2通目 「永遠に愛してる。」
ある男子学生が見つけた手紙が引き起こした世界的な大騒ぎ…を傍観する少女の話。
オーセンティア学院。
約千年前に設立したこの学院は、始まりから現在までどこの国にも属することなく、周辺の国々から自治権を認められた学びの園。
その一角にあるこの図書館。
意欲のある者全てに門戸を開くという学院設立からある不文律に従い、初等部の幼い学生から博士号を持つ大学院生まで幅広く利用できる学院自慢の施設である。
この図書館の地下には無数の書庫がある。
設立当初は一つだった書庫の周りに書庫がどんどん増設された。
古い書庫の扉についた札には、『東書庫』『書庫ⅰ』『第一書庫』『書庫その1』と迷走したあとが見える。
三年前に増設された最も新しい書庫は『書庫 No.448』で、もしI・Ⅱ・ⅡIでナンバリングしたら『書庫CDXLVIII』と訳がわからなくなるところだった。
さて、最も古い地下の書庫『中央書庫』にある書物は千年以上前は古代文字で書かれている。
当時はメジャーだったのだろうが今では理解できる者が少なく、よほどの物好きでなければ中央書庫には来ない。
しかし、放置はできない。
締め切った書庫は空気が淀み、魔法で保護してあるとはいえ皮や紙製の書物にも悪影響が出てしまうかもしれない。
悪影響、つまり黄ばみやカビとかあるか試したことはない。
試してカビたりしたら取り返しがつかない。
歴史的価値がたくさんあって分からないくらい貴重な書物にカビ……など、恐ろしくって想像したくもないある学院長(当時の責任者)は考えた。
それが、罰掃除。
世界中の叡智を集めた教育施設と評判の学院だが、罰は普通というか、掃除が罰として素晴らしいのか。
まあ、古今東西、学生へのお仕置きの定番である。
罰掃除について、抗う学生と命じる教師の長きに渡る戦いの末、魔導具の製作に長けた教師が空間探索魔法を応用して作った鍵が全てを解決した。
空気中のほこりの量が規定値以下にならないと開かない扉。
罰を受ける学生たちを中に放り込んで鍵をかければ教師の監視は不要。
鍵が掃除完了を認めるまで扉は開かないという、かなり力技な手法である。
因みに、扉を破壊して出てくることは世界一の魔法使いでもできない。
自治権をもつ学院の防衛力は並ではない。
しかもここにはそういう研究が大好きな連中がわんさかと集まってくるのだ。
その結果、この学院の扉という扉には物理攻撃は効かない、魔法も効かない、ついでに学ぶ意欲がない者と悪意を持つ部外者は自動的に排出するという理想的な結界が付与されている。
つまり、この罰掃除は絶対に遂行しなければならない。
しなければ十年でも百年でも外に出られない。
逆を言えば、渋々だろうが、反省していなかろつが、掃除さえすれば出られる。
だから生徒たちは考えた。
超真面目な奴が一緒に罰掃除になれば、そういう奴は真面目に掃除するから自分たちは楽できるのではないか。
その仮説を、トライして証明した者がいた。
それ以来、罰掃除に真面目な奴が巻き込まれることが増えた。
意図して巻き込まれている被害者のときもあるが、騒ぎを起こす奴らを止めようと間に入るパターンもあったりする。
この事態を教師側も認識しているのだが、いかんせん打開策はなく。
ある教師は誰が集めたほこりなのか判定する鑑定魔法を組み込もうと励んでいるらしいが、どちらにせよ生徒も教師も常に努力を怠らないところが本当に素晴らしい。
さて、この日も真面目な高等部の生徒が罰掃除に放り込まれた。
真面目な彼は、真面目故に自分も罰掃除にまきこまれるかもしれないと覚悟していたので、他には一切期待しないで真面目に掃除に励むことにした。
真面目だから、彼は対策も事前に考えていた。
書庫内のほこりの総量を減らせばいいので、ほこりが多そうなところ、つまり棚の上を集中的に掃除すれば早く終わるのではないか。
「浮遊魔法が使えればなぁ」
そんなことを呟きながら梯子にのぼり、棚のほこりを箒であつめて袋に入れていく。
