覚悟
「誰だぁ!?」
突然聞こえてきた年若い少年の声に、冷静に声の主を見極めようとするお頭を除いて、その部下達が慌てふためく。
そして、もう一人。
鎖で繋がれた身体を忘れて、前屈みになってしまうほど心を乱す人物がいた。
「な、なんで……っ。なんで、あなたがここに来るんですか!?」
焦ったように声を荒げるエリスの様子は、ルレイの登場に沸いていた盗賊達を逆に落ち着けてしまった。
顔を顰めた彼女が自らの失敗を悟った時にはもう遅い。
「へ、へへ。なんだよぉ。よく見たらただのガキじゃねえか」
「びっくりさせやがって」
「へっ、ちょうどいいや。ちょっくらイジメてストレス発散といこうぜぇ!」
冷静さを取り戻し、ルレイへ向かおうとする男達を見て、エリスの顔から血の気が引いていった。
こちらに注意を惹きつけなければ、と言わんばかりに大声で捲し立てた。
「あなたたち! 殺すのは私だけでいいはずです!! 関係のない人に手を出すのはやめなさい?!」
先ほどまで、これから自らの身に起こる悲劇を察しているようには思えないほど静かだったエリスが取り乱す様に、男達は顔を見合わせた。
やがて幾人かが同じ考えに至ったのか、嫌悪感を催す笑みを浮かべ合う。
この騒がしい状況にあって、乱入者がやってくるまでエリスを眺めていたビーは、ルレイが登場した瞬間から彼を注視していた。
そしてルレイは、場を騒がせている張本人であるとは思えないほど力を抜いて、この空間を俯瞰しているように見えた。
それを目にしたビーの顔は、これまでの印象とは打って変わって険しくなる。
お頭の部下達は、ビーの様子には目もくれず、現れてから一言も喋らないルレイに対し、ますます勢いづいて唾を飛ばす。
「おいおい、この現場を見られたんだぁ。関係ないとは言わせないぜぇっ? しかも、なんだよ王女様。さっきまで微笑んでさえいたあんたが、なんだぁ。随分な焦り様じゃねぇか」
「おいおい、まさかこいつ。王女様の好い人なんじゃあねえかぁ?」
「ってことはなんだ? こいつは、敵わないと思いながらも姫のために駆け付けたプリンスのつもりかぁ?」
「泣かせてくれるじゃねぇか」
「なら俺たちがこいつの目の前で、お姫様を啼かせてやるかぁ?」
「そりゃ、いいや! ますます興奮するじゃねぇか!」
「よし! おい! 王子様が気絶しない程度に痛めつけてやれぇ!」
事態はエリスの思わしくない方向に。
しかも、これ以上ないと言っていいほど悪い方向に転がってしまった。
巻き込んだ。
巻き込んでしまった。
自分が捕まっていることも棚に置き、今エリスの頭を占めているのはそれだ。
後悔の念で胸が押しつぶされそうだった。
「ルレイさん! 逃げてください?! 私のことはいいから早く!」
「へへっ、王女様。ムリムリ。こいつ一歩も動かねぇもんなぁ」
「ここまで来て、ビビっちまったのかよぉ? 情けねえなぁ!」
「お願いっ……! 逃げてっ……」
エリスは顔を歪め、悲痛な表情でルレイへと訴えかけるが、彼はただ、雁字搦めに囚われる彼女を見つめるだけだ。
「おい、こいつ……」
「ああ、そうだよな……」
その時盗賊達の中で、騒ぎに紛れコソコソと何かを話し合う二人がいた。
それを耳聡く聞いていたお頭が、そちらをギロと睨んで彼らへと問いかける。
「おい、てめえら! こいつがどうしたって?」
お頭に凄まれた二人は肩を少しビクつかせた。
「あ、あぁ、いえ。大したことはないんですがねぇ?」
そう早口で前置きをし、自分を落ち着かせてからポツポツと喋り出した。
「街で、ババアに絡んだ時なんですがね? 周りが怖気付いて遠巻きに見ている中、こいつが出てきたんですよ」
「……おい、てめぇら。街で騒ぎは起こすなとあれほどっ……」
