midnight3
夜の街にも良し悪しがある。キラキラした風俗店が並ぶネオン街、飲み屋が軒を連ねる横丁、そして、怪しげな店が押し込まれた路地裏。望月が向かっている所といえば、それらより少し離れた、郊外の閑静な街角であった。
それとなく辺りを見渡し、脇道にさっと消えていく人影。その先にあるのは、『CAFE&BAR Yellow Iris』。昼は喫茶店、夜はバーへと様変わりするこの粋な社交場こそが、彼――いや彼らのアジトだった。
「お疲れさん」
カウンター席を回転させてそう言ったのは、同居人かつ逃し屋の助手、知立類。今日も白衣にニットベストといった、安定の出で立ちだ。
「今日、午後の方はどうだった」
「ぜんぜん問題ナッシング。クッションの中や天井も見たけど、盗聴器や隠しカメラの類は一切ございません」
「水回りは見たか」
「以下同文」
「ならいい」
革張りのソファーに、どかっと腰を下ろす望月。ライフルを収めたギターケースを、背もたれの後ろに立てかける。
「そういや今日気付いたけど、あのオンボロアパートも、だいぶ空き部屋が少なくなってきてたよ。また新しい隠れ家を用意しておいてくれないか」
「了解。でもオンボロって、家主の君が言うのかい?」
「あれはオブラートに包んだら虚しいレベルだろ。もっと住み心地を良くしたくても、住んでるやつらがやつらなだけに、どうしても隠すこと守ることに金をつぎ込まなきゃならないし……カフェやバーの売り上げで、どうにかならねぇのか?」
「いやいや、あれが一介の飲食店にあがなえる額だと思ってるのか。依頼人が清貧だと分かるや否や、後先考えず報酬を減らす君が悪いんだろ」
「んなこと言ったって無視できねぇよ。俺は金儲けのためだけに、逃がし屋をやってるわけじゃない」
逃がし屋の仕事は、おそらく殺し屋よりはるかにハードだ。単に危険な任務や武器のメンテ、表向きの身分を保証する『Yellow Iris』の経営をこなすだけでなく、依頼人を欺くための小道具、隠れ家、その警備装置なども整備し、匿った者たちの命と生活を守る責任がある。
時間も金も手間もかかる逃がし屋稼業に、一人では限界を感じ始めていた頃、偶然にもこの万能・マッドサイエンティストが俺を訪ねてきた。あいつはタイミングが良すぎたんだ。でなきゃこんなちゃらんぽらんなやつ、すぐにでも追っ払ってやるのに。
「前から気になってたんだけど、そもそもお前は、どうして俺に協力するだなんて言い出したんだ?」
「いまさら何だよ。僕は自由に研究ができる環境が欲しくて、君は逃がし屋の優秀な助手が欲しくて、利害による一時的な同盟を結ぼうって話になったんじゃないか」
「それは分かってるけど、なんか不釣り合いな気がするんだよな。お前の条件は、正直俺がいなくても叶うだろ。他に要求があるなら早めに言えよ?」
「義理堅いんだ」
「保身のためだよ。血の通わないお前のことだから、エイプリルフールに寝言で約束したとかいう理由で、生体解剖でもおっぱじめるんじゃないかともう不安で不安で」
おー怖ぇ、と半ば本気で望月が腕をさする。
「解剖だなんてまさか! 君を実験台にする予定があるだけで、僕はいたって善良な科学者だよ」
「……おいこら類、善良の意味を調べ直せ」
優雅に足を組んで座る彼に、望月が立ち上がり歩み寄る。類はいち早く危険を察知して逃げ出したが、その首根っこを掴むと、こめかみにデコピンを食らわせてやった。その場でうずくまる彼。
「僕の頭脳は世界遺産級だぞ。ユネスコに怒られても知らないぞ」
とあまりにブツブツ陰鬱なので、望月は類を、また席に座らせてやった。
望月がカウンターに手をつき、類を閉じ込める。