ほこりは順調に溜まっていく。
これは早く終わりそうだと、五つ目の棚のほこりを集めながら真面目な彼は一人で地味に喜んでいた。
そのとき、一緒に書庫で罰掃除を受けていた馬鹿者が、こちらは遊んでいて、真面目な彼がのぼっている梯子にぶつかった。
ぐらりと揺れ、落ちそうになったところを咄嗟に石の天井に手を突っ張り体を支えようとして―、
「え!?」
信じられないことに、天井の石が音もなく一つ消えた。
大きく体勢を崩した彼の手に、一冊の本が落ちてきた。
この発見は世界中の歴史研究者から『世紀の発見』と言われ、注目されることになった。
ちなみにこの真面目な彼。
体勢を崩して梯子から落ちると覚悟した瞬間、学院の全学生が身につけている徽章に付与された魔法が展開され、彼は本を抱えたまま無事に床に降り立つことができたのだった。
***
「大帝国キルシュの呪われたシルヴェスター王には奇跡の遺児がいて、“あの手紙”は彼がその子に宛てたものって説が有力視されはじめたみたいだけど……本当、シルバー?」
マリーの質問に、窓枠に座り外を見ていた背の高い黒髪の男性が振り返る。
彼の名前はシルバー。
端正な美貌。
ダイヤモンドをはめ込んだような、銀色の神秘的な瞳。
外見は実に魅力的な男性だが、年齢一桁から付き合いのあるマリーはこの男に慣れきっている。
じっと見つめられても平然としていた。
『子どもなんているわけないだろ』
「あら、分からないわよ? シルヴェスター王の後宮には五十人の美姫と百人の女官がいたんでしょ? どれだけ手を付けたの?」
『公爵令嬢が“手を付けた”なんて品のない言葉を使うとは……平等な教育というのも良し悪しだな』
「いえいえ、市井を知ることができたおかげで我が領の民には“庶民派令嬢”と親しまれておりますの。感謝いたします、シルヴェスター・フォン・キルシュ陛下」
『ふん』という声がマリーの頭の中に響く。
この男、マリーは出会った一時間後から「シルバー」と呼んで親しくしているが、八百年ほど前に滅びた大帝国キルシュの国王で、この学院の創始者。
三十年ほど前、学院の書庫の天井に隠されていた本に挟まっていたところを発見された、『世紀の発見』と言われる手紙を書いた男である。
つまり、ほぼ千年の時を超えて三十年前に目覚めた幽霊。
ちなみに三十年ほど前にその手紙を見つけた真面目な男子生徒がマリーの父親。
マリーの父親はその後、このとき一緒に罰掃除をしていた女生徒と結婚し、三男一女に恵まれた。
その一女がマリー。
シルバーは生真面目なマリーの父親を気に入り、マリーの生家にちょくちょく顔を出していたため、マリーは彼と昔からの付き合いなのである。
ちなみにマリーの母親は父親と違って罰掃除を受けるに値することをしたため書庫にいて、父親ののぼっていた梯子にぶつかった馬鹿者である。
何が縁になるか分からない。
それがマリーの母親の言葉であり、淑女の鑑として社交界の頂点に立つ侯爵夫人の母親の昔話はいつ聞いてもマリーにとっては嘘みたいな話だ。
―――――
シルバーの書いた手紙にはシンプルな一文のみ。
【永遠に愛してる】
ストレートな愛の言葉。
腐るほどある恋の戯曲で、耳にタコができるほどリフレインする文言だ。
それゆえに三十年前、その手紙をマリーの父親から渡された生活指導の教師は「よくある古い恋文だろう」と笑ったが、あることに気づいて顔を青くした。
この学院の全ては強固な防御魔法によって壊すはおろか傷をつけることもできなくなっている。
例えば、剛腕自慢の砲丸投げの選手が鉄の玉を窓ガラスに至近距離で投げつけてもヒビ一ついれることができない。
それなのに増築や模様替えなどのリフォームができるのは、三十人の理事全員が立ち会いのもとで学院長が防御魔法の媒体である水晶玉に「必要なんです。お願いします」と頭を下げ、水晶玉がそれを認めれば最低限の範囲で防御魔法が解除されるからだ。
書庫の天井もそんな防御魔法の対象。
