チャラい流れ星
突如こみ上げた猛烈な気持ち悪さに、声も出せなかった。
私は内臓が握り潰されたような大量の血を吐いて崩れ落ち、束の間意識を飛ばす。
…………毒を盛られたことに気づいたのは目が覚めてから。
その時にはすでに手の施しようがなく、毒は全身に回っていた。
熱い、痛い、苦しい……。
焼けたようにひりつく喉を押さえても、止めどなく血はあふれ出す。
あまりの苦痛にのたうち回れば、白と銀のモザイクになった床にギラギラした赤い色が広がり、描きかけのキャンバスや倒れたイーゼルを侵食していく。
絶え間ない苦しさと絶望、湧いてくる憎しみから涙がこぼれた。
「…………どうし、て…………」
…………………………いやよ。私にはまだ、やり残したことがあるのに。このまま一人で死んでしまうの?
(┴)(┴)(┴)
《出会い》
私はミリナッツとミリベルーという双子島にある、小さな国の第一王女、サフィリア。
王女といっても四人もいるし、生来の体の弱さと持病、諸々の事情で後継ぎからはとっくに外されているけどね。
『忘れられた王女』と呼ばれた私は、島のはずれにある寂れた岬の離宮でひっそり療養生活を送っていた。
数少ない使用人は通いで、ほぼ一人暮らし状態の私の趣味は絵を描くこと。
離宮から出ることは許されていないけど、正妃だった亡き母から受け継いだ魔法の鏡のおかげで、題材には困らなかった。
島の守護神獣、双頭の大蛇の鱗を埋めこんだ大鏡は、望めば島中の風景を映し出してくれるの。
鏡が見せてくれる映像の中でも、気に入った場所やこれは美しいと思ったものを厳選して絵にする。それが私の日課なのよ。
生まれつき色素が薄くて日差しに弱い私は、昼間に寝こんでいることが多いから、主に夜の間に活動していたわ。
ある夜。
バルコニーに繋がる扉を開放して、波音を聞きながら次の絵のモチーフを探していると、ふとした思いつきを試してみたくなった。
……きっと、変わり映えしない毎日に飽きていたのね。
「鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番綺麗なものを映し出しておくれ」
幼い頃、母に教えてもらった童話の呪文を唱える。
魔法のアイテムには細かい指定が必要だから、何も起こらないはずだったのよ?
でも、鏡は眩い光を放ち、一人の美丈夫を映し出す。
それはこの世のものとは思えないほど顔形の整った、見目麗しい青年だった。
年齢は私とそう変わらないくらい、十代後半から二十代前半かしら?
癖のある銀の髪をかき上げる仕草が様になってるわね。
髪と同じ色、星のように瞬く銀の瞳が艶っぽい流し目で私を見つめていた。
上半身は裸で、健康的に日焼けした肌を惜しげなくさらし、細いけど鍛えられた腕や首にはしゃらしゃらした派手な金のアクセサリー。
あら、よく見ると瞳孔が爬虫類のように細長いわ。
人間離れした野性的な美貌に合っていて綺麗ね。でも、惜しい。
「なんか全体的に軽薄」
鏡の見せる映像に対して失礼な感想を抱いてしまった。
『ひどい言い草だなぁ』
え、しゃべった?
まさか反応があるとは思ってもいなくて、驚いた私は手近にあった愛用のハンマーをたぐり寄せ、構える。
母の形見の大切な鏡、出来たら割りたくないけれど……。
『ちょっ、ハンマーを振り上げないでっ!? 華奢な見た目に合わず、勇敢なお姫様なんだね』
鏡から伸びてきた腕がハンマーを持つ手を優しく掴んで引き寄せる。
温かい手の感触……父以外の、男の人に触れられるのは初めてだ。すこし馴れ馴れしいけど嫌な気はしない。
『キミがオレを呼んだんだろ? だから現れたのに、あんまりな対応じゃないか』
「別に呼んでないわ。私が望んだのはこの世で一番綺麗なものよ」
『なら間違いない。オレは誰よりも美しいからね!』
自意識過剰……いえ、ちょっと自惚れ屋さんなのかしら?
