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時をこえる恋文 ―オムニバス形式  作者: 酔夫人(旧:綴)


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3通目 「僕と恋をしませんか?」

かつて一騎当千どころか一人で小国一つを滅ぼせる力を持った残虐な王がいたアウレンティ王国。彼の血を引く唯一の娘である王女と結婚したのは、アウレンティ王に滅ぼされた小国の第三王子。その第三王子はアウレンティの王となり力をつけた…後に『アウレンティ王家の歴史』という展示が行われるほどに。


 時が流れた今でも国力豊かで、魔道具の生産量が世界一の大国がどんなものを展示をするのか。煌びやかな宝飾品か、それとも巨匠の芸術品か。


 衆人環視の元、メインの展示物として飾られたのは一行しかない短いラブレターだった。

「ねえ、この展示会を見にいかない?」

「【アウレンティ王家の秘宝】ってやつ? うーん、俺は宝石とかドレスとか興味ねえから……友だちと見にいってくれば?」


「私は毎日でも君に会いたいのに?」

「……狡いぞ」

「ありがとう」


ジトッと自分を恨めし気に見る少年に少女はニコッと笑う。まるで少年の答えが分かっているようだ。


「はいはい」


少年の承諾は予定通り、でもとても嬉しかったのだろう。少女はテーブルの上に置いてあった展示会のパンフレットを手に取り、少年に勢いよく突きつける。


「とっておきの情報! 魔道具の展示エリアもあるの」

「え? 何で?」


少年の被さるような問いに、“してやったり”と言いたげに少女は胸を張る。


「【アウレンティ王家の秘宝】って、五十年くらい前に亡くなったエドアルド王の遺品なの」

「エドアルド王って、先代? あれ先々代? まあいいや、あの『残虐王』クラウディオの娘婿だった王様だよな」


「くっわしー」

「当たり前だろう。そんな昔の話じゃねえし、あのディア工房の創始者はエドアルド王の次男だぞ」


「他にエドアルド王の情報は?」

「まだ若くて元気だったのに王位を退いて隠居生活していたってことくらいしか分からねえよ。歴史の教科書にだってあまり出てこないし。ディア工房のことだって別に大々的にアピールしたわけじゃなくて、知る人ぞ知るって感じだしさ」


「ああ、小さい頃からディア工房に就職したいって言っていたもんね」

「エドアルド王の遺品の中に魔導具はあるのかな。え、すごいものがあるんじゃないか?」


「いい情報を持ってきた私に感謝してよね」

「ありがとう!」


「やだ、ちょっとこんなところでっ」



恥ずかしそうに慌てる少女の声に、植木を挟んで隣のテーブルにいた老婦人が楽しそうに口を緩める。その所作や服装からは気品が感じられる老婦人だった。



「はしたないですよ」


嗜めるような声と同時に手元が翳る。老婦人は肩を竦めて、テーブルの脇に立った人物を見上げる。背が高くて、体格のよく、白が混じる茶色の髪を角刈りにしている男性。騎士を思わせる風情だが年齢から判断するに引退した騎士のようだ。


「若いっていいわね」

「マリサ様も十分お若いですよ」

「五十点」


マリサ様と呼ばれた老婦人に指を立てて言われた点数に、「え?」と男性は首を傾げる。


「その台詞、使い古されていて独創性がないから百点満点中五十点。テオ卿、女心を学び直しなさい」


憮然とした男性、テオの表情にマリサは楽し気にコロコロと鈴を転がしたような声で笑う。しばらくすると笑い終え、満足したのかマリサは立ち上がる。


「マリサ様、私が」

「いいのよ、ここはセリフサービスなのでしょう?」


テオが止めるのも聞かずに、マリサは自分でトレーを持って返却口に向かった。そして「ごちそう様」と気さくに店員に声をかける。カウンターにいた店員がにっこり笑いながら「ありがとうございましたー」と元気な声で応えた。



「若いってだけで素敵だわ。パワフルで、生気に満ちていて、こっちも元気をもらえちゃう」

「……王妹殿下であったマリサ様が平民に気安く声をかけるなど」


不満そうなテオを笑うようにマリサは手を振る。


「そういう時代は終わったの。相手が誰であろうと、自分が何であろうと、感謝の気持ちはきちんと伝えなければいけないわ」

「はい」


規律に五月蠅いところはあるが、素直なテオにマリサは満足して悪戯っぽく笑いかける。


「あなたは自分でお茶を入れたことがある?」

「いいえ、ありません」

「でしょうね」


兄である国王が自分につけた護衛騎士である。近衛なのだからテオは伯爵家以上の出身。伯爵令息が自分で茶を入れるなんて常識的には滅多にないのだから、マリサは予想通りの答えに笑う。


「やってみるといいわ、難しいから。侍女を見る目が変わるわよ。ちなみに格好悪いとかはなしね。国王やっているお兄様だってやったことがあるのよ。むしろ一時ははまっていたんだから」

「お茶汲みにはまる要素が?」


分かっていないな、とマリサは笑う。


「同じ茶葉でもお湯の温度や蒸らす時間で味が全然変わるのよ」

「……ご主人にも淹れてさしあげたのですか?」


「もちろん。旦那様と一緒に飲むお茶はいつも私が淹れていたの。私が作った苺のタルトも旦那様はお好きだったわ」


マリサの言葉にテオは首を傾げる。


「お茶はともかく、なぜ王家の姫君がお菓子作りなど?」

「自分たちの手で作ったものでなければ安心して食べられない時代だったからよ」


屈託なく笑う姿とは対照的に殺伐とした内容にテオは息を呑む。



「七十年前の城はかなり荒れていたのよ。私の父、エドアルド王には正妃の他に何人も側妃がいたでしょう?」

「……そうですね」


マリサの母親もその側妃の一人なので、返事を困らせたことを詫びる笑みをマリサはテオに向ける。


「私の母もそうだったけれど、側妃全員それはもう気が強くてね。国王陛下(お兄様)が即位して側妃制度を即時廃止したのはあれを見てきたからね。母たちの血の血で洗う凄惨な諍いを見ていれば、件名どころか当然の判断だわ。それに王妃陛下(義姉上様)は優秀で素晴らしい方だし」


マリサの言葉にテオは溜め息を吐く。


「いまの穏やかな王宮からは想像もつきませんね」

「お兄様の初恋の君のおかげね」

「初恋の君、ですか?」



マリサの記憶の中で、国王に即位したばかりの長兄はいつも見合い写真を見ていた。予定よりかなり早く即位したこともあるけれど、婚約者すらいない国王は国内外の女性たちにとって骨付き肉も同然だったのだ。骨までしゃぶらん勢いで送られてくる絵姿や釣り書きを、「我が兄ながらマメだな」とマリサが感心してしまうくらい長兄は律儀に確認していた。


―― この女性を王妃にします。


そして長兄はいまの王妃、マリサの義姉を選んだわけだが、『この女性』といって見せられた絵姿にマリサたち彼の弟妹は「ああ」と納得した。父であるエドアルドはそれに苦笑していて、あれから五十年以上たっているのに以外と覚えているものだとマリサは笑う。



「そういえば、エドアルド陛下の遺品の展示会のテーマは『初恋』でしたね」


テオの言葉に、マリサの頭に黄ばんだ便箋が浮かぶ。そこに書かれていたのは短い言葉。


―― 僕と恋をしませんか?