見つかった手紙は、そこまでの手間を掛けて水晶玉に魔法解除してもらって隠したもの、もしくは水晶玉を設置する前に隠された古いもの。
歴史的価値に気づいた瞬間、教師は手紙を預かろうと出していた手を光速で引っ込めた。
「先生?」と戸惑うマリーの父親に「近づくな!」と叫び、ものすごい勢いで中央書庫を飛び出していった。
呆然と立ち尽くすマリーの父親が雨に濡れたみずぼらしい捨て犬とリンクしたマリーの母親は同情して話し相手になった。
これが二人のロマンスのはじまりである。
教師は大学で歴史を教えている教授を連れて戻ってきて、教授は紙の成分分析を専門機関に依頼し、分析の結果その紙は八百年以上前に作られた紙と判明した。
マリーの両親は、教師が戻ってくるまでの間にある仮説を話し合っていた。
この恋文を書いたのは学院の創始者であるシルヴェスター王ではないか、と。
それを聞いた教師は二人をロマンチストと笑った。
キルシュの歴史研究家やシルヴェスター王オタクたちも、公爵家の令息と侯爵家の令嬢の言うことだからと耳を貸したが、やはり笑った。
何しろシルヴェスター王は『呪われた最後の王族直系』と言われ、誰も愛さなかった王として有名なのだ。
シルヴェスター王の傍には五十人の妃と百人の女官がいたが、シルベスター王は関係を持った妃や侍女は半年以内に王自ら処刑していたと言われている。
そんな王が恋文など書くわけがない。
こんな風に世界中に全否定された仮説だったが、マリーの父親はその仮説が捨てきれず、三十年たった現在もシルヴェスター王について研究している。
まじめにコツコツと研究してきたから「シルベスター王についてならこの人に聞け」と言われるくらいの存在になっている。
ちなみに彼はシルベスター王(幽霊)が彼を気に入ってちょくちょく家に来ていることは知らない。
「お父様の中でシルバーは『一人の女性を一途に愛した孤独な王』になっているの。ただのヤバイ王様としか思えない記録からどうしてそんな想像になるのか分からないのだけど」
『二十歳のいき遅れ令嬢の将来を心配する優しい俺に“ヤバイ”とは何なんだ』
「もうすぐ“いき遅れ”じゃなくなるわよ」
『なんだって?』
「言い忘れてた? 私、結婚することになったの」
『言い忘れられたお前の旦那(未来)が気の毒だが、どこの誰なんだ?』
「隣国、プレヴォ公国の公子様。私を見染めて……と言いたいところだけれど国同士の政略よ。それでも彼は穏やかで好感の持てる人だったし、私は幸せになれるわ」
公爵令嬢として生まれたマリー。
政略結婚に対して忌避感はない。
あっけらかんとしているマリーにシルバーは珍しくふわりと笑う。
『お前ならどこに行っても大丈夫だろう。私は基本的にここから離れられないから逢えなくなることは残念に思うが、お前の幸せを願っているよ』
「その唯一の例外の実家に帰ってくれば会えるじゃない……と言いたいけれど、あまり帰ってこられないでしょうね。それこそ離縁するつもりでなければ」
『寂しいか?』
「寂しいのは事実だけど大丈夫。“あの手紙”の真相が分かれば後顧の憂いなくお嫁にいけるわ」
『マリー……』
「安心して。お父様には絶対に言わないから」
歴史研究家の中には答えを知るためでなく過去のことを想像して楽しむロマンチストが少なからずいる。
そして父親はそのタイプだとマリーは思っていて、ついでに自分は謎を解明しないとスッキリしないタイプだという自己分析もできていた。
『仕方があるまい、お前の父には絶対に言うなよ?』
「もっちろん♡」
『……あの手紙はオーセンティアの第二王女、カミーユ姫に宛てた手紙だ』
「オーセンティア……」
この学院の名前にもなった国の名前をマリーは呟く。
いま学院があるこの地域が国土だった小さな国。
そして、キルシュ帝国が滅ぼした国。
『戦争狂だった父が即位するまで、キルシュもオーセンティアと変わらない小さな国だった。小国同士協力し合おうと、友好の証であり協力関係の担保として俺とカミーユ姫の婚約は決まった』
「カミーユ姫って、五十人の長~いお妃様リストにないよね?」
