新生活と名前とリズ。
まぶたを押し上げると、視力にあまり良くなさそうな光力の朝日が目に飛び込んできた。
何時だ、と考えるまでもなく、寝過ごした予感がビンビンする。
「……ん?」
起き上がると、額のあたりから何かがひらひらと落ちてきた。茶色の紙切れには、
『遅刻!』
と大きく書かれている。裏返すと、
『冗談。今日くらいゆっくりしたら? 私は買い物とかしてくるから』
と、我がビジネスパートナーであるユイからのありがたい伝言が書かれていた。
「そうか、マジで同じ屋根の下で暮らすことになったんだな……」
と、改めて実感。
ユイだけじゃなく、アレクセイもいるし、リズもいる。……知り合いと共同生活するのって、なんか変な感じだ。
とはいえ、社交性があまり望めないメンツでもあるし、なにか変わるかと言われればそうでもない気もする。
……っていうか、変わらないでいてほしい。
なぜなら。
同じ寮内に、俺を不老不死の霊薬生成とやらの実験対象にしたがっている奴がいるから……。
「……なんもされてないだろうな?」
怖くなってきちゃった。
こうなると、個室のセキュリティの甘さが気になってくるところだ。ユイとか、俺が寝てる間に普通に入ってきたっぽいし。それすなわちリズも可能、ということになる。
何かを埋め込まれたり塗られたり注射されている可能性に怯えつつ、まったく、俺はなぜ命の恩人ポジションなのにこんな心配をしなければいけないのか、奴の倫理観はどうなっているのか、っていうかそもそもリズは何者なのか——等を思い返すことにする。
***
「——分からない」
***
回想終わり。分からないということが分かった。以上だ!
……いやもちろん、これには語弊がある。
大真面目にこの回答が飛んできたら、さすがの温厚な俺も暴れ回って部屋をめちゃくちゃにしていたかもしれない。
正確にはこうだ——リズには、半年以前の記憶がない。
だから、何者かは自分にも分からない。
……俺は、その衝撃の事実を聞いたとき。
リズになんとなく感じていた違和感が氷解するとともに、すぐに駆けだしてユイの部屋の戸を叩き、彼女にこう教えてやりたくなった。
おまえ——。
おまえ、リズとめちゃくちゃキャラ被ってるぞ! と。
ということでここが、ふたりも記憶喪失者がいるとんでもない寮であることが判明したわけだが、両者の状況はだいぶ異なる。
ユイは迷宮の中で倒れていた謎の少女なわけだが、どうやらリズは錬金術の実験の結果、そうなったらしい。
ここで気になるのは、なにゆえそのような危険な実験に俺を巻き込むのか、ということだが、たぶん「頑丈そう」以外の理由はないだろう。
「はあ……」
ため息も出るさ。
……想像してみてほしい。
なんやかんやあり、なんだかんだ顔立ちの良い少女の命を助け、薄暗い部屋、二人きり、言われた一言が「人体実験……させて?」だったときのことを。
どんな気持ちになるだろうか。
答えは「どうしてぇ……?」だ。それ以外ない。記憶喪失だし……仕方ないな! とは間違ってもならないわけ!
そんなこんなで、どうしてぇ……? 怖いよぅ……のまま一夜が過ぎ、今に至る。回想を経たことで、俺の恐怖と混乱が一層よく分かってもらえたと思う。
「異常は……ないな。ないと……いいな!」
全裸になって見える範囲をチャックしてみるが、よく分からん。
そもそも俺の体質上、そういった外傷的なものは消えてしまう気もする。気がするだけで、自分の能力のことをよく知らないので確信はない。
「まあ、リズもそこまでぶっとんだ奴じゃないだろ……」
それに、リズのことだ。「人体実験」とか言い出したのも言葉通りの意味ではない可能性が……一割くらいあるかもしれない。
……あるか? あると……いいな!
