episode 26 【Secret day】
零れ落ちた純白を滲んだ景色越しに見つめる。鳥の羽がそっと落ちた様にゆっくりと腕から去っていった暖かな感触は夜風に冷やされた冷たい無数の長方形のレイヤーに身を預ける。
自身の手に残った微かな、感触という名の残像を俺は最後まで感じ続けていた。
そして、それは数秒も満たない時間の砂糖が溶けるように消えた。
「あ・・・あ、あ____あぁぁぁぁーーーー!」
俺の中で何かが切れ、何かが爆発した。視界は何を見ていたのだろう。体はどうやって動いていたのだろう。心はちゃんと乱れていたのだろうか____。そんな、人としての正常すらも、見失っていっ俺はただ、その場で声を上げていた。怒り・悲しみ・絶望・失意・偽善・喜び・憂鬱・恐怖_____その全てを混ぜ、体が精神が破裂しそうになる。自身だけが砕け散るのは、俺の何かが許さなかった。せめて、何人かは連れて行くと____。あいつだけは・・・・・・。
____黒いお前だけは________。
そう思えるだけで俺はまだ、完全に人と言う理を見失っていないのだと思えた。同時にそれは、俺をこの世界に留めようとする抑止力にも思えた。
『ほう、その状態で私に一矢報いようと思えるのか・・・人は何故そうも、一つの個人に対して思いをはせれるのだ・・・・・・私たちには到底、理解しがたいことだ』
黒は俺の言動や精神状態がもたらす、感情を目で確認し学習するようにそう言った。その言葉には一切の感情が灯っておらず、ただ____人と言う在り方を覚えようとしている様に見えた。
「お前には一生かかっても無理なことだ」
『一生?あぁ、人という者が肉体を保持したままこの世界に留まれる時間の例えか』
「その言い方だとお前は人間じゃないと考えられるな」
『そんな事どうでも良いではないか・・・別段、見破られた所で人がどうこう出来るモノでもない。ここで全てを消しさえすれば、後は何事もなかったかのように人が事件として片づけてくれる』
「俺達をここで殺すのか?」
『無論だ。私たちの存在は常に隠されていなければならないのでな』
会話は死の直前にするようなものではなかった。どちらかと言うと、今から戦いが始まるのではないかという緊張感の中で行われる、嵐の前の静けさの様な感じだった。しかし、この黒いローブは絶対的な何かを秘めているらしい。最初から戦闘という気配すらも感じさせていなかったのだから。剣を構える一瞬の動作という隙を俺が自ら作った時が俺の命の終わりの時だろう。
『死ぬことに対する覚悟は不要。すぐに終わる、お前もそこの娘もすぐに』
黒は右手の先から黒い影の様なオーラを放出した。霧に風が吹いた様に揺らめき、形が定まらないそれは、次第に一つの形へと形相を整えていった。剣の刃の部分の様に鋭く、全体が漆黒色をしたそれは、主と共にこちらに歩み寄って来る。
あと数歩の命
あと数秒の命
あと一呼吸の命
何を取っても、俺の命はたった数回の行動で終わってしまう。
急ぐわけもなく、決定事項はただ、静かに地面を踏みながら近づく。
俺は目線の先を黒から白へと変えた。そこには煉瓦の道の上で、白い髪の少女が眠る様に横たわっていた。顔は苦しい表情をしておらず、いつもの整った容姿で瞳を閉じていた。俺はそんな彼女の顔にそっと触れ、一言呟いた。
____守ってやれなくて、ごめん____。
この言葉には彼女をこの状況から救えなかった事とあの青い月の日に交わした約束が果たせなかったことへの二つの意味があった。
俺は最後に剣に手を回した。
黒との距離はもうそんなに遠くはなかった。
純白の天使を名残惜しそうに一瞥し、俺は瞳を再度開きなおした。
____俺はどんな死に方をするのだろうか?
____胸を一突きで終わらされるのだろうか?
____レイスやディセルも同じ目に合うのだろうか?
____そもそも死ぬという事は何を意味するのだろう?
最後に俺は四つの疑問を残し、それ以降の思考を停止させた。
『____死ね』
頭の中に闇を声にしたような残響が響く。振りかざされた黒い蜃気楼は風の流れを歪め、俺の方へ弧を描くように振り下ろされる。
____あぁ、首をはねられるのか。
瞳を閉じ、静かにその時を待つ。一瞬で起こり、意識と共に消えるその痛みを俺は暗い意識の世界で待った。心残りと言えば、レイスを最後の最期まで描けなかったこと、そして、最後の一瞬までレイスを見続けていられなかったことだった。
____この状況を打破する力が欲しいか____
死を覚悟したその一瞬、とても遠くてとても近い誰かの声が聞こえた。耳からではなく精神に直接語りかられる様なその声に俺は意識が別の方向に流れていくのを感じた。
(____!)
