ハクレイ
ベイルートの街の最も高いビルの最上階。その一室は、昼間なのに暗闇に支配されていた。
物はなく、あるのは室内の暗闇に反目するように純然と輝く舞う雪の如き少女の身一つ。
瞑目し、暗闇に全てを委ね、感覚を研ぎ澄ませる彼女は、反乱軍の幹部の一人"ハクレイ"。
ハクレイは自身の魔力を反乱軍が侵した地の全域に、蜘蛛の巣のように張り巡らせており、その網に何かが飛び込んだ何者かの存在を彼女は感じ取った。
ぴくりと眉を動かし、彼女はゆっくりと目を開けた。
反応は、十数程度。移動速度から察するに馬車だろうか。
だが、その中でも四つほど強力な魔力の反応がある。
しかも、その中の一つは恐らくは人外。
ハクレイはコンと鈴を奏でるように爪先で床の大理石を叩いた。すると、彼女の爪先から波紋が広がり、水滴に揺らぐ水面のように室内に波紋が満ちた。
それはハクレイの個人魔法"八つの呪い"の一つ"呪いの伝播"。
その魔法を使った直後、室内に燦然と輝く光の塊が表れた。
「何か用?」
光の中から響いたその声は、ミーシャのものだ。
ハクレイは暗闇の中に指を走らせて、青白い文字を躍らせる。
『領域内に敵の確認。直ぐに滅ぼすべき』と。
「敵、ね。今は眼帯ちゃんいないんだけど、僕が行くしかないかな。はぁ……、今さっき帰ってきたばかりなのに」
ハクレイは目を閉じ、逡巡するが、直ぐに首を左右に振る。
『一人では勝てない』
相変わらず言葉はなく文字だけで意思を紡ぐ。
『この反応は全員が騎士クラスの魔法持ち。その中の四つは別格で、さらに一つは飛び抜けている。人間のものではない』
「ちょっと待って。もしかしてドラゴン?」
『不明。ただ、魔力量だけならその"人外"に匹敵するほどの反応も同時にある。とても厄介』
「……ハクレイ。とりあえず誰が来てるのかの確認だけおねがい。僕は念の為に"天域"を発動できるように備えておくよ」
了解、とハクレイは膝を付き、床の波紋の揺らぎをまた一つ指先で叩く。と、波紋の中から自動人形が二体ほど呼び出された。
子供の姿に鳥の翼を携えたその自動人形は、彼女の"八つの呪い"の一つ"呪いの傀儡"である。
ハクレイは『行け』と呼び出した自動人形を別の空間に転移させた。
『ミーシャ様、一応は足止めもしておく』
「んんー、じゃあそれもお願い」
了解、というハクレイの声なき返事を受け取った後、ミーシャは意思伝達の魔法を解いた。
「……はぁ。僕はあまり戦いには向いてないんだけどね。でも仕方ないか、今この拠点を失うことは僕達にとっても大きな痛手になるし」
そう嘆息しつつミーシャは自分のやるべき行動に移る。まずはやはり隻眼の女を呼び戻すところからだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
騎馬に跨り、荒野を疾駆する隻眼の女は、眼帯で塞いでない方の目を天に向ける。
この反応は、ミーシャか。
隻眼の女は天から自身の元に降りた魔力の反応を拾い上げ、自身の魔力を接合させる。と、第一声に「眼帯ちゃん、今すぐ戻ってきてくれないかな」と聞こえてきた。
「何かあったのか、ミーシャ」
「何かあったというよりはこれから何か起きるかもしれない」
「どういうことだ?」
「詳しくはまだ不明だけど、ハクレイ曰く強大な力を持った"敵意"が街に迫っているらしい。だから直ぐに戻ってきて」
「強大な敵か、……私は今別件に当たっているのだが、それを後回しにして私がベイルートに戻る必要あるのか? お前達で何とかすることのできない相手など、そうそういるものでもないだろう」
個人の実力はともかくベイルートにおける彼女らの能力は、そこらの貴族では束になっても勝てない。
でなければ早々に制圧されているはずだ。
事実、隻眼の女は多くの貴族と闘い、その命を屠ってきたけど、その誰もがベイルート内におけるミーシャよりも格下が多かった。
勿論、通常時のミーシャよりも強い者は確かにいた。かつて王国に攻め入った時に闘い、敗衄を喫すことになったヴィーナがその一例でもある。
だが、彼女ですらも恐らくはベイルートという聖域内ではミーシャを倒すことはできないかもしれない。と、そこまで考えたところで首を左右に振って、自身の考えを振り払う。
(いや、それは流石に身内贔屓か。あの化け物の家系は無理だ。そもそもミーシャの役割は、"戦闘"にはないわけだし……)
ただ、それでも聖域内の彼女たちを害することのできる敵などはほとんど思い浮かばない。
「ハクレイは僕だけでは難しい相手らしいよ。僕はハクレイほど長けた探知は使えないから実力を推し量ることはできないし、だから万が一のことがあってもいいように念の為に戦力は集めておきたい」
万が一のこと……、ドラゴンのことか。
隻眼の女は溜息をつき、仕方なしに別件を後回しにすることに決めて、馬を大きく曲げ、
「分かった。天災への備えをするために私もベイルートに戻る」
そう言いながら来た道を引き返す。