健全なお付き合い
真珠姫は思っていたより可愛らしい……いや、はっきり言って子どもっぽい女だった。
味覚もお子様なのか、他の彼女が喜ぶような外国産の最高級ショコラを贈った時は、一口食べてフリーズしていた。
思わず噴き出しそうになったのは秘密である。
ロマンティックな海の見える部屋で真珠姫を抱きしめていても、そこから先に進めなかった。
彼女は無防備にオレに身を委ねてくるが、それは父に甘える幼い娘のようで、無垢な瞳で見上げられるとどうにも手が出せないのだ。
このオレがキスするまでに一月以上も通いつめるとか、あり得ねー……。
必死で背伸びしているのが丸わかりで、めっちゃ可愛いよ?
でも押し倒してアレコレする空気にはならない。
これでは本当にただのゲーム、恋人ゴッコじゃないか!
真珠姫は成熟した体と裏腹に心が育っていない。
……しかし、そのアンバランスさが彼女の魅力でもある。
生殺しに悶々としながら、オレと真珠姫の不思議な交流、健全なお付き合いは続いた。
「奥ゆかしい真珠姫、約束のりんごだよ」
「大きくて真っ赤で、立派なりんごね。ありがとう流れ星!」
ミリベルーの果樹園のりんごを、籠いっぱいに採ってきて渡す。
ありふれた果実なのに、真珠姫はこれ以上ないほど喜んだ。
ショコラや花束、宝石をプレゼントした時とは全然違う満面の笑みに、嬉しい反面すこしの悔しさを覚える。
「そんなにりんごが好きなのかな?」
「そうよ。王宮には王族しか入れないエリアがあって、そこに大きなりんごの木が生えていてね。そのりんごがとてもおいしかったから。……懐かしいなぁ」
うん、詮索なしで互いの素性を隠すルールなのに、素で身バレしてるぞ。
以前聞いていた優秀な姫という評価はなんだったんだ……。
「今皮を剥くわね。あなたも食べるでしょう?」
真珠姫はいそいそと準備を始める。
ろくに使用人がいないせいか、彼女は器用に何でもこなす。
身の回りのことから、来客へのおもてなしも完璧で高貴な身分の姫らしくない。
貴族の令嬢と付き合ったこともあるが、その娘の方がよほど気位が高かったな。
「私は昔から寝こむことが多かったけど、妹たちは皆健康でお転婆でね? 私のためにりんごの木に登っては、競うように大きくて甘い実を持ってきてくれた。
……私が離宮に来てからも、父や重臣の目を盗んでこっそりお見舞いに来てくれるの」
必ず甘いりんごのお菓子をお土産にしてね、としんみり語る真珠姫。
りんごそのものよりも、姉妹の思い出を慈しんでいるようだ。
しばらくの間しゃり、しゃり、と皮を剥く音が響く。
「はい、できた。飾り切りで、薔薇をくわえた蛇」
「上手っ!? 今の短時間で作ったのかよ。ヤバいな」
りんごに巻きついた蛇を、皮だけで見事に表現している。
格子状の切り目で鱗もしっかり作りこんであり、薔薇の花びらから、つぶらな目の蛇の表情、ディテールが非常に細かい。
器用なんてものじゃない、これはもはや芸術だ。
「本気ですげぇ。作ってるところをよく見とけばよかったな……」
真珠姫の話に意識が向いていて、手元を見ていなかったのが悔やまれる。
「よかったらもう一つ剝きましょうか? リクエストはあるかしら。なんでもいいわよ」
「マジで! ドラゴンとか作れる?」
「楽勝ね。妹たちの無茶ぶりに答え続けた私に、作れないものはないわ」
「おぉ、カッケーな!!」
うっかり惚れそうになるじゃないか。
一つと言わず、幾つも剝いてしまったりんごを二人で何とか食べ尽くす。
腹は苦しいけど、今まで生きた中で一番おいしくて、オレもりんごを好きになった。
……こんな付き合いも悪くないかもしれない。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「そう? じゃあ遠慮なく────」
高価なものを望まない真珠姫に、何でも好きなものをねだっていいと言うと彼女は迷った末に告げる。
「流れ星は烏蝶真珠を知ってるかしら?」
「もちろん知ってるよ」
ミリナッツの海岸で採れる最高品質の黒真珠だ。
アクセサリーをいらないと言った直後だけに、子どもじみた彼女でも女の駆け引きをするのかと疑問を覚える。
まあ、かつて襲ってきた海賊どもを沈めた際にちょろまかした財宝は腐るほどあるから、好きなだけ買ってやってもいい。
「“黒揚羽貝”から数千個に一つしか採れない希少な真珠、キミに絶対に似合うよ。次までに用意しておこう」
「いえ、真珠はいらないから、その貝殻がほしいの」
レアな烏蝶真珠と違って、黒揚羽貝の貝殻だけなら海底にごろごろ転がっている。
それならすぐにでも拾って来れるか。
「真珠母貝がいいのかい? アクセサリーに加工できないことはないけど……」
「加工する必要はないわ。貝のままで、できれば十個以上ほしい」
「……そんなに集めてどうするんだ?」
真珠姫は良い笑顔を浮かべながら、いつかのハンマーを取り出した。
「粉々になるまで粉砕するわ!」
「なんでそんなに砕きたがるかな!?」
オレは形に残る物を贈りたいんだよ。
使用目的が分からないオレに、真珠姫はならば実践しましょうと進言する。
彼女は重量軽減されたハンマーを振るって、オレが拾ってきた貝を、ひたすら砕く、砕く、砕く! ──容赦ねーな!
