episode 3
シャコッシャコっと何かを擦る様な音が遠くから聞こえる。
何の音だろうと意識を音に向けてみると、今度はぼんやりと横に黒く長い長方形が見えてくる。レンズのピントを合わせる様に次第にはっきりと見えてくるそれは、先程まで使用していた液タブだった。体は動いていないのに液タブにペンを落とす音が聞こえることを不思議そうに思っていると、夢だということに気づく。
この体験は今回が初めてではなく、以前にも同じような体験をしたことがある。ケースとしては、筆が乗ってきた状態で寝てしまったり、創作意欲が高まったまま眠ってしまうと今の様な状況に陥りやすい。今だって、こうして夢の中でこの状況を分析してしまっている自分がいるのは恐らく、小説執筆が影響しているのだろう。
俺はイラストの他にも小説を書いてみたいと思うようになり、時には丸一日小説を考え、液タブに電源を入れない日だってあったぐらいだ。逆に言えば小説という物語に挿絵を付けているのがイラストレーターという職業に就いた者で、有名なキャラクターは小説から出ているという考え方もできる。何が言いたいのかと言うと、キャラは物語無くしては生えないということだ。
だから、俺はその両方を一人でこなしたいと思ったわけだ。
両立が難しいことは重々承知だがこれが俺の本来の悲願なのかもしれない。
「・・・きて・・お・・・・・・て」
聞き覚えのある声が耳に届き、深い海の底に沈んだような、体がゆっくりと浮上する感覚にとらわれる。
「う・・・ん・・?]
朝陽が目に指し、開こうとする瞼を強引に閉ざそうとしてくる。
「起きて・・・!起きて キット!」
「うわっ・・・!」
ブワッ!と強風を体全体で浴びた様な感覚が体を覚醒させ、そのまま勢いでベッドから体を起こした。
「やっと起きた いつまで寝てるつもり?」
新たな生活が始まって最初の朝に見たものは頭を撫でたくなるほど可愛く、天使の様に白い肌と髪を持つパジャマ姿の少女だった。
「レッ、レイス・・・・・・! いつからそこに!?」
「キットが起きる前から」
「そ、それはそうだろうけど。その格好・・・」
「今はまだ朝の七時だし、この格好でもおかしくないはず」
レイスは水色のパジャマの右袖の部分を左指でつまみ、作られている繊維を確認するような素振りでそう言った。首元に生地より青いリボン、下はメイド服の様なフリルが付いた、ワンピース調のそれはどこか幼くも見えたがレイスの整った容姿がそれを大人の物へと引き立てていた。
(本当に十四歳なのか__?)
「七時って・・・レイスは早起きなんだな」
「これが普通でしょ?」
「そうだけど」
昨日は夜遅くまで作業をしていたせいで寝不足気味だった。本当の事を言うと、俺が睡眠をとり始めたのはものの数時間前で眠りの深い所から無理やり起こされたのだ。そんなことを考えているうちに現実と夢の世界が曖昧になり再び目を閉じる。座った状態で寝るのはあまり体に良くないことぐらいは分かるがそれよりも睡魔が勝っていた。
コクリ コクリ、と首をゆっくり船をこぐように動かし始めたころ、痛覚が仕事をする。
「痛っ____!」
首の中に鉄製の様なケーブルが張り巡らされていて、そこに水をかけ、電気を流された様な痛みが首を支配する。恐らくこれは長時間、同じ姿勢でイラストを描いていた代償だろう。少し、首を動かすだけで激痛が俺の動作を制御する。
「首、痛いの?」
レイスが俺の顔を覗き込んで来る。ベッドの上に両膝をつき右手に体重をかけてこちらに近づいて来る、レイスに俺は頬のあたり熱くなるのを感じた。
「ち、近いっ!」
あまりにも無防備な服装と四つん這いに近いポーズの彼女に俺は思わず目線を逸らす。
「顔が赤いよ? 風邪でも引いた?」
さらに話を続ける、レイスに俺は何も言えず不意にベッドのシーツに目線を落とす。そこにはただ、レイスの体重がかかる場所を中心にシーツがシワを作っていただけなのにそれだけで胸の鼓動が早まる。いわゆる、《ベッドシーン》という展開を想像してしまったからだ。
