蜜よりも甘やかな……
……あーあ。全部バラしてしまった。
発作のあとはいつもこう。
負の感情に引きずられて、歯止めが効かなくなる。
「ずっと黙っていて、隠していてごめんなさい。騙していたと言われても仕方ないわ」
私は一旦言葉を切って、再び枕に顔を埋めた。
こうすれば彼の目を見ないですむ。泣きそうな声もくぐもって、多少は誤魔化せるはず。
悲劇のヒロインを気取りたくないから、涙ながらに許しを請うなんてことはしない。
「私はずるい。たくさんいる彼女の一人なら、短い間だけなら、闇や余命を打ちあけないですむと思ったの。素性を隠すルールを提案したのは、深い関係にならないための予防線よ。
本気になったと言えばすぐに捨てられて終わり、悲しませることはないと自分に言い訳して……本当は、あなたの手を取るべきではなかったのに」
一杯わがままを言ったね。あなたになら子どものように甘えられたの。
あとすこしだけと欲をかき、ずるずる関係を続けて、応えられないのに愛の告白までさせてしまった……。
「人の気持ちは簡単に移り変わる。恋心なんて特に思い通りにならないとわかっていたのに……軽はずみな真似をすべきではなかった。私のこと、恨んでいいよ。赦さなくていいから」
どうせ闇が障害にならないと言うのも嘘でしょう。
こうなった途端、私のことを呪われた黒百合だと罵った父のように、いつか手のひらを返す。
信頼していた臣下たちにまで忌避されて、変わらずに接してくれたのは妹たちだけだった。
……彼はフラれたことがないから意地になっているんだ。同情もいらないわ。
こんな自分がいやなのに、昏い思いが次から次に湧いてくる。
ずっと黙って聞いていた彼が動いた。
私の体に優しく触れると、慣れた手つきで仰向けにひっくり返す。
枕だけは離すまいとしがみついてたら、その枕ごと彼に抱きこまれた。……なんで今日はこんなに押しが強いの?
「ちょっと、あなたね!」
「カイルーって、名前で呼んでよ。サフィリアはまだ一回しか呼んでくれてない」
「……やだ。それより、離して」
「だーめ。なにがあっても、オレはキミから離れないから」
甘く耳元で囁かないで。こんな時に髪にキスはやめてよ。
「いや。お願いだから帰って。もうこないで。今ならお互いに傷は浅くすむ。…………名前で呼んだら、これ以上一緒にいたら、一人で死ぬのが怖くなっちゃうじゃない!!」
「死ぬのが怖くない奴なんていないよ。ずっと我慢して辛かったね……好きなだけ泣いていいんだ」
枕を落として叫ぶ私の背を、彼はあやすように優しく叩く。
私も、こうやって妹を慰めてきたけど……してもらうのは初めてだ。
気づいたら嗚咽が止まらなくなる。枕の代わりに彼の胸に顔を埋めて、私はひたすら泣き続けた。
……ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた私の頭を彼が撫でる。
「なあ、サフィリア。神獣のオレからしたら、人間の一生なんてどれも大差ないさ。相手がどんなに長生きしようが、オレはいつだって看取る立場なんだから。五ヶ月も五十年も一緒だと思わないか?」
「そんなの、屁理屈じゃない……」
「かもね。覚えてるかい? 別れ話の時、キミの“愛してる”には全然心がこもってなかった」
「悪かったわね」
冷静にならなければ涙腺と感情が決壊しそうで、必死に抑えてたのよ。
だから、と彼は続ける。
「もう一度ゲームをしようよ。今度こそサフィリアに心から愛してると言わせてみせる。キミが負けたら、オレのことを名前で呼んでくれ」
「反省したのに性懲りもなくゲーム? 絶対に言わないわ」
それでいいと、私の好きな優しい笑顔を浮かべる。
「ゲームが続く限り、ここに通い詰めないとね。……最期まで傍にいさせてくれる?」
「なんでそんなにあなたは────好きにすればいいわ。物好きな“流れ星”?」
「よし決まり! じゃあ早速ゲーム開始だ」
あだ名で呼びかけると、彼は私を床に降ろして片膝をついた。
最初にゲームを始めた時のように、左手の甲にキスをする。
「それと追加ルール。キミが負けたら、オレと結婚してください」
「……ばか」
一人に縛られたくないって言ってたのに。
いきなり求婚とかやめてよ。心の準備が追いつかなくて、また泣いてしまった……。
(┴)(┴)(┴)
それからの日々を、なんと言い表せばいいのかわからない。
別れる直前のように彼がガツガツすることはなくなった。
私の体を気遣って、毎日押しかけるのではなく、ちゃんと日時を決めて会いに来てくれる。
会えない日は、短い時間でも鏡越しにおしゃべりした。
全てをさらけ出して心の余裕が生まれたからか、和やかな時間が流れたの。
徐々に体は弱り、ゆるやかに終わりには向かってはいたけど──私は本当に、幸せだった。
彼と出会って八ヶ月目。
離宮暮らしを始めて六年が経とうとしているのね。
私は、間もなく十九歳の誕生日を迎える。
「……なんでもっと早く誕生日を教えてくれなかったの? サプライズパーティーしたかったのに!」
