哀れなお姫様
全員が黙りこむと、普段なら気にもとめない噴水の音が、耳障りなくらい鳴り響いて聞こえる。
「違うなら違うって言いなよ」
……なんて嫌みなガキなのかしら。
色素の薄い肌や髪はお姉様を連想させ、小首を傾げるあざとい仕草はルビーナにそっくりだ!!
椅子を蹴倒して立ち上がると、呆けていたサンドラとルビーナの驚愕の眼差しが突き刺さる。
「きゃあっ!?」
合図を送ると、護衛に偽装していた私兵が邪魔な侍女を拘束し、抜いた刃をサンドラ達に突きつけた。
「やめて!!」
「エスメル、どうして!?」
どうして、ですって?
「あんたらのせいじゃない。あんたらの存在がわたしを追い詰めたの。お父様はね、わたしじゃなくて側室の娘に、サンドラに王位を継がせたかった。わたしを疎んじ、無理難題を押しつけては王位を諦めさせようとした」
「お父様はきっとエスメル姉様のためを思って……」
「あんたのお母様が教えてくれたのよ。ルビーナを有力な取引先に嫁がせて後ろ盾を作ったら、わたしを追い落とせるって。もうすぐ用済みだってさ!!」
この国の発展には、公子の国の援助は欠かせない。
同族意識が強い彼の国の手前、亡き母の血を引くわたしを第一王位継承者にせざるを得なかった。
でもルビーナが公子と結婚すればその必要がなくなると、あの女は嗤っていたわ。
わたしは生まれながらにハンデを背負っている。
国王の寵愛を奪われ早世した王妃、生まれつき病弱な第一王女の姉。
二人と同じ血が流れるのは強みであり、どうしようもない欠点だった。
わたしもいつか姉のように、闇や病を発症するかもしれないと色眼鏡で見られる。
体は弱いが優秀だった姉と比べられ、人一倍の努力を強いられたのに、誰もわたしを認めてくれやしない。
────味方なんて、誰もいない。
「わたし達を憎んでいるのはわかった。でも、なぜお姉様を殺したの? あんなに慈しんでくれた、実の姉をなぜ?」
サンドラは傷つき、怒りながらも、その目には憎しみの影がない。そんなお綺麗なところが大っ嫌いなのよ。
「あんたは、いつもそう。わたしが一番お姉様のことをわかってます~誰より支えてます~って態度が気にくわなかった」
「そんなつもりじゃ……」
「嘘つき」
良い姉の仮面は木っ端微塵に砕け散り、腹に抱えていたどろどろした感情があふれ出す。
「……あんたが絵を売り始めた最初のきっかけは、大量の物資を差し入れてもお姉様が気に病まないように、だった。そして予想以上に絵が売れたことで、お父様が出し渋る治療費を賄えることにも気付いた。
諸外国に絵を売るという名目で、治療法を探していたのも知っていたわ」
お父様とサンドラが言い争っているのを見たことがある。
遠い異国でならお姉様の病を治せる可能性があるって、あの闇は才能だって、あんたは力説していたわね。
死に面したことで発現する異能力。
ずるいわ。同じ血が流れているのに、お姉様はいつだって特別で……わたしとは違うのだと思い知らされた。
「だからあんたがお姉様につけた偽名、“スノーホワイト”になぞらえた毒で殺してやったのよ」
「ひどい、ひどいわ!!」
ルビーナに責められるのは初めてだわ。
でも、ひどいのはそっちの方でしょう?
「あんたらには、愛してくれるお父様もお母様もいるくせに……」
ポツリと涙と一緒に言葉が落ちる。
これもわたしの、認めたくなかった本音だ。
「わたしにはサフィリアお姉様しかいなかったのに、わたしだけの優しいお姉様だったのに、あんたらがわたしの居場所に踏みこんできた。同時期にサンドラが生まれたせいで父に愛されなかった、みじめなわたしの気持ちがわかるものか。
……お姉様もお姉様よ。どうして『妹』って一まとめにするの? 同じ母を持つのはわたしだけなのに。
わたしだけのお姉様でいてくれたら、殺したりしなかったのに!」
ずっとずっと小さい頃、夜の闇に怯えるわたしに、お姉様は飴をくれた。
お姉様の言うとおり、じっくり舐めていると優しい甘さが広がって、その間は淋しさを忘れられた。……ずっと二人だけでよかったのよ。
「ルビーナが選び、サンドラが届ける菓子に毒を入れたのは、二人に殺されたのだと思わせたかったから。だけどお姉様は、あんなメッセージを残して消えてしまった……」
りんごは姉妹の思い出の象徴。お母様の鏡に描かれたりんごは、同母妹のわたしのことを指していたんだわ……。
「……昨夜のうちにルビーナが毒死していたら、その罪をサンドラに着せるつもりだったけど、予定変更よ。思いつめたサンドラがルビーナと公子を殺して、後追いしたことにさせてもらう。
ああ、あんたが雇ったペテン師の仕業にしてもいいわね。あの怪しさなら、きっと誰も疑わないわ」
「そんなの、上手く行くはずがないわ。エスメル、考え直して」
狂ったようにわたしは嗤う。
もう、うんざりなのよ。
何もかも壊してしまいたいの。
「公子、あなたも迂闊ね。こんな人気の無いところで犯人を追い詰めて、反撃されるとは思わなかったの?」
公子は顔色一つ変えずに、冷めたお茶を飲み干した。
そのままお茶のお代わりでも頼むような、自然に優雅な動作で片手を上げる。
直後、殺気立った私兵達は次々と倒れていった。
「エスメル姫、あなたこそ迂闊だね。僕がなんの備えもなしに犯人に挑むと思ったの?」
気付いた時には、ミリベルーの民間人が纏うような、鮮やかな原色の衣装に身を包んだ男達が立ち塞がっていた。
兵士達を一瞬で昏倒させる技量を持つ、すぐそこに居るのに一切気配を感じさせない手練れの集団だ。
……わたしが金で雇った手駒とはレベルが違い過ぎる。
「猜疑心と劣等感と歪んだ愛情でぶっ壊れた、哀れなお姫様。大人しく投降することをお勧めするよ」
勝ち目がないと判断したわたしは、静かな目で咎めるサンドラから、泣きそうなルビーナから逃れるように後ずさった。
すぐ後ろにあるのは噴水で、逃げ場はないと思っているのでしょう?
でも実は、水盤の底には秘密の通路が隠されているの。
わたしは振り返らず、派手に水音を立てて水中に転がりこんだ。
「エスメル姉様っ!?」
「すぐにそこから出なさい!!」
顔色を変える姉妹を嘲笑いながら、底の仕掛けを作動させようとして──ぬるりと蠢く気持ちの悪い感触に、思わず視線を落とす。
水面の下では大小様々、毒々しい派手な模様がいくつもひしめいていた。
なによこれ……いかにも毒を持っていそうな蛇が、次々と湧いて出てくる!?
とっさに腰を浮かしかけるけど、縄よりも太く硬いものが巻きついて逃げられない。
「危ない、後ろっ!!」
あまりの気色悪さに絶叫してルビーナの警告を聞き逃したわたしは、後ろから回された傷だらけの腕にあっさり囚われてしまった。
強い憎しみを感じる力で、そのまま首を締め上げられる。
……いやよ。わたしは、まだ、死にたくない。助けて!!
命乞いは誰にも届かず、喉の奥で弱々しく消えた。
……お姉様も最期はこんな気持ちだったのかな……。