この手のシチュエーションはイラスト界ではよく使われるもので、ベッドの上に少女という簡単な組み合わせなのだが描ける人間が描けば、それだけで人の心を動かすことができる代物だ。(男性向けのイラストだが・・・・・・)
最近の美少女イラストはやたらに肌色が多く、ただ脱がせば良いという考えが多数を占めている気がする。最近では女性の絵師さんでもそのようなイラストを描く人もいる。
でもそれは、男性のみを商売のターゲットにしていると考えることもできるしそっちの路線の方が実際もって収益が高いのも真実だ。 それはそれで間違ってはいないのだ。
何故ならイラストレーターはイラストで食べていかなくてはいけないのでその道が間違っているとも言えないからだ。
美術には表現の自由が設定されているが、もしその設定が今の現状を見越して作られたのであれば、作ったのは_イラストの神様なのかもしれない。
なんて考えてしまう。
「そうじゃないけど・・・できれば少し離れてくれたら助かる・・」
「・・・・うん?分かった」
今のキット何か変と言いたげな表情でレイスはベッドから降り、近くにあった椅子に腰かけた
「これでいい?」
「うん それでいいよ」
(女の子とあんなに接近したことがないから、今のは仕方ないかな?でも、結構いいアングルっだのにな・・・)
「ところでさっき、「痛い」って言ってなかった?」
「言ったけど?」
「軽い治療ならできるけど、やってみる?」
「治療?」
「治癒魔法を調整しながら行使するだけなんだけど」
聞こえたのは定番の回復系魔法の一種だった。大抵の物語はこれを使って、負傷を直すことになるのだが、この世界はどのような使われ方をするのか。
「どこが痛いの?」
「首かな?後、周りも・・・・・・」
「要するに首から肩にかけての全体ってことでいい?」
「・・・うん」
「わかった 痛みの中心はここだとして・・・このあたりかな?」
レイスは俺の首に手を軽く置きながら、何かを探知するように独り言を呟く。その手の動きがあまりに鮮明で、俺は治療をされていることを忘れてしまう程だった。ひんやりとした指先に少しの温かみと柔らかさのある手のひらが俺の肌に被さる。
「こことかどう?」
「うん?・・・なっ!」
レイスの声に視線を向けると、あと数センチでお互いの肌が当たる距離にレイスがいた。俺は思わず、反射的に顔を前に戻す。一歩間違えれば、キスをしてしまっていたのではないかと考えてしまう。
「どうしたの?急に驚いて?」
「い、いや別に・・・強いて言うなら近いから・・・・・・」
「近い?」
「こっちの話だ・・・気にしないでくれ・・・・・・」
「うん」
そう言うと、レイスは再び、治療を再開した。先程と同様で俺の肌上をひんやりとして肌が滑る。
そして、手の動きが止まり、次に暖かい感覚が体に伝わる。タオルをお湯に浸したような、暖かさは眼精疲労になった時の対処法に似ていた。簡単に説明すると、スマホやパソコンなどの液晶画面を長時間、見続けた時に起こる眉間の痛みから始まる、目の疲れの様なものだ。そんな時に俺はよく、お湯で浸したタオルを両目にしばらく当て目の回復をしていた。
今、レイスがやっているそれも同じような感覚だった。
ジワーッと外側からのエネルギーが体の内側に浸透し中から直すその様は、言うまでもなく魔法だろう。次第に体の違和感は消え、いつもの調子に戻っていた。
「これでどうかな だいぶ良くなったはずだけど?」
「あぁ すっかり。本調子だ!」
「よかった もう、あまり無理はしないでね」
「うん じゃあさっそく・・・・・・」
肩が治ればこっちのものだ 昨日のイラストをもう一度見て、修正箇所がないか調べ、新たな一枚を描き上げないと。
____などと思い、レイスに背を向け、液タブが置いてある、机に行こうとしたその時____
ジー・・・・・・
(何かものすごい圧力を感じる)
だが、そんな《《気のせい》》に構っている暇はないと言わんばかりに足枷が付いた様に重い足を動かす。
(気のせいじゃ・・・ないよな・・・・・・?)
