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十一日目の永遠 ~消えたい僕とカタチある神様~  作者: 吉野 諦一
第一章 神様は無垢な少女の姿をしている
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神の居る町、陽向町




 長い石段をのぼった先に何があるのかを、僕はまだ知らない。


 幅の違う段差に気をつけながら、一歩ずつ進む。ときどき枯れ葉を踏み、じわりと染み出す湿り気が足裏を冷やす。山道を覆うように並び立つ木々は、どれも裸の枝を晒していた。


 引き返そうか、と考える。この山の頂上から吹き下ろす風は僕を歓迎していないように思えた。山頂に居るという神様が余所者に不寛容であるなら、参拝しないのも手ではある。


 そもそも僕が階段をのぼり始めたのは、神様が実在してそこに居るなんていう、この現代において非科学的な話を否定するためだった。山頂に足を運び、神様なんて居ないという事実確認をしなければ、それは叶わない。


 半ば意地になって石段をのぼり続ける。やがて終わりが見えてきて、最後の一段を乗り越えたときにふっと身体が軽くなった。上から押さえつけるような風が去ったからだろう。それで充分に説明可能だ。


「どうして信じないのですか?」


 声が聞こえた。はっきりと、若い女の声。


 けれど姿が見えない。見えるのは灰白色の鳥居と、古びた社がひとつずつ。


「こちらですよ、旅のひと」


 視線を誘導するように、鼻先を一枚の枯れ葉が通り過ぎた。鳥居をくぐった先の、拝殿の軒下まで辿り着いたところで、葉はひとりの少女に抱き留められる。彼女は高校生くらいの身丈で、紺色のセーラー服を着ていて、セミロングの髪に琥珀色の飾りをつけていた。


「きみが、神様?」


 そう問うことに自分でも驚くほど迷いがなかった。


「ええ、わたしが神様なんです。拍子抜けしたでしょう」

「そんなことない。すごく、納得した」


 理想的でさえある、と思った。大人の姿じゃないところが、特に。


 でもこれで神様が居ないことの証明ができなくなった。いったいどうしてくれるのだろう。


「さっきの質問の答えだけど。僕は神様に居られてしまうと困るから信じないんだ」

「それはどうしてですか?」

「自分が神様にも見放されていたと認めることになるから」


 何度神様に祈ったか分からない。なのに救われたことなんて一度もなかった。


「きみが居ると、僕はとてもみじめだ」

「出会ったばかりの人に言われても、ぴんときませんね」

「それもそうか」


 彼女からすれば僕は突然やってきて出会い頭に難癖をつけてくる不審人物だ。不審というより、不敬と言ったほうがいいのかもしれない。


 しかしまんまと神様の存在を目の当たりにしてしまった僕は、やり場のない憤りをため込んでいる。あれだけ神様は居ないと決めつけていたのに、あっさりと真実を知らされて、しかもそれを疑う余地が見出せないというのは、想像以上に苦しい。


「旅のひとは、変わったひとなんですね」


 くすくすと笑う神様。


「外から来たお客さんはわたしを神様だと思いません。人間というのは信じたいものだけを信じたがるものです

から。けれど、貴方は自分にとって不都合な事実であるにもかかわらず、すんなりと信じた。とても変わっています」

「よく分からないけれど、褒められてはいないみたいだ」

「褒めてますよ」


 どうにも掴みどころがない。神様らしいといえばらしい。


「旅のひと。お名前はなんというのですか」


 偽名を名乗ってやろうかと思ったが、相手は心が読めるようだったので素直に答える。


澤口さわぐち夜高(よだか)

