妹姫は動き出す
久しぶりに、サフィリアお姉様の夢を見た。
『ほらルビーナ、りんごの飾り切りで双頭の大蛇よ』
『すごーい! おねえさま、もっといっぱいつくって!』
幼かった頃の思い出そのまま、お姉様が差し出すりんごは夢なのに甘い香りがする。
あたしや周りの皆は派手な金髪に浅黒い肌だけど、お姉様は髪も肌もミルクのような淡い色で、どこか浮世離れした儚い方だった。
童話から抜け出してきたよう、綺麗で信心深いお姉様のことがあたしは今でも大好きだ。
一年とすこし前に失踪して、宣告された余命の期間はとっくに過ぎている。
お姉様が生存している可能性は低い。……でも、どこかで生きていると信じたかった。
「だから、サフィリアお姉様を探し出そうと思うの。あたしはもう十二歳、子どもじゃないから!」
「は? 十二なんてまだまだ子どもだよね。甘やかされたお姫様がなにほざいてんの」
「うっ……」
噴水を望む王宮の中庭のささやかなお茶会で、決意を表明したあたしに辛辣な言葉が突き刺さる。
……甘やかされている自覚はあるの。
たくさんのお小遣いに、ちやほやしてくれる侍女たち。
部屋の菓子器には、頼んでないのにいつも甘いお菓子が補充されている。
そんなあたしにズケズケ言えるのは、母が同じサンドラ姉様か、目の前の相手だけだ。
どこかお姉様を彷彿とさせる色白の美少年で、少女めいた綺麗な顔は口元以外、帽子とヴェールで隠されている。
優雅にお茶を飲む姿は女子力が高いというか、あたしよりお姫様っぽい。
彼は亡き正妃様の出身地、遠い異国の上流階級の子息で、こんな小さな国の王家とは比較にならないお金持ちなのよね……。
「……先生だって同じ年じゃないの」
「僕は自分が子どもだと自覚している。もっとも、子どもだからと自分の立場や責任を放棄したりはしないけどね」
意地悪だけど、何も知らないあたしに付き合って色んなことを教えてくれる彼を、あたしは敬意を払って『先生』って呼んでるの。
お母様たちは取引先の子息の中でも最上級、絶好の婿がねだと狙ってるみたいで、彼が外交のため滞在する時は必ずあたしをもてなし役に付けるし、無礼な言動にも目をつぶる。
……内緒だけど、あたしは先生のことが好きだ。
彼からすれば、あたしは出来の悪い生徒、よくても妹ぐらいにしか思ってないでしょうけど。
「なんか今、厚かましいこと考えてなかった? 僕にとって君は数ある取引先の娘、それ以上でも以下でもないから」
徹底的な日焼け防止の服装が占星術師みたいだからか、やたらとあたしの考えを見透かして来るのよね……。
「単純に、思考を表情に出し過ぎなんだよ」
「もうこれ以上心を読まないで! とにかく、あたしはお姉様を探すの。それが無理でも、流れている悪い噂をどうにかできないかなって……」
初めて“黒百合の魔女”の噂を聞いた時は耳を疑った。
狭い島では情報が回るのが早い。広まる前に噂を止めたかったけど、今や島中に蔓延してしまっている。
「この島の住人は視野の狭い、柔軟性に欠ける奴らばっかりだね。体質を改めないと、いつか諸外国に食いものにされて国が滅ぶぞ」
ばっさり切り捨てる彼の物言いは、聞いていて清々しい。
以前こっそりとお姉様の黒い靄について相談した時も、こんな調子でアホらしいと否定してくれたっけ。
『物知らずばっか。それは死に面したことで異能力が開花しただけだよ。僕の国ではなんら珍しいことじゃない、むしろ誇るべき才能だ。貴重な戦力を閉じこめるなんて、愚かとしか言いようがないな』
この返事であたしは先生のことが好きになった。
外の世界のことを、もっと教えてほしいとお願いして今の関係がスタートしたの。
