円卓会議②
ヴィーナが望むことは二つだ。
一つは自分たちの情報の秘匿。この場にいることそのものを隠すこと。また自分たちの為すことを誰にも語らぬこと。
もう一つは、エリア部隊との一時的共同戦線。
ベイルートの反乱軍を制圧するまでの間、お互いに手を組む。
それが彼女の望みだった。
しかし、それを聞き入れることは難しくエリアは黙考する。
(共同戦線。確かに反乱軍の件については、私達も苦労している。だけど、だからといってこの女の手を借りるなど)
彼女たちにも騎士としての誇りがある。自分たちの祖国を守り、王を守り、万民を守る。その覚悟と誇りが、彼女たちの剣には確かにあり、またそれだけの力も備えている。
だから目の前の全てにおいて打算的な悪女と手を結ぶなど。
考えられない、とエリアは思う。
だが、彼女がこうして考えている間にも反乱軍の進撃は一刻と迫っている。
"ドラゴン"を倒すほどの者だ。百人力という言葉が大袈裟ではないくらいの働きをしてくれること間違いない。
エリアは黙考していると、部下の一人の言葉が脳裏に走った。
(エリア隊長。どうしますか?)
それは意思伝達の魔法。
(どうしたほうがいいと思いますか)
(そうですね。"一時的"共同戦線なら結ぶのも構わないと私は思います)
一時的、という所を強調して部下は言う。
成程、とエリアは思う。
(そういうことですか。確かに彼女の言ったのは、永劫の共同戦線ではなく、一時的なもの。それならばベイルートにて反乱軍を制圧するまで手を組み、その直後に捕らえれば……)
エリアの頭の中に事細かに策が巡らされる。そんな彼女の思案姿を一瞥し、ふっとヴィーナは一息つく。
(本当に嫌。この連中と手を組む等。私達だけでも大丈夫だというのに、どうして……)
ヴィーナは瞑目し、ゆっくりと目を開ける。空の眩さが眼窩の奥まで来るようだ。
すると、アイゼンが口を開く。
「儂としては構わぬが、お主に一つ聞きたい。ベイルートでの反乱軍制圧は渋ってたのに、どうして行ってくれる気になったのだ」
「……それは」
ヴィーナは自身の懐にある一つの手紙に意識を向ける。
昨日お風呂から上がったレーナに渡されたもので、母からものだ。
そこには何も記されてはいない。
白紙の紙。隣でユアが不思議そうに見ていたが、その紙を受け取った時、ヴィーナは全てを理解した。
別にシルフのことを隠匿しているような類の魔法が使われているわけではない。特別な意思伝達の魔法が使われているわけではなかった。それでもヴィーナは、その手紙に触れた瞬間に忽ち全てを理解した。
そういうことね、と息を吐き、ヴィーナは瞑目する。
これは命令書だ。
ベイルートに向かい、反乱軍を制圧せよという母の命令。
勿論もうリリファル家の人間でもないヴィーナは、本来母の命を受ける必要などないが、今はそうもいかない。
現状のヴィーナの立場はそれほどまでに最悪だ。だからこそ断ることができない。
ヴィーナは今まで少し不思議に思っていた。
どうして自分たちの事がほとんど公になっていないのか。一国の王女を攫い、次期国王筆頭でもあるアーナイトの現婚約者を貶めることをして、挙句に学園でのあの狂気の騒動。後半二つはヴィーナの知らないことだが、そういうことは問題にない。王国がどう思っているのかの方が重要といえる。
天災の一件があるにせよ、普通ならばもっと血眼になって探すはずだ。
それなのに今日まで平穏無事に過ごせたのは、何らかの力が働いてることが分かる。
だが、それは決して母の温情というわけではない。それだけは断言できる。
むしろ使えるからこそ自由にさせているだけだろう。
ヴィーナは長嘆し、手紙を握り潰した。
母は自分のことを操り人形にして、使い潰すつもりだ。
あの冷血な母のことだ。その線が濃厚だった。
ヴィーナはもう一度溜息をつくとアイゼンに答える。
「気が変わっただけです」
当然、本当のことは言わない。
そうか、とアイゼンは顎鬚を撫でて、ぎょろりと眼球が動き、視線が騎士の方に向いた。
「それで騎士さんよ。そちらはどうじゃ?」
「……そうですね。一時的、ということならば私たちも構いません」
騎士を代表してエリアが言った。
「分かりました。それではよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
ヴィーナは立ち上がり、エリア達に施していた魔法を解除する。
これで母の"指示通り"に騎士を連れてベイルートに向かうという状況への道は完成した。
後は反乱軍を制圧するだけだ。
ヴィーナはアイゼン達に頭を下げると、そのままユアの手を引いて円卓から離れてゆく。
レーナも付いてこようとしたが、エリアに呼び止められた。どうやら騎士達の間で話し合いを行うつもりのようだ。
それに則って、ヴィーナも歩きながら反乱軍のことを考えるが、今の所は彼らの情報はほとんどない。知っているのは、過去に城に攻めてきた者達のことだけだ。
(そういえばあの時の二人は未だに反乱軍にいるのかしら)
あの時の二人というのは、ミーシャと隻眼の女のことだ。
(いいえ。居たとしてもあの程度なら別に脅威にはならないわね)
ヴィーナは思う。と、そこへコソコソとユアが「ヴィーナ様」と耳打ちしてきた。
「どうしたの?」
ヴィーナは出来るだけ優しい声で答える。
「ヴィーナ様はベイルートに向かうのですか?」
「ええ、そのつもりよ。ただ、ユア。あなたはここに残っていてもいいのよ。気乗りしないでしょう」
そう言うとユアは頭を左右に振る。
「いいえ。私も行きます。今更反乱軍を恨んでいるわけでもないですけど、ヴィーナ様と離れたくはないです」
「……そう。本当に良いの? どうせ直ぐに片の付く問題よ」
「……直ぐに。本当に直ぐに片付く問題ですかね」
ユアはぴたりと足を止めた。何か気になることでもあるのだろうか。
「所詮は付け焼き刃の魔法使いの集団でしょう」
「本当に、そうだといいのですが……」
「どういう意味かしら?」
「ヴィーナ様。ベイルートは東の都ですよ」
「ええ、そうね。でもそれが一体……」
そこではっとヴィーナもユアが何について心配しているのかを理解した。
「そういうことね」
「はい。付け焼き刃の素人集団で落とせるほど、あの街は容易くはありません。それにベイルートには"貴族"が多く在住しているはずです。その者達はどうなったのでしょうか」
ヴィーナの隣を歩きながらユアはさらに続ける。
「ヴィーナ様。ベイルートに向かう前に準備は入念に行った方が良いかもしれませんね。少なくとも十年前の素人集団と同等に考えるのはやめたほうがいいです」
ヴィーナはそうねと頷き、反省する。
ユアに言われるまで気が付かなかった。いや、普段ならば間違いなく気付いたことだろうが、今だけはその余裕がなかった。
彼女が気にしていたのはずっと反乱軍などではなく、母のこと。
全く以て眼中になく、殲滅できることが当然のように思っていた。だけど、それは間違いだ。
少し考えれば分かることだが、それを見落としていた。そのことにヴィーナは猛省する。
あのベイルートの街を落としたほどの勢力が容易いわけがない。
ユアの言う通り十年前と同等に考えるのはやめたほうがいいだろう。
「そうね。なら今夜"加工"に入りましょうか」
ヴィーナは言い、ユアは莞爾と頷いた。