第三話「容疑者の女」
「ふぅ、もう食えないぜ……」
気づけば辺りは暗くなり始めていた。
黄土色の夕日が落ちていくのを見つめながら、俺は今日の旅に喜びを感じていた。
何だかんだ言って、無理矢理海外に連れてこられたのも良かったのかもなぁ……
そんなことを思う俺の目の前に酔い潰れた女が見える。
「お金は沢山あっても、愛は買えないのよ!愛は!」
……酒癖悪すぎなのは前からだが、今日は一段と酷いな。
酔いつぶれている歩をエレナさんが介抱している。申し訳なくなってきた俺は、二人のもとに向かう。
「すみません、エレナさん!後は俺が歩をホテルまで連れて帰るので」
「いいのよ、一人さん。それに、ホテルまで連れて帰るのは大変でしょう?私の部屋で休ませましょう。傍にグラースをお付けしますので、何かありましたら彼にお申し付けください」
「ありがとうございます。助かります」
「わかったか!一人、これだから気が利かない男は……」
何がだよ。泥酔女。酔いながらディスりにくるとか器用すぎだろ。
その後、エレナさんが酔い潰れた歩を屋敷の中まで連れて行ってくれた。
「はぁ……」
「気疲れですかな?紅茶でも一杯どうでしょうか」
察してくれたのだろうか、グラースさんが優しい言葉で接してくれる。
ティーカップに注がれた紅茶をもらい、席に着いてふと気づく。
「グラースさん、日本語を話せるのですね」
「エレナ様の執事として当然の事でございます。今はエレナ様が外国語を話せるようになられましたので、暫く使っていませんでした。実は旦那様やこの場にお集まりの皆様も日本語を使える方々でございますよ」
「そうなんですか!」
俺は驚いたが、よく考えればエレナさんの親しい人達なのだから当然かと内心納得していた。
それにしても、色々と教えてくれる人だ。エレナさんが帰ってくるまで、もう少し気になることを聞いてみよう。
「気になってたんですが、どうして氷の彫刻を長時間彫れるんですか?彫っている間に溶けてしまうと思うのですが」
「氷の作り方が普通の作り方とは異なるのです。ゆっくり凍らせることで、空気や塩素などの不純物を水から抜け、透明で固い氷ができるのでございます。ただ、水が氷になるまでに不純物を取り除く作業を繰り返す手間がありますがね」
「作品を彫る前に大事な作業なんですね?」
「仰る通りです。彫刻の出来は彫る前から始まっているのです」
二人で話をしているところへ急に男二人が話に割り込んできた。『コレク・ショーン』と『ジャン・フォート』だ。酔ってるから邪魔だなこいつら。
「あの氷ってそんな面倒な作り方をしてたのか?割れたらマジで水の泡だな」
「ジャン、氷の作品の過程を面倒とつまらない洒落を言っている時点で三流ジャーナリストだな」
「何だと金の亡者!金のためなら何でもする非道野郎だろ!」
「なんですと!言葉を選びたまえ!」
うるさい。騒ぐのは歩だけにしてくれよ。間にグラースさんが仲裁に入るが、なかなか収まらない。暫く言い合いが続きそうだな。
俺はその場から離れようとトイレに行くため屋敷の中へ向かった。
屋敷に入るとそこは、劇場会の中央広場の様な広さだ。壁に掛けてある見取り図を見ると、前には二階へ続く階段、右側は厨房や食堂へ続く通路、左側はトイレ、その奥に扉があり、抜けると作業場だろうか氷を製造、保存する大きな倉庫がある。中央の階段の先だが、進むとそこからさらに左右に通路が分かれており、右側がご夫妻の寝室や書斎室、左側は客室が数室となっている。
さて、トイレは左の通路だから向かうか。歩いていると通路奥の窓際から女性の声が微かに聞こえてくる。あれは……『ミレイユ』さんか。
「ええ、そうです。……証拠は見つけました。ただ、先ほどお送りしたリストに怪しい二人組をチェックしましたが、それが組織の仲間とは思えないのですが……えっ!知人ですか!」
……誰かと電話をしているようだが、何か聞いちゃやべぇ内容のようだ。俺は気づかれる前にさっとトイレに入った。
‐‐‐‐‐
席に戻ると、うるさかった男二人はゲラゲラと笑っていた。エレナさんが戻っていたようでどうやら場を静めてくれたみたいだな。ちょうど歩のお礼も言いたかったし声をかけた。歩はエレナさんの寝室に寝かせてもらっているようで、数時間ぐらいしたら後で叩き起こしに行くか。
「きゃぁぁぁぁああああああ!」
段々と悲鳴がこちらに近づいてくる!聞こえる方向に振り向くと屋敷内からこちらに女性が走ってくる。あれは、画家の『ペティー』さんだ!エレナさんがペティーを落ち着かせながら話を聞き出す。
「どうしたのペティー!」
「ハ、ハリー様が……し、寝室で……ち、血を流して倒れています!」
『なんだって!』そこに居た全員が声を上げて驚いた。すぐに全員で屋敷の寝室に向かい走る。
寝室……確か見取り図を見たとき夫妻の寝室は一室だけだったはず。そしてそこには今、歩が寝ているはずだぞ!