 ◇


「エドアルド陛下、王妃殿下がご崩御なされました」

「分かった」


国の最高位である王妃の死の報せだが、それを口にした侍従長の声は落ち着いていた。国王、つまり王妃の夫であるエドアルドの声も落ち着いている。


「国の慣習に従い、白い花の花かごの準備をしてくれ。政務が終わり次第持っていくから」


他の仕事と同じように淡々と処理するエドアルド。その場に同席していた者たちは全員その姿を意外に思わなかったが、侍従長マッテオはそんなエドアルドを諫めた。


「今すぐにお向かいください」


まさかマッテオがそう諫めるとは思わず、何人もの目がマッテオに向く。


「花かごの準備はすんでおりますので」


数人が眉間に皴を寄せる。弔花を事前に準備しておくなど非常識であるし、国王であるエドアルドの花の指定を聞かず勝手に王妃への弔花を用意するなど越権行為も甚だしい。


この国で弔花は配偶者や子どもなど故人に近しい者が最後に贈る物、手向けの花と言われている。国王であるエドアルドが手ずから作るまではしなくてもいいが、彼に準備すらさせず侍従長は庭師に作れと命じたのだ。



「マッテオ殿。貴殿が陛下の腹心というのは理解しているが、花かごを貴殿が手配するのは王妃殿下を軽んじた無礼な行為ですぞ」


その言葉をかけた者をマッテオは一瞥しただけでエドアルドに向かって拝礼する。


「このように王妃殿下を擁護する声はまだ多くございます。いますぐに王妃陛下に元に行かれたほうが、余計な声を聞かずにすむかと」

「陛下、王妃陛下の最期に手向ける花かごを臣下が勝手に手配するなど前例がない、そう申しております」


いつものように国王エドアルド派と王妃クラウディア派の諍いが始まり、エドアルドは痛む頭を押さえた。


 ◇


第三十八代国王・エドアルド=デ=アウレンティ。


エドアルドはアウレンティ王国の北にあった小国フォンターナの王太子だったが、先代で『残虐王』と畏怖されたクラウディオ王の侵攻によって国を滅ぼされ、それからアウレンティ城で生きてきた。


亡国の王族を城に住まわせるなど待遇としては異例、普通ならのちの禍根をなくすために王族は根絶やしにする。実際にエドアルドの両親、弟妹、叔父や叔母、イトコたち。王族やそれに準ずる者は年齢も性別も問わずに処刑されている。エドアルドが例外だった。


エドアルドが処刑されなかったのはクラウディオ王の気紛れとも言えるが、彼は城を守ろうとして暴走させたエドアルドの膨大な魔力に興味をもった。



クラウディオ王はエドアルドを連れてアウレンティに凱旋すると、出迎えた家臣たちの前でエドアルドを王女クラウディアの夫にすると宣言した。


クラウディアはクラウディオ王の唯一の子で、父王の血を濃く受け継いで膨大な魔力を持つ王女だった。


膨大な魔力は『兵器』としてなら優秀だが『王族』としては欠陥品。


子どもを成すには男と女の魔力量が同程度でなければならないのだが、クラウディアと同程度の魔力を持つ者が今までいなかったからだ。アウレンティ国内はもちろん、アウレンティが手中におさめた国にもおらず、そうして見つけたのがエドアルドだった。


クラウディアが女児なのも問題だった。


膨大な魔力を持つ女性の場合、体内に入った男の魔力は直ぐに無力化されて子を成すことは絶対にない。しかし膨大な魔力を持つのが男性だった場合、母親の魔力がそれなりならば母体を犠牲に子が産まれることはできる。だから膨大な魔力のクラウディオ王からクラウディアが生まれたのだ。



クラウディアの母親はある亡国の皇女だったが、彼女の最期は悲惨なものだった。


それなりに魔力があったせいでクラウディオ王に国に攻め入られて皇女は捕虜同然にこの国に連れてこられ、妊娠するまで国を滅ぼしたクラウディオ王に犯され続けた。常に胎内に残されたクラウディオの強い魔力への拒絶反応に苦しみ続け、懐妊すると次は胎児の魔力への拒絶反応に苦しみ続け、出産すると同時にまるで用は果たしたとばかりに亡くなった。

 

―― 俺は息子が欲しい。


いつだったか酒の席でクラウディオ王はエドアルドにそう言った。


―― クラウディアに子ができないならクラウディアで妥協しようと思ったが、お前を見つけたのは天啓だった。息子を作れ、俺となる男児をクラウディアに産ませるんだ。



クラウディオ王(あの男)は自分の再来とでも言われる王子が欲しかったのか?)


クラウディオ王はとうに死んでいない。

その答えを知ることはもうない。


答えが分からないのが原因か、それとも国を滅ぼされたときに見たクラウディオ王の圧倒的な強さがトラウマとなって沁みついているのか。


息子を作れ。


クラウディオ王の声はいまもエドアルドの中で響き、エドアルドの枷となっていた。クラウディオ王の血を持つ、彼の望んだ息子を産む器といえるクラウディアが生きていたからだ。


クラウディアは死んだ。


「俺は自由だ」


エドアルドを縛っていた枷が外れ、エドアルドは何十年ぶりかに空気を思いきり吸えた気がした。



 ◇



エドアルドはマッテオが用意した花かごを持って内宮に向かった。



アウレンティの王宮は、先ほどまでエドアルドが政務をおこなっていた官吏たちのいる外宮と、王族とプライベートエリアといえる国王と妃たちそして王の子どもたちが生活する内宮に分かれている。


エドアルドがクラウディアと結婚してすぐクラウディオ王が死んだ。体調が悪いそぶりも見せず、予兆など何もなく突然死んだ。エドアルドとクラウディオは、二十四歳と二十歳で王と王妃になった。


王になったエドアルドは外宮を管理し、王妃のクラウディアには内宮を管理させると宣言した。この宣言は王妃クラウディアには政治に関与させないという意味だった。


確かに王はエドアルドだが、アウレンティの血筋はクラウディア。


アウレンティの一地域となり果てた小国の血筋の者がアウレンティのトップに君臨するという意味だが、女性の進出が遅れていたアウレンティには「女は家を守るべき」という考えが根付いていたことと、なによりもクラウディア本人が反対しなかったため、エドアルドが驚くほどすんなりとこの方針は決まった。



「内宮がこんなに静かなのは珍しいな」


内宮に入って直ぐにあるのは、国王であるエドアルドの区画。そこを過ぎて廊下を進み突き当りの扉を開けると内宮の中でも妃たちと子どもたちが暮らす後宮になる。


妃ごとに区画が分かれているのだが、あちこちに弔意を示す黒い布がはためいているのが見える。


(形だけでも弔意を示しているのか)


エドワルドは意地の悪い笑みを浮かべた。


エドアルドが王妃であるクラウディアを疎んじていたことは有名な話で、側妃として召し上げられ一時でも寵妃として栄華を極めた者たちからクラウディアは軽んじられていた。彼女たちが勝ち誇った顔でクラウディアに接する場面にもエドアルドは何度も遭遇している。


エドアルドは自分が持っている花かごに視線を落とす。


「どいつもこいつも、形だけだな」



 ◇



後宮の廊下を進み、一番奥の部屋を目指す。


「相変わらず薄暗いな」


後宮の一番奥の部屋はずっとクラウディアの部屋で、彼女はここが父王の後宮だったころからこの部屋に住んでいた。王女時代は継母の間柄となる父親の愛人たちを管理し、王妃時代は夫の愛人たちを管理してきた。


