暴走
「……っ、ううっ」
魔界屈指の魔力を保有し、剣技、魔法、体術と全て最高クラスで、魔族師団の長という地位に就いている私が、今にも破裂しそうな心臓を片手で押さえながら床に膝を突いている。
運動したわけでもなく、魔力が切れたわけでもないのに呼吸するのも辛く、動悸、息切れ、胸の痛みに立っていられない。
俯いていた顔をノロノロと上げ私に膝を突かせた犯人を視界に収めた瞬間、その場でバタッと床に倒れ伏した。
無理、降参。この場に白旗があったらブンブン振り回しているところだ。
「リシュナ様……」
「可愛いが辛い!」
「えぇ、それは分かりますが、リシュナ様」
「可愛い、可愛い……可愛い!」
「ルトフィナ様が怯えているのでお立ちください」
ロイラックの呼び掛けを無視して胸の丈を叫びながら床を拳で叩いていたのだが、溜め息と共に告げられた言葉に瞬時に立ち上がる。
室内に待機しているルトフィナ様の侍従達から小さく悲鳴が上がった気がするが、そんなことよりもロイラックの身体で隠された私の天使のほうが大事だ。
「ルトフィナ様……」
「ん、リジュ……ナ」
怯えさせてしまっただろうか……とそっと窺うと、ロイラックのスラックスにギュッと捕まりながら立つルトフィナ様がニパッと笑い拙い言葉で私の名前を呼んでくれた。
そう、数日前まで可愛いお尻をフリフリしながら床を匍匐前進していた天使は、いつの間にか自分の足で立ち、尚且つ私の名前まで呼べるようになっているのだ!
Sランクパーティへの潜入を前日に迎えやっととれた貴重な休憩時間。
連日彼等と共にギルドで打ち合わせをしながら、城へ戻ったら溜まっていた書類仕事。それらを片付け部屋へ戻ればルトフィナ様は既に寝ていて、ここ二日ほどは側に居られなかった。
だから、疲れとストレスでボロボロだった私が、部屋に入るなり天使に初めて名前を呼ばれたらデロデロのメロメロになるのは仕方がないと思う。
「……ルトフィナ様が!」
カッリス様との入念な打ち合わせや、私が魔王城を留守にする間のルトフィナ様の護衛の采配。私の代わりにルトフィナ様の側にヘイルとトイスを就けたので、魔族師団の隊を束ねる代わりの人選、緊急時の対応。
更に、ラウスを手元に長く置く為に頑なに自領に結果を張らないルーベ爺への抗議の手紙など……かなり忙しかったのだ。
無理矢理時間を作るが短い逢瀬すら叶わず、何度か私は何をしているのだろうと賢者タイムに突入することもあったほど。
でも、そう、それはやっと報われたのだ!こうしてご褒美が待っていたのだから!
「リジュ……ア」
ふらふらしながらゆっくりと歩いて来るルトフィナ様にハッとし、身を屈めて両手を広げて待てば、私の腕の中にポスッと天使が倒れ込み褒めて?とモジモジしながら見上げてくる。
ナニコレ、可愛いが止まらない……。
ギュッと抱き締め、凄い!という言葉を連発しながらルトフィナ様の柔らかい髪をわしゃわしゃとしたあと抱き上げ暴走していたのだが、ロイラックの咳払いで我に返った。
「ロイラック、見た!?見たわよね?ルトフィナ様が、歩いたわ……!」
「えぇ、私共は昨日に拝見させていただきました」
「昨日!?何故私に報告しないの!」
「ルトフィナ様はリシュナ様が居られないときに歩行の練習をされていましたので、御自身で披露されたほうが良いと報告は控えさせていただきました」
「まぁ、練習されたのですか?」
「ん……」
「リシュナ様のお名前も、何度も口に出し練習されていたのですよ」
「リジュ……リシュ、ナ」
コクコクと頷き私の名前を一生懸命口にする天使に涙と鼻血が出そうだ……。
最近少し重くなってきたルトフィナ様を抱き上げながら、子供の成長は早さをしみじみと感じる。
人間より遥かに成長速度が速い魔族の幼少期はとても大切な時間なのだ。恐らくもう数日もすればふらつくことなく普通に歩けてしまうだろう。
「……あっ!ロイラック、大変なことに気付いてしまったわ」
「何事でしょうか?」
「私が城を留守にする間に、ルトフィナ様が走ったり、言葉を沢山話すようになるじゃない?」
「そうですね」
「その瞬間に立ち会えないかもしれないわ……!」
「絵師をお呼びしましょうか?」
「絵師なんて……それは呼びなさい。いえ、動いている姿を記録しておくようなものはないの!?」
この世界にビデオがないのは分かっているが、せめてそれに近い物はないのかと叫ぶ。
こう、魔法の力で映像をえいやっ!と残せないかと思案し、そんなものがあったらとうに残していると不甲斐ない己の力量を嘆いた。
「リジュ、ないの?」
「……」
