流れ星の意味
オレの体感では海の底も地上も区別なく、ずっと明けない夜が続いている。
月も星もないただの暗闇。
……サフィリアが生きていた時は、なんでもない風景でもあんなに輝いていたのにな。
絶望に染まった日々の中、この時が訪れるのをどれだけ待ちわびていたか!
姿を現したオレは、憎しみに任せてエスメルの首を締め上げた。
顔色を変えた妹姫たちが近寄らないよう、水盤から溢れた眷族が威嚇し、牽制する。
誰にも邪魔をさせはしない。
復讐もサフィリアの名誉の回復も、オレが成し遂げるんだ!!
一年以上かけて力を蓄えながら、オレは蛇を使い、島中の水源と要所の鏡に鱗を仕込んで準備をしていた。
要となるのはサフィリアの大鏡である。
映し出すことに特化した能力を利用、中継して映像を水源や鏡に投影する。
そうしてエスメルの独白を、リアルタイムで島中に拡散してやった。
でもまだ足りない。もっと見せつけなければ。
これまでの異常はサフィリアの呪いなんかじゃない、人間の醜さと、守護神獣の仕業だと知らしめるために。
一目で異形とわかるよう、わざと下半身だけ蛇の姿を取ったオレはエスメルの体を持ち上げた。
島の全ての人間が証人がとなれば、醜態を隠蔽することはできない。
負の面をサフィリアに押しつけることで守っていた、王家の権威は失墜するだろう。
……本当はエスメルを拷問して自白させるつもりだった。
しかし第三者である他国の公子が問い詰める方が、より真実味が増す。
水盤から一部始終を見ていたが、公子はなかなか良い仕事をしてくれたよ。
ギリギリと首を圧迫していた力を弱めると、エスメルは咳きこみながら涙を流した。
そう簡単には殺してやらない。サフィリアの苦しみには、まだまだ及ばない。
「銀の鱗の蛇、まさか……いえ、そんな訳ない。あなたは一体何者なの!」
サンドラの疑問の声。
自然なタイミングで正体をバラせるのはありがたい。
「オレは島の守護神獣、双頭の大蛇の化身だ」
「守護神獣なんてただの伝説よ!!」
「サンドラ姫、彼は多分本物だよ」
どうでもよさそうに、座ったままブレスレットを弄りながら公子が指摘する。
「サフィリア姫の鏡の動力源と、力の波動が全く同じだし。それに僕、目だけじゃなくて耳もいいんだ。エスメル姫がヒステリーを起こしたくらいから、遠くの方でかすかに悲鳴や暴れる音してすぐに鎮まったんだよね。
多分、王宮や城下町は制圧済み。短時間でそんなことができるのは神獣ぐらいなものでしょ」
こいつの理解力は化け物か?
確かに邪魔をされないよう、映像を流すと同時に眷族を派遣して大人しくさせた。
わかっていて、なぜこんなに無関心でいられるのか……。
公子とは対照的に、ルビーナは恐怖や怒りを全身で表現しているようだ。
震えながらオレに食ってかかる。
「しゅ、守護神獣がなんでエスメル姉様をっ!? 姉様は赦されないことをしたかもしれない。けど、ちゃんと法で裁かれるべきだわ。お願い、エスメル姉様を離して!!」
「なんで? こいつは身勝手な理由でなんの罪もないサフィリアを殺した。お前もあの最期を、メッセージを見ただろう?
サフィリアは犯人を見つけ出すことを望んでいた。だから最期の願いを叶える。こいつに報いを与えるんだ」
────オレは彼女の流れ星だから。
「お姉様の寝室に見慣れない香水瓶を見つけた時は、あり得ないと思っていた。もしかして、とも。お姉様はわかりにくいようでわかりやすい人だったから。……あなたは、お姉様と恋仲だったの?」
「過去形にするな。オレは今までも、これからも、未来永劫ずっと、彼女だけを愛している!!」
形見の髪飾りは肌身離さず身につけている。
彼女を偲ぶものはもうこれしか残されていない。
オレの手の内で固まっていたエスメルが暴れ出し、感傷を断ち切った。
「なによ! 身勝手なのはお姉様の方じゃない!