カケラ一つ残らないよう、徹底的に潰して粉にして、さらに乳鉢と乳棒ですり潰す。
出来上がったのは烏蝶真珠そのもの、紫とも黒ともつかない独特な色合いの滑らかな粉末だ。
「結構な量があったのに、粉末になるとこんなに減るんだね」
「そうよ。だからたくさんの貝が必要なの」
真珠姫は玉の汗を拭いながら粉末の一部を皿に移すと、透明だけど虹色の光沢を持つとろりとした液体を混ぜ、スプーンを使って丁寧に練る。
「この油っぽいのはなに?」
「虹色オリーブから精製したオイルよ。品質保持と色彩を定着する効果があって、乾いても鮮やかな発色の絵の具が作れるわ。今までもらった花も、全部このオイルに漬けて絵の具にしてる」
「マジか。虹色オリーブオイル、すげぇな!」
いちいち質問するオレを邪険にすることなく、淡々と作業を進める真珠姫。
練れば練るほど、絵の具はミリベルーの夜のような深みと艶が出ていて、素人目にも美しいと思った。
「できたわよ」
完成するやいなや、出来たての絵の具を筆ですくい、真っ白なキャンバスに迷わず塗りたくる。
オレの存在を忘れたかのように、一心不乱にキャンバスに向き合う真珠姫は、汚れてもいい恰好、みすぼらしい灰色のローブ姿なのに、とても綺麗だ。
神秘的な夜の絵が出来ていく過程はまるで魔法のよう。
真珠姫はさながら杖を振るう魔法使い、いくら見ていても飽きなかった。
……こんなに真剣に打ちこめるものがあるのが羨ましい。
「いいな」
オレがぽつりとこぼした言葉を、作業が一段落した真珠姫が拾う。
「ありがとう。流れ星、あなたのおかげよ。この深みのある色がずっとほしかったの。お礼に今度あなたのための絵を描くわね」
なにそれ。……いいじゃん。
そんな素敵な贈り物を貰ったことなんてなかった。
「キミは、本当に絵を描くことが好きなんだね?」
「そうよ。素人の趣味の域は出ないけど、絵を描くことは私にとって生き甲斐なの。今まで描いた絵も見てみる?」
「うん。見てみたいな」
嬉しそうな彼女に誘われて、初めて奥の部屋に足を踏み入れる。
そこは、真珠姫による画廊だった。
王家の紋章の刻まれた壁を覆いつくすように、所狭しとたくさんの絵が飾られている。
ミリベルーの果樹園。
ミリナッツの魔石の鉱床。
島の谷間、名も無い花の秘密の花園。
一際大きな木は、以前語っていたりんごの木だろうか。
どれもこれも双子島の名勝、オレが義務で守るばかりで、なにもないと思っていた島の美しい姿だ。
「綺麗でしょう? 昔行った場所や、鏡が見せてくれた光景よ」
誇らしそうなのに、真珠姫の顔色は冴えない。
どこか寂しげで、見ているこっちの方が悲しくなる。
彼女の憂いを払ってやりたくて、オレはあることを思いつく。
「最初に約束したよね? どこか行きたい場所があるなら、オレが連れて行ってあげるって。
一晩だけなら使用人にも見つからないし、体にも障らないさ。次の満月の夜、こっそり外出しよう。オレがエスコートするよ」
本当!? と真珠姫は宝石のように赤い瞳を輝かせる。
──なんて眩しいのか。
「どこにでも連れて行ってくれるのなら、私、あなたと二人で星空がみたい。──夜空と海が一番綺麗に見える場所に行きたいの!」
可愛いことを言ってくれるじゃないか。
オレは真珠姫の華奢な体を抱きしめ、耳元で囁く。
「お安い御用さ、愛しい真珠姫。楽しみにし過ぎて体を壊さないようにね?」
「気をつけるわ。今日は早く寝て今度に備えないと」
幾つもの夜を積み重ねて、ようやくわかった気がする。
真珠姫は自分が綺麗になりたいわけではなく、綺麗なものが欲しいのでもなく、綺麗なものを“創りたい”のだと。
純粋無垢な真珠姫の生き様に、オレは生まれて初めて心を揺り動かされた。
実際チョロいのはこっち。