クラウディオ王に比べたらエドアルドの妃の数は少なく、クラウディアの部屋までは空き部屋が続いていたため廊下は生気がなく冷たく陰気に感じた。



(あれは……)


「王国の輝く太陽、国王陛下。謹んでご挨拶申しあげます」


クラウディアの部屋の前に立っていた侍女が拝礼し、その口上にエドアルドは驚いた。彼女はクラウディアの唯一の侍女。アウレンティでは珍しい褐色の肌色をしているが、エドアルドが驚いたのはそこではない。


「驚きましたか?」

「お前は……口が利けないのではなかったか?」


エドアルドの問いに彼女は肩を竦めてみせた。王であるエドアルドに対して一侍女がする態度としては無礼だが、エドアルドはどこか投げやりな表情のほうが気になった。


「口が利けませんでした(・・・)……私も久しぶり過ぎて、自分が話せることに慣れておりません」


侍女は自分の喉に手を当てた。


「先代国王、クラウディオ陛下が呪術に傾倒していたことはご存知ですよね?」

「もちろん。永遠の命を得るため。俺の祖国に攻め入ったのも『多くの命を奪えば長生きする』などという呪術師のたわ言を信じたからだからな」


時間がたっても恨みは消えておらず、国を滅ぼされたときと同じ恨みを込めてエドアルドは吐き捨てた。


「私もいまは亡い国の王族の娘でした。あの男は当時喉の病気を患っており『誰かの声を奪えばいい』という呪術師の言葉を真に受けて私の国に攻め入りました。歌が得意な王女だと評判だった私に白羽の矢が立ったのです。あの男は呪術で私の声を封じました。風邪かなにかだったのでしょうね。あの男の喉の病気は治りました。でも私にかかった呪術は続きました、この呪いはあの男の血がこの世界から消えるまで続く呪いでしたから」


初めて聞く彼女の生い立ちは自分とどこか似ており、エドアルドは花かごを持つ手に力を込めた。


「残虐な奴らだ」

「……『奴ら』、ですか」


侍女の声に混じる嘲笑にエドアルドは気づかなかった。

 


「この先はそなたの好きなように、自由にするといい。このまま城に勤め続けてもよいし、城を出たいと言うならこれから先の生活に困らないように手配しよう」


どんな形であれ妻である王妃に最後まで付き添い、死に水をとった侍女への礼のつもりだったが、エドアルドのその言葉に侍女は壮絶なほどの美しい微笑みを向けた。ピリッと肌を刺激する殺意混じりの怒気と敵意。エドアルドの眉間にしわが寄る。


「クラウディア様が全て生前に手配してくださっております。いまさらのお気遣いは結構ですわ」


丁寧に『放っておけ』と言われた明確な拒絶にエドアルドは言葉に迷う。黙り込んだエドアルドを侍女は鼻で笑うと、横に退いてエドアルドのために背後の扉を開けてみせた。



(……こんな部屋だったか?)


ここまでの廊下の冷たさと対照的に、とても温かい空間。壁紙は真っ白で、カーテンは淡い桃色。そこかしこに鉢植えが並び、どの鉢植えでも植物はイキイキとしている。


最後にこの部屋に来たのはいつだったかと考え、それは数年前のクラウディアの四十歳の誕生日だったとエドアルドは思い出す。それまでは月に三日この部屋に来ていたが、この日クラウディアから「もう自分に子ができる可能性はない」「義務を果たす必要はない」のようなことを言われた。



(それから一度もこなかった部屋……)


最後に見たのが夜の薄暗い照明の中だったからかもしれないが、部屋の雰囲気は随分と変わったようにエドアルドには感じた。鼻を擽るのは花のかぐわしい香り、そして消毒薬のツンッとした臭い。消毒薬の臭いは長い闘病生活の証。クラウディアはあの誕生日のあと直ぐに病を患い、長い闘病生活ではあったがエドアルドは花かごを贈るだけでこの部屋に足を運んだことはなかった。


(その花かごだって……家臣の反感を買わぬためのもので、マッテオに用意するように言うだけだった)


それがあったから、弔花を勝手に選ぶというマッテオの越権行為をエドアルドは責めることはできなかった。手に持つ花かごに目を落とす。ふと自分ならクラウディアにどんな花を選んだのかとエドアルドが考えたとき……。


「花かごを飾らせていただきます」


花かごを渡そうとエドアルドが視線を落としたのと誤解したのか、侍女はエドアルドの手から花かごを取りベッドの一番近くに置いた。そこに置かれた花かごが他人の作ったものだと言うことに不快感を感じると同時に、所狭しと置かれた花かごたちに気づく。



「ハハハ……」

「……何かおかしいですか?」


首を傾げた侍女に、エドアルドは彩り豊かな花かごのひとつを指さす。


「弔花には相応しくない色合いの花かごだな」

「……え?」

「この女が死ぬのを喜ぶ奴が俺たち(・・)以外にもこんなにもいるとは……」


エドアルドの言葉に侍女は目を瞠り……嗤った。


「お言葉ですが、この花かごたちは全て殿下たちからクラウディア様への『お見舞い』の花かごです」

「……は?」


侍女はエドアルドが指さした花かごで揺れるピンク色の花に触れる。


「月に一回、杓子定規に花を贈ってきた誰かさんとは違い殿下たちは毎週クラウディア様がお好きなピンク色の花を多めにした花かごを贈ってくださいました。亡くなる前、クラウディア様はこの花を枯れるまでこのままにしておいてほしいと仰りました。自分が死んだからといってまだ生きている花を捨てるのは忍びないから、と」

「ちょっと待て。なぜ王子たちがこの女に花を?」



王子たちはエドアルドと側妃たちの間にできた子どもたち。エドアルドとクラウディアの間に子はいない。エドアルドは夫婦の義務は定期的に果たしていたがクラウディアが懐妊することはなかった。


「クラウディア様は殿下たちの教育係でしたから」


侍女の『そのくらいご存知ですよね?』と言外に問う目線にエドアルドは苛立った。


「当然だ、自分の子どもたちだぞ」

「では、クラウディア様が殿下たちの教育係になると申し出た経緯はご存知ですか?」


侍女の問いにエドアルドは頷く。


「アウレンティに相応しい後継にするために無理矢理強行したと、側妃たちの反対を権力でねじ伏せたと聞いている」

「その報告はマッテオ侍従長からですね」


そうだっただろうか、とエドアルドは考えた。


「それについて殿下たちと話したことは?」

「……話していない」


(それは……マッテオから聞けば十分だと思ったから)



マッテオはエドアルドの乳兄弟。


あの日、フォンターナ王国が攻め込まれたときは隣国に留学していたためマッテオは難を逃れていた。そしてエドアルドがアウレンティに連行されたと聞き、アウレンティまで追ってきてくれたエドアルドが信頼する忠義者だった。


「侍従長は悪い方ではないのでしょうが……まあ、これも今さらですね」

「どういうことだ?」


侍女が黙り込み、その表情からその言葉の意味を言わないだろうとエドアルドは察した。


「それで、あの花かごは教育係をやった縁だとでもいうのか?」

「殿下たち全員が学院に入学するまでですよ? 短い縁ではないと思いますけれど?」


『学院』と聞いてエドアルドはあることを思い出した。エドアルドは全寮制の学校に行かせることを反対したのに、クラウディアは内宮の管理は自分に任せたのだからと言って子どもたち全員の進学を強行したことを思い出した。