お姉様が離宮に行ってから、わたしがどんな思いでいたか。権力争いから自由になって、……わたしのことなんか忘れて好き放題生きて、恋までしていたなんて!」
エスメルの後ろ頭を睨みつける。
サフィリアがどんなに妹を思っていたか、語っても無駄だろうな。こいつとは絶対に相容れない。
「黙れ。神を裏切り、寿命と力の大半を捧げ、消えない傷を負ってようやく神の妙薬を手に入れたのに。一緒に生きられると抱いた希望を、お前は奪った。冷たくなったサフィリアの骸を抱きしめて口づけた時、彼女を二人だけの秘密の場所に埋めた時、オレは誓った。
サフィリアが味わった以上の苦痛と絶望を刻みこんでから、惨たらしく殺してやるってな!!」
オレが牙を剥き出しにすると、眷族も倣う。
この場には猛毒を持つ蛇を集めた。
せいぜい苦しんで死ねばいい。
「罪は償わせるわ! お願い、エスメルを殺さないで!!」
「エスメル姉様っ!!」
エスメルに駆け寄ろうとして、興奮した蛇に襲われかけた妹姫たちを、公子の護衛がすんでのところで救助、そのまま保護する。
「お前たちに手を出す気は無い。黙って見ていろ」
ひっ、と恐れ戦くエスメルに牙を突き立てようとした、その瞬間だった。
──────────カイルー、やめて……。
ガシャンという破砕音とともに、愛しい彼女の声が響いた……。
慌てて周囲を探すと、テーブルの上にあったガラスの菓子器が割れている。
「急に上から降ってきたんだ」
肩をすくめた公子の言葉は耳にも入らない。
割れたガラスと砂糖の破片でキラキラ輝いていたのは、サフィリアが愛用していたハンマーだったから。
「こんな時まで……殺意まで打ち砕くのかよ……」
腕から力が抜けて、エスメルを取り落とす。
餌が来た、とばかりに頭をもたげる蛇の群れから、黒い不透明な影のような者がエスメルを守り、抱きとめた。
影はこの国の、古代兵のような格好をしている。
透き徹った姿は亡霊としか思えない。
「……お待たせしました……」
「遅かったね。バックレたのかと思ってたよ」
空飛ぶ絨毯がテーブルの上に舞い降りて、同時に現れた亡霊の兵隊が地を埋め尽くす蛇を薙ぎ払う。
「ええっ!!?? マダム!? ペテンじゃなくて本物だったの?」
マダムと呼ばれる霊能力者は、白い布で包まれた四角い物を盾のようにかざし、ルビーナの大声から身を隠すように縮こまる。
「首尾はどう? 見つけられた?」
「はい……サフィリア様の想いを届けに参りました」
黒い手袋に覆われた印象的な手が公子に渡した物。
それはオレがサフィリアに贈った箱だった。
彼女と別れた後、離宮からオレのプレゼントは全部消えていて、それも身辺整理されたのかと思っていたのに。
「サフィリア姫の鏡のマーク。僕にはりんごじゃなくて、○に↓を刺しているように見えた。マダムも言ってたよ。うつ伏せの姿勢から見ると、あのマークは鏡に映った壁の紋章の一つを示しているって。
ルビーナの言っていた通り、隠し通路でもあるんじゃないかと思ってマダムに探索を頼んだんだ」
「……紋章を弄ったら秘密の部屋の入り口が開き、中にこれらがありました……」
解放されたルビーナも、あっと声を上げる。
「“このままじゃ伝わらない。お願い、箱を見つけてカイルー”……お姉様の最期の言葉だ」
亡霊の兵隊が開いた道を通り、公子が差し出した箱を受け取る。
震える手で蓋を開けると、かすかに潮騒の音がした。
箱の中に大切に仕舞われていたのは、全てオレが贈ったもの。……涙が溢れて止まらねー。
『ねえ、聞こえる?』
『これは、もしも伝えられなかった時のためのメッセージ。できれば私の口から伝えたいけど、恥ずかしいもの……』
そうか、箱の録音機能を使ったんだね。
はにかんだように笑うサフィリアの姿が目に浮かぶ。
キミはいなくなったと思っていたけど、違った。
『覚えてないと思うけど、あなたのために絵を描くと約束したでしょう。こっそり描き上げて、秘密の部屋に隠していたの。私からのサプライズ、どうか受けとって欲しい』
ずっと覚えてたよ。だってとても嬉しかったんだ。
たおやかな黒い手が、捧げ持つ四角い物の布を取り払う。
それは胸に突き刺さるような、とても綺麗な絵だった。
構図はバルコニーから寄り添って見た景色だが、思い出のストロベリームーンが天空に掛かる。
夜空と海を彩る黒揚羽貝の艶めく黒と、ロゼワインのような月光が優しく溶けあい調和していた。
絵の主役は、ベビーパールを散らした星々の下、水平線と並行に泳ぐ、流れ星のような銀色の尾を引いた双頭の大蛇。
オレは本性を見せたことなんてないのに、どうして?
切ないのに暖かくて、不思議と目が離せなくなる。
この絵は、闇に閉ざされたオレを照らしてくれる光だ。
『本当はね、出会う前からあなたのことを知っていた。
離宮に隔離されたばかりの頃、泣き暮らしていた私を、あなたが救ってくれたのよ?
神様なんていないんだと理不尽を呪い、死んだ母と見捨てた父を恨み、衝動的に海に身を投げてやろうとバルコニーに飛び出して……私は夜の海を突き進むあなたを見つけた』
お墓の中まで持っていこうと思ってたのに、バラしちゃったとキミは言う。
バルコニーで海を見ていたサフィリア。
オレがキミを見つけるよりも早く、キミはオレを見つけてくれたのか。
『綺麗だった……。月光を浴びて、悠然と泳ぐ双頭の大蛇の姿を見た瞬間、涙を忘れた。伝説の神獣は実在したんだって、興奮して胸が高鳴ったわ。そして、この国が守られているから、私は病気でも何不自由なく豊かに暮らしていられると気づいた。
嘆く暇なんてない。残りの時間を有意義に使おう。私にできることをしようと、前を向くことができたのはあなたのおかげ。
──別れ話を切り出した時、あなたは負けたのはオレが先だと言ってたけど、恋に落ちたのは私の方が先なのよ。夜の海に現れる流れ星のようなあなたに、ずっと焦がれていたから。
……願いなんて叶えてくれなくてよかった。あなたの存在こそが、孤独な私にとって“予期せぬ幸運”だったの。
いつも国を守ってくれて、私のところに来てくれて、ありがとう。
カイルー、私のことを忘れないで。ずっとあなたを愛しているわ』
軋むほど強く箱を抱き締めながら、泣き崩れる。
そんなにオレを想ってくれていたなんて知らなかったよ。
……どうしてもっと早く気づけなかったんだ。




