第2話 出会い~商人と漫画家~①
「何かしなくちゃ!」
そう思った俺、早川二郎はこの日、多くの人で賑わう市場にやって来ていた
俺がすみかにしている橋や、食事に施しを受けている修道院と同じ、サラヴァ王国領内のパルワンの町の南部にあるこの市場は、運河が張り巡らされており
周辺地域との流通の拠点となる、まさに王国の中心地だ
俺が何故ここに来ているのかというと
それは、絵を売りたいと思ったからだ
つい先日の出来事を思い出す
その日の俺は修道院にて、シスターに片言のイグリーン語であるお願い事をしていた
「シスター、今の自分の状況を何とかしたいんです。絵を描く道具を貸して下さい……」
「ペンとインクと紙が必要なんです、絵が売れたら必ず返します」
この切羽詰まった懇願に心を打たれたのか、慈愛に満ちたシスターは
ペンとインク、そして紙を(当時は高級品なのにも関わらず)2枚も、なんと無償で俺に恵んでくれた
「本当にありがたいです」
そんな大事な紙に俺は地球で好きだった漫画「NARUTO」の一枚絵を、絵の具が無いからモノクロで、紙がもったいないから裏表に、丁寧に丁寧に描き上げた
そうやって完成した「NARUTO」の一枚絵×2
それを携えて俺はこの市場にやって来ていたのだった
「しかし、イグリーンに来てからダントツで一番の人口密度だな、市場は」
「『渋谷のセンター街』……まではいかなくとも、『川崎駅』くらいはあるな」
そして俺は辺りを見渡す、どこで商売をしようかと考えていた
やっぱり目立つ所が良いよなぁ……
しばらく見渡してから、やがて一つのスポットに目標を定める
よし、決めた!あそこにしよう
白羽の矢を立てたその場所は、一番大きい通りに店を構えるパン屋の目の前だった
俺はピーター・パンの様な軽やかな足取りでそこに向かおうとしたが、そこである事に気付く
「しまったぞ、絵を立て掛けるものを持って来ていない」
困った、いや、
まあいいか、この絵は店の壁に立て掛けることにしよう
よし、後はこの横に座ってお客さんが来るのを待つだけだな、何たってこんなに人通りがあるんだから
この時からすでに周囲がざわつき始めたのだが、俺はちっとも気付かなかった
商売の事で頭がいっぱいだったんだ
「今は絵に値段を付けていないけど、コストを考えると1枚300オルエ以上で売りたいよな」
(※オルエは通貨の単位で、パン1個が大体100オルエ)
「紙が一枚30オルエくらいするし、インク代も馬鹿にならんし、修道院からずっと恵んでもらうなんて無理だしな」
「漫画っぽいイラストというものが、イグリーンで需要があるかどうかだよなぁ」
「『NARUTO』のエキゾチックさは、イグリーンの人々にとっては新鮮に映ると思うんだけど……自慢じゃないが絵自体は本物そっくりに描けたんだ」
ちなみにこの「NARUTO」の絵はソラで描いたにしては、客観的に見て異常なほどに再現度が高いが
その理由は、俺が「映像記憶能力」を持っているからである(これはイグリーンで身に着けた訳ではなく、生まれつきね)
「映像記憶能力」がどんな能力かという問いに端的に答えると、「見た映像を普通の人と比べ、異常に克明に記憶できる能力」と説明できるだろう
その能力にプラスして、ひたすら絵を描きまくるという訓練(ただ単純に絵が好きで描いていたという側面も大きい)をすることによって
このような再現度の高い絵を描くことが可能となったのだ
「結局チートじゃないか!」とか「そんな都合の良い能力を持っていて、何故漫画で成功できないんだ?」と思っている人、ちょっと待って欲しい
そう一筋縄ではいかないのが漫画なんだ
俺も俺で、自分は天才だと思っていたさ
手塚治虫、鳥山明、ハイ、その次俺、とね
しかし漫画には「ストーリー」というものがある、作画だけをやるにしてもオリジナリティのあるデザインを作るセンスがいる
