ルレイがここに来た理由
ザッ。
とある街の門前で女が立ち止まった。
突如現れた人の流れを乱す人物に、近くを通り過ぎる者、特に冒険者や街から街を行く商人などは迷惑そうに彼女を睨み付ける。
しかし女の顔を見た瞬間、眉間に篭った力は直ぐに、鼻の下へと移動した。
冒険者はパーティーの女魔導士や女戦士に耳を引っ張られて我に返り、商人は自ら操る馬車が柱へと突っ込みそうになり慌てて手綱を取った。
衛兵は荷物の確認そっちのけで、だらしなく女を見ている。
男を惑わす色が余りにも濃く香る女だった。
髪を頭上で縛っていることにより見えるうなじは、男の鼻をくすぐる。
切れ長の目には長い睫毛が添えられ、左目の左下にある小さな泣き黒子が男の庇護欲を唆る。
形の良い鼻の下にある厚めながらも上品な唇は男の喉を嚥下させる。
首筋が大胆に開いた服装の隙間から見える鎖骨は男を朦朧とさせ、その直ぐ下にある深い谷間は男の瞳を血走らせる。
そして、キュっと締まった腰から降りる豊かな臀部は男の情欲を高まらせる。
一国の王の妻にも引けを取らないだろう美貌は、言い伝えにもある傾国の姫と呼ばれても何ら差し支え無い。
「ああ……。使っているね?」
誰に問い掛ける訳でもない独り言。
女にしては低めのアルトボイスが、色気をますます助長している。
彼女から愛の言葉を耳元で囁かれた日には、大抵の男が腰砕けになってしまうだろう。
顎に手を当て何かを思案する様は、それだけで一枚の絵画のようである。
題名は考える女神か、それとも男を誑しこむ女悪魔か。
「ふふっ。それに足る誰かがいたということかな?」
嬉しそうに少しだけ頬を上げた彼女は、まるで誰かの、優しい母のように、親しい姉のように、そして焦がれる恋人のように見えた。
女は再び歩みを進める。
彼女が向かうのは世界中のどの街にも支部が存在するる冒険者ギルド。
彼女が近づくたびに、とある男の天下に終わりが迫るのだった。
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ザッ!
洞窟の空間に反響して聞こえてきたのは、ビーが踏み込んだ音だ。
その場のほとんどの人物が、光を纏っているルレイに注目し動けない中、呼吸の合間を縫って隙を突いた完璧だと思われる一撃。
当たる。
内心でビーは確信した。
この距離まで接近してもルレイの目はこちらを向いてない。
まるで反応が出来ていない。
全く得体の知れない人物だ。
自らの師匠以上に底が見えない不気味な存在。
だから、この攻撃で確実に始末する。
ここで生かしておけば、やがては自分達の強大な敵となる。
確信めいた予測だ。
刺し違えてもトる。
極限にまで研ぎ澄まされたビーの思考がぐるぐると高速で回転している。
しかし、そこまで考えてようやく、ビーは若干の違和感に気づいた。
なぜなら、自分の拳がルレイへと向かうのが、いやにやけに遅く感じたからだ。
自分の持てる最高の力、潜在能力を全て乗せた、乗せ切った突撃である。
平時なら既に、ルレイを打ち抜き意識を奪っているはずだ。
それほどの時間は間違いなく経っている。
ほら、モタついているからルレイの視線がこちらを向い……。
「お前だよな?」
「グゥッ?!」
ビーの拳がルレイへと届くその前に。
ルレイの問いと蹴りがビーを襲った。
尤も、彼の問いが聞こえる前に、ビーの身体は洞窟の壁へと打ち付けられていた。
衝撃で空間が揺れている。
ビーが崩折れるまで一歩も動けなかった盗賊達は、そんな錯覚を覚えてしまった。
「……な、な、なんだよっ?! こいつは紋なしなんじゃねぇのかよ!?」
「おっ、おい!?」
恐慌をきたした盗賊の一人が、洞窟の出口へと向かって駆け出す。
この場から逃げ去ろうとする、一種の防衛反応だ。
そんな男の決死の行動に対し、ルレイは興味なさげに目を細めると、タンっと軽く地面を蹴った。
否、本人にとっては軽くのつもりだが、地面がゴリと鈍い音を立てて抉れたのに気づいた周りの盗賊は、へなへなと腰を落とした。
「なあ」
「ひ、ひいぃぃっ……?!」
あっという間もないほどの間で、逃げ出した男の前に回り込んだルレイは、何ら感情を写さない瞳と同じく、やはり無機質な声で呟いた。
そのまま自らの前で顔を引きつらせながら後ずさった男へ語りかける。
「別に、お前らがどこで何をしようと興味がない。人を傷つけようが攫おうが、心底どうでもいい」
「なっ、なら見逃してくれたって……っ?!」
「なんでだ?」
「はっ、はぁっ!?」
「なんで見逃す必要がある?」
