episode 1
冷たい風が体をさらうように流れる。
その風に身を委ねるようにして近くにあったベンチに腰掛けていた。
どうやらここは庭園のようだ。
はじめはただ暗くて何も見えなかったけど、回復した視界は俺に確信を持たせた。
「月か・・・しばらく見てなかったな」
「もうじき自分も近くに逝くよ」と語りかけるような目でしばらくの間、その月を枯れた瞳で見続けた。
そうして、瞳を閉じた。
あぁ、今までのは死への序章だったのか?
部屋でイラストを描いていた、目が覚めると無表情な白い部屋、そして、月に照らされた庭園。目まぐるしく変化する情景に全てが幻だったんだと解釈した。
そして、今訪れた、眠りにも近い力の脱力こそが本来の迎えと心で思った。
「イラストレーターとして生きられなかったのは心残りだけど、後悔はない。でも、最期ぐらいは____自分の思ったようなイラストを描きたかった________」
涙腺を壊しそうになる。
言葉にできない気持ち。どうしようもならなかった、現実。
全てが遠い過去のように思えて________。
ファサッ
全てを受け入れようとしたその時だった。
閉ざされていく瞳に月の様に輝きが入った。その光に思わず瞳を開けた。
「____はっ」
すると、そこには息を呑むように美しく、例えるなら《銀色の月》と言うべきか。
銀髪を風になびかせ月の光を背景にした、少女が立っていた。
いや、降り立っていたという方が適切だろう。
「・・・・・・・・」
少女は何も喋らず、感情のない青い瞳でただこちらを見ていた。
その姿は一般的な《天使》のイメージとは違い、ほとんど人間と見分けがつかない程だった。もしかしたら、単に銀髪の髪色をした少女なのかもしれないがそれはすぐに否定できた。
理由は彼女の着ている服が一般的な少女が着ている服ではなく、剣士の様な服だったからだ。コスプレの類と言ってしまえばそれで終わりの話になってしまうのだが・・・。次の瞬間その考えは意図いとも簡単に消えてしまった。
「__君は____」
サッ・・・!
声をかけた刹那、目で視認できない何かが喉元に触れた。
「・・・」
少女の瞳は依然として感情を灯しておらず。俺の喉元に突きつけた剣先の意味はくみ取れなかった。
唾を飲み込むことも許されない程、ぴったりと突きつけた剣先は月の光の影響でとても鮮かに照らされる。
(この少女は俺を迎えに来た天使ではなく、死神なのか・・・?)
脳裏によぎるのはそんな事ばかりだった。
「____誰」
不意に耳に聞こえた微かな少女の声。どこか切なくて儚いその声は心に直接話しかけられたような錯覚を生む。
「あなたは・・・誰・・・」
「俺は____」
少女に名を口にする。
「________そう」
流れる風がぴたりと静まった時、少女は言葉を発した。
そうして、ようやく喉元の銀色が解除される。
「はぁ・・・はぁ・・・・」
気が付かないうちに息を止めていたのか、唾を飲み込む動作と共に体が酸素を強く求め、呼吸のリズムが乱れる。
「君は・・・君は____誰?」
今度は自分が少女と同じ問いを返す。
「私は____レシウル=ロイ」
俺が名乗ったことで少女の警戒心が解けたのか、今度はすんなりと答えてくれた。
「・・・レシウル=ロイ」
少女の名を口にする。
「そう」
レシウルと名乗る少女は俺が効き間違えてないか確認の意味を込めて、口にした彼女の名前に応答した。
「君は・・・・・・天使?」
俺は警戒心を残しつつも、再び少女に問いをする。
「天使?」
少女は首をかしげる。
「私はそんなんじゃない・・・どちらかと言うと・・・・・・」
少女の顔が曇る。
「いや、別に言いたくないなら言わなくても・・・」
少女の顔が曇ったことを察知した俺はそれより先を言う前に言葉を被せた。
「そう・・・」
少女の顔が再び、感情を持たない冷たい表情に戻る。レシウルと名乗る少女にとって、この表情が《素》なのだろうか?
