絶望の先の希望
調子っぱずれな歌が聞こえてくる。
音程は外れてるし、かすれた声はたまに裏返っていた。
謙遜じゃなくて本当にヘタだったんだなぁ。
『────伝えたいことはこれが全て。どうかこの箱は約束の場所に、私のお墓に埋めてほしい……』
彼女の言葉に従って、オレはその日の内に三日月の島へ上陸する。
ストロベリームーンではないが、満月の下、白く浮かび上がる砂浜には、大胆に胸元の開いた扇情的なドレスの女性が待っていた。
黒と見紛う藍色の髪を風に流し、潤んだ瞳は若葉のように鮮やかな新緑。
月の光で明るく浮かび上がる中、剥き出しになった左腕は漆黒で、沈みこむような黒い波動を放っている。
まるで三日月にこぼれた一粒の黒真珠のような、艶麗な美女。
────纏う色彩が反転し、雰囲気が違っても一目でわかった。
「……サフィリア!!」
「カイルー……」
打ち寄せる波の間から飛び出すと、歌うのをやめた彼女は濡れるのも厭わず胸に飛びこんできて、オレたちは固く抱き合った。
懐かしいサフィリアのぬくもりに涙が出そうだよ……。
「カイルーごめんなさい! あなたがワタシのためにどんな犠牲を払ったか知らなくて……こんなにたくさん傷ついて……復讐にまで駆り立てて……ワタシが臆病なせいで……本当にごめんなさい!」
「いいよ。生きててくれた、それだけでいいんだ」
オレたちは子どものように声を上げて泣き続けた。
どれだけ泣いただろうか?
ようやく落ち着いたオレは、泣き止まないサフィリアの頭を優しく撫でる。
色彩は変わっても、シルクのような手触りは変わっていない。
「キミは死んだと思っていた。ずっとずっと、会いたかったんだ……」
「……ワタシも会いたかった。だけどワタシは一度死んだ身の上、生き返っても島にいられなくて……いいえ、怖くて、逃げ出したの」
サフィリアは自身に何が起こったか、静かに語りだす。
「……毒に倒れた時、初めて闇が語りかけて来たわ。このまま冥府に逝くか、別の存在になってでも生き返るかと。選択の余地なんてない。……待ってるって約束したから、またカイル-に会いたかったから、ワタシは闇をその身に受け入れた。
死んで一晩立った、今日みたいに綺麗な満月の夜。奇しくも十九歳の誕生日に、ワタシはこの島で甦ったの……」
涙をぬぐい、身を離したサフィリアがただでさえ開いた胸元をはだける。
本能的に豊かな双丘をガン見すると、ちょうど谷間にまたがる形の黒い百合の紋様が見て取れた。
……会えない間に胸大きくなってないか?
不謹慎だけど、なんかめちゃくちゃ色っぽい。
「……砂の中から這い出して、最初に見たのは左手よ。あなたが白百合のようだと言っていた手が、墨で染めたように禍々しい黒に変色していて、驚いたわ……。
慌てて水たまりを覗いたら、あなたが好きだと言ったミルクの髪も、りんごのようと評した瞳も、見る影もなく変わっている。……思わず悲鳴を上げた、その声もかすれて別人みたいで……死ぬ前と後ではなにもかもが違ったわ。明確な線引きがあって、殺されたことへの憎しみすら引き継いでいなかった。
ワタシは本当に“私”なの……? 自分でもわからなくて、あなたに会うのが……否定されるのが怖かった」
サフィリアの華奢な体がガクガクと震えた。
もともと悲観的だったのがより濃縮されてねー?
拗らせて思い詰めて……ずっと苦しんでいたんだな。
オレはたおやかな黒い手を取り、手の甲と手のひら両方にキスをする。
「見る影もないなんて言わないで。オレの方が、傷だらけで醜くなってるだろ?」
「そんなわけない! 凄みが増して、ワイルドさが上がっただけじゃない。ワタシのために傷ついたのでしょう。……あなたは蛇の姿でも、人でも、半人半蛇でも、どんな姿になったって、世界で一番綺麗だわ……」
「ほら、キミは変わっていない。ちょっとネガティブだけど優しい、オレの愛するサフィリアのままだ。
それに前も言ったろ。白くても黒くても真珠は真珠。いつだってキミは、オレだけの真珠姫だよ」
でも、だって、と言いかけた彼女の口を唇で塞ぐ。
柔らかくて、温かくて、涙の味がする。
濃厚なキスで彼女が生きている喜びを噛みしめた。
真っ赤になったサフィリアの震えが収まってから話を再開する。
「嫌だわ……。この姿、能力を得てから、ただでさえネガティブなのに思考まで昏く染まってしまって……」
「能力って?」
オレが疑問を呈するとサフィリアが再び震え出した。
「……昼間。死霊の兵士を見たでしょう?」
「ああ、やっぱりあの霊能力者はサフィリアだったのか」
「…………わかってたの!?」
鏡を通して知っていた霊能力者と、さっき遅れて現れた霊能力者は同じようで違った。
どう違うか説明は難しいが、微かな気配の差や手の形など例を挙げたらきりがない。
