情さを考えれば、きっとこれからも言わないだろう。
そしてなにより重要なことは。
俺は別に彼女に惚れたわけでもなく、なにか対価を求めているわけでもない、ということ。
だからつまり、俺が勝手に手を差し伸べているだけだ。
——もちろん俺はまだまだ若造だが大人なわけで、それでも、こういう傲慢さをなんと呼ぶか知っているわけで。
「自己満足……ってやつか」
まあ、そういうわけだ。
言うまでもなく、自己満足の結果発生する苦労は、全額負担で自分のものである。
だから、疲れたとか腹減ったとか、泣き言は言ってられない。
言っていられないのだが、ぐう、と腹が鳴る。
「腹減った……」
半分泣きながら、俺は停留所に足を踏み入れる。
探索ラッシュを終えて眠そうな受付の姉ちゃんに申請を通して、更に奥へ。球型船を搬入する作業員たちを遠目に見つつ、操縦手の詰め所——川沿いの小屋に向かう。
操縦手は、球形船単位で契約を結ぶものである。つまり、個人やパーティ単位ではないので、球形船のレンタル利用がほとんどの探索者にとって、必ず空の旅を共にする決まった操縦手、というのは存在しない。
のだが、俺の場合は話は別である。
「どーぞー?」
ノックの後、聞き慣れた女性の声が返ってくる。
ドアを開けると、狭苦しい部屋に女性が一人立っていた。
俺の姿を認めると、メリィは笑顔を見せる。
……上裸で。
「あれ、ジンさんじゃないッスか。また探索っすねー」
動じないメリィの声に返事もせず、俺は音速で小屋の外に出ていた。
「……っ! はあっ……! はあっ……!」
『いやあ、そんな興奮されると嬉しいような怖いような』
「びっくりしたんだよ!」
メリィの普段と変わらなさが異常なのか、罪悪感で死にそうな俺が異常なのか。いや実際、知り合いの女性の裸を見て喜ぶ人間はいるのだろうか。ただただ気まずくないだろうか。
……いや、違う。この気まずさはちょっと嬉しい感じの気まずさだ。
認めよう。
男の子だもの。
乳と尻。好きでもいいじゃない。
でも知り合いの乳と尻を好きになってはいけないと思う。俺は獣ではなく、紳士的に生きたいから。
だから、忘れよう──。
「さらばメリィの乳と尻……」
「私の乳と尻に一体なにをするつもりなんすか!?」
いつの間にか着替えて近くにいたメリィが恐怖に震えていた。紳士への道は遠い。