「ごめんなさい。まさか関係が続くと思ってなくて、聞かれるまですっかり失念してた」
いつものソファで彼はぶつぶつ呟きながら、私の太腿に頭を預ける。恋人同士の定番、膝枕だ。
「もう猶予は四日しかないから直球で聞くよ。なにが欲しい?」
「なにもいらないわ。強いていうなら、またりんごを二人で食べたいかな?」
「キミはオルゴールをプレゼントしてから、全然わがままを言わなくなった」
オレはもっと甘やかしたいのに、と彼は渋面になる。
そう言われても、別れを決めた時から準備……身辺整理を進めてきた。残り時間を考えたらほしい物なんてないのよね。
「だって、あの世に物は持って行けないし……」
「だから形に残る物を欲しがらなかったのか!」
「でもそうね、誕生日じゃなくてもいいなら、お願いがあるわ」
あなたはもっとショックを受けるかもしれないけど。
「私が死んだら、遺体は一緒にストロベリームーンを見た、あの三日月の島に埋めてほしい」
残酷なことを言ってる自覚はある。
でも王家の墓に入るより、あなたを身近に感じられる海の、思い出の場所で眠りたい。
たっぷり考えこんでから、彼は返答する。
「…………わかった。その代わり、オレのお願いも聞いてくれ。実は、直属の上司に会う用事があって、しばらく神界に戻らなければならない。サフィリアの誕生日までにはお土産持って帰ってくるから、歌でも歌って出迎えてよ」
「あら、意地悪ね。歌はヘタだって言ってるのに……いいわ、練習しながら待ってる」
あなたは空っぽでつまらない私の人生を満たしてくれた。
たくさんの思い出をもらって、感謝しかないの。
……もし戻ってこなくても、恨まないわ。
「上司がまたろくでもない神なんだ……。落ち目のくせにゲームやイタズラにかまけて仕事をサボって、オレに丸投げしてさ。口を開けばすぐにパワハラで。ああ、気が滅入るわー。サフィリア、オレを慰めて……」
「神界ってとんだブラック企業なのね。よしよし、大丈夫よ」
よほど辛いのか小刻みに震える彼の頭を撫でる。
たっぷり甘えて甘やかして、私たちは今日も濃密な夜を過ごした。
(┴)(┴)(┴)
神界に旅立って三日と経っていないのに、私は彼の存在の大きさを痛感する。
なまじ心が通じ合ったせいか、一人の時間がすっごく寂しい。
内心強がっていたけど彼がいない生活に耐えられるかしら?
鏡の中はおろか、海の中にも、島のどこにも彼の気配を感じない。離宮はしんと静まり返って、昔に戻ったみたいだ。
「そうだ。もしもの時のため、私の方のサプライズ計画を進めておきましょう」
空元気を出した私は鏡の前にイーゼルを立てる。
大まかな仕掛けはすでに準備していたし、小さな真新しいキャンバスにヒントになる絵を描くの。
行儀は悪いけど、砂糖菓子を頬張りながら作業する。
寂しくなるとつい甘い物に走るのは私の悪い癖ね。
彼のおかげでご無沙汰だったからか、久しぶりの砂糖菓子はひどく甘い。
おいしいけど、こんなに蜂蜜の味が濃かったかな。
小さな違和感はすぐに忘れて、キャンバスに下地を塗る。
────異変は、口の中の砂糖菓子がすっかり溶けきった頃に起こった。
蜜よりも甘やかな悪意が、弱った心臓にトドメを刺す。
吐血とともに体が傾ぎ、取り落とした虹色オリーブオイルと鮮血が混ざり合った。霞んで回る視界が気持ち悪い……。
砂糖菓子に毒が混入されていた?
悪意は全身に回り、染みこんでしまって、手の施しようがない。
「…………どうし、て…………」
苦しい、憎い。……悲しい。
毒を仕込める人物は限られている。寂しい時、私が砂糖菓子を噛まずに、溶かすようにじっくり食べるのを知っているのは“あの子”だけ。
…………………………いやよ。私にはまだ、やり残したことがあるのに。このまま一人で死んでしまうの?
もうすこしだけ時間があると思ってたのに……。
足の感覚がなくなって、立つこともろくに動くこともできない。
それでもなけなしの力を振り絞って、なんとか“メッセージ”を遺す。
「こ……伝わ……おねが、……は……みつ……きづいて…………」────カイルー。
言葉をまともに話せなくなったせいで、鏡は彼の姿を映し出してはくれない。最期に見たのは、鏡に映る自分の顔だった。
乱れて血塗れになった髪は老婆のようで、瞳は濁って見る影もない。
なんて浅ましい、醜悪な姿なの?
百年の恋も醒めちゃうわ。…………こんな醜い死に顔を彼にみられたくない。
みるくみたいなかみがきれいだって、すきだっていってくれたのにな。
しんぱいされたくないからえがおでいくつもりだったのに、くるしいの。
どうしよう、まともにかんがえられなくなってきた。
あなたにあまえてばかりだったから、ばちがあたってひとりでしぬんだわ。
……すごくねむい。もうおしまいなのね。わたしのいしきが……闇にしずんでいく…………。
…………カイルー……ごめんなさい…………あいしてる……さいごに、あなたにあいたかった、な………………………。