新世界の神様を知った住人達
ドババババババ
「あはははははは、私は神だ!神だ!!」
気、狂ったように列車内で機関銃を乱射し、なんの関係もない乗客達を殺すこと。
「この神を背いた罪だ!これは罰だ!!」
”常識”と呼べる者が備えられないでいながら、人間の利器を扱う。
銃は撃ち手を選ぶ。正しい使い方も各々次第。銃がイカレたら、次の銃を使う。今奪った人間を殺したように使い捨てる。
「この腐れきった社会を神が変えてみせよう!」
パァンッ
列車内で暴れた男は、38名の命を奪い、その最後に拳銃自殺を図ったのだった。
◇ ◇
コポポポポポ
コキュコキュ
「ふぁぁっ」
こんな農園みたいな場所だったら、コーヒーを飲んで……。それでも欠伸して……。リラックスができそうな空間だ。そう思える。彼女にとってはだ。
それでもこんな危険地帯で眠っちまいそうなくらい、退屈な時間がある。
喋る相手がいない時だ。
彼女は研究材料の調査、修正を繰り返す。
『水、水くれぇ……』
『陽の光、浴びたい……』
盆栽の鉢ならぬ、”凡才の鉢”
土の上に出ているのは人間の頭部のみ、それから下は……心臓と肺といった、人間としての活動が許される臓器だけが残り、水のみで生きていられる状態となった人間。いや、元人間達か。
植物のような状態に追いやられている人間達は、彼女達の実験台である。
ガチャッ
「すまない、遅くなったな。MS.麗子」
「ようやく話し相手が来てくれた。先にコーヒー頂いているわ、ダーリヤさん」
この人間農園の設立者、ダーリヤ・レジリフト=アッガイマン。
ロシアの軍総司令にして、人間達の進歩を望む者。
その野望、大いなる夢に、協力している1人がこの酉麗子であった。
『水、水ーー……』
『風浴びたい……』
『出して、出してぇ……』
盆栽と化した人間の頭部達が、ダーリヤや酉に話しかけてくるが、2人はまったく耳に入ってこないといった表情で話を進める。
お互いが求めているのは、人間が持っている各々の変化であった。
「私とあなたが言うのもなんだけど」
そう建前をする。
「ここにいる重犯罪者、精神異常者の、心の正常化と呼べる事をするには最低でも8回は、人間の人生を経験しないと変わらないわね」
「心と血を変えるのに、世代と時代はいくつも超える必要は聞く。妥当だが、こんなものか?」
「はははは、私もそう思ってたところ」
規律と秩序が壊れた心を、またもう一度紡ぐための研究。
名を挙げた犯罪者、異常者を対象に。安全かつ有無を言わさず、人権と呼べるギリギリのラインを残し、心の構築の研究に役立っている状況。
頭しか残っていない彼等に抵抗の声と心は挙げられても、身体を持ってしての抵抗はできない。
土の下からの部位は現実の通り、ないのだから。
しかし、
「時間と質、どっちが言いかしら?」
「両方だ」
「欲張りね。でも、即答のあなたは好きよ」
酉麗子が持ってきた、ちょっと大きめなスコープを盆栽となっている人間達につけてあげれば……
「また、来世をしてきてね」
◇ ◇
手も、足も、ある。当たり前の事だ。
それでもそこに自分が周りには映し出されていない状況。
事件から数年先を想定された駅は、乱射事件が忘れられたような綺麗な所となっていた。忘れられる事がないよう花が添えられた場所もある。何も思うわけもない。だが、これから起こってくる事に体験者は何も関与ができない。
ストップされても、地獄。されずとも、地獄。
死んで当然と何度吐き捨てられても、仕方のない事である。
プーーーーーーッ
『トランクなどの大きいケースをお持ちのお方は、改札をお通りになる前に、金属探知機、駅員による荷物チェックをさせて頂きます。ご不便、ご迷惑をかけて大変申し訳ございません』
あの乱射事件をきっかけに、列車やバスなどの交通機関にも、厳しい管理、監視のシステムが構築された。
「俺、持ってねぇよ」
「早くしてくれよ」
「ラッシュ時でもやるのかよ。もういい加減にしてくれ」
一日に何千。いや、何万。それ以上の利用者達がいて、365日を費やしても、現れる事などまずあり得ない。誰だってそう思える事をひたすら続ける。
安全、安心を生み出す事は確かに平和と幸福かもしれない。
だが、苛立ちを生むことも珍しくない。あり得ない。そんな馬鹿なと、思っているからだ。
『列車にご乗車できる人数には制限があります。また、一車両に付き、2名の警備員を乗せています』
『ご理解のほど、よろしくお願いします』
乗客もそうであるが、そのようなシステムを構築した側にも負担がある。
安全第一を優先したい。それを突き詰めれば、簡略化などできるわけもなく、人の目も機械の目も必要になる。莫大な費用と途方もない労力が必要である。
時に、そんなことが、予想を上回る技術やシステムを生むことになるが……。遥か先になるものだ。今、その途中が苦しみになっている。
「ふざけんじゃねぇぞ」
「こんな生き辛いルールが、俺達の税金でできるなんてあんまりだよ」
「死んでたら殺してぇよ」
社会は確かに記録に残る事件によって、変わるものである。
その犯罪者がやった罪、その罰を受けるのは、全てに生きる者達に届けられる事である。大なり小なり、嫌々でも人と人は繋がり、社会が出来上がっている。
「死ね」
そんな言葉は届かず、叶えようのないこと。
不便ない社会にいて、自由のない生態で、苦しみながら生かされている。
亡くなった遺族への配慮が足りていない事が、大変失礼なモノになって申し訳ございません。
事件や災害の爪痕で社会全体が変わるのはよくありますね。
いつかは、前向いて向き合うのが、1人の人間の役目でしょうか。