「ジンさーん、ちょっと訊きたいことが……なにやってんすか?」
「ぎゃあ!」
乙女のように裸体を両椀で隠して振り返ると、開け放したドアにもたれかかったメリィがこちらを呆れたように見ていた。
「ノックは!?」
「いやいや、あたしじゃないっす! ドアは開いてたっすから!」
ほら、とドアの裏側のなにかを手で示すメリィ。
とりあえず下を履きながらそっちを見ると、ひょっこりとなにかが出てきた。
なにか、というかそれは、フードだった。
フードだったっていうか、リズだった。
「き、昨日はノックしてくれたのに……なぜ……?」
膝から崩れ落ちる俺に、「今日もノックした」とリズは抗議して、
「待ったけど、出て来なかった。だから、覗いてみたら……裸で……」
フードをぐっと下げて、口を噤むリズ。ドン引きするメリィ。
「ジンさんなんてもの見せてるんすか……犯罪者じゃないっすか……」
「え!? これって俺が責められる流れなの!? だとしたらごめんなさい!」
釈然としねえな……。俺はただ、リズに怯えていただけなのに……。
「で、なにか用か?」
まずは先着順でリズから訊いてみると、
「パーティを組んで、迷宮に連れて行って欲しい」
……とんでもないことを言われてしっかり意識を失いそうになる。
「誰と……?」
「わたしと、ジンが」
「……っ! ……っ!!」
泣きながら拒否しようとして——俺は思いとどまった。
この街で知り合いもなく、記憶もなく、窮して命を投げ出すような危うい少女を放っておくのか?
……という良心の猛抗議が聞こえたからだ。
いやいやでもでも、と俺も負けじと抗議を返す。
でもこいつ、俺で人体実験しようとしてますよ!
良心にそう告げ口したそのとき、俺の頭脳は天才的なひらめきを見せた!
「……パーティを組むのはいい」
「うん」
「その代わり、俺で人体実験をやるのはなしだ!」
「うん」
あ、あれ……?
あっさり引き下がったので拍子抜けした。そ、まあ、うん……良いならいいけど……。
「えーと、じゃあ……よろしく……」
「うん、まかせて」
「いやあ、めでたいっすねえ」
ぱちぱち、とメリィが手を叩く。
うーん……。
命拾いしたけど……なんか……釈然としないな……。
……。
俺……もしかしてリズの策に嵌まってないか……? 最初からそのつもりで、人体実験をちらつかせて……いや、考えすぎか……。考えすぎか……?
「ちなみに、あたしの用事もそれでした」
「はえ?」
うんうん、と頷くメリィに、俺は素っ頓狂な声を出した。どういうこと?「わたしもパーティに入れるっす!」ってこと?
「リズさんとパーティ組まないと、昨日のこと通報しちゃうぞって脅すつもりだったっす!」
「なんで!?」
「そりゃ、一番生存率の高いパーティの構成人数が三人だからっすよ!」
…………たしかに、そういう話は聞いたことはある。
いや、あるけれども。
「素人二人と組んだら普通、生存率は悪化すると思わない……?」
「いやあ、人間、守るべきものがあるときが一番強いもんすよ。あたしも操縦してるとき、ジンさんを守るぞ! って気持ちでいるから墜落とかしないわけっす!」
「な、なるほど、そうか……一理あるかも……」
いや、果たしてそうか? 一理……あるか?
「というわけで! これに記入よろっす!」
いよいよ丸め込もうとする態度を隠そうともせず、メリィは一枚の紙を突きつける。
「“中小探索団球形船操縦賃金補助申請”……?」
内容を要約すると、三人以上から構成される探索団の送迎業務にあたる操縦士が、減税と賃上げを受けられるよ! という申請書で——。
「あ、まずい、こっちじゃなかった」
ぱっとメリィが俺から紙を取り上げる。
「おい、俺の生存率向上は? 守るべきもの云々は?」
「まあまあ、どうどう。それも本心っすから。はい、こっちっす!」
……なるほど、道理でごり押ししてくるわけだ。
まあ、メリィらしいといえばらしいが……。
「で、これは……“探索団名申請書”……?」
「はいっす! パーティ名がないと申請に滞りが……ではなく、やはり団結力に綻びが出て死に至るので!」
「はいはい、そーね、そーね」
最早気にしないことにする。
メリィにはいつも世話になっているし、これくらいは黙ってやってやろう。
とはいえ……。
「…………なにも思いつかねえな!」
俺の知っているパーティ名だと、創設者の名前とか、意気込みとかになるわけだが。
圧倒的に創作能力がなくて搾りかすすら出てこない。
「リズ、なんかない?」
窓際で煙草をくゆらせながら聞くと、リズはぱちくりと瞬きをした。
すでにメリィが十数個の候補をあげたものの、そのほとんどが「爪弾きもの団」とか「煙突屋」とか「ゴミ拾いーず」などの悪口に類するものばかりで、さすがに、嫌なんだ……。
「ちなみに、いまの最有力候補は“低階層徘徊部”だ……」
「カワイイじゃないっすか!」
「たのむリズ……これ以上マシな案ならなんでもいいから……」
メリィの感性は無視し、切実に訴えかけると、
「まかせて」
という頼もしすぎるお言葉とともに、リズはペンと申請書を手に取った……。