「でもまあ、姉のためにって心意気は好ましい。滞在期間に余裕はあるし、僕も手伝ってあげようか」
「本当っ!?」
「宣言したからには手立ては考えてるんだろ?」
「え、いや、あはは……」
笑って誤魔化したら、ヴェール越しでもはっきりわかる、蔑みの目で見られた……。
「当てはあるの。お姉様が失踪した離宮、子どもは見るものじゃないって入れてもらえなかったから、まずそこに手がかりを探しに行こうかと……」
すでに何度も調査が入って、なにも見つけられなかった場所だけど、仮にも王家の離宮、もしかしたら隠し通路があるかもしれない。
違う目で見ればなにか発見できるかも、としどろもどろに説明したら一応納得してくれた。
「君の考えはわかった。で、離宮の立ち入り許可は取れるの?」
「うっ、それはこっそり忍びこめば……」
「最低の悪手だね。出直してこい」
段取りの悪いあたしに呆れたのか、先生は大きなため息を吐く。
「いいか? 僕は物知らずなりに知ろうとする君の姿勢や、行動を起こそうとしたことは評価する。だけど、本当にどうにかしようと思うなら、君の特性を活用しなくちゃダメだ」
「あたしの特性?」
なんかカッコいい響きだけど、そんなのあったっけ?
「そ。君の甘え上手な末っ子キャラを活かして、姉姫達に泣きついてこい。二人揃ってる時を狙えよ。周囲の侍女を味方につけるのも忘れるな。そしたらどっちかは力を貸してくれるから」
「カッコ悪い!」
なにからなにまで人任せじゃないの!
「そういうセリフは、何でも一人で出来るようになってから言おうな?」
「わかったわよ……」
先生の言うとおりにしたら、条件付きだけど許可が下りた。……なんだか釈然としないわ。
(┬)(┬)(┬)
「ルビーナはなんでいつも余計なことばかりするのよ!」
固い木のブラシを床に叩きつける。
折れたブラシは鏡台まで跳ねて、鏡にヒビが入ってしまったけれど、高価だか特に思い入れもないただの物だ。どうでもいい。
それよりも、上目遣いの青い目を思い出すだけでイライラする。
“お姉様のため”と言われたら、協力しないとわたしが怪しまれるじゃないか!
『皆でいればさびしくないよ』
親たちはいつも争っていて、わたし達姉妹は放って置かれることが多かった。
サフィリアお姉様は腹違いだとか関係なく、姉妹を分け隔てなく抱きしめてくれたから、眠れない夜は皆お姉様の部屋に集まった。
秘密よ、とこっそり甘いお菓子を分けてくれた優しいお姉様。……その偽善に、何時の頃からか怒りを覚えていたわ。
ルビーナは外見はともかく、甘ったるい中味がお姉様にそっくりなのよ!
お姉様が死ねば──否、殺したら、苛立ちは晴れると思っていた。
だから毒を盛ったのに、不可解な失踪を遂げて。それからずっと嫌なことばかり起こる。
本当にお姉様は死んだの?
死んだとしたら遺体はどこへ消えたのか、わからないことだらけだ。
いつ罪を告発されるかわからず、お姉様の影にずっと怯えて生きてきた。
ルビーナの提案は、もしかしたら事態を動かすかもしれない。
わたしの罪に勘づいたら、秘密ごと葬ってしまえばいいだけだもの。
必要だから、と言いくるめて“監視”はつけた。
王宮のルビーナ付きの侍女は、甘言しか口にしない愚か者ばかりを配置している。
隙は多く、消そうと思えばいつだって実行に移せる。
「姉妹なんて邪魔なだけ。姉も妹も皆わたしには必要ないものよ……」
視線を感じて顔を上げると、鏡に歪んだ笑みを浮かべるわたしが映っている。
今にも泣きそうに見えるのは、きっと割れた鏡が見せる錯覚だわ……。