屋敷の二階に上がり寝室まで走り駆け込むと、そこにはうつ伏せで倒れているハリーさんとベッドで寝ている歩がいた。俺は歩のところに向かおうと足を進める。
「動くな!それ以上中に入ってはダメよ!」
女性の大きな声に止められた。声の主は『ミレイユ』さんだ。どうして彼女が怒鳴るんだ?
「私が二人と部屋の現状の確認をします。皆さんはそこで待っているように」
「ミ、ミレイユさん……あなたも中に入ってはいけないのでは……」
「私は、国際警察特別犯罪捜査課所属、『水篠美麗』です。皆さんに身分を偽っていた事は謝罪します。ですが、今は私の指示に従ってもらいます」
そう言って彼女は誰かに電話を掛けた後、歩とハリーさんがいる部屋に入っていく。倒れているハリーさんの状態を調べたが、彼女からは重い言葉しか出てこなかった。
「エレナさん。残念ですがハリー様は既にお亡くなりになっております」
「そ、そんな……ことって……」
涙を流しながら崩れていくエレナさんをみんなで支える。なんてこった……とんでもない事が起きちまったぞ。
次に彼女は寝ている歩を起こす。
「歩さん、起きなさい。寝ている場合ではないですよ」
「うっ、気持ち悪い……あれ、ここどこ?」
「ローラン夫妻の寝室です。」
「あ、酔い潰れちゃった……のかなぁ?てか、私、何を手に持ってるんだろう」
「それは……血の付いたナイフ!やはり歩さん、あなたがハリーさんを刺したのね」
「……へ?ええええええ!」
な、なんだって!当然、そこにいた全員が驚き、歩を見て騒いだ。俺は我慢できず、部屋の中に入って近づいた。確かに、血の付いたナイフを握っている。……あいつマジかよ。
「美麗さん、これは何かの間違いだ!歩はそんなことできる女じゃない!」
「そ、そうよ!私は他力本願主義者なのよ。殺るなら一人にさせて、その全ての責任を負わせるわ!」
おい……フォローしてるのに崩すなよ!余計ややこしくなるだろ……
「と、とにかく、一度しっかりとした捜査を求めます!」
「言われなくてもそうします。先ほど私の捜査班に連絡し、鑑識の方も手配しています。ただ、現状は彼女が持っていたそのナイフが『証拠』になる限り、彼女が犯人であることを物語っていることを覚悟してください」
釣り目のせいか鋭い目で俺を見て言われた。警察は『証拠』がすべて……それは知っている。過去に大学でもある事件に巻き込まれた時、俺の先輩が言ってたことだ。ならば、新たな別の証拠が見つかればこの話は逆転するはず。でも今の俺は……何もできない。
「さっきから聞いてたら警察みたいで偉そうに。貴女は展覧会側の秘書みたいなもんでしょ?」
「……警察です」
ギロッとした目で美麗さんは警察証を見せる。そういや歩は寝てたから知らなかったな。ははは……
「ふ、ふーん。まぁいいわ。でもこっちだって『ちょー』がつくほどすごい探偵がいるんだからね!」
そう言って歩はぐいっと俺のシャツを強く引っ張ってきた。……何を言っているんだこの女は。
「あ、歩、どういうことだ?」
「このままじゃ私が犯人にされちゃうでしょ!唯一取柄の『ひらめき』でどうにかしてよ!」
「唯一って……閃きって意識して出せるもんじゃないだろ」
「いいから、話合わせなさい!今日、あなたは『探偵』になるのよ!」
合わせろとか、探偵になれとか、めちゃくちゃすぎだろ。今に限ったことじゃないが、今回ばかりはちょーが付くほど自分勝手なわがまま女だぞ。……こうなりゃもう行き当たりばったりだ!
「そう、俺も身分を隠していましたが、実は俺、『ちょー名探偵』なのです!」
静まりかえった部屋と外からくる冷たい視線が俺にとっては、ナイフで刺されることと同じに感じた。後ろでクスクス笑う女を俺は犯人でいいさえ思う。いや、もう犯人でいいか?
冷たさ以上の視線を美麗さんが俺に向けて答えた。
「そうでしたか。では、彼女が犯人ではないことを。『証拠』を見つけられるということですね?」
「えぇ。もちろんです。俺が解きましょう、この殺人事件と真犯人を!」
こうして俺は自分の首を絞めるように『ちょー名探偵』になり、歩の無実を証明するため事件を推理し始めるのだった。




