悪役令嬢、ドラゴンに立ち向かう
ありえない。目の前の光景に私は心底思う。
これは別に現実逃避というわけではない。本来いるはずのない生き物がそこにいることに私は驚いていた。
「ヴィーナ様」
ユアも私と同じことを思ったのだろう。驚きが声に表れていた。
「これはどういう……、どうしてドラゴンが。あれって……」
その疑問は分かる。ドラゴンが存在してることが不思議なのではない。ただ、あのドラゴンは、今はある少女の体内に封じられていたはず。ドラゴンは唯一無二の生命体だ。他はいない。それが今ここにこうして現れたということは、それが意味するのはただ一つ。
「……まさか『器』が?」
それ以外には考えられなかった。だが、それも変な話だ。確かドラゴンの器として、その封印を守り続けていた貴族の少女は、今クレアチオ魔法学園に通ってるはずだ。何度か見かけたこともある。
(ああ、そういえばあの時に虐めの実行犯として名を上げていた内の一人ね。あの子が亡くなった? 意図的に誰かがドラゴンを解放する為に殺したのかしら)
その可能性が濃厚だろう。
「ヴィーナ様、どうやら考えてる時間はないようです。後にしましょう」
地上に降るドラゴンの巨大な影が徐々に大きくなってくる。確かにユアの言う通りだ。今ここで考えていても仕方の無いことだろう。私は魔力を解放し、身体能力を強化する。続けてユアも身体能力を強化する。
そして、臨戦態勢を整えた後、私は周りの未だ放心する者達に指示を飛ばす。
「私達があれの足止めをします。なのであなた達は住民を避難をお願いいたします」
「あれの足止め……? そんなの無茶だ! 相手はドラゴンだぞ!逃げなきゃ!」
弱気の言葉に私は思わず溜息をつく。無理も何もやらなきゃ死ぬというのに。
「無茶も何もやるしかないでしょう。黙ってドラゴンの餌になるつもり?」
「っ!」
誰かが息を呑む音が聞こえた。でも、それを気にすることもなく私は続ける。
「それならそれで私は構わないのだけど」
私は一歩前に出る。
「どうせ死ぬなら最後まで抗うのも悪くは無いと思うわよ」
「そうですね。それに私達も皆の避難の誘導が終えたのを確かめたら即座に戦線を離脱します。だから出来れば早めにお願いしますね」
にこりと微笑むユアにぽつぽつと声が漏れる。「やっぱり無理だ」や「もう終わりだ」などの未だ弱気な言葉。だが、その中から一つ。今まで放心してた者の一人が急に声を張り上げた。
「しっかりしやがれテメェら! 無理つってもやらなきゃ死ぬんだからやるしかねェだろォが!」
カンクルだ。女たらしで私は関わりたくも、ユアと関わらせたくもないのだけれど、今はその発破が非常に助かる。と、また別の誰かが声を放つ。
「ああ、そうだな。俺らじゃ到底あの化け物には勝てないが、ここの住民を守ることはできるはずだ」
強面の男。そして、さらに連鎖するように次々と決意の声が上がる。
「そ、そうだ。せめて住民を避難させるだけでも」
「ええ、それくらいはできるよね」
「そうよ。戦えない代わりに私達も最低限のことはしましょう」
「若いもんばかりにいいカッコはさせんわ!」
よかった。後は私達が彼らの避難を終えるまで足止めをすればいいだけね。
「……ユア」
「はい。ヴィーナ様」
私とユアは特に言葉を交わすこともなく、そっと離れた。そして、自らの肉体に飛行の魔法を施し、ドラゴンの元まで移動すると一気に魔法を展開する。最初から全力だ。
私の手から奔る黒い光と、ユアの手から放たれた白い光がドラゴンの強固な肉体にぶつかり、弾けた。これは魔法の基礎でもある光線の魔法。でも、この魔法は魔力の量によって威力が幾らでも変動する為、貴族の間でもよく使われているものだ。
私達の戦闘が始まった後、他の者達は皆それぞれの役割に動き出した。