「学院への入学だってそうだ。幼いうちから管理の厳しい寮で生活させるなど、俺がどんなに反対したか」

「陛下、クラウディア様は殿下たちをそうやって守ったのですよ?」

「……なんだと?」


侍女は大きく息を吐いた。


「クラウディア様がそうしなければ、殿下たちは今頃全員死んでいたかもしれませんよ」



 ◇



「二人の殿下、第一王子のマルコ殿下と第二王子ファビオ殿下の御母君たちの争いはご存知ですよね?」

「それについては……私もことあるごとに諫めている」


諫めてはいるが効果はない、とエドアルドは思う。


エドアルドの子ども五人の母親は全員違う。側妃として推薦されて召し上げて子ができた頃に、また別の女性が側妃として推薦されて召し上げて子ができて、そんな感じでエドアルドの側妃五人はそれぞれ子を産ませた。自分の行いを振り返るとエドアルド自身も流されるままに妃を娶ってきたと思わないでもないが、エドアルドは後悔はしていない。アウレンティ国内での基盤がないエドアルドにとって必要な政略だった。ただそれだけのこと。


エドアルドは側妃五人のうち誰かを特に気に留めたことはないが、子を産むまでは定期的に通って懐妊したら足が遠のいていた形だったせいか『元寵妃』と『現寵妃』という認識が側妃たちの間で生まれてマウント合戦がはじまった。よい傾向ではないが表立って問題は起きていなかったのでエドアルドは気づかない振りをしていた。


(いや、素直に認めれば……あの女は見事に抑えていた)


後宮内がどれだけ荒れても、クラウディアはその諍いを後宮の扉の向こうには決して漏らさなかった。あくまでも女たちの矜持の問題で片づけ、その対立を政治にまで影響させなかった。後宮の問題が政治に介入するようになったのはクラウディアが床に臥せることが増えてから。特に第一王子の母・マリエッタと第二王子の母・ソフィアの戦いは家門を巻き込んで激化している。誰もが次の王妃になるのはこの二人のどちらかだと思っているからだ。



「陛下は、殿下たちが母君たちに『食事』を禁じられていることをご存知でしたか?」

「……何だと?」


信じられないことを聞いた。そう書いたエドアルドの顔に侍女は呆れたような目を向ける。


「毒殺を恐れたためです。幼い頃からずっと、殿下たちは毒を盛れない乳母たちの乳以外は回復魔法で生きてきたのですよ」

「そんな馬鹿な……いや、確かに回復魔法があれば死にはしないが、食事をせねば健やかな成長などできんだろう」


回復はあくまでも回復。骨や筋肉の成長には物理的な栄養が必要であるし、『食事をする』ということは社会活動の一環であり、食事をしたことがないなど――。


(俺には想像ができない……)



「マルコ殿下があまりに小柄で痩せ細っていたのを不思議に思ったクラウディア様は、殿下の乳母を締め上げてそれを知りました。そしてお妃様たちに週に一回必ず殿下を自分のもとに連れてくるようにと命じました。陛下の寵愛がなかろうと王妃ですからね、命令にはお妃様たちも逆らうことはできませんでした」


侍女は眠るクラウディアの側にいき、花かごの向こうから腕輪を持ってきた。


「使われたことのない消化器官は機能が不十分なこともありますが、それ以前に殿下たちは食事をしない。怖かったからです。だからクラウディア様はこの魔導具を使って、ご自身が摂取した栄養を殿下たちに与えておりました。この腕輪、クラウディア様が改造なさりましたが元は虐待を受けてエサを食べられなくなった動物のために開発されたものだそうです。殿下たちが受けていた虐待はそれだけ非人道的なことだったのです」


唖然とするエドアルドに侍女はため息を吐いた。


「殿下たちのため、クラウディア様はいつも苦しそうに食事をなさっていました。でも仕方がないのだとクラウディア様はいつも……子が増えればもっと、子が成長すればもっと、必要となる栄養の種類も量も増えていく……毎日大量に牛乳を飲むことに耐えられますか? 体調が悪く気分が優れない日だってクラウディア様は殿下たちのために無理矢理食べては吐いて……流石に限界を感じておられたのでしょう。だからクラウディア様はこれを作ったのです」


侍女はエドアルドを放って廊下に出ると、隣の部屋に入る。何も言われなかったけれど『ついてこい』だと思ったエドアルドはそれを追い、また驚くことになる。



「図書室に……厨房、だと?」

「ご安心くださいませ。クラウディア様は送風機をお作りになり、厨房の空気は図書室側には来ないようになっておりますから」


純粋な驚きは高価な書物の傷みを気にして発した言葉のように誤解されたが、そう受け取られても仕方がない言動を繰り返した自分を思い出してエドアルドは否定を口にはしなかった。



「この厨房でクラウディア様と殿下たちは、みんなでご飯を作っていらっしゃいました」

「作る? 王子たちが料理だと?」

「鳥の雛と同じです。母親が与えてくれるエサを待っている時期が過ぎれば自分でエサを取りにいかなければならない。尊い血であろうと、生きるためには食べなければいけないことに変わりはありません」


必要だといっても生まれたときから王女だったクラウディアと料理の心得などない。


「最初の頃はいつも包丁で手を切って、目的が野菜を切ることであることなど忘れてしまいそうなくらい手を切り傷だらけにしておりました。辛うじてレベルですが私は治癒魔法が使えたので……今度こそと意気込むクラウディア様の手を何度治したか」


侍女の表情が柔らかいものになる。


(この侍女は“そのとき”もこんな顔をしてあの女を見ていたのだろうな……今度こそと意気込む、か)


エドアルドが初めて会ったときのクラウディアは幼く、エドアルドは彼女の静かな表情しかみたことがないがあの頃のクラウディアが頑張ろうとしている表情を思い浮かべて僅かに口元を緩めた。エドアルドは自然と足を厨房に向けて、立ち止まる。


「中に、入っても?」

「……どうぞ」


ここはエドアルドの知らない場所。知ろうともしなかった場所。山奥に隠されていたわけではない。あの日クラウディアに「もう来なくていい」と言われるまで月に三回訪れていたクラウディアの寝室の隣の部屋。すぐ傍にあったもの。



「鍋がたくさんあるな」

「ここで作られたのはスープが多かったからですわ。クラウディア様たちの技量の問題もありますが、一つの鍋で作られたものならば『安全』と分かりやすいですからね」


エドアルドの中にあったほのぼのとした気分が霧散する。なぜここにこんな部屋があるのか忘れるな、と侍女に釘を刺された気がした。


目を逸らしたエドアルドは、水切り籠に小さな鍋が入ったままになっていることに気づく。


「この鍋は、あの女が?」

「いいえ。ファビオ殿下がクラウディア様のためにリゾットをお作りになったときに使った鍋です」

「ファビオが……あの女のために……」


意外な答えにエドアルドは驚き、そのまま言葉が口に出た。


「陛下、一言だけよろしいでしょうか」


初めて聞いた、呆れではなく不快感が籠った侍女の声。叱責される予感がして、思わずエドアルドは姿勢を正す。自分の母親とは似ても似つかない容貌だが、侍女の姿に亡き母の怒る姿が重なった。


「『この女』『あの女』と……普段の陛下がクラウディア様をどう呼ぼうと勝手ですが、クラウディア様が眠る傍で、仮にも夫であった方が蔑むようにそう呼ぶのはいかがなものでしょう。私は不快極まりありません」