だけど、彼女が最後に発した「そう・・・」の言葉には微弱ながら感情が読み取れた。続きを言いたいわけではないが何かを伝えたいような声色。
もしかしたら、俺がその機会を奪ってしまったのかもしれない。
「ところで君は何故こんなところに?」
「その質問をあなたにそのまま返したら答えてくれる?」
質問と質問がぶつかる。
「え・・・と、俺はその質問にはうまく答えられないと、答える・・・・・・」
「なら私も」
質問と回答がお互いを相殺そうさつした。
当然のように沈黙が訪れてしまう。
このままではらちが明かないと思った俺は言葉を慎重に選ぶのではなく、普通の会話と変わらないように話すことにした。
「君が天使じゃないというのなら、俺は死んでないってこと?」
「死んでない?その意味は分からないけど。私は天使でもないし、この世界の人間でもない」
「天使じゃない・・・それにこの世界の人間でもない・・・・・・うん?」
俺は最後の一文に疑問を持った。少女が天使でないのは察しがついたが《この世界の人間ではない》という言葉の意味を理解できなかった。仮にも《この世界》という言葉が意味するのが今俺がいる《日本》を人とくくりにした総称だとすれば、少女の言っていることは、ここ以外の国_《英国》と言える。それに、レシウルという名前も俺の推測を後押しする。
「君は英国の生まれ?」
「エイ・・・コ・・ク・・・・・・?」
言動からはそうではないという感覚が伝わる。
「私は《セレクトリア》の生まれ」
「セレクトリア?」
少女の口からは聞いたこともない、国と思しき名前が出る。
「この世界にはない国」
「それってつまり____」
一瞬、時間が止まる。
「____異世界____」
少女はライトノベルやゲームでありがちな単語を口にする。
「・・・あぁ、そういうことか」
この時、俺はやっと《悲願》が叶ったのだと確信した。今まで生きてきて、心に滞るこの違和感。鍵をかけた錠をずっと心に隠して生きてきた感覚が浄化されるように消えていく。幼いころからではなかったがある日を境に人との関わりに苦しさを感じていた。偽りの笑顔と行動に制御がかけられなくなるまで気づかなかった思い。どこか遠い国に尊さを隠しきれず、涙した記憶が蘇る。
「どうかしたの?」
レシウルか不思議そうにこちらを見る。
「・・・いや、別・・・・・・に・・・」
自分でも気づかないうちに泣いていた。これからの事と今起こっていることに現実感がなかったわけではなく、ただ、ただ____
____悲願が叶ったことに____
風が涙を乾かす頃には俺の気持ちは変わっていた。なぜ俺がイラストレーター、そして小説家になりたかったのかを鮮明に思い出したからだ。
自身の命は他の生命を奪って成り立っているのではなく、もう一つの創作意欲が俺を生かしていた。だから、これを失えば俺は自ら命を絶つだろう。
そして、その創作意欲を震わせる《モノ》に出会えたのは奇跡の他に言いようがなかった。
だから____
「__君を描きたい」
口から出たのは簡単な願いだったけど、俺にとっては最初で最後の願いだった。彼女を失うことはそれ以上をまた見つけないといけないことになる。そんな事、到底無理だと言わざるを得ないほどの価値を彼女は持っていた。
「・・・・・・私を描きたい?」
銀髪の少女の反応は予想の範囲だった。
「俺はイラストレーター・・・絵描きを目指しているんだ」
「・・・絵描き・・・なんで私を?」
当然の反応だ。
それでも・・・!
「君に言ったところでって話だけど・・・俺は絵を描いて生きていくと決めてるんだ。だからもし、その願いが叶わないのなら俺は自ら命を絶たつと決めている____」
はたから聞けば、狂気の沙汰とさげすめられてもおかしくないだろう。でも、今の俺にはこれしかなくて。
「命を絶つ・・・。それで私のどこに描く価値がるというの?」
(全てでは納得はしてくれないだろう)
「その月の様に光輝く綺麗な銀の髪かな?俺にはこんな、《黒髪》しかないから・・・」
「・・ふざけ・・・・・・ふざけないで・・・!」
「えっ・・・!?」
少女の顔は内側から溢れ出した感情で怒りを体現させていた。
「・・・綺麗な銀の髪っ・・・!こんな髪、綺麗でも何でもない・・・!!」
少女は泣いていて、俺は言葉に詰まる。
「私は望んでこの髪の色になったわけじゃない・・・・・・」
「それってどういう?」
レシウルという少女の感情に波を立てないように問いかける。
しばらくの沈黙の後、レシウルが話し始めた。
「・・・セレクトリアには《呪い》というものが存在するの。怪我の直りを遅くさせるものや体から自由を奪うもの・・・そして、《命》を奪うもの」
意味もなく、少女が呪いというものの話をするはずがないことくらいは分かった。