気のせいじゃないことはわかっていて、気づかないふりをしていたが、こうも視線を浴び続けるということは精神的にダメージを与えるのかと痛感する。
「わ、わかった わかったから・・・今は描かないから・・・・・・その視線を向け続けるのはやめてくれ・・・」
レイスの視線という圧に負けた俺は素直に《《作業》》以外の何かをしようと行動する。
(外に出てみるか? いや、それはやめておこう)
カーテンからから差し込む陽の光で外は青々とした海の空で気候が一番良い天気なのは察しがついたが、もし、俺一人だけっで外を出歩けば確実に迷子になるだろう。そう考えると、俺の心の天気は外の天気の真逆_曇りになっていた。
「することがないなら、外にでも行ってみる?」
レイスが今、まさに俺が考えていたことを口にする。
「まぁ、行ってみたいな。それに昨日は夜だったし、街の雰囲気もあまりわかってないし」
「それなら、決まりだね。そうと決まれば、着替えてくるね」
「わかった。俺もすぐに支度するよ」
「後それと、キットの着替えはそこのクローゼットに入ってるから好きに着ていいよ」
(俺の着替え・・・?)
確かにこの豪邸なら客人を招いたパーティーなどで、使用人がワインなどをこぼしてしまい、服を汚させてしまうこともあるかもしれない。だけど、それは客人を招く機会と使用人がいなければ、この推理は成り立たない。実際にレイスにそんなことを聞いたわけではないが少なくとも、この家に使用人の類は存在しない。なのに、何故、俺でも着れる服があるのだろうか?
もっと突き詰めて言えば、
なぜ____男用の服があるのだろうか?
「えーと、このクローゼットであってるのかな?」
俺は不思議に思いながらも、レイスに言われた通り、クローゼットを開けた。
「まるで、絵にかいたような服だな」
中には、同人誌即売会の会場などに着て行ったら、コスプレと間違われてもおかしくないぐらいの服が丁寧に整理されていた。しかし、どの服も一着一着が繊細に作り込まれており、肌触り、質感、重さ共に俺の世界の簡易的なそれとは大きく違っていた。
ここで俺はようやく、異世界というものを《《体》》で体感したことになる。
その中で俺は一際、視線を引いた、厚手のコートに手を伸ばした。シルクの様に白いそれは触るとカッターシャツの様に薄いのだが不思議と体に馴染んだそれを俺は羽織った。
「後は適当に色合いを合わせてっと。よしっ」
服を着替えた後、俺は備え付けられていた、姿見の前に立った。
「・・・・・・」
鏡に映るのは昔の俺ではなく、セレクトリアの市民のそれだった。襟を直し、袖を少し整えると、俺は机に置いてある、液タブの前に立った。
「こうゆう場合はどうしたらいいのかな? 一応ここは室内だし、まず盗まれることはないだろうし、持ち運ぶには少し重たいな」
仮にもここはレイスの家。豪邸なだけあってかなり目立つ。盗みをする様な者からみたら金になる物があると考えるだろう。それを考えれば、液タブは持って行った方がいいのかもしれない。
だが、逆に考えれば目立つ=人目に付きやすい。
すなわち、この家に使用人がいなくても、周りの住民が立派にその役目を間接的に行ってくれるはずだ。
だから、俺は_
「行ってくる、また帰ったらよろしく」
いくら血の通っていない物だとしても、長い時間、使い続ければ物にも《魂》が宿ると俺は思っている。それに、人より付き合いの長い、それらは俺にとって友達より、そして家族よりも大事な存在だった。
最も、今はそれを超える、《モノ》に出会えたわけなのだが_。
液タブとその他の作業道具《相棒》に声をかけると俺は部屋を出た。
その時の俺の気持ちは清々しく、どこか吹っ切れた様な感覚だった。それと、盗まれる心配も自然と消えていた。
__だって、ここはもう俺の家なのだから。