エドアルドは反射的に口を自分の手で覆う。



「陛下、クラウディア様が陛下に何かをしましたか?」



 ◇



(……彼女が俺に何をした、か……そう言えば、考えたことがなかったな)


三十年ほど『夫婦』であったが、エドアルドの中に『連れ添った』という記憶はない。それはクラウディアも同じだろうという思いが浮かぶ。


「陛下、殿下たちがもうすぐ着くと連絡がありました」

「……分かった」


王子質を出迎えるため、エドアルドは立ち上がる。


「クラウディア派を抑えるいいアピールになりますね」


マッテオは満足気だったが、エドアルドはその言葉に頷けなかった。



王城の正面につけられた大きな馬車が開くと、学院の制服に身を包んだ五人の少年と少女が出てきた。最後にマリサがファビオの手を借りて降りると、それを確認したマルコが出迎えた侍従や侍女たちに向き直る。


「戻った。急なことで皆さぞ忙しいだろう。仕事に戻ってくれ」


マルコの声は侍従や侍女を労わるもののように聞こえたが、その表情はそんなことを言っていなかった。マルコと他の子どもたち全員の顔は『この国の王妃が亡くなったのに随分と暇そうだな』と嘲るようだった。


「お帰りなさいませ」


一人の女性の声が重い空気を切り裂く。


「サラ」


五人は他の使用人は一切無視して『サラ』と呼んだ侍女に向かう。褐色の肌をしたその侍女が誰か直ぐに分かったが、声で分からなかったのは誰もがその声を聞くのが初めてだったから。


どうして王妃の専属侍女がここに?

なぜ殿下たちはこの侍女にそんな表情を向ける?


そんな疑問が渦巻くなか三人の王女は侍女に駆け寄り、末っ子のマリサ王女は侍女に抱きつき、他の二人は侍女の肩にそれぞれの顔を押しつけた。


「お帰りなさいませ、お待ちしておりました」


三人を受け止めたサラは穏やかに微笑む。


「フィオレラ殿下、またお美しくなられましたね」

「サラは、こんな声をしていたのね」


「イゾルデ殿下、本日の髪型もとても素敵ですわ」

「ふふふ、ありがとう」


「マリサ殿下、大きくなられましたね」

「私もお姉さまたちみたいに褒めてもらいたいのに」


むくれるマリサにサラは目を合わせて、諭すように優しく語り掛ける。


「大きくなることは大切なことです。きちんと栄養バランスのよい食事を心がけていらっしゃいますか? クラウディア様がいつも仰っておられたでしょう? 美しさは……「内面から表れる、でしょう?」……その通りでございます」


胸を張るマリサの頭にマルコの手が乗る。


「心配無用だよ、サラ。マリサときたら学院の食堂に入り浸ってはランチメニューにあれこれ注文をつけているんだから」


肩を竦めるマルコにファビオが笑いかける。


「まあまあ、兄上。マリサのおかげであの味気ないメニューが改善されたのですよ。私はマリサの食堂改革に深く感謝しています」

「私だって感謝しているさ。ただサラにマリサが相変わらず食いしん坊だと報告しただけだ」

「マルコお兄様!」



じゃれ合う五人に使用人たちは目を丸くして驚く。彼らの母親たちは仲が悪い、いや、互いに命を奪い合おうと昼も夜も暗殺することを考えているほどの関係。それなのに五人はとても仲が良いように見える。


驚く者たちの中には、子どもたちの父親であるエドアルドもいた。


(ああ、俺は本当に何も知らないのだな)



「サラ、お母様にお逢いしたいわ」


エドアルドの子どもたちはクラウディアを『母』と呼んでいた。



 ◇



「騒がしいな。王子たちの誰か来たのか?」



廊下で上がっている声と、声に混じる『殿下』という言葉。エドアルドは侍従たちに尋ねたが、侍従たちも先触れを受け取っておらず一様に戸惑った表情を浮かべた。騒ぎは一向に収まらず加熱していく様子に、侍従の一人が制して状況確認に向かった。



「何ごとだった」

「マッテオ様と王妃様専属侍女が埋葬品の件でもめておりまして……」

「埋葬品?」


クラウディアの体はまだ彼女の部屋に安置されているが、今夜神殿に納めることが決まっている。エドアルドは埋葬品の準備をし、神殿にもっていくようにサラに指示した。若くして事故死したわけではないクラウディアは何を持っていきたいかを言葉か形に残したはずで、それはサラしか知らないだろうと思っての判断だった。


「あの侍女がどうしても引かず……」


正しいこと、分かっている報告が欲しいのに、侍従の報告は『サラが悪い』というバイアスがかかるもの。『なぜ』がなく王の判断を偏らせる報告を不快に感じて、エドアルドははたと気づく。自分もそっち側の人間、何も知らないくせに『王妃が悪い』で片づける人間だったではないか、と。


「分かった」

「え? 陛下?」


立ち上がったエドアルドに驚く侍従の声を無視して扉に向かう。本来なら臣下の諍いに王であるエドアルドが出ていくことはないが、今回は自分が出なければいけないと感じた。


(……マッテオが悪いわけではない)


でもいままでを振り返れば、マッテオの報告が事実を捻じ曲げていたことをエドアルドは否めない。先代国王に踏み躙られたフォンターナ王国の生き残りの一人として、マッテオがアウレンティの王族に平伏したくない気持ちはエドアルドにも理解できる。


しかし、マッテオはその気持ちのままクラウディアを貶めた。それは誰の為だったのか。主君であるエドアルドのためという大義名分を掲げながら復讐という私欲を満たしたことはなかったのか。



「この包みを棺に入れたいだけです」

「だから、その包みの中身を改めると言っている。その中に陛下を傷つける呪符などが入っていてはならんからな」


亡き主を嘲笑するマッテオの言葉にサラの顔が怒りでカッと赤くなる。


「これにはクラウディア様が遺した言葉がある。クラウディア様の遺言を一臣下が無碍にするのか!」


サラの言葉をマッテオは鼻で笑ったが、エドアルドは近くにいてこの事態を傍観していた侍従が一枚の紙を持っていることに気づいた。あれかと思ったエドアルドは侍従からそれを奪う。突然横から紙を奪われた侍従は小さく声をあげたが、紙を奪ったのがエドアルドだと気づいて口を閉じた。


【この包みを誰も暴くことなく、棺に入れて埋葬して欲しい】


簡素な一言。でも、誰にでも命じられる立場であったクラウディアが“欲しい”といって願ったこと。


「これはクラウディア様唯一の願いでございます」

「口を開くようになったかと思えばキャンキャンと騒がしい。王妃であろうが関係ない。陛下を守るために包みの中を改めさせてもらう」


「触るな!!」

「待て!」


ざわつきに混じってエドアルドの声はマッテオに届かず、マッテオの手がサラの手から包みを奪う。


「その侍女を拘束しろ、陛下をお守りするためだ」


マッテオの指示に衛兵たちは速やかに従い、マッテオから包みを取り返そうと掴みかかろうとしたサラを拘束した。王妃の遺志を無視した行動。この状況のどこが『エドアルドのため』なのか。