「じゃあ・・・」
「この髪色も呪いの一つ・・・・・・」
嫌なことを聞いてしまったと思った時には遅かった。少女の顔は酷く曇り、これ以上、何も聞けないと思った。
「それに呪いには程度があって、外面的にはっきり表れるもの程、効果が強い____」
少女は少しの間を置いて、再び話始める。少女の言いたいことには薄々《うすうす》感ずいてはいたが俺の心がそれを否定させていた。もし、自分の考えが本当の事なら俺の思いも彼女の思いもすれ違いを隠しえないからだ。
「・・・」
少女は何も口にせず黙り込んでいた。恐らくこの先の言葉に真実があるのだろう。
「私に掛けられた呪いは《反転の呪い》」
その言葉を聞いた時、何もかもがはっきりした。反転_つまりは真逆になること。このことが何を指しているのかは言うまでもなかった。
「それって、つまり____」
__私の本当の髪色は《黒色》__
一見すればただの白髪なのだろうが少女が言った呪いは《反転》。これが最も働く場所は髪色なのは言うまでもなかった。《黒》と対をなす《白》_イラストを描いている俺にとっては嫌と言う程、付き合ってきた色合いだ。
だから、彼女の言っていることもすぐに理解できた。
だが、一つだけ解決していない疑問が頭に残った。それは、《外観的に現れるものほど効果が強い》ということだった。見たところ、傷を負っている様子もなく、体に不自由さを感じさせない彼女に一体どんな《呪い》がかかっているのだというのだろう。白髪を評した俺にはこれ以上の失言はできないと口を閉ざすしかなかった。
柔らかな風が痛みを伴う風に変わる。
気づけば、月光は雲に隠れその輝きを失っていた。
そんな、状況を切り裂さくように鋭利な声が耳に届く。
「私の命は残り二年________それでも私を描きたいの?」
不意に言われる、《事実》
まずありえないだろうと思う気持ちも彼女の声色が打ち消す。
閉ざした口の感覚も消え失せ、自分の立ち位置をも見失う。
何を否定し何を信じればいいのか分からなくなる。俺は生きていて、ここにいる?目の間の少女は幻覚で俺の夢?イラストレーターになりたいのも架空の想い?
無数の事柄が曖昧にねじれ、真実を覆い隠す。精神が崩壊を始めようとする中で崩れていない何かを感じた。それは、俺自身と言える、創作意欲だった。これだけは偽りではないのだと確信した時、俺は意識を鮮明にし、目の前の少女_レシウルを真っ直ぐに見た。
そして________
「たとえ二年______________」
意思を告げようとした時、再び意識が薄れていく。
____________________
疲労ですね
しばらく休んでいれば疲労の面はすぐ直るでしょう
ですが________右手の方は長期間の酷使により、かなりの負荷がかかっています
恐らく____あと数年で使えなくなるでしょう
__もってあと《二年》といったところでしょうか__
____________________
聞こえたのは白い部屋で聞いた男の声で誰かと話しているようだった。
「本当は分かっていたのにな____」
今の話は恐らくではなく、俺の《右手》の事だ。
「これも運命か____」
頬に雫が伝う。
「どうかした?」
レシウルが声をかけてくる。
「いや・・・別に__」
どうして彼女はそんなに平常心でいられるのだろう?もしかしたら、俺と会う前_呪いをかけられ、二年の命と分かった時は同じように泣いたのだろうか。
「たとえ二年でもいい____俺が君の最後の最期まで描き続けるから________」
「____本当?でも、その変わり、こっちに来てもらうことになるけど。私はこっちの世界にあまり長くはいられないから・・・・・・それでもいいの?」
「いいよ、それにそっちの世界の方が資料集めには良さそうだしな」
「__私からもお願いがあるの」
「どんな?」
「何があっても私を描き続けて____」
「__約束するよ」
俺は彼女との約束と彼女の不安を全て受け入れた。もう、後戻りはできないのだろう。それでも後悔はしたくないし、後悔をしない選択をするのも、嫌だった。
だから、この選択はきっと、間違ってなどない。
「__うん__」
俺の返答を聞いた少女は何を思ったのか、一呼吸おいて返事をした。
この時の少女の顔を俺は未だに忘れない。あの_____顔を。
俺も彼女も境遇は違えど、《二年》という時間の中をこれから生きることに変わりはない。二年経てば、彼女は命を俺は命を失う。命の使い方は人それぞれで俺は二年後にどんな選択をするのだろう。
今までの生き方を貫くのであれば、俺は
__自ら命を絶つ__
人からどう思われようがたいしたことではない。
自分の命は自分のものなのだから________
_じゃあ 行こうか_