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SIXMIX 〔シックスミックス〕  作者: 花田神楽
 
4/22

midnight4

 不意に望月が、勢いよく背後を振り返る。

「どうかしたのか?」

「静かに。誰かがこっちに向かってくる」

 音もなく立ち上がり、ドアから距離を置いて構える彼。類もお手製の薬品スプレーを手に、椅子の陰に身を潜ませる。そういうフォーメーションが自然と組まれていた。

 ほどなくして、控えめなノック音がする。

「どなたかいらっしゃいませんでしょうか」

 ひどくか細い女の声だった。

「どうしてもお話したい方がいるんです。その、望月の死神というスナイパー――」

「悪いけど、今日はもう店じまいなんだ。また明日来てくれないかな」

 慌ててドアを開ける望月。とんだ世間知らずが来ちまった。誰がどこから監視しているかも分からない道端で、堂々と相手の名を口にするとは。

 突然目の前に登場した男を、少しびっくりした表情で見上げる彼女。よれたシャツに履き潰したスニーカー、油っけのないハーフアップ。眼鏡でなくコンタクトレンズをしているだけ、まだ美意識の欠片は残っているか。

 はたと思い出したように、女が一歩前に出る。

「あなた、お店の方ですよね。望月さんをご存知ありませんか」

「……裏メニューの注文ね。どうぞ中へ」

 望月は半身を引いて、客人を笑顔で招き入れた。

 ガチャン、と扉を閉め切る。

「いくつか質問していいか」

 声をひそめ、鋭い視線を送る彼。女の肩がぴくりと震えた。

「お前さん、どうして昼間の正規ルートで来なかった。アジトの前で怪しい言動をされちゃ、こっちにとっては死活問題なんだけど。そこんとこ分かって押しかけてきてんの?」

「す、すみません……」

「バーの営業が終わった後のここは、無知な表社会の人間がむやみに首突っ込んでいい場所じゃねぇんだよ。分かったら適当に時間潰して、さっさと俺の前から失せろ。それで、二度とそのまぬけ面見せんな」

「望月……」

 成り行きを見守るだけだった類が、小さく声をかけた。そして、ニタリと嫌な笑みを浮かべる。

「君は優しすぎるよ。本当に甘ったれだ」

 女が目を丸くして、顔を上げる。

「あのねお嬢さん、この不器用はね、純粋に君を守ろうとしてるだけなんだよ。自分の利益なんてとうに諦めて、平和な世界にいる君を犯罪に巻き込まないために、下手な芝居を打っている。でしょ?」

 わずかな沈黙のあと、望月が舌打ちをする。女の表情が少し和らいだ。が、彼は続ける。

「勘違いすんなよ。本音を明かされようが笑われようが、俺の言い分は変わらねぇ。表社会で上手くやっていけてたあんたが、その場の勢いだけで、何もかもお終いにしちまうなんて馬鹿げてる。そんなくだらないやつの頼みなんか、聞きたくないね」

 すると、女がぽつりと吐き捨てた。

「平和な世界って、何ですか。その場の勢いって、何ですか」

 店内から音が消える。

「私の事情なんて何一つ知らないくせに、勝手なことを言わないでください。表社会は、罵声とも暴力とも無縁だと? あらゆる苦しみは時間が解決してくれると? 私だってね、生半可な気持ちで罪を犯そうとしているわけじゃないんですよ。それは、自らの裏の顔をひた隠しにしているあなた方が、一番よく分かっていると思います。いまさら何を言われたって、私はあの女を、あの女だけは――」

 その時になってはじめて、彼女が暴力的な視線を向ける。その瞳は、奥底から湧き出る憤怒と怨念と敵意に穢され、真っ黒に塗り潰されていた。

「すみません。長々と戯言を……傲慢でしたね」

 最後の一言、ヒステリックな衝動を結んだそれは、あまり脈絡のない台詞だった。吐息に滲む確かな背徳感と、それを凌駕する切実な祈り。心の弱い部分を突かれた気がした。

「お前さんの苦悩と心痛は察する。とりあえず座れ、話ぐらいは聞いてやるよ」

 望月はテーブル席の椅子を引くと、優しく女をエスコートした。類がキッチンに伏せてあったグラスを手に取る。言われるがまま腰を下ろす女。望月も向かいの席に滑り込む。

 至極緩やかな動きで、彼がテーブルに両肘をついた。

「さっきあんたが言っていた、あの女とやらが、今回のターゲットだな」

「はい」

「名前は」

「……芹沢澪」

 望月は、思わず目を見開いた。芹沢澪といえば、ポップカルチャーに疎い俺でも知っている、あの人気女優じゃないか。モデルやタレントとしてもよく見かけるし、自身の芸能事務所を経営する才女としても有名だった。