「あ……っ。す、すいやせんっ?!」
「……チッ、まあいい。んで続きは?」
「は、はい! あまりに堂々と出てくるもんだから、よっぽどの使い手なのかと警戒したんですが……」
「俺がぶん殴ってやったらすぽーんと飛んでいったんでさぁ!!」
「プッ。ブハハハハッ!!」
もう一人の男がパンチする素振りを見せて、子供が自慢するかのような口ぶりで話す。
薄暗い洞窟の雰囲気にはそぐわない無邪気な発言に、静まっていた男達は一斉に笑い始めた。
さらに一人が思い出したように付け加える。
「しかも、こいつ。街で噂されていたが、紋なしらしいんすよぉ!」
「ぐははっ。おいおい、何だよそりゃあ。弱え奴が出しゃばんじゃねえよお。笑っちまって腹がいてぇじゃねえか! 笑い殺す気かよっ!?」
「大道芸人にでもなって笑かしてくれた方が、よっぽど厄介な相手になっちまうんじゃねぇかぁ!? ま、紋なしじゃ芸人になれるかも怪しいけどな?」
「ははっ、そりゃ違ぇねえやっ」
「「ギャハハハハッ!!」」
散々馬鹿にされているのにも関わらず、ルレイはまるで遠い世界にいるかのように動じない。
世界にエリスと自分の二人しかいないかのごとく微動だにせず、只々彼女を見つめている。
ルレイの目の先でエリスは俯いた。
どうする、どうすれば彼を助けられる。
いや、そもそも助ける必要はあるのか。
勝手に来たのは向こうではないか。
それを言ったら、そもそも私が彼に声を掛けなければこんなことにはならなかったのでは。
私が騎士になるなどと考えなければ。
“自分の行動で自分がどうなろうと”。
俯いて、されど葛藤したのは一瞬である。
面を上げた時、彼女の眼には驚くほどの力強さがあった。
覚悟を決めた者にしか出せない迫力があった。
「あなたたち!!!」
空気を切り裂くような鋭い声に、寝耳に水を掛けられたかのように身体を震わせた後、盗賊達が振り向く。
彼らの目の前で、エリスは口を開けて舌を噛み切る仕草をした。
男達はギョッとした。
何をしようとしていると聞くまでもないほど、明確な意思が現れている。
冗談でやっているようには全く見えなかった。
「その人に手を出すのなら、その瞬間、私は舌を噛み千切って、死ぬわ!!!」
嘘ではないと言わんばかりに、唇を噛み千切り血を吐き出した。
「お、おいおいおい?!」
エリスの啖呵に、情け無い声で動揺する男達。
それに構わず、さらに言葉をぶつける。
「人形を相手にしたくはないのでしょう!?」
「そ、そりゃあねぇぜ!? せっかくここまで危険を冒したのによお?!」
「……チッ」
盗賊達の頭は舌を打ち、エリスを睨みつけた。
彼女はその眼光に全く怯むことなく、正面から見据えた。
いつでも噛み千切ることが出来るように舌を出している。
「……おい」
「へ、へい」
お頭に促され、盗賊達はルレイから離れていく。
男は悔しそうに吐き捨てた。
「おい、王女様に感謝するんだな、この紋なしがっ!! だがな、ここでのことをバラしたら言うまでもねぇよなぁ? 紋章はなくても脳みそはあんだろう?」
怒りを発散するかのように地面を踏みつける盗賊達の様子を見て、これから自分に起こることもそっちのけでエリスはホッとした。
ルレイを無事に返すことが出来る。
最期に騎士らしい行動が出来た。
もう後悔は、心残りはない。
そう考えていたエリスに、耳を疑う言葉が飛び込んでくる。
「なぁ。王女様もこう言っているんだし、ここは1つ。物は相談なんだが、俺たちを見逃してくれないか?」
「……っ!?」
「あぁっ!?」
「テメェコラ、何言ってんだぁ!?」
この状況には決して似つかわしくない、ふてぶてしささえ感じるほどの投げやりな、ルレイの声だった。