____誓いを果たすための____
声の主は最も遠く、最も近い存在だった。止まった時間の中で語り掛けてくる声は俺に契約を持ち掛けてきたいる様に思えた。その契約にどんな代償が、どんな制約があるのかは今の俺には関係のない事だった。
_ただ、目の前で動かなくなった少女を助けることが出来るのなら俺はそれだけで_。
____契約には代償がある____
想定内の発言が聞こえた。別段俺はそれに臆することもなく、続きを問う。
____右腕の寿命の半分を貰う____
「___________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________」
きっとこれが誰かを救う・・・・・・命を救う代償なのだと俺は思った。
その代償は実に代償らしく、奇跡を起こすには少々足りないのではないのかと思ってしまう程、安い代償なのだと俺は思えた。でも、俺には一つだけ後悔を残してしまうのではないかと思ってしまった。
もし、俺がこの代償と引き換えに契約を結んでしまえば、レイスとの誓いは無かったものになってしまうのか?それとも、誓いは破棄され少女との繋がりは無くなってしまうのだろうか?
契約を結べば、レイスの命を守ることが出来る。レイスを守らなければ右腕を守ることができる。どちらか片方を守れば必ず、失うモノがある。
だが、この考えには決定的な誤解が一つだけあった。それは、右腕を守ったところでこの状況を打破する術は何一つ持ち合わせていないことだ。後者を守れば、二年と言う期間は腕を使える。しかし、今まさにそれを根底から崩す者が刻一刻と黒い鋭利を携えてこちらに近づいている。結局のところ、答えは前者に絞られることは最初から分かっていた。
だから、答えは決まっていた。
_いいだろう、交わすぞ その契約_
俺はただ一言、そう言った。
すると、意識は暗い海の中に差し込んだ眩い光により覚醒させられる。夜の漆黒を照らす様なその光に黒は思わず、顔を手で覆う。
次に俺は瞳に感じた、異様なオーラに意識を集中させ剣を握った。
『貴様、その瞳____!?』
無感情だった黒に大きな焦りと驚きが芽生えた。
一瞬の隙を見せた、黒に俺はたった一蹴りの躍動だけで詰め寄った。
「《この世界に栞を挟んで》」
心の中で誰かが詠唱を唱えた。
『何っ____!』
黒は今目の前で起きている出来事を理解できず、そのまま後方へ飛んだ。
「そんなもんか、《黒の手紙》も大したことないな」
俺は俺ではないと思ってしまう程、不可解な挙動と言動を発していた。これも、契約直後の誤作動なのだろう。
『仕方ない・・・』
黒はよろめいた体でそう言い残し、暗い闇に消えようとする。
「逃がすとでも思うか」
俺は握られていた、人間の作り出したモノを握り直し、黒いローブの頭に閃光の如く突き刺した。
視界の中で霧散する黒い影。
どうやら、俺は黒の幻影を殺したようだ。
『今宵はここまでしておいてやる・・・だが、次に交わればお前とその周辺の者、全てを鎮火させてもらう』
気づけば景色の中に黒いローブの姿は無く、静まり返った街並みと白衣の死体。
そして____。
「だから逃がすと思うか?」
俺は俺が何を言っているのか分からなかった。自分の意思で行動しているはずなのに何故か、一つ一つの動作に違和感と不信感を感じずにはいられなかった。しかし、体はそんな思考の働きを振り払う様に次の動作を行おうとする。
「行くぞ____」
羽ばたくように足に軽く飛躍をつける。そして____。
____もういいよ。
不意に発せられた大切な人の声。言葉に出来ない悲しみと嗚咽が俺を襲った。この腕から零れ落ちたはずの少女の声に俺は本当の意味で意識を取り戻した。
「レイ・・・ス・・・・・・?」
背後に感じた雰囲気に俺はそっと、尋ねる様に名を呼び振り返る。凍結していた心に優し気な温かみが触れる感覚に陥る。それはやがて、氷を溶かす様に俺の心に平穏をもたらす。
「____私を守ってくれたんだね」
その言葉に俺はどんな言葉を返せばいいのか模索する。
「当たり前じゃない・・・か・・・・・・俺は君がいないと____」
言い終える頃には目尻には大量の水滴の粒が堆積できずに頬を伝っていく。人の事で泣いたのはこれが初めてだった。
「もう・・・男の子が泣くなんて・・・・・・」
そう言ったレイスも同じように泣いていた。少女の涙はどんな理由からきたモノだろうか。この状況から助かったことからくる安心からだろうか。それとも____。
「レイス、俺はまだやらないといけないことが」
俺にはまだやるべき事があった。それは黒いローブの者をここで捕らえ、レイスにかかった《反転の呪い》を解かせることだった。奴がそんなことを素直に聞くとは思えなかった。それよりも、俺には大きな不安が一つだけあった。それは、目の前の少女に告げるにはあまりにも酷であまりにも無神経なことだった。