「では夜高さん。わたしは貴方が気に入ってしまいました」


 そう言って神様が手の届く距離まで近づいてくる。上目遣いで微笑む彼女は、本当にただの女の子であるかのようだった。


「わたしのことはヒイロと呼んでください。この町に住む人は敬称をつけて呼んでくれますが、夜高さんは特別に呼び捨てでも構いません」

「光栄だな」


 随分と興味を持たれたようだ。期待に応えられる特別さなんか、僕にはないというのに。


 まぁ、いい。何があったって、もうどうでもいい。


「ヒイロ」

「なんですか夜高さん」


 名前を呼ばれて嬉しそうな彼女に、僕は言う。


「きみが神様だっていうんなら、僕の願いを叶えてはくれないか」

「いいですよ」


 あっけなくヒイロは答える。


「ただし、相応の対価をわたしは求めます。あっ、でもお賽銭とかじゃないですよ。神様がお金持っててもしょうがないので」

「そうか。僕は何を差し出せばいい?」

「時間です」


 にっこり笑って、ヒイロは言った。


「今日から十日間、貴方の時間をわたしにください」



   *



 大学が冬季休講期間に入って久しい、三月のなかごろ。


 僕は中古のスクーターを購入して、最低限の荷物だけを背負って旅に出た。その間着回したのは、大学生になって最初の冬に買った濃紺のジャケットと、色落ちをおそれるあまり収納ボックスの肥やしになっていた海外ブランドのジーンズ。おかげで僕は身軽になって、どこへでも行けるような気がしていた。


 陽向町ひなたちょうに辿り着いたのは、まったくの偶然だ。高速道路の下道を西へのらりくらりと走行し、日が沈むまでに到着できそうな宿がそこにしかなかった。そのときはまだ目に見える神様の居る町だなんてことは知らなかったし、古来からの伝承が残る地域だということも知らなかった。


 旅の目的地は決めていない。行けるところまで行って、飽きたらそこで終わりにしようとは漠然と考えていた。


 ただ具体的に計画を練るのだけは避けた。その日の寝床を決めるのはやむをえないとしても、次の日のことは常に白紙にしておきたかった。


 この旅のあいだは、あらゆることに効率を度外視した。旅費からルート、所要時間まで何もかもを考えないようにして行き先を選んだ。それでさえ、分かれ道をどちらに曲がるかという程度の、目先の選択くらいにとどめておいた。


 つまり僕は賽の目を神に託していたわけだ。


 この町に引き寄せられたのは、偶然であると同時に必然だったのかもしれない。




 民宿の名前はマキノといった。何度か改装を繰り返したのか、周囲の和風な民家とはやや趣きが異なっている。白い壁と青い屋根が特徴的な、清潔感のある建物だ。


 神様との『契約』を済ませた僕が戻ると、玄関扉の前で民宿の主人が立っていた。


 この人こそが僕にあの神様の居場所を教えた張本人、槙野まきの純二(じゅんじ)だった。


「神様にはお会いできましたか?」

「はい。想像していたのとは全然違いましたが」

「そうでしょうね、うん」


 歳は四十前後だろうか。物腰の柔らかそうな、優しい雰囲気のある男性だ。上背があるものの細身で、やや頼りない印象を受ける。


 もっとも、体格に限れば僕も似たり寄ったりなので偉そうには言えない。


「変わった神様だったでしょう」


 神様に変わっているも何もないと思うが。僕は心の内で毒づいた。


「私も余所者で移住してきたんですがね、最初は町の人が何を言っているのか分からなかったんですよ。山のお社には土地神様が住んでいらっしゃるから、引っ越してきたらまずご挨拶に伺えって。それで行ってみたら、あの女の子です」


 民宿の主人は信じられない体験を語るようにして話を続ける。


「ひょっとしたら私は騙されているのか、とまずは疑いました。神様として祀り上げられているのは普通の女の子で、ここの住人は結託して余所者を気味悪がらせ、追い払ってるんじゃないか、と。でも十年近く住んでみて、その疑いは欠片も残りませんでした。あの少女は、外見がずっと変わらない。本物の神様ですよ」


 純二さんに案内され、玄関から二階の個室へと通される。荷物は初めに訪れたときに預かってもらっていたので、部屋の電灯をつけるとすぐに見つけることができた。


「それでは夕食が出来たら内線電話でお呼びしますので。今日宿泊される方はお客さまだけですから、何か困ったことがあれば気兼ねなくご連絡ください」


 戸が閉まり、僕はひとりになる。そこでようやく一息つくことができた。


 あの神様――ヒイロとの会話で、ここ一週間分くらいは喋ったような気がする。宿に戻ってきてからは正直ずっと黙っていたいくらいに疲れていたが、純二さんがほとんどひとりで喋ってくれたのは幸いだった。


 畳の上に仰向けになって、天井を見つめる。今日限りの宿泊であるはずだったこの部屋が、これから十日間の拠点になるのだ。


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