受け継ぐメッセージ
ルビーナの思いつきが呼び水となって、波紋を広げている。
姉の名誉を回復しようとする者。
姉妹を害そうとする者。
オレは王女たちの動向を、暗い海の底から見ていた。
────ルビーナの行動は渡りに船、ようやく罪が暴かれる時が来たのだ。
もう何度目だろうか、大鏡と繋がる水盤を覗きこむ。
得体の知れない女が血だまりに倒れていたのには、驚くと同時にサフィリアの死を冒涜されているようで腹が立った。
オレたちの思い出の場所に、土足で踏みこんでくるなよ……。
辟易していると違う顔が映りこみ、オレは異国の公子と水面越しに対面することになる。
こちらのことは見えていないはずなのに視線を感じる……気がした。
こいつ、ただの冷めた子どもじゃねーな。
『鏡よ鏡、在りし日の残影を映し出せ』
公子の蒼穹の瞳が、黄昏の空の色に輝く。
鱗を通じて水盤にまで干渉するこの魔力は、おそらく公子の異能の発露だ。
「……サフィリア!?」
狂おしいほど愛しいサフィリアが、目の前に浮かぶ。
鏡に──オレに向かって手を伸ばす姿は、時を超えて救いを求めているかのようで。
映像とわかっていても手を差し伸べずにはいられなかった……。
『こ……伝わ……おねが、……は……みつ……きづいて…………』
────カイル-。
堪えきれずにこぼれた涙が水鏡に吸いこまれていく。
ろくに声を発せなくなって、断片的にしか聞き取れないけれど、最後の唇の動きだけははっきりわかった。
キミは最後に、オレの名前を呼んだんだ……。
裏切られて悲しかったね。その辛さ、苦しみ、倍にして返してやるからな?
あえて手元に残した血塗れの髪飾りに唇を寄せ、語りかける。
「……もうすぐだよ、サフィリア。必ずキミの無念を晴らす。もうすこしだけ待っていて」
サフィリアの最期を見届けると、今度はオレが水盤に干渉して映像をかき消した。
これ以上彼女の死を晒しものにしたくなかったし、万一オレの姿が映っていたら計画に支障が出るからな。
公子には感謝している。
過去の映像とはいえ、サフィリアを看取ることができて──復讐を前に、これ以上ないほど憎しみを増幅させてくれた。
(┴)(┴)(┴)
ごめんね、ごめんね……とすすり泣くサフィリアお姉様の声が聞こえる。
真っ暗で、温かくて、全身がフワフワしてるみたい。
離宮から出たところまでは覚えているんだけど……そっか、あたしは夢を見ているんだ。
『お姉様、そこにいるの? 本当に死んでしまったの?』
『ええ……残念だけど、お母様の鏡は真実しか映さないわ……。私は、あの時に亡くなったの……』
かすれて消え入りそうだけど間違えようがない、お姉様の声だ。
『あんまりだわ! 一年前、あたしはまだ子どもだからって、お姉様のお見舞いにもろくに連れて行ってもらえなかった。お姉様が消えた時も、子どもには早いってあたしだけが仲間外れにされて……。
あたしね、もうわがままを言わなくなったわ。泣き虫も直したのよ? 先生にお願いして、いっぱい勉強したの。早く大人になって、お姉様を探しに行くために。また、抱きしめてほしくて……生きているって信じたかったのに!』
『ルビーナ……ごめんね』
幼い頃のようにお姉様に抱きつきたかった。
でも相変わらずなにも見えないし、体が動いてくれない。
あたしの夢なのに、なんでこんなに不自由なのよ!?
『お姉様は誰かに殺されたの? お姉様のお体はどこに消えたの?』
返事がない。
でも黙っていても不思議と、困ったように笑う気配が伝わってくる。
『お姉様、これだけは教えて。最期になんて言っていたの? 誰に、なにを伝えようとしていたの?』
『それはね、……………………よ』
頭を撫でられる。温かくて懐かしい感触は、すこしも変わっていなかった。
『こんな形でも、会えて嬉しかった。忘れないでルビーナ……。あなたを、あなたたちを愛しているわ……』
まどろんでいた頭が次第にクリアになる。
もうすぐ目が覚めるんだ。
待って、まだ話がしたい。もっとお姉様と一緒にいさせてよ!
