出立
ベイルートの街は山を降り、長い平野を渡り、幾つかの町村を超えた先にある。
ヴィーナは眠気眼を擦りながら馬車の中で地図を広げて、現在地を確かめる。
今はまだ馬車に乗り込んだばかりで山を降っている途中だ。
馬車の中にはヴィーナを含めて三人乗っている。
他にはユアとレーナだ。
エリアや他の騎士も同じくベイルートを目指しているが、彼らは別の方法でベイルートまで行くらしい。
(それにしても何故、転移が使えなかったのかしら)
ヴィーナは考える。
馬車に乗り込む前に何度かベイルートまでの転移を試みた。だけど何故かベイルートまでの転移を行うことはできなかった。
ユアも試したようだが、やはり転移はできなかった。
ならば付近の町村に、とも思ったが、それも出来ずに仕方なくこうして馬車に揺られることになったのである。
「レーナ、何か分かった?」
ヴィーナは訊くも、レーナは頭を左右に振る。
「うーん、分からないです」
今こうして二人して原因究明に頭を働かせているが、未だ何も分からない。
千里眼などでベイルートを除き見ようとしても、何やら不思議な靄に遮られて、魔法が届かない。
奇妙な現象だ。
手元で魔法を発動させながらヴィーナは思う。
「がうっ」
シルフは唸り、馬車の外に目を向ける。
どうやら山を降り、森を抜けて平野に至ったようだ。
そこで今まで待機していたのか。馬を疾駆させる騎士たちが馬車を囲い込むように合流してきた。
「……別の方法って騎馬の事ね」
こてんと肩に寄り掛かるユアを支えながらヴィーナは言う。
「レーナはいいの? あなたも一応は騎士でしょう」
「ふふーん、私はユアの護衛という名目で同乗してるので大丈夫ですよ」
抜かりはないというようにレーナは薄い胸を誇らしげに張る。
「それよりお姉様。私のこと怒ってないですか?」
怒る?とヴィーナは首を傾げる。
「どうして私が貴女に対して怒りを感じる必要があるの?」
「だって"母"を連れてきちゃったし」
ああそういうことねとヴィーナは納得する。
「別に怒ってないわ。どうせ"あの人"のことだし、あなた以外にも私を動かすだけの手段は用意していたでしょう。本当に抜け目のない人だし」
「それはそうかもしれませんが、折角お姉様が解放されたのに」
悄然と肩を落とすレーナにヴィーナは苦笑する。
「解放、ね。多分お母様は策を切り替えただけだと思うわ。"あれ"が王の座につけば間違いなく王国は滅びの一途を辿るでしょう。その方が王国の虚を付けると踏んでいるのではないかしら」
「うーん、まあその可能性はありますね」
母とは長い付き合いになるが、未だにあの人が何を考えているのか二人には分からない。
今までその策を見破ったことは一度もない。一枚も二枚も上手の存在なのだ。
ヴィーナは広げた地図に視線を落とし、ベイルートまでの道程を紡ぐかのように指を滑らせる。
と、ぼんやり地図に魔法陣が浮かび上がる。
黒く、それでいて淡い輝きを放つ、探知の魔法陣だ。
道中、何があるのか分からない。罠があるかもしれない。
だからこそ調べる。だが、その魔法が発動した瞬間、パリンと地図上の魔法陣が砕け散った。
「……これもダメ。どうやら探査系の魔法は完全に無効化されているようね」
「道中の町村は既に反乱軍の手に落ちてる可能性がありますね」
そうね、と同意すると、馬車の外に馬を走らせるエリアの意思がヴィーナの脳裏に伝達する。
「霧が濃くなってきました。少し休みましょう」
霧? ヴィーナは外に視線を向ける。空は晴れていた。霧などどこにもない。
ヴィーナはその旨を彼女に伝えると「え?」と驚いた声が返ってきた。
「ですが、これは……、成程。そういうことですか。ヴィーナ、どうやらここは既に反乱軍の領域内のようですね」
どういうこと、とヴィーナは首を傾げるとエリアの言葉の真意を理解しているレーナが代わりに答える。
