悪役令嬢、逃亡生活をスタートする
「アーナイトよ、それは正気か」
ラファリス王国の王城の一室。深く沈む重圧感ある声が響く。その声は我が父ミドラーシュ王のものだ。
「勿論です。私はヴィーナ・リリファルとの婚約を解消し、こちらのミナ・ユキシロさんを新たな婚約者に迎えるつもりです」
「よ、よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げる一人の娘。礼儀作法が成ってないところから察するに、恐らくは平民の娘か。
成程。平民の娘を王家に迎え入れるつもりか。なんと愚かなことを。
いや、だが、あの邪魔なヴィーナ嬢が王位争奪争いから関係なくなるというのは私にとって少し都合が良いかもしれない。
アーナイトを王位争奪争いから脱落させる為に最も高い障害はあの娘だった。だが、それを勝手に捨ててくれたのは、こちらとしては有難い。
影からその様子を眺めながらも私は思う。
と、王の怒声が溢れた。
「ふざけるな! 平民の娘を王家に迎えるつもりか!?」
それには同意だ。認められるわけがない。
「父上が何を思おうが、これは決定事項です。それとも私から王位継承権を剥奪しますか?」
「っ!」
「できるはずないでしょう。今の私の支持率を見ても、お父様の独断で私から王位継承権を奪うのは無理な話。なので私の行うことに口を出すのはやめてください」
思わず噴き出しそうになった。おいおい、こいつ正気かよ。
その支持率を私から奪い取り、今まで保ち続けていたのは、どこの誰だと思ってる。
他でもないお前が切り捨てたあの女だ。
やばいな。自分の力だけで私に勝ってるというその勘違い。このまま此処にいては笑い死にそうだ。
だから私はそっと玉座を後にする。と、
「ユーベルト様、見付けましたよ。今、城内は騒然としててアーナイト派の連中からは不安の声が上がってますね。どうしますか? そろそろ仕掛けます?」
背後から親友アベルの声がかかる。リリファル家特有の黒髪に女のような綺麗な顔立ちの青年である。
「いいや、まだ早いな。そもそも国民の大半はアーナイト派だし、先ずはそれをどうにかする方が先だろう。全くお前の妹は。あんな無能の何が気に入ったのか。私を婚約者に選んでさえいれば今頃は父上を蹴落としてから私が玉座に付いていただろうに」
「んー、そうですね。やっぱり一番扱いやすいのがアレだったからじゃないんですかね。ユーベルト様はコントロールが大変ですし」
「コントロール、ね。確かに女には乗られるより乗るほうが好きだな」
「……下ネタですか。公的な場では絶対に言わないでくださいね、それ」
「言うわけないだろ。それよりアベルよ、ヴィーナ嬢の居場所は分かったか?」
アベルは肩を竦めて笑う。
「いいえ、全く分かりません。それにしても我が妹には、あんな趣味があるとは驚きでしたよ」
「あんな趣味とは?」
「ユア様との駆け落ちの件ですよ。駆け落ちしたということは、我が妹と姫様はそういう仲なのでしょう」
ほほう。それは初耳だ。
「ユアを連れて居なくなったことまでは知ってるが、どこで駆け落ち等という情報を得たんだ?」
「えーっと、それはユーベルト様とはいえ教えることはできません。ま、リリファル家独自の情報網とだけ言っておきます」
「そうか。まあ、別にそこまで気になるわけではないが……、とはいえ駆け落ちか。そんなの誰も信じることはないだろうな。故にこの城では今アーナイトに振られた腹いせとしてユアがヴィーナに誘拐されたということになってる」
「でしょうね」
相変わらず飄々とした態度のアベルに対して一つ気になることがあった。
「なあ、アベルよ。このままヴィーナが捕まれば間違いなく逆賊として処断されるが、お前はそれで良いのか? 助けたいとは思わんのか?」
「ユーベルト様は私たちリリファル家のことを何にも分かってませんね。確かにヴィーナは愛しい妹の一人ですが、それはそれです。そもそも私の庇護なしに生きられないのであればもはや死んだ方があの子の為でしょう」
さもそれが当然のように言う親友。
相変わらずリリファル家の人間は、どこか狂っている。
唯一まともなのが今アーナイトの側近でもあるグレンだけ。
いや、あれもまともとは言い難いが、その中でも人間味があるのがあの男だけだ。
「厳しいな。そういえばお前の所の一番下の……グレン・リリファルはどうだ? アーナイトの側近として動いてるようだが」
「アレは取るに足らない愚弟ですね。ユーベルト様にとっての障害にはなり得ないでしょう。アレはリリファル家を誇ってはいるようですが、その本質を理解できずにいる無能。私はアレをそう評価してます」
「……そうか。それを聞いて安心した。ヴィーナ並の人間では無さそうだな」
ほっと溜息をつく。が、そこでアベルは「……ですが」と一つ懸念を上げる。
「あの第二王子の新たな婚約者のミナ・ユキシロさんは、どうだか分かりませんよ。我が妹を陥れ、第二王子の婚約者の座を見事手にすることに成功。結果だけ見ると、ヴィーナに勝ったようにも見える」