あまりの事態にエドアルドが唖然としている間に、マッテオは包みの紐を解いていた。その勝ち誇った表情は王妃を貶められることに満足しているようだった。


「……絵?」


包みの中は紙の束。意外な中身にちゃんと持っていなかったのか、包みの中からバラバラと紙が落ちて床に散らばる。


「何を大事にしていたかと思えば、こんなもの……うわっ!」


鼻で笑ったマッテオが足元の紙に触れようとした瞬間、マッテオの手が何かに弾かて瞬く間に炎に包まれた。国王の執務室の前で攻撃魔法が使用された。その事態にエドアルドを含めた全員の目が攻撃魔法が飛んできたほうに向かう。


「マルコ殿下、とフィオレラ王女?」


意外な襲撃犯に全員が驚いたが、マルコは冷たい目でサラを拘束している二人の近衛兵に向けた。


「サラを離せ」

「し、しかし……」


抗議した近衛兵の近くに雷が落ちる。落としたのはフィオレラの後ろにいたファビオだった。


「いくら陛下の近衛と言えどサラは王妃陛下直属で後宮の侍女長。襲われたのが陛下ではなく、陛下の指示でもないのにその力をサラに向けることが許されるとでも思っているのか」


「陛下の盾はいつから侍従長の盾になったのかしら?」


イゾルデの冷たい指摘に近衛兵は慌ててサラから手を離し、自由になったサラにマリサが駆け寄る。


「全員下がれ。誰も王妃陛下の遺品に触れるな」


王子二人は周囲を威圧するように魔力を放出する。父親のエドアルドほどではないが、その力をある程度は継いだ彼らの魔力は強く、その場の者は息を飲み不動になる。エドアルドは窒息しそうな魔力の波の中で数枚の紙を拾った。


(絵……)


そこの描かれていたのはマッテオの言う通り絵だった。でもその絵に描かれていたは――。


(あの厨房……これは彼女が描いた絵か)



エドアルドはクラウディアに絵心があるなど知らなかったし、絵を描く趣味があることも知らなかった。他にどんな絵を描いたのか。

 

「陛下、それ以上は触れないでくださいませ」


伸びた手はサラの言葉で止まった。


「クラウディア様はこれらを誰にも知られないまま自分と一緒に燃やして欲しいと仰っていました。それが陛下に何一つ望まなかったクラウディア様の最期の願いでございます。どうかお聞き届け下さい」

「……分かった」


それ以外の答えなどエドアルドになかった。


「王子たち、おさめろ。そして誰も動くな。動く者は、私が容赦はしない」


エドアルドの言葉に王子二人が魔力の放出を止めると、ようやく動けるようになったサラは青い顔をしつつも手早く紙を拾っていく。エドアルドはマッテオの足元にあった絵を包んでいた布を手に取り眉間に皺を寄せる。淡いピンク色の布にはマッテオの足跡がついていた。



「新しい布を用意する。それで……それは構わないか?」

「……ありがとうございます」


サラは一瞬驚いた顔をしたあとで了承した。


「みな下がれ。侍女長、それを神殿に届けたら医師に診てもらえ。そなたに何かあったら王妃に申しわけが立たない」



野次馬はいち早く姿を消し、子どもたちはサラについていった。エドアルドはマッテオからの視線に気づいたが気づかぬふりをして、マッテオも去ると誰もいなくなった廊下で大きく息をついた。


(これは……)


執務室の扉を開けて、足元の紙に気づく。


(扉の隙間から滑り込んでしまったのか……侍女長を呼び戻すか……)


自分が触れるわけにはいかないと踵を返しかけて、紙の端に書かれたものに気づいた。クラウディアの字でエドアルドの名前が書いてあった。『王』ではなく『エドアルド』。



(……すまない)



好奇心に負け、心の中で謝罪しながら紙に手を伸ばし、表に返すとそこには男の絵が描いてあった。何となく見覚えのある服を着ているから描かれている男は自分なのだろうとエドアルドは思ったが自信はもてなかった。なぜなら――。


「……顔が、ない」



 ◇



「こんな時間に私を酒席に誘って……愛妾にするつもりですか?」


神殿に呼び出したサラの第一声にエドアルドは苦笑する。


「ここでそんな誘いをかけるほど厚顔ではないし、女に飢える性質(たち)でもない」


クラウディアの体が納められた棺をサラとエドアルドは同時に見る。


「それに、仮になれと言われたらその場で舌を噛んで自害しそうだ」

「然様ですね」


物騒な仮定をさらりと肯定したサラにエドアルドは笑い、持ってきたワインをサラに見せる。サラが頷くとグラス三つにワインを満たし、一つをサラに、もう一つを棺の前に置いた。


神殿の中、それも棺を納めた聖堂で酒を飲むなど神官に知られたら説教ではすまされない。しかし酒の力がなくできる話ではなかったし、ここ以上にその話をするのに相応しい場所はないとエドアルドは思っていた。



「彼女のこと、何でもいいから話してくれないか?」


エドアルドの言葉にサラは驚き、エドアルドを凝視しながら彼女はワインを飲んだ。値踏みされているようでエドアルドは居心地が悪かった。


「恨み節になりますよ?」

「構わない」


迷いのないエドアルドの言葉にサラは笑う。


「そんなものはありませんわ。そうですね……クラウディア様は結婚を望んでおられませんでした」

「そうだろうな。私たちの結婚は後継ぎのことだけを考えた完全な政略、彼女の意思はない」


サラはコロコロと笑う。


「自分の気を引くためにクラウディア様があーだこーだしていると被害妄想全開だった陛下のお言葉とは思えませんね」

「それを言われると……」


何も分かっていなかった愚かな自分。サラの口にした己の黒歴史にエドアルドは穴を掘って埋もれたくなった。



「クラウディア様は、誰とも結婚するつもりなどなかったのです」

「大国の唯一の王女にそんなことは不可能だろう」


王族の最大の使命はその血を後世に残すことだ。


「陛下はあの男の望みをご存知ですよね?」

「永遠の命を得ること」


エドアルドの答えにサラは頷く。


「あの男にとってクラウディア様は自分が再生するための道具でした」

「……再生?」


耳慣れない言葉だったが、ふとエドアルドの頭の中にクラウディオ王の声が響く。


(俺となる男児をクラウディアに産ませる……それはまさか、『再生』の意味はそのまま……)


「あの男にとって子どもはクラウディア様一人。クラウディア様と同等の魔力をもつ陛下を見つけるまで、あの男は『お前で我慢する』とクラウディア様に言っていました。そしてあなたを見つけた。クラウディア様が息子を産む可能性が出てきた……さぞ喜んだことでしょうね」


サラが皮肉気に顔を歪める。


「己の野望のために見つけた男は、自分より若く覇気に満ちた王者だった。魔力で恐れさせてひれ伏させるしかないあの男にとって、仇国にただ一人でも輝きを失わず自然と周囲に慕われるあなたは理想的な『王』だった。自分より世界に望まれている存在。この男の息子になったとき果たして『自分』は望まれる存在なのだろうか。そんな恐怖に襲われたあの男は、クラウディア様に『自分』を産ませることに決めました」


「自分を……産ませる……」

「病的なほど自分の健康に気を配っていた男があんな風に突然死んだこと……一度も変だと思わなかったのですか?」


まさか、という考えがエドアルドの頭に浮かんだ。


「あの日、あの男はクラウディア様の部屋にきた。私も部屋を追い出されたため、あのときあの部屋で何があったかは私には分かりません。あの男は急死し、クラウディア様は私にも言わないまま亡くなった。いまではもう真実を知る術はありませんし、知る意味もありませんが、世間が言うように『死を予感したため最期に娘に会いにいった』だけはないと断言できますわ」