「ああ、そういえばお姉様はエリア隊長の個別魔法を知りませんね。エリア隊長の魔法は、魔力を色彩として視認することのできる力です」
「色彩として……それは便利ね」
感覚として何となく分かるけど、明確にはならない。いわば第六感のようなものが魔力だ。
それを明確に区別することのできる魔法は、とても有用性が高いといえる。
だからか、とヴィーナは納得し、外の騎士達に目を向ける。
姉馬鹿かもしれないけれどレーナならば副隊長ではなく、直ぐに隊長になれてもおかしくはない。それなのにそのレーナを差し置いて、隊長に身を置くのはエリアだ。
それを今まで解せずにいた。
ヴィーナは目を閉じて、周囲の魔力の反応を探る。確かに僅かばかりの魔力の残滓が辺りに残っていた。
(私よりも先に気が付くとは、お母様がエリアを連れていくことを強く望んだ理由が良く分かる。確かに彼女は使える。でもーー)
だからこそ全て終われば邪魔になる。
(出来れば反乱軍との闘いの最中に、彼女だけを消しておきたい)
エリアを消せば隊長代理としてレーナが騎士を率いることになる。そうすれば他の騎士らのことを御しやすくなるし、こちらの手駒として使えるかもしれない。
そこまで考えた所でぎゅっと服の裾がユアに掴まれた。
「ヴィーナ様、少し怖い顔しています。何を考えているのですか?」
ぼそりとユアは心配そうに囁いた。
無垢な彼女には出来るだけ自身の悪心を知られたくはない為、ヴィーナは「そうね。今後の作戦を少々」と咄嗟に取り繕う。
レーナはユアとは違って姉の心の内を悟っているのだろう。ニコニコしながら「それでこそお姉様」と呟き、ユアを見る。何故か勝ち誇った顔をしている。
姉の本当を知っているのは自分だけとでも言いたげな様子である。それに対抗するかのようにユアは、
「……今後の作戦。私も一緒に考えます」
と言った。
◆◆◆
「どうして私まで馬車の中に入らないとならないのですか。それもこの女と一緒にーー」
騎馬をレーナの転移魔法によってタクラスの村に送り返した後、エリアは馬車の中に入り、それから溜息を零す。
私も随分と嫌われてるわね、とヴィーナは苦笑する。
一応、手を組んでいるが敵同士であることに変わりは無い。
「仕方ないでしょう。あなたは今何も見えないみたいだし」
「別に見えないわけではありません。むしろ見えすぎてるくらいですよ」
エリアは壁に寄り掛かり、呟いた。
今見えているのは、霧のように白く目の前を染め上げる魔力とその中に人の形を模して点在する三色の魔力反応。
漆黒の魔力はヴィーナで、白銀の魔力はユア、限りなく黒に近い紫の魔力はレーナのものだ。
(やっぱり見え過ぎるのも困りものですね)
剣を抱えながらエリアは思う。
これは彼女の魔法の弊害である。
エリアの魔法は、"魔眼"という一種の体質だ。
魔法の展開という手順を踏むことなく、常に発動している。いわば一つの才能のようなもの。
魔眼はその威力や性能に応じて魔力の消費が変わってくる。
エリアの魔眼は、魔力を色彩として認識するという魔眼にしては攻撃性能には乏しい性能である為、魔力の消費は極端に少量で済んでいるというわけだ。
「私に対しては未だ敵意満々ね。少しは隠す努力をしてはどうかしら?」
「これは敵意ではありません。ただの警戒です。私は部隊を預かる身として、あなたの事を警戒する必要があるのです」
いつでも剣を振り抜けるように身構えておきながら何を言ってるのか。
どう見ても殺気満々。少しでも変な動きをすれば剣を抜くという意思表示が表れていた。
前の敗北を忘れたのか、それとも次は負けない自信があるのか。
「そう。なら勝手に警戒しておきなさい」
「ええ、そうさせていただきます」
そうして馬車の中には一触即発の空気が続いていった。