思わず残念なものを見るような、生暖かい目で見てしまった。
その視線を好意的に解釈したのか、青年は甘い笑顔を浮かべて鏡から抜け出してきた。
気づかれないように、海に面したバルコニーを一瞥する。
この離宮は外の警備は鉄壁だけど、中の守りは薄い。
無駄に広いから、悲鳴を上げても誰も来やしないわ。
どうしようか迷ったけれど、すでに侵入されてしまったのだからと、相手をすることにした。
私もちょうど話し相手がほしかったし。
「キミも綺麗だよね。スタイルもいいし、とても美人さんだ」
「えーと、ありがとう?」
舐めるように全身を見回される。
面と向かって褒められるのも初めてで、何だか恥ずかしい。
「一目で気に入ったよ。どう、オレの彼女の一人にならない?」
この人、自意識過剰な上に女こましなのね。
名乗る前に息を吐くようにナンパしてきたわよ。
私の第一印象は間違ってなかった。チャラい。
「彼女の一人?」
小首を傾げる私に青年が肯定とばかりに微笑んだ。
「警戒しなくていいよ? 無理強いはしないし。重くない、割り切った関係で付き合おうよってこと。
深く考えないでさ、遊び……遊戯だと思って。そう、恋愛ゲーム」
「ゲーム?」
「プレゼント持ってたまに遊びにくるからさ、恋人みたいにデートしたりおしゃべりしよう。
欲しいものは宝石でもなんでも好きなものをあげるし、どこにでも連れて行く。二人きりの時はキミしか見ないし、甘い言葉だって囁いてあげる。オレはどんなわがままだって叶えてみせるよ」
まるで愛人契約ね。
心なしか熱弁をふるう青年の、握った手のひらも熱くなっていく。
「ただし、『私だけを愛して』って束縛するのはなし! オレほどの男が一人に縛られるなんてもったいないからね。結婚なんてもっての外。恋人ゴッコって言い換えてもいいな。やることはやるけど」
今にも舌なめずりしそうな下心全開の笑顔なのに、目は冷たく笑ってない。
他に複数の彼女がいて、全部遊びだと最低な宣言をしているのに、ちっとも悪びれない……いえ、悪いと思ってないのね。
こんな魔性の男に全力で尽くされ、誘惑されたらどんな女性でも溺れそうなもの。
でもそうなったら、あっさり切り捨てて他に行くのでしょう?
「本気で好きになったら負け、関係は終了。後腐れはなし。──ねぇ、オレと遊ぼうよ」
「いいわ」
取りつくろわず、欲望に忠実なのが潔い……好印象よ。
逆にキミ一人だけを愛する、なんて言われたら断った。
都合の良い関係、理想的だわ。
「あなたのゲームに付き合ってあげる」
「そうこなくっちゃ!」
ハンマーは脇に置かれ、しっかり手を握り直される。
「じゃあ、改めて。オレの名は……」
「あぁ、名乗らなくていいわ。ゲームなのだし、相手の詮索はなし、仮の名前で呼びあうのはどう? 本当の名前を告げて、“愛してる”と言った方が負けというルールにするの」
「それはいいアイデアだね。オレたち、気が合いそうだ」
詮索しないと言っても、王家所有の離宮に住む女と守護神獣の鏡から出てきた男……正体なんて分かりきっているでしょうに。茶番ね。
「キミにぴったりの美しい名はオレが考えよう。オレの呼び名はキミが適当に付けてくれ」
「そうね。では私はあなたを“流れ星”と呼ぶわ。──なんでも願いを聞いてくれるのよね?」
「もちろんさ。流れ星は別名を夜這い星というし、享楽的で刹那主義のオレにふさわしい名前だね。オレはキミのことを“真珠姫”と呼ぶよ」
歯の浮きそうな小っ恥ずかしい名前だこと。
私が日に当たってなくて青白いのと、真珠の髪飾りを付けているからよね。
「素敵ね。呼び名も決まったし、さっそくゲームを開始しましょうか」
流れ星は流れるような動作で片膝をつくと、恭しく私の左手にキスをする。さすが女こまし、慣れてるわ。
「これからよろしくな、真珠姫。長い付き合いになることを祈ってるよ」
「ええ、よろしくお願いするわ、流れ星の君」
────私は短い付き合いで終わるつもりだけど。