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SIXMIX 〔シックスミックス〕  作者: 花田神楽
 
8/22

midday2

 芹沢澪が所属する前山プロダクションは、駅前オフィスビル群のちょうどど真ん中にあった。しかもいざ来てみれば、周りより一際目立つ高層ビルが、丸ごと本社になっているご様子。まったく、財力を示す棒グラフが実体化したみたいだな。

 いつも通りの下調べと言って出掛けてきたものの、これだけ眩しい場所に赴いた経験などほとんどなかった。それはプライベートでも同じことで、元々広い人間関係を持つのは苦手だったし、唯一表社会と繋がれる『Yellow Iris』も、最近は何かと類に任せっきりだ。

 だがまあ過敏になることはねぇさ。気を引き締めることは重要だが、行き過ぎれば心身を硬直させ、結局自分の首を締めることになる。俺に武術を教えてくれた父の言葉だ。傍らにはあいつが居て、瞳を輝かせながら同じ言葉を聞いていた。だから、絶対に忘れちゃいけない。

 風が立つ。望月はふと追憶から覚めて、デジタルの腕時計を見下ろした。そろそろこの通りも、駅に向かう多くの会社員で混み合ってくる頃だろう。となれば、こちらも動き出さねばならない。

 一般人の芹沢ファンという設定上、彼女を探すにも特別な策は講じず、地道にあちこち探し回っている方が自然に見える。人混みに紛れていれば、ある程度ちょこまか動いても――

「やめてくださいっ」

 突如として、緊迫した女の声が聞こえた。くぐもった男の声に混じり、切れ切れに苦しそうな悲鳴が上がる。

 望月は迷うことなく駆け出した。声の主を探して、周囲をくまなく見て回る。途中、幾度となく芹沢のことが脳裏をよぎった。しかし無視した。そして見つけた。男が表通りに背を向け、女を路地裏に押し込んでいるところだった。

「ちょっと、あなた何をしているんですか」

 望月が背広の肩に手をかける。

「何って、道端で友人と世間話をしていただけですよ。何か問題でも?」

 呼びかけには素直に応じ、柔和なビジネススマイルを浮かべる中年の男。ようやく女の姿が見て取れた。唖然とした。その女とは、長谷桃子であった。乱れた髪や上着を整えながら、背広の男からじりじりと距離を置く。するとその時、彼女が着ている白いシャツの第三ボタンまでもが、外され、はだけていることに気付いた。

「てめぇ……!」

 止めどない悪態と一緒に、滾る感情を必死に飲み込む。優先すべきは己の憤慨ではない。望月は素早くコートを脱いで、桃子をそっと包み込んだ。それから、できる限り優しく笑いかける。桃子の震えが少し収まった気がした。

 背後から、なおもヘドロを垂れ流す下水管。

「いやだなあ、誤解ですよ。僕たちはただ、仕事のことでちょっと話し込んでいただけで」

「この方、あなたの上司ですか?」

 一応、桃子の反応もうかがってみる。彼女は深くうなずいて、しかし取り乱すこともなく、ひたすらに唇を噛み締めていた。上司には逆らえないということか。それとも、こんな腐れた世界に埋もれて、鈍感にならざるを得なかったのか。

「いずれにしろ、さっきとは言い分が違いますね。これでは誤解されても仕方がないのではありませんか。今一度、誰もが納得できるようちゃんと説明してください」

 深呼吸をして、男を鋭く見据える望月。今は変装中だからと自身に言い聞かせることで、かろうじて紳士的な態度を保っていた。

「もう何でもいいだろう。あんたみたいな部外者には、関係のない事です」

 男が言葉を発するたび、その安っぽい仮面がどんどん剥がれ落ちていく。それと同時に、望月は強い猜疑心に苛まれていた。こんなやつが本当に、都心のオフィス街で働く一流のビジネスマンなのか、と。

「まあまあ、細かいことは気にしないでくださいよ。俺、急いでるんで」

「いや待ってください。まだ何も弁明してないじゃないですか。あなたが彼女にしでかそうとしていたこと、ちゃんと認めて謝るべきだと思います」

「あ~も~鬱陶しいんだよてめぇ!」

 男が感情に任せて、とうとう腕を振りかぶる。馬鹿な上に情緒不安定かよ。望月はほんの瞬きする間に、左手で男の腕を払い、捻りを加えた突きをみぞおちに決めると、男の両肩をがっしりと掴んだ。むろん、肩甲骨に指先を食い込ませて、腕の動きを固めてある。

