4通目 「悪役令嬢の親友へ」
「そろそろ卒業式ですね…本当に宜しいのですか?」
「もちろん。俺はこのシャティヨンの王太子だが、その前に一人の人間でもある。他人の決めた結婚ではなく、愛する者と幸せになりたい。君もそうだろう?」
「嬉しい…シャルル様♡」
「…ミシュリーヌ♡」
制服姿の若い二人の唇が重なりそうになったとき、ついでに言うと桃色の唇が満足気に歪んだとき、
バアーーーーンッ
「うわっ!」
「キャッ!」
王族専用に控室とは思えないほど大きな音、重厚な扉がばあんっと開かれて、
「近衛兵、殿下をお守りしなさい。お兄様、例のものをっ!」
「「「「「はっ」」」」」
「エレーヌ・ド・ラモルリエール!?」
開け放たられた扉の中央に仁王立ちするのは、シャティヨン王国の筆頭貴族であるラモルリエール公爵家の御令嬢であり、シャルル王太子の婚約者。
決して男爵令嬢のミシュリエーヌが呼び捨てていい相手ではない。
そして彼女が『兄』と呼んだ男は小公子と呼ばれるラモルリエール公爵家の嫡男であり、シャルル王太子の親友であるローラン・ド・ラモルリエール。
「はいはい。シャルル、ちょっと我慢していてくれよ。」
「なっ!? お、おい…止めろ!」
別にローランはシャルルに刃物や毒薬といった物騒な物を向けてはない。
ただ赤い色の水晶の付いた指輪をシャルルの指にはめようとしていただけだ…しかし、まあ、指輪である。
「俺だって野郎に指輪をはめるなんてやだよ―――気持ち悪い。」
「じゃあ、止めろ。」
「その台詞、お前の脳につまったピンク色の霧をはらしてから言うんだな。」
嫌そうな顔でローランはシャルルに指輪をはめると、シャルルの持つ魔力に反応したのか赤い宝石が光り始める。
「こっからどうなるんだ?」
「さあ…お父様からは『放っておけばいずれ効く』って言われましたわ。妙に実感がこもってましたが…もしかしてお父様も何か…。」
「やめてさしあげろ。男親には娘に知られたくないことの十や百はあるんだ。…しかし、未だ効かないか。」
まだジタバタ暴れるシャルルを見たローランは呆れたように呟く。
「今回の聖女はよほど上手く【好感度】をあげたようだな。他の男たちが全員赤い石を身につけていたからか…まったく、先人の知恵を笑ってるからこういう面倒が起きるんだよ。…どうする?」
「そこの椅子にでも縛り付けておきましょう。」
手をぽんっと打って、『名案』とばかりに重厚な椅子を指さす妹にローレンは仰天する。
「お前、仮にも婚約者に…。」
「【げえむの強制力】ってやつだとしましても、婚約者がある身でほいほい聖女の恋の罠にひっかかる婚約者にかける情けはありませんわ。」
「いや!!お前、こうなるの分かってたよな!?分かってて楽しんでたじゃん!!」
「縄をとけ!!」
「お兄様はともかく、殿下が煩いですわね。そこの者、ちょっと催眠香をお貸しなさい。」
「え!?」
突然呼ばれた“そこの者”はエレーヌの言葉を理解しきれず、その間に手に持っていた凶悪犯捕縛用の睡眠香を奪われて、
「お眠りなさい、良い夢を。」
***
「…エレーヌ?」
「王太子殿下、ご気分はいかがですか?」
縄で椅子にくくりつけたままの王太子にニッコリと優雅に微笑んで聞くエレーヌの胆力に、付き合いの長い兄と王子以外は驚きつつも、『流石、未来の王妃』と崇拝の念を送った。
シャティヨン王国、王族と貴族の距離が近い良い国である。
「大丈夫だ…いろいろと迷惑をかけた。」
「お気になさらないで下さいまし。そこの者、王太子の縄を解きなさい。」
「え、あ…は、はい!」
「いいよ、俺が切っちゃうから。」
そう言ったローランが指先に風魔法を纏わせると、シュパッと縄を切る。
「まさかお前が『幻の赤水晶』を持っていなかったとはなぁ。」
