悪役令嬢、決意する
深い深い闇の中。一つの巨大な眼が、開かれた。
鋭い眼光を滾らせて、金色の一つの眼は彼方の街を見る。
「……」
ゴゴゴゴゴと大地が震えた。闇の中の眼光は、闇から抜け出して、微かな光を得た。淡い光だ。それは月の光。
月の光は雲に阻まれ、再び眼光を闇に閉ざす。だが、雲が過ぎればまた月光がその元に降り注ぐ。
ゆっくりと注がれた微光は、その眼に繋がった全体を照らしてゆく。
それは辺りの山々よりも巨大な何かだった。
「……グルル」
その"何か"は、全てを呑み込めるほど大きく平らな鰐のような口に麒麟のように長く伸びた首。全身は巨大な鱗に覆われ、その背には蝙蝠のような翼を四つ持っている。
その姿は、まさしく神話上最強の生物ーードラゴンだ。
そして、それは同時にこの世でもSランクに相当する規格外の怪物としても君臨していた。
ドラゴンは「ふしゅう」と一呼吸する。と、たったそれだけで山の麓の木々が強風の煽りにあったかのように揺れ、木の葉を散らす。
ドラゴンの視線の先にある街の名は、タクラス。
その翼の一掻きで、容易く消し飛んでしまいそうなほどに小さな街だ。
「グルルルル」
喉を鳴らし、だらだらと涎を山の上に落とし、そして……飛翔。暗い空へと上がった。
ゆっくりと街に向かう。このまま街に突っ込めばタクラスの街は跡形もなく消し飛ぶ。だが、それをドラゴンはしない。
ドラゴンの目的は目の前の街を滅ぼすことではないからだ。
「……グルルルーー」
ドラゴンの目的は一つ。食事だ。
目の前の街で悠々と暮してる人間達をその巨大な口で食い漁るだけ。それだけの為に一つの街を、結果として滅ぼすことになる。
でも、それをドラゴンは気にすることがない。
ドラゴンは暗闇の中を潜むように。そして、一つの天災としてドラゴンの脅威はタクラスの街まで着々と迫ってゆく。
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「……やっぱり美味しくないわね」
私は千足蜘蛛を食べた感想を述べる。何というかゴムだ。食感がゴムで、噛んでも噛んでも噛みきれない。私は仕方なく魔力で顎の力を補強し、千足蜘蛛の咀嚼を強引に終えた。
全くの無味。ステーキソースのおかげで何とか表面に味をコーティングすることはできているが、その本体の味が一切ない。
本当に料理なのかも疑わしいレベルの代物だった。
「それはそうですよ。というか感想は味だけですか。見た目にも触れてください」
何やら辟易した様子のユアに私は首を傾げる。今まで騒がしかった周りの者達も何故か少し引いていた。
「見た目?」
私は言われた通り見た目に視線を落とす。雪だるまに大量の枝を突っ込んだような非常に愛らしい見た目だ。これが何か問題あるのだろうか。
「どこかおかしい? 想像してたのよりも可愛いじゃない」
「全ておかしいです。というかこれが可愛い!? すごい気持ち悪いんですけど!」
「そうかしら」
私は魔力を通して強化したナイフを千足蜘蛛の腹に入れ、そこを起点に切断する。と、中身は何も無い。臓物も骨も何もかもがない。ただ弾力ある肉だけのもの。
これ本当に生きてた物なのかしら。
「うへぇ……、骨も内蔵もないんだ」
「みたいね」
私は一口サイズに切り分け、魔力を使い、食べていく。ユアも自分の料理を食べる。でも、やっぱり私のこれには全く手を付けようとしない。
(確かに美味しくないけど一口くらい食べてみたくならないのかしら)
などと思いながらも食べ進めていく。とーー
「!」
そのことに私は気が付いた。
(何この大きな気配……!? この街に段々と迫っている……、これは今朝私が倒したあれよりも遥かに高位の……!)
まだ遠くにいるはずなのにここまで伝わってくる。そのことにユアも気付いたのか、私の服の裾をちょんちょんと引っ張り、
「ヴィーナ様……!」
今までのが嘘のように、強い目で私を呼ぶ。
「あなたも気が付いた? これは少なくともAランク以上の……」
「はい、多分これは間違いなくSランク」
周りにも何人か気付いてる者もいるようだが、このあまりの大きな気配に半ば放心気味である。それはそうだ。Sランク相当の魔物の討伐は基本的に国の仕事だ。国が貴族に頼み、優れた魔法使いを集めて討伐隊を編成し、そこまでしてようやく戦えるほどの難敵。
それがこの気配だ。
私達ではまず討伐不可能だろう。
ならばどうする。逃げるか。私とユアならばそれも容易い。そう思案しているとユアは立ち上がる。
「ヴィーナ様、参りましょう」
その目に宿るものは、やはり強い意志。
「民を守るのが、貴族の本懐です。なので」
確かにその通りだ。でも、もう私は貴族ではない。
「ユア、私はもうこの国のことなんてどうでもいいの」
「っ……、ヴィーナ様……」
一瞬、悲しそうに揺れた瞳に私の心が痛む。
「でも……」
その心の痛みから逃れるように私の口は動く。
「あなたが行くなら私も……あなたを守る為に行くわ」
自分が一番驚いた。それは私の思いとは真逆の言葉。私は自分が生きる為ならばまたユアを生かす為ならばこの街を見捨てることも考えていた。いや、むしろその方向に思考が向いていた。それなのにどうして……。
「決してこの国の為ではない。民の為でもない」
それは本音だ。別に恨んでるわけではない。でも、だからといって許したわけでもない。だから自分の命を賭してまで助けるつもりは毛頭ない。
「ただ、あなたを死なせない為に」
ほぼ無意識に垂れ流してたその言葉に私ははっとする。
……そういうことね。今の私の心を占めるのは"それ"が全てだということに気が付いた。あの時、空っぽになった私の人生に新たな生きる希望を詰め込んでくれた、敬愛する私のお姫様。
「そう、あなたを生かす為だけにーー」
"私は立ち上がる"
そして私はユアの手を取った。その言葉に彼女は嬉しそうに微笑み、小さく頷く。
「それでは参りましょうか、ユア」
「はい、参りましょう、ヴィーナ様」
彼女を生かす為だけならば私はどんな脅威にも立ち向かう。そう決断して外に出た私の見た"それ"は想像を遥かに超えた化物だった。
「ふふ、まさか」
思わず笑みが零れた。私達に次いでこの気配に気づいて後に出てきた者達もまたその場で放心していた。
そして、誰かがぽつりとその名を口に出す。
「……ドラゴン」