「どうして大人しそうなあんたが、芸能人殺害なんて物騒な真似を?」

「私、実は彼女のマネージャーなんです。もっといえば幼稚園児からの幼馴染みで、あの女の本性は身に染みて知っています」

「なるほど、因縁があるわけだ」

 カラン、と涼やかな音を立てて、冷たい烏龍茶が差し出される。左隣に類が並んだ。

「でもお嬢さん、そしたらなんで、嫌いなやつとずっと一緒にいてあげてるんだ?」

 類の質問を受け、女に視線を向ける望月。彼女はきゅうっと苦しげに瞳を閉じた。

「できることなら、何もかも捨てて逃げ出してしまいたかった。でも家族を養わなきゃいけないし、第一、あの女が私を離してくれなかったんです。どこへ行くにも私を連れ回して、あからさまな嫌がらせをしてくる。下僕は暴君に逆えるはずもなかった――そう、あの女は女帝なんです。彼女が社長になった時だって、実際は前社長を追い払って、無理矢理その座を奪ってしまっただけなんですから。そのせいで、私がどれだけ厭みを言われたことか……」

 女の腕に、強い力がこもるのが分かった。丸く小さなその膝の上で、固く、きつく、拳を握り締めているのだろうか。

「そういやあんた、名前は?」

「え、あっ長谷桃子です。自己紹介もせずにすみません」

 腕の力みが緩まる。

「それじゃあ長谷さん、最後に一つだけ聞かせてくれ。あんたにとって、芹沢澪殺害は何を意味するんだ」

 望月はそう言って、例の特注コースターをつまみ上げた。絵柄の表と、白紙の裏。それを交互に掲げて見せる。

 結露が一滴、したたった。

「……自由という幸せを掴むためです。二度と誰にも虐げられず、誰かを憎み嫉妬することもないように。彼女との因縁を完全に断ち切るには、もうこうするしかないから」

 彼女の表情は心底苦しそうで、申し訳なさそうで、しかし揺るがない希望を携えているようにも見えた。

 望月が手をついて身を乗り出す。

「あんたの気持ちはよく分かった。その依頼、引き受けてやるよ」

「本当ですか」

 彼を見上げる桃子。そうして一つ、ほっと安堵のため息をついた。

 最後に連絡先だけ交換をして、二人が席を外す。

「では後ほど、計画が整い次第報告にあがる。報酬は成功するか否かで額が変わるけど、前金は受け取らない主義なんで安心してくれ。またのご来店を……今度は飲み屋の店主として待ってる」

 気品のある礼をして、ドアノブに手をかける望月。錆びた蝶番が、わずかに軋みながら往復した。

 ドアベルが鳴り止む。

 今日は珍しくほとんど声を上げなかった類が、亜麻色のドアを見つめ、ふと呟いた。

「彼女ああ見えて、店名の由来をちゃんと知っていたな」

「コースターを見せた時か」

「ああ」

 イエローアイリス、日本語で言う黄菖蒲は一般的に、幸福や幸せを掴むといった花言葉で知られている。その一方で、不吉な裏の意味も持っていた。復讐である。

「苦労してここの店名を聞き出し、いざ向おうとしたその前に、一度立ち止まって店名の秘密を解き明かす。そんなことを本当にやってのけているとしたら、彼女、なかなかの切れ者だよ」

「へぇ、お前がそこまで言うとはな」

「なに、ほんの少し興味が湧いただけさ。一見陰気でなよっとしたやつだけど、巷の馬鹿にしては頭が回るし、周りが見えてるから慎重な判断ができる。実際、望月に二択を提示されたときも、今回の依頼は幸福のためだと言いきった。彼女は見極めていたんだ。この答え次第で、依頼を受けてもらえるかどうかが決まることを」

 類がちらりと、望月の反応をうかがう。彼は決まりが悪そうに鼻を鳴らした。

「ともかく明日以降、順次芹沢澪の調査を始めていこう。長谷桃子との関係性についても詳しく知りたい。計画立案はその後だ」

「じゃあ僕は、二人の身辺を一通りまとめておくよ」

「おう、サンキュ」

 天井の大きなファンが、緩やかに室内の空気をかき混ぜる。数多の照明に包まれたその空間は、今のところ、穏やかであった。

 

 FILE03:月・長谷桃子

 FILE04:太陽・芹沢澪

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