「王太子だから『幻の赤水晶』持っているはず、なんてお兄様たち側近がそろって油断するからですわよ。さきほどお父様からの使いが来ましたが、陛下は殿下に『レッドストーン伝説』のことを何も教えなかったそうです。」
「酔っぱらって王家の分を城の濠りに落としちまったから言えなかったんだろ。」
「お父様に尋問されて白状したとき…涙目でしたものね、陛下。きちんとお父様が叱って下さったそうですし、明日からお濠の水を抜いて『幻の赤水晶』探すそうです。殿下もお兄様も手伝う様にと、お父様からのご命令ですわ。」
公爵家と王家の力関係のおかしさに兵士たちが首を傾げていると、王太子を誑かしはしたが、法律に定められた違反をしたわけではないため兵たちに囲まれているだけのエレーヌが口を開いた。
「赤い石…8人いる【攻略対象】のほとんどが身につけていた真っ赤な宝玉ね…そんな【アイテム】、神からの託宣にないからおかしいと思ったのよ!エレーヌ・ド・ラモルリエール、【悪役令嬢】のあんたが何かしたんでしょ!!」
「ミシュリエーヌ・ド・ボネール男爵令嬢…?」
「シャルル!」
やっと自分に気づいたことにミシュリエーヌは顔を嬉しそうに輝かせたが、
「不敬だぞ。私のことを『シャルル』と呼ぶのを赦しているのは家族と古くからの友人、そして愛する婚約者であるエレーヌだけである。」
「さっきまで別の方に愛を囁いていたとは思えないほど清々しい豹変ですわね。」
「…エレーヌ、ちょっと黙ってようか。せっかくあいつがきめたんだからさ…兄ちゃん、お前に男のロマンを踏みにじるような子になって欲しくないな。」
「お兄様。『三つ子の魂百まで』と言うのに、18までこれできた私の性格が治るわけないでしょう。お兄様、ないもの強請りも程々にですわよ。」
「ローラン、何を言っている。エレーヌのこういうところが愛いのではないか。」
「はいはい、(マゾの)殿下は(サドッ気の強い)うちの妹にぴったりです。」
やれやれと呆れた様子のローランにシャルルは満足すると、しばらく縛られていたことが原因で凝った体をグッと伸ばし、
「さて、『レッドストーン伝説』について聞こうか。」
***
『レッドストーン伝説』、聖女から身を守るための魔石『幻の赤水晶』にまつわる物語である。
シャティヨン王国やその周辺の国々では、王族や高位貴族の子どもが通う学院で【聖女】を巡る男たちの恋の争いがよく起きた。
【聖女】は諸事情で学院に通えるようになった庶民の娘だったり、或る貴族の隠し子や御落胤、男爵や子爵など下位貴族の御令嬢であることが多く、その【聖女】の素朴さに次々と王子や高位貴族の令息が骨抜きにされていくのだ。
骨抜きになった彼らはどうするのか。
まず100%の確率で長い間婚約していた令嬢に婚約破棄を言い渡す、そして70~90%の割合で「聖女を虐めていた罪」で令嬢たちを断罪する。
断罪された令嬢、彼らは一様に【悪役令嬢】と言われて異国や領地に追いやられたり、修道院に行かされたりと散々な人生を送っていたのだが…数百年前、1人の悪役令嬢が革命を起こした。
――― ノートを破かれたり、陰口をたたかれたくらい何よ!私なんて毎日のように暗殺者を撃退してここまで生きてきたんだからね!!
ヨヨヨッと王子に泣きついていた当時の聖女はギョッとして、そんな聖女に悪役令嬢は高笑いをすると開いていた扇子をパンッと閉じて聖女を指し、
――― 明日から暗殺者のターゲットはあんたよ、ご愁傷さま。
そう言うと悪役令嬢は簪を抜いてまとめていた黒髪をおろし、自分に剣を向けていた騎士から剣を奪うとその艶やかな黒髪にあてて根本からバッサリ切った。
―――あー、せいせいした。こんな下らない【乙ゲー】は今日で終わり、追放された南の辺境の地でコーヒーでも飲みながら、今もそこかしこで聖女の被害者になっている御令嬢たちを集めて幸せになってやる!あ、仕返しに刺客を送っても無駄よ?5つの頃から暗殺者たちに狙われ続けた私を舐めるんじゃないわよ!!