「そんなに大声出しちゃダメですよ、お兄さん」

 望月はそう微笑んでから、静かに男の耳に唇を寄せる。

「望月の死神って、聞いたことある?」

 男の肩がピクっと震えた。望月がため息をつき、力なく身を引く。

 この反応、この横暴、この幼稚さ。やはりこいつは、このプロダクションは――どこかの大きな犯罪組織と、裏で繋がっている。

「お、お前、あの時はよくも総帥を……」

「あなたたち、どこをほっつき歩いているの!」

 押し殺した叱責の声が、どこからともなく横槍を入れた。声の方を振り返ると、サングラス姿のスレンダーな女が、赤いエナメルのヒールを鳴らして歩み寄ってきていた。望月がまたも目を丸くする。彼女こそが、現役モデルかつ女優にして、前山プロダクション代表取締役社長、芹沢澪であった。

 はっと気を引き締め、一度気配を消して退く望月。

「葛谷課長、あなたには千鳥出版への営業をお願いしていたはずでしょ。こっちでは道が違うわ。それから長谷さんに至っては、勝手な行動を許した覚えはないのだけれど。ああそれで、あなたに頼みができたの。今から三十分以内に、セレクトショップ・ブランカからモスグリーンのフリルカットソーとラベンダー色のプリーツスカートを受け取ってきて。それを明日の撮影スタジオに置いてきたら、今日は上がっていいわよ」

「ほ、本当ですか。まだこんな時間なのに」

「ええもちろん。あんみつ亭の抹茶プリンを買ってきてほしいからね」

 あんみつ亭というと確か、隣の県の山奥にある有名な和菓子屋の名前だ。ここからだと車で片道一時間強。テレビや雑誌で何度も見たことがある商品だし、今から行っても、もう完売してるなんてことは……。

「二人とも、よろしくね」

 澪はウインク一つで、二人を完全に沈黙させた。そうして各々が散っていく。後ろを気にしながら逃げるような男に対し、桃子はひたすらに忍ぶ人間だった。

 上司のセクハラに、芹沢からの無理難題。彼女は何人もの身近な人間に、辛く当たられているというのか。それに今思えば、あんな遅くに依頼しに来たのも、残業でその時間にしか来れなかったからなのかもしれない。

 早くもトレンチコートを脱ぎ、きょろきょろと持ち主を探す桃子。純白のシャツに包まれたその背中は、痛々しいほどに健気だった。

「あのっ」

 当初の目的に気持ちを切り替え、望月が芹沢澪との接触を試みる。

「もしかして芹沢さんですか。実は僕、あなたの大ファンなんです。サインと写真をお願いできますか」

「ええ、大丈夫ですよ」

 澪は快く承諾してくれた。本人確認をするためには、まずはその大きなサングラスを外してもらわなければならない。あとは身長や歩き方の癖なんかのデータも、可能な限り集めたい。

「あらその服、私がコーディネートしたものにそっくりじゃない」

 手帳にすらすらとサインしながら、一オクターブ高い声で澪が話しかけてくる。

「あっ分かります? 以前雑誌を見たときから、芹沢さんに会いに行くならぜひ真似しようと思ってて」

「ほんとに!? 相当前のものなのに覚えててくれたのね。すごく嬉しい!」

 手帳とペンを返されると同時に、望月がスマホを取り出す。澪は期待通りにサングラスを外した。そして気付く。彼女の美貌は画面越しのそれとほとんど変わらず、整形の跡もアイプチやカラコンで顔を作っている様子も一切ない。まさに、天に与えられた美というわけか。

「本当にありがとうございました。これからも応援してます!」

「こちらこそ、いつもありがとう」

 澪は軽く手を振って、優雅にその場を後にした。

 望月も彼女に背を向け、人気のない道を選んで帰路に着く。その途中、彼は幾度となく長い息を吐くと、清楚に見えるようセットしていた黒髪をくしゃくしゃにかき回す。

 まったく、今日の発見は目に余るものが多すぎる。前山プロダクションにきな臭い裏があること。さらに俺自身にも、事務所から恨みを買った過去があること。そのせいで、頭領たる芹沢の身辺や、彼女が口止めしたようにも見える「よくも総帥を……」という意味深な台詞についても、一度調べ直す必要が出てきた。

 見たところ芹沢に怪しい点はなかったが、彼女は事務所内部抗争の首謀者であり、結果的に社長の座を奪ってしまった女傑でもある。また事務所との因縁に関しては、おそらく俺が逃がし屋として、総帥とやらを幽閉してしまったのだろう。あの男が怒り心頭だったのも、自分たちの親分が殺されたと思い込んでいるからなら、納得がいく。また詳しくデータベースを……ん、待てよ。そうすると、総帥の不在を見計らって、芹沢がその空席にも滑り込んだ可能性があるのか? もしや彼女は、そのために会社を……?

 望月がさらに髪をかきむしる。そもそも俺は頭脳派じゃないんだし、こういう小難しいことは、うちに巣食っている珍獣にでも食わせておけばいいんだ。

 望月はニット一枚になった腕をさすって、明るいオフィス街を後にした。

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