『カミーユは結婚する前に死んだ。俺が十二歳のとき、父王がオーセンティアを滅ぼした。カミーユ姫は、妃教育のためにキルシュに滞在していたが……毒を盛られて殺された。毒殺を指示したのは父王だ。カミーユを何の益も生まない姫と判断し、もっと条件のいい姫を俺に充てがうためにな』
シルバーの目に煌めいたのは、千年たっても昇華できていない憎しみ。
キルシュとシルバーの父王にとって益のない姫でも、シルバーにとっては大事な婚約者であり、将来について語り永遠に傍にいることを誓った愛しい姫だった。
十二歳の子どもの恋と周囲は軽く見たが、シルバーにとってはただ出会ったのが幼い頃だというだけの永遠の恋の相手だったのだ。
「お父様を毒杯で処刑したのはそのときの恨み?」
『十分ではなかったがな。父王には殺される理由があった、しかしカミーユにはなかった。さぞかし無念だったろう……彼女には夢があったのだからな』
カミーユ姫の夢。
それは誰にも邪魔も強要もされず、自由に学び夢や思想を抱く場所を作ること。
毒で苦しみながら死んだ父王の骸を踏んで王座についたシルバーはカミーユの夢をかなえるために大陸の頂点に立つことを決めた。
『父王にとって俺は国力増強のための道具だった。戦場では一騎当千の働きをして自国に勝利をもたらし、王宮内では政略のために縁をつなぐていのいい駒。俺はカミーユ姫以外を娶る気などなかったが、強大な国を治める以上それは無理だと分かっていた。それにしても五十人も妃をもつ予定はなかったのだが……まあ、奴らはほとんど殺し合いで死んだがな』
「殺し合い?」
『妃たちは後宮内で勝手に序列を作り、上位の者が下位の者を支配しはじめた。何の根拠もない序列で管理されれば人は歪み、憎しみを抱く。歴史的には俺が妃たちを殺したことになっているが、本当に俺が殺したのは十人もいない。全て寝所で俺に剣を向けてきた者だ』
「殺伐し過ぎ……でも寝所で、ということは妃たちとは関係があったんでしょ? それなのに記録に残っている御子がいないって……シルバー、種なしだったの?」
『本当に、この学院は何を教えているんだ?…………まあ、いい。胤を作る機能は俺自身で壊した。カミーユと作る未来でないなら、俺はいらなかった。王位の世襲制にも疑問があったからな』
大陸を二分する闘いに勝利したシルバーは、自国や同盟国から有力な者を後継者候補として選出し、彼らに国を任せてシルバー自身は第一線から身を引いた。
早い引退だが、臣下も賛成したという。
『大陸統一で疲れたのだろうと理解を示す振りをしながら、奴らの目にはもう俺はお役ごめんと書いてあった。別に構わないがな。そのために大陸を統一したのだから』
終の棲家として隠居の地としてシルバーは旧オーセンティアを領地のして要求した。
シルバーの要求に誰も反対しなかった。
大陸統一まで成し遂げたシルバーのたった一つの願いだったし、数十年前に滅びた国の跡地には人もおらず、荒れ果てた畑があるくらいだったから。
『自由にあるためには強固な防御が必要だと思ってな、俺は隣の領地との境に結界で壁を作った。そこの扉にかっているのと似たような魔法だな』
シルバーは簡単に言うが、物理攻撃が効かない、魔法が効かない結界など簡単な魔法ではない。
しかも“ついで”とばかりに意欲がない者と悪意を持つ者を弾く結界である。
『とりあえず何もなかったから、人を集めるために畑でも作ってみるかと思ったんだよな。とりあえず人間は食わなきゃいけないからな』
シルバーは勤勉で真面目な性格だった。
それが災いして、何もしなくていいのに仕事を自ら探し、優れた身体能力と魔法を駆使して畑を作ってみた。
夜になったら水魔法で水をまき、朝になったら風魔法で雲を吹き飛ばして快晴にする。
畑の作物はグングン育った。
麦も収穫できた。
二年目、旧オーセンティア国の話を聞いた者たちが移住してきた。
シルバーは彼らに仕事を与え、シルバー一人しかいなかった町は徐々に大きくなっていった。