自分で言うのも何だが俺はそこら辺の能力が壊滅的だったのだ
あともっと細かいことをいうと、線の洗練具合(絵を描かない人には分かりにくいかもしれないが)も、吾峠呼世晴や藤本タツキの様なトップオブトップにはやはり敵わなかった
そんな訳で、オリジナルの漫画は全く売れず、真似は上手いのでアシスタントとしては重宝されるという、それが地球での俺の状態だった
おっと、話が脱線しすぎたな
それはともかく、早くお客さん来てくれないかな
そんな考えに耽っていた俺を、見ている人物が二人いた
俺が店の壁を拝借しているパン屋の、主人とおかみさんだった、何やら俺の方を見ながらひそひそと相談をしている様だ
自分の世界に入り込み過ぎて気付いてなかったが、さっきからずっとこっちを見ていたらしい
「ねえ、あんた、あれは何だい?」
と、主人に問いかけるのはおかみさんだ
「浮浪者だろうな、何かを売っているみたいだが」
答える良い体格の主人
「冗談じゃないよぉ、あんな格好の男がいたらお客さん寄ってこなくなるよ!」
「あんた頼むよ、追っ払ってきておくれよ」
「そうだな」
了解する主人はおかみさんにアイコンタクトをしてから、俺の方に向かってきた
当然の対応だろう、こんな営業妨害をする男を追い払うほどの逞しさがないと、店なんてやっていけないのだ
「ん、まだ若いな」
俺の顔を覗き込むと意外そうな声を出す主人、しかしすぐに続ける
「申し訳ないが商売のジャマなんだ、他所に行ってくれ」
ハッキリと言う主人、俺はというとイグリーン語にあまり習熟していないということもあり、口をパクパクさせながら固まってしまった
「何だ? 喋れないのか?」
「ともかく、ここは露店を出すのにもパルワン町の許可がいるんだぞ。さあ、これをやるから他所に行け」
そう言って主人は、俺の手にライ麦パンを一個持たせた
せめてもの哀れみと言う事か……ありがたく貰うけど
俺は止む無く、この店の前から退散することにした
まあ、主人の言っていることは正論過ぎて、返す言葉も無かったしな
「ショックを受けている暇は無い、さあ次の場所だ!」
さっきパン屋の主人は店を出すのに許可がいると言ってたな
……ということで、俺はさっきの大通りから少し離れ、街の喧騒も幾分小さくなった路地裏にやって来た
ここは生活用水路が通っていて、じめじめしている
「お客さん来るかなぁ、さっきはすっごい好立地だったんだけど……」
ちゃんと絵が売れるのか? 俺は不安になりながら
先ほど貰ったライ麦パンをちょびちょびと食べながら来客を待つことにした
――――日が大分傾いてきた、俺がこの市場にやって来たのが正午くらいだったから、4時間くらい経ったのかな?
絵の方は売れそうな気配もない
時折、通行人から奇異の目で見られるだけで、絵の内容の方に興味が行くことは無かった
これが現実か……
あんなにゆっくり食べていたパンも全て平らげてしまっていた
遠くの方で遊んでいる子供たちをぼーっと眺めていると
「糖分を取ったせいか眠気が――」
俺の意識に、まるで乳白色の膜が覆い被さった様に、子供たちの声が遠のいていく
ああ、太陽が出ている時のうたた寝って何でこんなに気持ち良いんだろう――
俺が意識を失おうとしたその時、声が聞こえた
「これ、あなたが描いたの?」
意識を覆っていた膜が急に引き裂かれる
な、何だ? 若い女性の声?
あっそうだ、絵! お客さんだ!
俺は下ろしていた視線を上に持ち上げ、女性の方を向こうとする
この間1秒と経っていないはずなのに、時間がやけにスローモーションに感じた
「……キレイな人だ」
俺は女性を見て、心の中でつぶやく
さっき視線を上に移動する途中に見えた、喉元や唇の残像が何故か頭にこびり付いている
映像記憶のせいか?
そんな俺の前に現れた綺麗な女性
彼女が二言目に発した言葉は意外なものだった
「これは流行る……!」