それぞれの思惑
夜の闇を燦然と照らす電光を眺めるエリアは、考えていた。
自分はどうするべきか。彼女たちの言葉の全てを信じるべきか。
考え、しかし思考は纏まらずに頭の中は滾々と湧き出る思索によって支配されていた。
(私たちは騎士だ。王国に身命を賭した騎士。だから普通に考えれば王国に仇なす逆賊にも等しい彼女の言葉を信ずるべきではない。でも……、ユア様のことは信じたい)
ユアの躍然とした明朗愉快なその姿を見なければ彼女たちはヴィーナの言葉を信じることなく、ただ徒に敵意という名の牙を剥き出しにしていたことだろう。
だが、今となっては牙を収めるべきかそれとも剥き出しにし続けるべきか。それすらも分からなくなるほどに混乱の極みに至っていた。
葛藤し、頭の中で大量の自分たちによる会議が開かれる。
「ヴィーナは敵だ! 我が大恩ある王に仇なす、憎むべき敵だ! 殺す為の最善を尽くすべきです!」
「ユア様のあの楽しげな御姿を拝謁したはず! ヴィーナを討てばユア様はきっと哀切に暮れることでしょう。そのような思いをさせることこそ、我が王や亡き王妃様への明白な裏切りに他ならない」
「何を綺麗事を。ユア様は未だ幼く、己が行いの意味するところを何も分かってはいないだけです。そんなユア様を正しきに導くことこそが騎士たる私の役目でもあるはず」
「綺麗事結構! 今から世の醜い側面に触れされる必要などありません」
「それは甘い! 甘すぎます!」
脳内会議という名の自問自答を繰り返していると、ふいに後背から声がかかり、思考が遮られた。
「エリア隊長。どうしますか」
どうします、というのは今動くべきか否かの問いかけだろう。
「そうですね。まだその好機にはありません。なので今暫くの待機をお願いします」
小さく口の中で転がすようにそう答えると部下達は渋々と頷いた。その命令に不満があるというよりは不安があるという感じであるが、まあ、それも仕方の無いことだろう。部隊で最も強いはずの隊長は敗北し、こうして共に捕縛され、また同じく自分たちよりも遥かに強い副隊長に至っては、敵であるヴィーナと仲睦まじく会話をしている。
この状況を不安に思うなという方が難しいだろう。
(国の為を思えば、間違いなくユア様を戻すべきですが……、もう少し考えるだけの時間が欲しいですね)
そうして縛られたまま長い思考の渦に身を落としてゆく。
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「お母様、先程タクラスの街に着きました。今お姉様のお家にいます」
ぽつりぽつりと天井に溜まった水滴が落ちて濡れたタイルに弾かれるかのように小さく抑えられた声が浴室に反響する。
レーナの声だ。
長く艶やかな黒髪をタオルで纏め上げたレーナは、口元までを湯に浸たし、浴槽の縁を肘置きのように利用しながらも虚空に話し掛ける。
「まだ渡していませんよ」
傍から見れば独り言をぼそぼそ言ってるようで、恐らく何も知らない第三者が見たら間違いなく頭の具合を伺うだろう。だが、彼女は正常だ。頭がイかれているわけではない。
ただ単に彼女には、ある声が聞こえているだけである。
「"お母様"が渡せばいいじゃないですか。私は嫌ですよ。お姉様と敵対するのは」
彼女だけが聞いてる"その声"は自身の母のもの。
「いや、ここまで来た以上は渡しますけど、お姉様に嫌われたらその時はしっかりと仲を取り持ってくださいね」
レーナは砕けた調子で言う。と次には落胆したように肩を落とす。
「はぁ……そんなのは勝手すぎますよ、お母様」
レーナは苦笑し、天井を見て、その重力に従って伸びる水滴の一つを見る。
「それよりエリア隊長はどうするべきですか? 私達の"計画"の為には今ここで消えてもらったほうがいいのでは?」
伸びた水滴が天井より切り離されて、湯船の中に弾けて溶けた。
「まだ、ですか。私としてはそろそろ次の段階に移行してもいいと思うんですけどね……」
湯に溶けた一雫を掬い上げるようにレーナは湯を持ち上げる。
「相変わらず心配性ですね」
ちゃぷんとお湯を手先で繰りながらもレーナは完爾と笑う。
「まあ、お母様が動かず待てと言うのならば、私はその通りにしますよ」
ざぶんと湯を率いて立ち上がり、そしてレーナの裸身を伝うように浴槽の中に戻ってゆく。
ぽたぽたと水滴が零れ、薄く水気と熱気にコーティングされた紅色の肌を外気に晒すレーナは、微かに湯気を引いたまま浴室を出る。
ぽたぽたと天井から降る水滴が、名残惜しそうにレーナの背中を見送っていた。
(とはいえ、お母様の掌で舞踏に興じるのも面白いけど、少しは私も自分の思うがままに踊ってみたいものですね)
用意されていた新品のタオルで肌身に纒わり付く水気だけを拭いながらレーナは思う。
(お母様の計画から外れない範囲で、私も何か仕掛けてみるのも面白いですね)
体を拭き終えて、水気を吸って湿ったタオルを洗濯カゴに放り投げると、レーナはユアのパジャマを着る。
(ふふ、お姉様やユアも一緒に踊ってくれると嬉しいのだけど)
パジャマのボタンを首元まで止めると、レーナは笑った。その笑顔はまるで無邪気な子供のようだ。