「顔を隠していたから、まず目を惹いたのは手だね。声や仕草はあの霊能力者のものだったけど、表面だけって気がしてて、絵を渡すために近づいた時にキミは生きているって気づいた。
最後のメッセージに従えば、絶対にサフィリアは来てくれると思ったから素直に去ったんだ」
「……よくそこまで……。あの闇は、死そのものだった。闇と同化したワタシは『死霊の女王』になったの。……霊を使役する力に加えて、霊体に力を送って実体を与えたり、半実体にしたり、条件が合えば自分に憑依させて別人を装うこともできるわ……」
「マジで? すっげーな!」
オレが感心すると、握り合う手から力が抜ける。
青りんごのような瞳に、また涙が浮かんだ。
「……どうしてそんな、あっさり受け入れてくれるのよ……。模様も容姿も能力も、呪われたような……黒百合の魔女そのものじゃない……!」
噂を引き合いに出して、盛大に嘆くサフィリアを宥める。
どこに居たのか、何をしていたのか、聞きたいことは山ほどあったが、まずは彼女を慰めるのが最優先だ。
サフィリアが生きている……それだけでオレは満たされていた。
「……守護神獣って神の眷族でしょう? それでいいの?」
「あ、大丈夫。上司に腹立ってとっくに辞めてるから。っていうか、そんなつまらないことも逃げ出した一因なのか?」
……それだけじゃないわ……とサフィリアが言い淀んでいると、上空で音、いや、声がした。
「ふにゃあ!!」
反射的に天を仰ぐと、上空から四角い何かがゆっくり降りてくる。……って、あれは空飛ぶ絨毯か!?
「お話し中に失礼」
「公子かっ! いつからいたんだよ……」
「最初から。こんな絶海の孤島、アシがないと来られないでしょ」
「……彼は生き返って途方に暮れてるワタシを見つけて、保護してくれた恩人なのよ」
マジかよ……。
助けてくれたことは感謝するがこの公子は胡散臭すぎる。
一体、なにを考えているんだ?
「話の腰を折って悪いけど、君を恋しがってぐずっちゃってさ」
ふわふわ漂う絨毯に乗せられた揺り籠、その中身はまさか……。
「……よしよし、泣かないで」
サフィリアが抱き上げたのは、温かそうなおくるみに包まれた赤ん坊だった。
月に照らされて白銀に輝く髪。真紅の瞳は、よく見ると瞳孔が縦に長い。
在りし日のサフィリアによく似ているが、ところどころにオレの要素も受け継いでいる。
このとても愛くるしい子どもは、オレたちの愛の結晶に違いなかった。
「公子に助けられてすぐ、この子がお腹にいるのがわかって……あの、あなたはちゃんと避妊してくれてたでしょう。ワタシも時間もないし病身で産めるかわからないし、対策はしてたのよ? だから余計にどうしていいのかわからなくて混乱して……。
……それでも絶対に産みたかったから、公子の国に身を寄せた」
「あっ、そう言えば……」
身に覚えがあったので、オレは正直に白状する。
別れを切り出されると思ったあの日、どんな禁じ手を使ってでもサフィリアを引き止めると決めたオレは、月経抑制剤をただのハーブ水と入れ替え、こっそり避妊の手を抜いていた。
────いろいろあって忘れていたが、実を結んでいたのか。
黄金の果実を強奪したことも、復讐を企てたことも、オレのしたことは無駄だったかもしれない。
だけど、娘の顔を見たら全てが報われた気がする。
「ごめんな。同意もなく、男としてやっちゃいけない手を使った」
「……いいの。ワタシはこの子を授かったことに感謝してるわ。カイルーも抱いてあげて……」
「あにゃあ」
細心の注意を払い、おそるおそる受け止めた娘は、戸惑いながらもオレを見上げて……笑ってくれた。
「この子の名前は?」
「……パールよ。真珠姫から名前を貰ったの」
無垢な笑顔があまりにも眩しくて目を細めると、弾みで涙が流れた。
熱い涙で霞む視界の中、パールは本物の真珠よりも光り輝いている。
サフィリアを失って、オレは絶望の底に叩き落とされた。
まさか新たな希望が転がりこんでくるなんて、想像もしていなくて。
そっと寄り添うサフィリアを、パールごと抱きしめた。
二人分の心臓の鼓動が伝わって、得も言われぬ幸福感に包まれる。……血の匂いはなく、赤ん坊特有のほんのり甘いミルクの香りがする。
冷たくなった遺体を抱いた時から、腸が煮えくり返るような憎悪に支配され、もし間に合っていたら彼女は今も隣に居てくれただろうかと、後悔ばかりしていた。
復讐を終えて、サフィリアの元に逝くことだけが望みで。
サフィリアが生き返って……オレの子どもを産んでくれたとか、そんな奇跡が起こるなんて予想できるかよ。
おかげで涙が止まらないじゃないか……。
「……よかった。オレは何一つ失っていやしなかった。パールを産んでくれて、戻って来てくれて、ありがとう」
今度こそはずっと傍に居させて、守らせてほしい。
親子三人で生きていきたいんだ。