そうして彼女は本当に南の地に治外法権をもった自治区を作った。
国王も息子がやらかしているので彼女に強く出られず、相手の要求を呑むことで示談にしてもらった。
そして彼女は同じ頃に【悪役令嬢】とされた令嬢たち自治区に招いた。
どうせ領地で蟄居、修道院行きなど碌な選択肢がなかった中に降ってわいた話、彼女たちはパッパッと荷物をまとめて南に行った。
彼女たちはみな幼い頃から国の役に立つよう、礼儀や教養を詰め込まれまくった御令嬢たちなので即戦力である。
何人かの王子や貴族の令息が「不敬だ」とかいって南の国を襲ったが、有言実行で最初の悪役令嬢が全て魔法で完膚なきまでに返り討ちにした。
さすが、5歳から実践経験を積んできた御令嬢は並みではない。
さて令嬢たちもやや変わり者になりつつあっても、妙齢の見目麗しい女性である。
将来性ある商人や才能のある芸術家が彼女たちに求愛し、「前の婚約者がクズ野郎だったんだ。」と恋に怯える(?)彼女たちを説得して求婚を成功させていった。
彼女たちは子を産み、親となって初めて「自分の大事な息子があんな聖女にひっかかって悔しかったろうな」と思うようになった。
もともと王子妃に選ばれるなど心根の優しい人たちである、「なんとかしてあげたい」と思った彼女たちは知識と技術を終結させて『幻の赤水晶』を作った。
“幻”と付けたのは作るのがそこそこ大変だったこともあるが、せっかくなら希少性高めた方が高く売れるという商業上の理由だった。
『幻の赤水晶』の噂はシャティヨン王国やその周辺の国々の社会的地位の高い人たちに広く知れ渡ったが、それの入手方法を知る者はいまも極少数である。
***
「男の子がたくさん産まれる家もあるだろう?今でも『幻の赤水晶』は作られているのかい?」
「彼女たちの子孫がその技術を継承しているようですわ。そしてこの手紙を持つ者だけが優先的に、そこそこ良心的な価格で購入できるようになっています。」
そう言ってエレーヌは古い手紙を出した。
ポケットなどあるわけがないドレスのどこから出したのか甚だ疑問だったが、誰もそれを口にすることはなかった。
封筒のインクはかすれていたが、『悪役令嬢の親友へ』と読めた。
「南に移住した御令嬢の一人が私の、『曽』がいくつか付くお祖母様の親友だったそうです。この手紙には魔法がかけられていて、その方の血を引く女しか読めないようになってますの。」
「ここに書かれる場所がその女性以外に知られると手紙の内容は変わるらしい…全く最初の悪役令嬢、古代魔法の末裔はすごい魔法を使うもんだ。」
「この手紙を持った者が指定された場所に行くと、異空間のカフェに招かれるそうです。そこで『珈琲』と書いて注文すると『幻の赤水晶』が手に入るそうですわ。」
「珈琲…南の国の言葉で、コーヒーのことだね。」
「珈琲は『簪』とか『髪飾り』という意味がある文字だそうです。南の国でとれるコーヒー豆は紅水晶のような赤い実で、枝に連なる様子は簪のようだと言われているそうですわ。きっとその悪役令嬢は婚約者のことを少しだけ好きだったのだと思います。婚約破棄の時に抜いたという簪、多分それは婚約者から贈られたものだったのですわ。」
哀しそうな瞳で優しく手紙に手を添えたエレーヌの肩をシャルルは抱き寄せて、
「エレーヌ、新婚旅行は南の国に『幻の紅水晶』を探しに南の国に行こうか。」
「必要じゃない者が珈琲を注文すると二度とカフェには行けなくなるそうなので、私がそこに行くことができるかどうか。」
「それじゃあ、3人目の息子が産まれたら行こう。」
「殿下、明るい家族計画より先にミシュリエーヌ様のことをきちんとなさって下さいませ。『レッドストーン伝説』を知らなかったじゃすまない騒ぎになっていますのよ?」
「…はい。」
「このままでは私も【悪役令嬢】になってしまいますわ。」
「いや、お前は十分悪役令嬢の素質があると兄ちゃんは思うぞ。丁度うちの領地の北に未使用の土地があるから国でも作ってみるか?お前なら一人でも作れそうだ。」
「それも良さそうですわね。」
「待ってて!今から式典会場に行って弁解してくる、私が愛してるのはエレーヌだけだって言ってくるから!!」
慌てた危ない足取りで走り去るシャルルの後ろ姿を兄妹で見送りながら、
「そんなこと、5歳のときから知っておりますわ。」
「だな。」
次代の王族もこの公爵家に遊ばれる未来が容易に予測でき、近衛兵たちは苦笑するしかなかった。