「で、俺を使った実験というのは?」
「シックスミックスの発現だよ。見ると幸せになる空飛ぶ列車、シックスミックス号。聞いたことない?」
「なんだそれ」
望月が眉をひそめる。類の口から飛び出した話だとは到底思えなかった。だってどこからどう見ても、都市伝説を寄せ集めただけのお粗末な創作じゃないか。それとも何だ、ドクターイエローのパクリか、韻を踏んだシャレのつもりか。
「君はときどき面白い顔をするね。確かに僕も、最初に聞いた時はくだらない空想だと馬鹿にしていた。けれど、どうもこれが、ただの都市伝説じゃなさそうなんだな」
類はニヤリと口角を吊り上げると、おもむろにノートパソコンを開いた。頬杖を付きながら数多のパスワードを打ち込み、数多のファイルを開示していく。相も変わらず、目が追いつかないようなブラインドタッチだ。
「ここにずらっと並んでいる通り、シックスミックスには数多くの詳細なルールが存在する。一般的な言い伝えにも同じことが言えることかもしれないが、それらには地域ごとのずれがあったり、なんらかの矛盾が発生していることがほとんどだ。しかしシックスミックスには、そういう不自然な点が一切ない。地域格差がないことに至っては、それだけ多くの発現例があるという証拠にもなる。僕が予想するに、シックスミックス号は超現実の中にこそ実在する。光の反射や屈折による像でもホログラムでもない、いやそのどちらでもありながら、それらを超越するより物質的な高エネルギー体として――」
「いや待て、途中から何言ってるのか全然分かんねぇ。どうせお前のことなんか理解できるわけないんだし、俺にどんな影響が出るかだけ教えろ」
「まったく、仕方のないやつだね」
すさまじすさまじ、と準備していたデータにまたロックをかけていく類。興ざめだって言われても、俺の方は端から楽しくないからなぁ。
「ようするにね、僕は君に、シックスミックスのトリガーになってもらいたいんだ。列車にはその名の通り、六人の運命を交錯させ、六人をより良い未来に導く力がある。そしてきっかけはいつも、ほんの一刹那の出来事でしかないんだ。例えば突然の交通事故であったり、拳銃の引き金を引く瞬間であったり……」
ああ、ようやく俺の出る幕を理解した。どっと疲れが溜まっていく。
「呆れた」
ただただ、その一言に尽きる。
望月は一つ大きな伸びをすると、ぶふぁっとソファーに倒れ込んだ。そこに、類がコースターを差し出す。白地にイエローアイリスの花が描かれた店の特注品だった。その上に、ビールが泡立つシャンディガフが重ねられる。
「隠していたつもりもなかったんだ、まあ許してくれよ。お詫びと言ってはなんだが、これ、僕の奢りだから。後でレジにお金入れとくね」
ナイトキャップ、長い一日の終わりにほろ苦いカクテルか。それも悪くない。
けれど。
「悪いが今はやめておくよ。寝酒って実は身体に良くないって言うし、こういう仕事柄、常に緊急事態に備えておかなくちゃ気が済まなくてな。気持ちだけ頂いておく」
「そうか、なんとも君らしい意見だね……ってことで、ありがたくいただきます!」
類はコースターを手元に引き寄せると、琥珀色のグラスを望月に掲げた。
「お前、最初から自分が呑みたかっただけだろ」
相変らずお互い思いやりが無いなと思うと、なんだか少し安心した。
FILE02:科学者・知立類
【裏設定】
望月の好きな食べ物は、肉と白米。嫌いな食べ物は、ブランデーケーキやウイスキーボンボンなど、甘い酒とその味がするもの。でもブラックコーヒーは飲めない。まとめると、食の好みが男子高校生。
一方、類はブラックしか飲まない。それにつけて、よく望月をバカにしている。