____そう、《反転の呪い》は解呪、出来ないのではないかという考えが頭をよぎった事だ。
「だからさ、レイスはここで少し休んでいてくれ」
精一杯の優しさを込め発した言葉。
「行かないで」
それにレイスは反発した。
「どうして?」
俺はこの時、質問したことを後悔することになるなんて知る由もなかった。
「それは・・・・・・」
レイスの顔に暗い影が落ちる。
「・・・うん?」
その様子に俺は恐怖にも似た動機が走るのを感じた。
「キットにはあまり、戦って欲しくないから」
簡潔に告げられた理由に俺は思わず、「え?」と返してしまった。少女の胸中に抱く思いも知らずに発した言葉。だけど、少女の顔には一向に光は灯らず、俺はトラウマによる気持ちの低下と思い、話を明るくしようとした。
「もしかして、それってレイスが俺を一生守ってくれることか?」
冗談半分で聞いた。
「うん・・・うん・・・・・・。それでもいいっ! だから・・・だからっ! これ以上は・・・・・・戦はないで・・・・・・・・お願いだから・・・・・・」
投げかけた言葉に対してレイスは何かを訴えかける様に俺の戦闘への在り方を変える様に願った。その尋常ではない感情がこもった言葉を青い瞳の少女は滲んだ景色越しに発していたのだろう。月を写した様な青い瞳でレイスは俺へと手を伸ばした。
「・・・レイス・・・・・・・・?」
一体何が彼女をそうさせたのだろうか?黒との遭遇が彼女の精神を乱したせいなのか?それとも、俺が戦って死ぬかもしれないという考えが頭をよぎったせいなのかと、いくつかの考えは思い浮かんだものの、そのどれもが《レイスの為》の願いではないという共通点があった。
「お願い・・・お願い____だから」
今もこうして、俺への願いを訴え続けている、白髪の少女。
「____レイスの《反転の呪い》を解く方法があるかもしれないんだぞ・・・・・・?」
無情にも俺は彼女の本質ではなく外側だけの偽った本質に気を向けてしまった。
「・・・そんなのもう・・・・・・どうでもいい・・・。私はもう二年でいい____だって・・・」
レイスの口からそんなことを言わせてしまった自分が嫌になった。理由はどうであれ、そう言わせてしまったのは俺が黒を追うことをやめなかったからだ。
「・・・・・・どうして・・・どうして、そこまで言えるんだよ・・・。もし、呪いを解くことが出来たら、その先も____」
それでも、俺は彼女の《先を助ける道を選んでしまった。握った剣に伝わる、微かな手の震え。俺は覚悟を決めた。後はこの地を駆けるだけだ。そう遠くには一定なはずの黒を俺は捕らえ、《反転の呪い》を解呪させる。それが今、俺がするべき最優先事項なのだと____そう言い殺して。
「呪いが解けたって私は嬉しくもないっ!もし、呪いが解けたとしても、その先を生きようとは思はない____!」
レイスの高ぶった声が俺の意識を崩す。
「なんで、どうして?どうして、そんなことが言えるんだよっ!俺は____」
俺は目の前の少女のあまりにも一方的な気持ちの押し付けに、つい怒鳴ってしまった。
____それが俺を思っての事だとも知らずに____。
「だって・・・だって・・・・・・」
________キットの右腕は後、二年で使えなくなるんでしょ?
あぁ、そういう事か・・・・・・・・聞かれていたんだな・・・・・・。
レイスの言葉という俺への静止は身体どころか心も止めてしまった。
ただひたすらに眼前の物事に打ち込んでいたのは、そんな現実をかき消すためだったのにそれも、もうお終いのようだ。一番知られたくない人に知られてしまっていた。本当は知っていて欲しいと思っていた時期もあった。それでも、俺は二年と言う《共通の未来》を運命として受け入れてたかった。
レイスには《俺の右腕が同じ二年だから》と思って欲しくなかっただけだったんだ。
「黙っていて、ごめん」
「それじゃあ・・・やっぱり____」
「うん 俺の右腕は後、二年で使えなくなる」
「・・・・・・私はキットの事をつい最近まで知らなくて・・・」
「気にしなくていいよ。ちゃんと最期まで描き続けて見せるから」
「・・・うん・・・・・・うん・・・・・・・・・」
泣き出してしまったレイスに俺は大きな嘘をついた。それは決して許されることではなく、告げることも憚られる嘘を。
「レイス 今度は俺との約束をしよう」
「約束・・・?」
「あぁ」
____何があっても、その日までは死なないでくれ。
「____うん」
レイスは小さく頷いた。
「それじゃあ私からも、約束」
____どんなことになっても、その日までは自分を大事にして。
交わされた約束はその二つだけだったけど、その中には様々な思いが入り混じっていて、複雑でとても難解な感情を声に出したようだった。