年がたつにつれてキルシュはどんどん腐敗して国内は荒れていったが、シルバーが堅牢に守る旧オーセンティアの土地は安全で治安がいいと評判で移住者はどんどん増えた。
土地を覆うのは悪意を持つ部外者を弾く結界のため、意欲のある善良な民による健全な街はとても生活しやすい場所になった。
人が増える傍らで、シルバーは急いで街の中心に大きな学院を作り始めた。
後から作ると民から家や畑を奪うことになってしまうから。
こうして今から約千年前、オーセンティア学院が誕生した。
「シルヴァスター王が書いた恋文って聞いたときからヤバそうな気がしたけど、シルバーの愛情って重い。重過ぎる。あとシルバーが有能過ぎて怖い。普通はそんな簡単に街も学校もできないからね」
『魔法があるじゃないか』
炎の魔法で邪魔なもの全てを消し炭にする。
土魔法で地面を均し、岩石を固めて建物を作る。
「費用は? 王様時代の蓄え?」
「冒険者ギルドに登録し、魔物狩りで稼いだ』
「……シルヴァスター王が晩年ハンターになった理由が分からずにいたけれど、あっさり解決したわ。最上位のS級ハンターになったのも……」
学校づくりの資金。
分かれば納得の理由にマリーは脱力してしまった。
***
半年後、学院の西にある聖堂でプレヴォ公国の公子の結婚式が行われることになった。
てっきり公国で結婚式を挙げるものだと思っていたマリーは当初その提案に驚き、「実は私はオーセンティア学院に留学し、卒業生です」という公子の言葉に驚いた。
マリーにはその提案を断る理由はなかった。
学院内なのだ。
シルバーにも自分の花嫁姿を見てもらえるかもしれないと思った。
式当日の早朝、シルバーは教会の祭壇に立っていた。
真っ白な、光の加減では銀色に見えるバラを祭壇の上に置いたとき、教会の外に人の気配がした。
シルバーは警戒したが、見知った気配に警戒を解いた。
『久しぶりだな』
振り返ったシルバーの目に映るのは、銀色の髪に紺色の瞳をした長身の男。
彼が着ている白い礼服の胸元には、マリーの目の色である琥珀色のバラが一輪飾られていた。
「お久しぶりです。私が学院を卒業して以来ですから……五年ぶり、でしょうか」
『五年……もうそんなにたったのか』
「あなたにマリーを見せられた日から五年たちましたよ。あの瞬間を、なんと言ったらいいんでしょうね。世界の崩壊、でしょうか。マリーを一目見たときに感じましたよ、『ああ、この人だ』って」
『お疲れさん』
しれっと労うシルバーに男の目がつり上がる。
「本当に疲れましたよ。特にお義父上。なんなんでしょう、あの邪気のなさ。真面目で、いい人で、好感しか持てないのですけれど。こんなの初めてで困るんですけど……聞いてます?」
『聞いているって。良かったじゃないか、娘はやらんって応接室の机が宙を舞わなくて』
「舞いましたよ」
『え? いつ?』
「娘を頼むと思いきり頭を下げられたとき、なんというか、梃の原理で机がポーンとひっくり返りました』
容易に想像できる光景に、シルバーは喉の奥でくくくっと笑う。
『マリーを娶るために無茶をしたのではないか?』
「無茶、ですか?」
問い掛けは無邪気だが、目は剣呑な光を帯びている男の姿に『まだ若い』とシルバーは呆れる。
『穏やかで好感がもてる、そうだぞ』
「それは気をつけないと」
『全く……マリーもカミーラも男を見る目はないし、男心に疎すぎる』
「それが魅力なのではありませんか」
『お前、本当に俺の子孫ではないのか?』
「当たり前です。よく見てください、カミーラ姫の面影があるでしょう?」
『どこにだ。お前こそ、マリーの中に俺の面影があるのか?』
「千年の間に老眼が進みましたか?」
この男こそオーセンティア王家の末裔。
そしてマリーはキルシュ王家の血を継いでいるのだ。
「彼女は、カミーラ姫に似ているのですか?」
『ふとした瞬間のあれこれがな……血のつながりはないはずなのに』
「そういうこともありますよ」
『お前のヤバイ愛情は俺似だがな』
そう言ってシルバーが姿を消したあと、花婿は楽しそうに笑った。