(変だと……思わないわけが、ない)


クラウディオ王がクラウディアに向ける目をエドアルドは近くで見ていた。クラウディオ王は最期に娘を思うような父親でなど決してなかった。それを分かっていたが、エドアルドはクラウディアに「なにがあった?」と聞かなかった。



クラウディオ王が死んだ日、アウレンティは二つ派閥に分かれた。


一つはクラウディオ王の宣言通りエドアルドを王にしようとする派、もう一方はクラウディオの血を継ぎアウレンティ王家直系のクラウディアを女王にしようとする派。二つの派閥の対立だったが、力の差が大き過ぎた。エドアルドを推す派にはまだ力がなかった。


しかしエドアルドが王になった。派閥が対立する間もなく、クラウディアが女王になるのを拒否したからだ。


「クラウディアはなぜ女王にならなかった?」

「なれなかったからです」


「なぜだ?」


エドアルドは一度だけクラウディアに聞いたことがある。その答えはサラと同じ、「女王になれないから」。『なりたくない』ではなく『なれない』。その言葉の意味は――。


「クラウディア様は御子を産めなかったからです」

「? それは魔力量の問題……もしかして体に問題が……いや、それは……」


それはない。クラウディアの体はクラウディオ王が徹底的に管理し、月に一度の健康診断で子どもを産むのに問題ないことが確認されていた。



「クラウディア様の胎には子ができない呪いがかかっていました。クラウディア様ご自身がかけたもの。だからそれを教えられた私しか知らないことでございます。検査でなど分かるはずはありません」


「……呪い?」

「おかしいと思いませんでしたか? 懐妊する可能性の高い日を狙って陛下はクラウディア様と夜を共にしていらっしゃったのに……」


召し上げた側妃たちは数回夜を共にしただけで妊娠した。だからエドアルドはクラウディア自身の魔力が高いから子ができにくいとばかり思っていた。


(でもそれが呪いだったなんて……いや、そもそも……)


「なぜクラウディアがそんな呪いを知っている?」

「私が教えたのです」


信じられないことだった。サラが話すクラウディアの話しにはいつも愛情があった。エドアルドでさえサラがクラウディアを大事にしていたことが分かると言うのに……。


「なぜ……」


サラが項垂れた。


「私には陛下を責める資格はありません。私も、本来ならあの男に向けるべき怨嗟をクラウディア様に向けました……いえ、私は陛下よりもひどい。あのときのクラウディア様はまだ幼かった。それなのに……」



サラはクラウディオ王に全てを奪われた。国を奪われ、愛する婚約者の命を目の前で奪われ、声を奪われ、純潔も奪われた。


サラの国の姫たちは不思議な力を持つ者が多く、それゆえに姫たちは昔から拐されることが多かった。不思議な力を得るため。その野望を断つべく、サラたち姫は万が一のときは子が産めなくなる呪具をもっていた。


「どれだけ犯そうとも妊娠しない私にあの男は興味を失った。この後宮の隅に棄てられた私を、あの日クラウディア様は見つけてしまった。私の恨みを聞き、クラウディア様は泣いて謝った……クラウディア様が泣いて詫びることなど一切ないのに……」


どんなきっかけであれ、サラとクラウディアの交流はこうして始まった。


「私なんかの何がよかったのか……クラウディア様は私を傍においてくださった。あなたと初めて会った日、クラウディア様は変でした。何かに怯えたようでした。それを私は暢気に夫になる方に会って緊張しているのだろうなんて思っていました」


(怯えた顔……)


エドアルドは自分を見て怯えた小さな姫を思い出した。自分をジッと見たあと、何かを決意したように差し出したクラウディアの手を取ったとき、その手が震えていたことをエドアルドは覚えていた。



「陛下と結婚し、初夜をすませ、それから定期的に夜を共にしていらっしゃった。陛下が側妃を娶り、一人ずつ妊娠していって、やっと私はおかしいと思いました。なぜクラウディア様は妊娠なさらないのか。そう思ったとき私は箱にずっとしまっておいて一度も出さなかった呪具のことを思い出しました。そして箱を開けると呪具はなく、私はすぐにクラウディア様を問い質しました。死んで詫びると自害しようとしてようやくクラウディア様は教えてくださいました。陛下と初めて会った日の夜、呪具を盗んで身に着けたと」


「それは……」


「一度つければ呪われます。でもそれをクラウディア様は知らなかったから毎月、月のものが終わるたびに身につけていたそうです」


サラはグラスを煽って空にした。


「呪具を盗んだ夜、クラウディア様は恋をなさることも諦めたです。誰かに恋をしてもその方を子を抱くことができないから。陛下に恋をしても、自分が子を産めない以上はいつか必ず、王である男は自分以外の女を抱く。そのときに絶望すると分かっていたから、クラウディア様は恋を諦めたのです」


エドアルドの頭の中で、泣きながら腕輪をつける幼いクラウディアが浮かんだ。


「クラウディア様は本当に優しい方です。陛下、側妃様たちが全員無事に出産したことも不思議に思わなかったのですか?」


ここまでくれば愚か者でもクラウディアが何かしてくれたのだと分かる。


「クラウディア様は呪具をヒントに、胎の中の魔力を外部から安定させる魔道具を作りました。そして陛下がいつどなたと夜を過ごしたかを調べてはその妃の侍女を買収して妃に着けさせました。本当にお人がよろしいのですよ、クラウディア様は。死んでもいいから権力が欲しいと思うような方々なのに……寵をもらえない正妃だとご自分を嘲笑う方々のために……なんて」



信じられないエドアルドの驚きを疑惑だと誤解したのか、サラは困ったように笑う。


「その魔道具はいま三人の王女様たちがお持ちです。どうぞお確かめください」


サラの言葉にエドアルドは首を横に振り、その提案を拒絶した。


「あの頃、彼女が私の行動を探っていることを知っていた。てっきり私は……マッテオたちが言うように嫉妬した彼女が妃たちに危害を加えるためだと思っていた」

「残念ながら、嫉妬されるほど陛下はクラウディア様に愛されておりませんわ」


愛していないのだから嫉妬はない、その事実にエドアルドの心境は複雑になる。



「もしかしたらクラウディア様は陛下の顔もご存知ないかもしれませんね」



サラの揶揄う言葉はエドアルドに深く突き刺さった。あの顔のない絵が浮かんだから。


クラウディアにとってエドアルドは『国王』であり、『夫』であったのは月に三回の閨でだけ。暗くなってから部屋にきて抱いて帰っていくだけの男の顔は見えなかったのか、それとも見る価値がなかったのか。



「クラウディアもあまり私を見ていなかったしな」

「自分に対して嫌悪の表情しか向けない方を見ろと? 陛下も酷なことを仰る」


「辛らつだな……彼女のためか?」

「なにがクラウディア様のためになるかなど私には分かりませんわ。主君のためなど所詮は自己満足。主君のためなんて看板をぶら下げて好き勝手して、その責任を主君に背負わせるような馬鹿ではありませんわ」