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ラファリス王国の国王は頭を悩ませていた。
第二王子アーナイトとリリファル家のご令嬢ヴィーナの婚約破棄の一件以来、この国では様々な問題が起きている。
その中の一つにクレアチオ魔法学園の謎の変死事件がある。そして、その被害者に本来は国を上げて守るべき女の子が混じっていた。封印指定魔物(不死で封印以外には対処不可の魔物のこと)を体内に宿す『コキュートス』の一族だ。
「ぬぅ……、まだドラゴンの居場所は見付からないのか」
「ただ今、鋭意捜索中です」
「そうか」
王は嘆息する。ドラゴンを野放しにすれば間違いなく幾つかの街が滅びる。それだけは絶対に避けなければならない。
「……頼む。愛しき我が民に被害が出る前に、見つかってくれ」
王は願う。と、その言葉を馬鹿にしたようにアーナイトは呟いた。
「何を言ってるのですか。幾つか被害にあった方がいいでしょうに。そっちの方が早くにみつかりますよ」
とても次期国王最有力候補のものとは思えない発言だった。
「馬鹿を言うな!」
怒鳴る王に、しかしアーナイトは何でもないように言う。
「相変わらず甘いですね。そんなんだから皆に馬鹿にされるのですよ、お父様。少しの被害で心を悩ませるなど馬鹿のすること。お父様、あなたは馬鹿ではありませんよね?」
「……それは本気の言葉か?」
「勿論、本気に決まってるでしょう。疑う意味が分かりませんよ」
王はこの愚息の発言に、心底呆れた。本当ならば直ぐにでも王位継承権を剥奪したい。が、そうもいかない。そのことが彼の心をさらに苦しめる。と、アーナイトの隣。
ヴィーナに代わってアーナイトの婚約者になったミナ・ユキシロが一歩前に出て、その胸の内の考えを王に告げる。
「王様。どうして騎士の多くをドラゴン探索に向けてるんですか。ヴィーナさん探索は?」
「おお、そうだった。お父様、ドラゴン探索の騎士の半分をあの女の探索に割いてください」
ふざけるな!と怒鳴りたくなる気持ちを必死に飲み込み、王は首を横に振る。
「無理に決まってるだろう」
「ユアを見捨てるつもりですか?」
第二王子は建前を述べる。が、王は「そうではない」と否定する。
「今はドラゴンが優先だ。ヴィーナ・リリファルの件についてはその後だ」
王は淡々と告げる。と、アーナイトは憤りに顔を歪める。
「犯罪者を見逃すおつもりですか!?」
ふん、と王は鼻で笑う。
「本当に犯罪者かどうか疑わしいものだがな」
じろりとミナを見る。その目に宿るのは、冷たい感情。
すると、その言葉にアーナイトは激昂する。
「それはどういう意味ですか? ユアを連れて逃げたのです! もはや言い訳の余地はないでしょう! 国の脅威になるべき者は直ぐに排除するべきです!」
建前に建前を重ねるアーナイトに王は答える。
「ああ、その通りだ。だからこそ、ドラゴン探索に全力を出している」
ギリッとアーナイトは奥歯を噛み締める。その目には激しい嫌悪。父親に向けるものではないだろう。
「……お父様。それが答えですね。分かりました。ミナ、行こうか」
「は、はい……」
アーナイトは踵を返す。と、その後ろをちょこんとミナが付いていく。そして、その部屋を出る前にぼそっとアーナイトは「愚王が」と吐き捨てる。
それは完全な侮蔑の言葉だ。それを言い残した後、アーナイトはミナを率いて去ってゆく。
「……王よ。大丈夫ですか?」
秘書に声をかけられ、王は何とか体裁を取り繕い、答える。
「ああ、大丈夫だ。すまぬ。不様な姿を見せた」
「いえ……」
秘書は何とか慰める言葉を考えるが、何も浮かばず仕方なく口を閉じた。
「とりあえずドラゴン探索を続けてくれ」
疲弊した表情で命じる自らの主人に対して、秘書は心苦しい思いになり、その内心に第二王子に対する嫌悪感を募らせるのだった。