「だっ……!? て、きょ、興味がないって?!」
「埃が目の前を舞ってたら、手で払うぐらいはするよな?」
男は目を見開いて絶句した。
埃。
ルレイにとって男達は埃のようなものである。
自分の見えない所で、誰かの家に入ったり床を汚したりしようが目もくれない。
しかし、いざ目の前にフヨフヨと浮いていれば、いくら興味がなくても払いのけるくらいはする。
埃を払いのけるのに、手間などかからないからだ。
「俺の周りを漂ったんだ。そりゃ綺麗にするさ。疲れもしない」
「ふ、ふざけっ……?!」
逃げようとした男も、流石に自分よりも十年近く年下の少年にそのように言われれば、黙っていられない。
自らのくるぶし辺りにある紋章に力を込めて、慎ましい光を湧き起こす。
そうして男が意地の反撃をしようと、決意の瞬きをした瞬間には、ルレイの足の裏が目一杯に広がっていて、何かを思う前に意識を刈り取られていた。
「なあ」
繰り広げられた惨状を見せ付けられた男達は、ルレイが息を吐き出すように言葉を零しただけで、肩を跳ね上げた。
ルレイは辺りをグルッと睥睨した後に告げた。
「次はせめて、俺の見えない所で埃被っててくれよ。勝手にな」
「う、うあぁぁ……っ!?」
言い終わってから即座に、ルレイは手作業を再開し、掃除ほどの時間を掛けずに男達を沈めるのだった。
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「……」
「うっ……」
「……」
エリスが目を覚ましたのは、ザッザッザッと規則正しい揺れが伝わる何かの上だった。
景色がゆっくりと流れていくのを見て、自分が誰かに運ばれていることに気づく。
余りに心地いい振動に、二度寝の欲が顔を出しかけるが。
「……っ?!」
そこで、重大な見落としがあるのではと我に返り、慌てて視線を振り回した。
何とか冷静に記憶を掘り起こしていく。
確か自分は盗賊退治の依頼を受けて、道中に襲われて洞窟の中で捕まっていたはずで、そこでルレイが助けに来たが巻き込まれて……。
「……っ、ルレイさん?!」
「……うるさい」
「ルレイさん!?」
「……耳元で叫ぶな」
ぶっきらぼうに返してきたのは紛れもなくルレイだった。
エリスは思わず、手に力を込めた。
まるで、彼が本当にここにいるか確かめるかのように。
「ルレイ、さん……」
「なんだ」
「どうして、助けに来たんですか……?」
そこにはルレイを、そしてより強く自分をも責める響きがあった。
力のない自分が、ルレイに諭されながらも結局は欲をかいて試験に合格しようと依頼を受け、そして違和感を感じていたにも関わらず、まんまと罠にはまった。
自分が王女であることが、どのようなことを引き起こす恐れがあるのか。
それを彼に指摘されたのに、だ。
全て自分の責任だ。
自分の行動が招いた結果だ。
先ほど街でルレイに言われた言葉の数々が、ありありと自分に当てはまっていることに、エリスは自らを叱りつけてやりたくなった。
「……」
エリスの問いに、しかし、ルレイは何も答えず足を止める。
彼女は俯いている。
数秒間、何事かを考え、そして何かを思い付いたのか。
一つ頷くと、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
エリスを背負ったままだ。
彼女は居た堪れなくなり、背中を辞することを告げようとする。
「……あの」
「結果論だ」
「……はい?」
そんなエリスの言葉に食い気味に被せてきたルレイの口調。
それは何か良い言い訳を見つけた時の子供のように、少しだけ早口だった。
「俺が勝手に思いついて、勝手に行動した。その結果、お前が助かった。ただ、それだけだ」
「……えぇと」
「勘違いするな。お前を助ける為にやった訳じゃない」
「は、はぁ……」
突然に饒舌となったルレイに圧倒され、何とも気の抜けた声を出してしまったと自分でも思ったが、彼が自分を助けた訳じゃないと一生懸命に言い募るのを聞いて。
「……ふふふっ」
「何を笑ってる?」
「いいえ、なんでもっ。ただ何となくです!」
「……なんだ、それは」
ルレイがしかめっ面をしていて何か納得していない表情だったのが余計にツボに入り、王女は久しぶりに心の底から笑った。
「ありがとうございます!」
「……いや、だからだな……」
無邪気にお礼を言ってきたエリスに納得がいかずブスッとしながらも、ルレイが再び歩みを止めることはなく、結局は街に着くまで背からエリスを下ろすこともしなかったのだった。