サラの言葉に、マッテオを筆頭にエドアルドの頭の中にはいろいろな者たちの顔が浮かぶ。



「葬儀が終わったら、どうするつもりだ?」

「神の子になります」


出家するというサラにエドアルドは何となく納得してしまった。



「クラウディア様は死ぬ前に仰いました、次の世があるなら恋をしたいと。私はクラウディア様が無事に次の世に行けることを願い続けます」 



 ◇



「この前行った《アウレンティ王家の歴史》、すごい評判で展示期間の延長決定だって」

「当然だよ。ディア工房の最初の魔道具なんてマジすごかった」


興奮に満ちた少年の声には敬意と感謝があった。


「母さんが教えてくれたんだ。俺が無事に生まれたのってディア工房の魔力を安定させる魔道具のおかげだったんだって。俺も世界に注目される魔道具を作ってみせるよ!」


「《魔導具は誰かの役に立ってこそ》というのがディア工房の創始者であるファビオ王弟殿下の言葉なのよね。王子で魔道具製作の第一人者なんて素敵だわぁ♡」


「でも王子様がどこで魔道具の作り方なんて習ったのかな。当時は呪術めいた技術だったはずだから誰も王子様に教えるわけないのに」




数日前も聞いたような会話。後ろのテーブルの若い男女の話にマリサがふふふっと笑っていると、あの時と同じようにマリサの視界が翳って、顔を上げると厳つい顔のテオがいた。


「やっぱり若いって良いわね」

「マリサ様も十分お若いですよ……お綺麗ですし」


「レベルが上がったわ♡展示会でロマンス指数が上がったおかげかしら。この国の婚姻率や出生率が上がったらお兄様に御褒美もらわないと」


「それも良いですね。確かにあの手紙には何かこう、実にシンプルなのですが、グッときました」


【僕と恋をしませんか?】



「あれはどなたが書いた手紙なのですか?」


絶対に返ってこない答えに永遠をかけた人。


(その【次の世】で共に在れると思ったのでしょうか)



「顔のない自画像を死ぬまで大事に持っていた方よ」



 ◇



父エドアルドが亡くなり、その遺品を整理しているときにマリサが見つけたのは黄ばんだ古い絵。兄妹全員が似たタッチの肖像画を持っていたから、それが『母』の描いた絵だとマリサはすぐ想像がついた。


なぜ父がそれを持っていたかは分からない。


マリサの知るあの『母』が自ら渡したとは思えないし、しかし『母』の傍にいたサラも亡くなって久しく答えの分からない話だった。


ただ、なんとなく兄弟全員が想像がついてはいる。



クラウディアの死後、エドアルドは全ての妃と離縁した。


離縁の手段は簡単に見つかった、些細な差で五人の妃たちはかなりの悪事を働いていた。中には使用人と姦通していた者もいた。それらの事実から妃たちの処刑を望む声もあったがエドアルドは『離縁』ですませた。クラウディアが助けた命と思うとエドアルドにはそれを命じることができなかったのだ。


命は守ったが、離縁した妃たちとその家門には国政への参加を禁止した。それは子どもたちを政治の道具にはしないというエドアルドの表明だった。



そんなエドアルドは、長男のマルコが成人すると彼に王の位を譲って自分は隠居したいと言い出した。


突然のことで子どもたちは全員、特に突然王位を譲られるマルコは驚き戸惑った。最初はまだ無理だと言う理由で断っていたが、隠居先が内宮と聞いて渋々承諾した。


譲位が決まるとエドアルドはマルコに内宮の改装を願い出た。

譲位に引き続きと忙しいマルコは思ったが、内宮といっても父と自分たち兄弟だけだからと了承した。


了承したあと、『母』の部屋を内宮から切り離して父の隠居先にすると聞いたためマルコは渋い顔になった。それでも、一つの家になった『母』の部屋は父の隠居というより兄弟たちの共有スペースになり、子どもたちは暇さえあれば顔を出した。


五人の子どもたちがそれぞれ婚約者や配偶者を連れてきたのもそこ。

やがて彼らの子どもも来るようになり、北の冷たい庭にある家に明るい声が絶えなかった。



隠居生活を送るエドアルドの趣味は料理だった。


趣味にしたというほうが正解だ。彼自身料理などしたことがなく、「立派な厨房があるのだから」と始めてみたものの“美味しい料理”など夢のまた夢。しかし努力家なのか、季節が変わる頃には手の傷が激減し、味も見違えるほど美味しくなった。


子どもたちの婚約者たちは漏れなくエドアルドの手料理でもてなされたものだった。



そんなエドアルドの最期は子どもや孫に囲まれた賑やかなものだった。


エドアルドは『自分が死んだら彼女の墓前に供えてほしい』と、封を開けずに供えてほしいとマルコに頼んだ。しかしマルコはそれを裏切った。マルコにとってクラウディアは『母』であると同時に初恋の君であり、そんなクラウディアに対する仕打ちをマルコも他の子どもたちも許していなかったのだ。


その場にクラウディアがいたら「気にする必要はないのに」と苦笑したことだろう。


マルコはクラウディアの絵がばらまかれた事件を忘れておらず、『父上の気持ちを大勢の目に晒してやろう』と弟妹に提案した。それはエドアルドの葬儀で実行される予定だったが、ファビオの提案で延期された。


―― 僕たち全員が『母上』に自慢できる何かを成したらにしませんか?


まだ父を超えられていないマルコを筆頭に、父に『母』をとられたくないという妹弟たちの意見が合致したのだった。



上の兄のマルコは君主制を廃止し、民主制への移行を目指している。王太子である息子の次の代までかかるかもと笑っていたが、後継ぎとして苦しんだ『母』を思えば必ず実行するだろうとマリサは思っている。


下の兄のファビオは魔導工房ディアを創業し、自身も王弟としての仕事の傍らで魔道具の製作に携わっている。『母』の技術と思いを絶やさまいと日々精進する兄をマリサは尊敬している。


上の姉のフィオレラは画家を目指すと言って隣国に留学したものの、留学先で美術品の復元技術に興味を持ってそちらの道に進んだ。先々代のクラウディオ王が滅ぼした国に行っては、発掘された美術品の復元しているとマリサは聞いている。


下の姉のイゾルデは親の暴力から子どもを救う協会を作り、日々寄せられる相談に応えながら、通報された現場には自ら駆け付け虐待を受けた子どもを救っている。


そしてマリサは王都のあちこちに『子どものための食堂ディア』を作っている。自分たちみたいにお腹を空かせた子どもをゼロにするため、王都の食料品店や料理店に協力を仰いで子どもに無料で食事を提供している。


王族の自己満足とか、税金の無駄遣いとか言われているが、自己満足はさておき税金は一銭も投入していない。必要ならば頭を下げたし、自分でも料理をしてきた。「言いたい人には言わせておけばいいのよ」と言った『母』の言葉は今でもマリサの背中を押してくれている。


そしていま――。


「マーサさん、こんなところにいた。オーナーがいないとお店が開けませんよ」

「みんなー、マーサさんがいたよー」


『ディア』に救われ、今度は自分が救う番だと言って成長した子どもたちがボランティアで手伝ってくれるまでになった。この流れを作ることがマリサの最終目標であり、おかげで髪が白くなるまで時間がかかってしまった。


だから、ようやくあの恋文がお披露目されたというわけだ。



「何十年もたって復讐されるとは思いませんでしたでしょう、お父様」


災難は忘れた頃にやって来る。


真面目な長兄が聞いたら「使い方が間違っている」と言われそうなことを考えながらマリサは笑った。

「続きが気になる」という言葉をいただいたので、【連載版】で続きをはじめました(https://ncode.syosetu.com/n4990id/)。


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