「リシュナ様。無言で凝視してもルトフィナ様には何も伝わらないかと」
「わ、分かっているわ。ルトフィナ様、ないの?とはどのような意味でしょうか?」
「ないの?……なーの?」
駄目だ、何を言っているのかさっぱり分からない。
助けを求めロイラックを見ると、頷いた彼が「最近、リシュナ様が不在のときによく同じようなことを呟かれています」と口にした。
「……居ないの?ってことかしら」
「恐らくそうではないかと。リシュナ様はここ数日お忙しくされていましたので、お寂しかったのではないかと。それと、リシュナ様を追い掛けようとするルトフィナ様に侍従達が歩けるようになれば部屋の外に出られると口にしたようで」
「それで練習を?」
「恐らくは」
腕の中で私の返事を待つルトフィナ様がいじらしい。
確かに、歩けるようになれば外に連れ出しても構わないとお父様達からは言われているが、それも周囲を護衛で固めたうえでの庭園散歩くらいだろう。見通しが良く、広い場所でなければ危なくてまだ連れては行けないのだから。
「楽しみにしていたのかしら……」
無愛想が定番のロイラックが痛ましげにルトフィナ様を見つめている。
その気持ちは痛いほど分かるわ……だって、明日から数週間はSランクパーティに潜り込むので朝から晩まで私は居ない。どうにかすれば顔を見る時間くらいは取れるかもしれないが、あの四六時中ベッタリのローガンを欺けるかと考え天を仰ぐ。
野営でのテントは女性同士で使うから、私を嫌うフローリアの監視の目さえ掻い潜れれば何とかなる。
「ルトフィナ様」
「……ん」
そっとルトフィナ様を腕から降ろし絨毯の上に座らせ、侍従からルトフィナ様のお気に入りだというぬいぐるみを受け取り横に設置する。首を傾げながら私を見上げるルトフィナ様にこれから残酷なお知らせをしなくてはならない。
見た目は赤子でも、中身はもっとうんと賢い魔王様だ。説明すれば分かってくれると、このとき私はそう思っていた。
「ルトフィナ様、リシュナは明日からこの城を留守にします」
「リジュ……ないの……?」
「仕事で遠くへ出ますので、数週間は顔を見せにくることもできないかと」
瞳を潤ませ今にも泣きそうなルトフィナ様に胸が痛むが、しっかり告げておかなければあとで酷く傷つけることになってしまう。
「私が一番大切に想うのはルトフィナ様です。貴方の為なら何をしても良いと思えるほど」
「……ん、ん」
抱っこをおねだりするときのように手を上げ私に向かって伸ばすルトフィナ様は、多分一緒に連れて行けと言っているのだろう。
頬を膨らませ、催促するかのように唸るルトフィナ様に向かって首を振る。
「ルトフィナ様は一緒に行けません。ですから、此処でロイラックや側近であるヘイル達と私の帰りを待っていてください」
「……ん、いーあ、いあ」
「戻って来たら、一緒に庭園をお散歩しましょう」
「……」
「ルトフィナ様……っ!?」
俯いてしまったルトフィナ様に手を伸ばしたときだった……。
――バチッ!
衝撃音と共に指先に痛みが走り、火花が散る。
瞬間、空気が震え、侍従達は皆床に膝を突きながら呻き声を上げた。
「ロイラック……!」
身体に急激な圧力を感じ、マズイと判断しロイラックの名を呼ぶ。
何か言わなくても察するロイラックは直ぐに侍従達を転移させ、扉のほうへゆっくりではあるが足を進めていた。
「……くっ、ヘイル達を……呼べ!」
微かに頷いたロイラックに安堵し、魔力の威圧に対抗するように私も魔力を一気に放出する。ここまで格が違うとなれば、気を抜いた瞬間に身体が床に沈んでしまうだろう。
「……っ、ぐっ」
俯いたまましゃくりあげるように泣き始めたルトフィナ様。
抱き締めようと腕を伸ばすが、まるで自身の腕ではないかのように重く、目で見て分かるほど震えている。
「ルトフィナ様……」
魔族の赤子は、ある程度の歳に育つまで魔力を制御できず暴走させることがある。大抵は親か、その場に居合わせた者が暴走した魔力に自身の魔力をぶつけ上から抑え込むのだけれど、魔力量が桁外れな魔王様の暴走となれば一人で抑えられるわけもなく、人数が必要となる。もし暴走するようなことがあった場合は直ぐに抑え込まなくてはならないので、魔王様の側近には魔力が高い者達が数人ほど選ばれるのだ。
「ルトフィナ様、私の声が聞こえますか……?」
「……いあ、いーあ!いーあ!」
抱き締めながら声を掛けるが、首を左右に振られ拒否されてしまう。
普段であればこれで機嫌が直るのに……駄目だ、完全に機嫌を損ねてしまった。
(ヘイル、トイス……早く、来て……!)
