見切り発車ばかりしている私のエターナルしない方法
エターナルしていないのは、2018年5月現在です。今後はどうなるかはわかりません。割と世の中は皮肉なもので、こういう物を書いた後、エターナルしまくる可能性があります。
発達障害の特性かもしれないのですが、どうも昔から計画を立てて物事をなすということが苦手です。ですから、私の小説は、だいたいがワンアイディアの見切り発車です。それでいて今の所エターナルはないです。
なぜ、エターナルしないのか考えてみた所、どうも「信用を失う」ことに対する恐怖心が強いみたいです。エターナルをした作者の小説は読まれないということが、強迫観念となって迫ってくるため、どうしても「作品はきっちりと終わらせなくてはいけない」と考えている節があります。
ですので、自分としては「無理かもしれないけど続けたい」という欲求が出ても、その欲望を却下して、終わらせている作品もあります。物語の完結>継続欲求ということになっています。
ただ、今連載中の『ミニマム狩人』に関しては、キャラクター愛がでてきたんでしょうね。予定している所で終わらせずに、「もう少しあの子たちと遊んでいたい」という願望が出てきてしまいました。これが勝ると、できる限り続けていくパターンに陥ってしまうのではと思います。
もともと、見切り発車的に始めた作品だったので、初期の展開中にラストを暗示して、終息に向けて伏線を張っておくという手段に出たのですが。こりゃどう転ぶかわからないなという心境になってきました。なので、今後はエターナルするかもしれません。
小説を書き始める前は、4コマ漫画を描いたり、プロレス論文を書いたりと、小説とは別の軸で活動していたものですから。特に物語の終わらせ方を意識していたことはないです。なので初めて書いた小説『守護霊会議』に関しては、どう終わらせたらいいのか悩みました。
もしかすると、いい終わらせ方を知らないせいで、エターナルしている作品もあるかもしれません。私もよくわからないのですが、余韻を持たせつつ打ち切るような感じで書いています。これが正解かどうかはわかりません。
基本的には、頭の中に何かが降りてきて、話が続いているので、自分の中でそろそろ書くネタがなくなってくるのがわかると、その段階で収束に向かわせて、話を強引に終わりに向かわせることが多いです。だから、読む人にとっては尻切れトンボと受け取られるかもしれません。
結局、エターナルに関しては、執筆意欲があるうちに、ネタの分量や、対象物に対する知識の収集の度合いを見定めて、無理と感じたのであれば、それ以上手を出さないで、終わりの方向に舵を切るという形式で乗り切っています。
また、矛盾点が生じた時点での執筆意欲の低下に関しては、「矛盾点が見つかっても力技で押し切る」という無茶なやりかたで、終わらせているものもあります。
本来なら、綿密にプロットを作成して、完結させたうえで投稿するのがベストなのですが、私のように脳が特殊仕様で、衝動的に新作の投書を繰り返す人は、執筆スタイルが違うと割り切って、それに合わせた形でエターナルを回避するしか方法がないようです。
最後にエッセイのエターナルに関してですが、小説のエターナルとは別物だと考えていますし、小説の執筆に付随して書く形式のエッセイに関しては、終わりがないと認識しているので、エッセイ系は盛大にエターナルするかもしれませんが、ご了承ください。
もう一つ、エターナルの原因として、「読んでくれる人がいない」というのを忘れていました。確かにこれは頭が痛いです。今連載している小説のPV数は減り続けております。
私はかって、読者ページを取り上げたブログを運営していて、そこにコメントしてくれた人が三年間で一人だけでした。また、ニッチなプロレスのサイトもやっていたのですが、アクセス解析を入れてみた所、一年で6人ぐらいしか訪問者がいませんでした。
だから、最初『小説家になろう』に来た時、「一日の訪問者が8人もいる!」とおったまげたものです。それぐらい過疎な世界にいたのです。だから、あの不遇時代を思い出せば何とかしのげないかなと思っています。今はちょっと欲が出てきてるので、危ないですが。
もともと、執筆スタイルが独特なもので、小説の山場とか引きとかいうテクニックをあまり使わずに
ほぼ、本能で書いています。この場合、ブクマやPVが少なくても仕方ないような気がします。
閲覧数の少なさに対しては、まだ実力が伴っていないのでこんなもんだと思って乗り切ろうと考えています。向上心の点で問題が残りますが、駆け出しのうちは承認欲求を減らすのも手だと思います。
あるいは、自分のために小説を書いているという風に思考を切り替えてしまいましょう。自分のためだけに書くのも、楽しいものですよ。
なんでエ〇るという用語を使わないかというと、部落差別に対する配慮というか、自閉症スペクトラムのこだわりも少しあるかな。心理的制約があって、どうしてもエ〇るが使えません。不便ですね。