確かにそうだ。平民だと侮りそうになるが、実質あのヴィーナに勝ったようなものだろう。だが、どうやらアベルは「結果だけ」と言い、その本心では妹が負けたことを認めてはないようだ。
身内贔屓か。それとも何らかの理由があるのか。
分からないが、聞いたところではぐらかされるだろう。
「ということは、ミナ・ユキシロへの警戒はしておいたほうが良さそうだな。ただ、やはりヴィーナとユア、それとレーナ・リリファル。あの三人が私の味方になってくれればな。容易にあの馬鹿を引きずり下ろすことができる」
それにアベルは首を振る。
「無理でしょうね。ヴィーナはもうこの件に関わる気は無さそうですし、ユア様も同様。レーナに至ってはお母様の職務を手伝うのが楽しいようで、こちらに全く関心はありません」
「……そうか。それは残念だ」
私は本心からそう思う。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あの第二王子から婚約破棄を言い渡されてから一週間。
私はユア様と一緒に、ラファリス王国の王城より大分離れた最果ての小さな町、タクラスまで来ていた。
ラファリス王国の城下町に比べると人口密度こそ少ないが、私たちのような見ず知らずの人間でも快く迎えてくれた暖かく優しい村だ。
「んっ……ヴィーナ様ぁ」
朝。目を覚ました私は、私の隣で気持ちよさそうに眠るユアを見つめる。寝言でまで私のことを。
どうしてここまで私のことを好いてくれているのだろうか。
確かに幼い頃は妹のレーナとこの子でよく遊んだ。が、それだけのはず。
しかも、あの頃の私は幼く王族がどういうものかもよく分かっていなかった。
その為、ただ無礼極まりないことを言ったりもしていた。
勿論、それは幼い頃の話である。
私がある程度、ラファリス王国のことを理解した時にはユア様とも距離を置くようになった。
私にとってはアーナイト様の王位継承を阻む障害の一つとしてユア様のことを認識するようになったからだ。
それなのに、どうしてこの子は。
私はユア様の頭を撫でる。指通りのいい綺麗な銀髪だ。
この行為も……、王族の者の頭を撫でるなど少し前の私なら考えられないことだった。
(何故、あの時ユア様が私を助けてくれたのかは、分かりません。もしかしたら何らかの思惑があるのかもしれません。ですが、あの時、私のことを庇ってくれて嬉しかったです……)
本当に嬉しかった。アーナイト様を王座に押し上げることこそが、全てだった私にとって、あの瞬間は絶望にも等しい。
勿論それはアーナイト様が誰かに恋したことに対してではない。むしろ、私にとってそれはどうでもいいことだ。
王になる身分ならば妾くらいは居ても当然。普通のことだ。
だから私はミナさんが第二王子に近付いたことを知っててなお、それを無視し、ユーベルト様の身動きを封じることに専念した。
だが、それが失敗だった。
見事に私は陥れられた。
他でもない、婚約者のアーナイト様に。
私は恋というものを知らない。だからこそ、恋を甘く見ていたのだろう。
まさか私を見限り、平民の娘を選ぶとは思わなかった。
恋は盲目というように、今のアーナイト様はミナしか見えてないのだろう。これから待ち受ける困難のことも、恐らく国民のことも。何もかもが見えなくなっている。
このままアーナイト様が即位すれば、この国に待ってるのは恐らく破滅だけ。だが、もうどうでもいい。
その前にきっとユーベルト第一王子が手を打つはずだ。
あの人はそういうひとである。
すると、「むにゃ」と傍らから可愛らしい声が漏れ、
「ヴィーナさまぁ……おはようございます」
ゆっくりユア様は身を起こす。可愛い。私と一つしか違わないのにユア様のその見た目は普通の十五歳よりも幼く見える。
「ええ、おはようございます、ユア様」
そう返す私に、彼女は「むぅ」と可愛らしく頬っぺたを膨らませた。
「昔みたいにユアでいいのに……、様付けされると他人行儀な感じがします。前みたいに普通に接してください」
そうは言っても、いきなりは難しいのですが……まあ、努力しましょう。
「……分かりました。それではユアさーーごほん……、失礼。ユア、朝の準備を始めましょうか」
様と言いかけたところで少し睨まれたので直ぐに言い直すと、ユアは満足気に頷き、
「うん、ヴィーナ様♡」
笑う。
あの、それなら出来れば私に対しても敬称は付けないでほしいのですが。その旨を伝えるとユアは、
「無理です。私にとってのヴィーナ様は、何というかヴィーナ様なので!」
と言う。意味が分かりませんよ、その理屈は。
「兎に角、大好きなヴィーナ様を呼び捨てなどは畏れ多くてできないのです」
そういう恥ずかしいことを面と向かって言うのはやめていただきたい。照れてしまいます。
すると、ユアはベッドから身を下ろし、私に手を差し出す。
「それではヴィーナ様、そろそろ朝の準備を」
「えっ、ああ、そうですね」
私はユアの手を取り、ベッドから身を下ろす。
「参りましょうか」
「はい!」
そうして私とユアの一日が始まる。