優しく背中を叩きながら何度も声を掛け続けるが、視界が霞みそろそろ限界が近いことを悟る。
魔族の王様はやっぱりひと味違うのだなぁ……と半ば現実逃避しそうになっていたとき、部屋の扉が音を立てて開いた。
「うっ、リシュナ……!」
「……うわぁ、よく耐えていたよね」
やっと到着したヘイルとトイスも急いで私達の元へ駆け込み、ルトフィナ様に振れ魔力を放出する。
「……遅いわ」
「すみません。演習場に居たもので……っ」
「ロイラックが呼びに来たから急いで来たんだけど、ううっ、相当キツイね、コレ」
「ルトフィナ様ですからね……トイスは限界がきたら抜けたほうが良い。リシュナはそのまま宥め続けてください」
「優秀な側近達で助かるわ……」
「え、嫌味……?」
「違うわよ。本当に助かっているわ、ありがとう」
「……急ぎましょう。リシュナの様子がおかしいようです」
「そ、そうだね、お礼なんて初めて言われたよ……」
「……ところで、カッリス様はそこで見学しているだけですか?」
援軍に安堵し、周りを見る余裕がでたことで開かれたままの扉に立つカッリス様を見つけた。ヘイルやトイスよりも頼もしい援軍だが、何故しれっと突っ立っているのだろうか。
「それは君達の仕事だからね。一応、魔力が外に漏れないよう結界は張っているよ」
「それは、ありがとうございます……?」
「ほら、私と話していると、ルトフィナ様の機嫌が悪くなっていくよ」
「……うわっ、俺、もう、かなり限界だからね!」
「トイス、男なのだから踏ん張りなさいよ!」
「ちょ、この場合は男とか関係ないよね?リシュナがおかしいだけだから!」
耳元で騒ぐなと怒りたいところだが、今はそれどころではない。
「ルトフィナ様、皆が心配して来てくれましたよ」
「……いあ、リジュ、ない。いーあ」
「でも、此処に居るヘイルとトイスも、ルトフィナ様を大切に想う者達ですよ」
「ルトフィナ様。リシュナだけではなく、私も貴方の側近ですよ」
「俺も、俺も居ますから……っ!」
「……いーぁ」
段々と声が小さくなり、しゃくりあげる音も聞こえなくなってきた。
そーっと顔を上げ此方を窺うルトフィナ様を安心させるように微笑む。まだ涙の痕が残る頬を撫でながら魔力を上から抑え込んでいく。
「私が留守の間は、この二人がお側でルトフィナ様を守ってくれますからね。それと、歩けるようになったのですから、庭園で沢山遊びましょうね」
「……」
「私が居ない間に様々なこと学んで、また驚かせてくださいね」
「……ん」
コクリと頷き力を抜いたルトフィナ様を抱き上げた。
暴走して疲れたのか、瞼が落ちてきているルトフィナ様の身体を揺らしこのまま寝かせてしまおうとあやす私とは対照的に、ヘイルとトイスはまだ立ち上がれず床を這いずっている。
私の威圧でも辛い二人が、更に上位の存在であるルトフィナ様の威圧に耐えながら魔力を放出していたのだから凄いことだ。流石側近だと感心しながら、もう暫くは声を掛けないほうが良いと判断し、カッリス様に向かって軽く会釈する。
「助かりました」
「大したことはしていないよ」
「いえ、部屋の外にまで気を配る余裕はありませんでしたから。ロイラックは?」
「無事だよ」
良かったと肩の力を抜こうとし、目の前に立つカッリス様の目が笑っていないことに気付き背筋を伸ばした。微笑んでいるのに、声はとても優しいのに、目の奥は冷めている。
……何か、凄く怒っているわよね?
「リシュナ嬢」
「はい」
「侍従達は勿論、そこの二人、ラウスが戻り三人になったとしても、ルトフィナ様の暴走を止めることはできないよ」
「私が留守にしている間は、お父様に頼んであります」
「うん、私は別件で城に来られないから無理だけれど、他の当主達も手を貸すだろうね。でも、間に合わないこともあると分かっているね?君だからこそ今回はこの程度ですんだだけで、他の者だったらとうに部屋は崩壊していたよ」
「……」
「だからこそ、先程のように赤子をあやすようなものではなく、魔力が暴走したら直ぐにルトフィナ様の意識を落とすようにしなさい」
「意識を……?」
「まだ赤子なのだから物理的にどうとでもできるよ」
「まさか、ルトフィナ様に手を上げろと……?」
「意識を落とすだけだよ。今代はリシュナ嬢が居るからまだどうにかなってはいるけれど、歴代の魔王様の暴走はそうして止めてきたんだよ」
「……」
「リシュナ嬢は、甘いね」
躊躇う私に呆れたのか、カッリス様はそれ以上何も言わず私の腕の中に居るルトフィナ様を一瞥したあと、静かに部屋を出て行ってしまった。