「お姉様っ!」
「よかった、目が覚めたのね?」
気がついたらあたしは自室で寝ていて、枕元にいたのはお姉様じゃなくてエスメル姉様だった。
伸ばされていた手が、いつの間にか流れた涙を拭う。
エスメル姉様は背格好も顔立ちもサンドラ姉様そっくりだけど、目の形がお姉様に似ている。
切れ長で透き通った翠の瞳は、きつそうに見えてとても優しいの。
「まずお水を飲んで。冷たくて美味しいわよ。なにか食べるなら言ってね、すぐ用意させるから」
そういえばのどがカラカラだ……。
コップをひったくるように受け取り、夢中で水を飲んでいると、エスメル姉様はそっと背中をさすってくれた。
なんだかお姉様みたい……きっと、頭を撫でていてくれたのもエスメル姉様だったのね。
だからあんな夢を見たのかな?
「サンドラも今までここにいたのよ。疲れてるみたいだから部屋に戻したけど。あからさまに怪しい霊能力者に傾倒してるし、あの子も心配だわ……」
「心配かけてごめんなさい」
霊能力者についてはあたしも同意見よ。
「あなたは離宮を出てすぐに倒れたの。意識をなくしたあなたを王宮より近いからって、公子が自船に連れて行って医者に見せてくれたそうよ。精神的な疲労ですって。
向こうで休ませて容態が安定してから、公子自ら魔法の絨毯で運んでくれた。一緒に行った侍女達が、あの船はすごかった、お城みたいだって興奮してたわ」
先生の船は、簡単に言うとすっごい豪華客船だ。
あまりに大きすぎて港を占領してしまうので、人気の無い岬側に停泊している。
レストラン、医療設備、遊興施設もなんでも揃っていて、彼の船に招待されるのは一種のステータスになっている。
初めて乗せてもらったのに……覚えてないのが悔やまれた。
「公子はルビーナがお気に入りなのね。おかげでお父様は上機嫌よ」
それはないと断言できる。
初めて会った時から好感度は一切上がっていないわ。
あたしの一方的な片想いなのに、これ以上勘違いされては困る。
居たたまれず、強引に話を変えることにした。
「それより、お姉様のことでお話が……あのね、りんごの絵はダイイングメッセージで……それでお姉様は最期に」
思い出したらまた涙が出てきた。
泣き虫だった昔のあたしに戻ってしまったみたい……。
「無理しなくていいのよ。報告は明日にでも、そうね、あなたのお気に入りの中庭で、お茶でも飲みながら落ち着いて話をしましょう。わたしもサンドラも、お昼までに仕事を終わらせておくわ」
私的な商売で忙しいサンドラ姉様と違って、エスメル姉様は次期王位継承者としての課題がたくさんあるの。
昔からエスメル姉様は、お姉様の同母妹というだけで風当たりが強く、無理難題をこなすことで周囲を黙らせてきた。
そのせいで、お姉様にろくに会いに行けなかった、淋しい思いをさせてしまった……と隠れて泣いているのを見たことがある。
それでも気丈に前を向くエスメル姉様こそ、次期女王にふさわしい。
あたしもサンドラ姉様も、下から支えるって決めてるんだ。
「エスメル姉様、ありがとう。きっと明日までには話せるようになるから」
「ええ。今日はしっかり休んでね」
「うん。お休みなさい」
エスメル姉様が退出してから、水差しの脇に置かれたガラスの器を開けた。
この菓子器は姉妹全員がお揃いで持っていて、可愛いりんごの形をしている。
ああ、また新しいお菓子が補充されてるわ。
悲しいことがあると、なぜか甘い物を食べたくなるのよね。
一つ摘まもうとして──やっぱり、やめた。
「なんだか寒気がする……食欲がわかないわ。今日のお礼に先生にわけてあげよう」
喜んでくれるかな?
蜂蜜とりんごの砂糖菓子は、あたしの大好物なの。




