襲撃
エリア・クレアドールは憤慨していた。
「まだ見付かりませんか、副隊長は」
森林の奥地の切り株に腰掛けて、長く伸びた足を組み、エリアは言い、部下が答える。
「は、はい。まだ見付かりません」
その報せを受けながらエリアは溜息をつく。
レーナがいなくなった。その報告を受けたのは、つい今しがたのことだった。
いついなくなったのかまでは分からない。が、少なくともこの森に入る時まではいた。それは点呼で確かめている。ならばいつはぐれたのだろうか。
そもそもエリア部隊はーーいや、エリア部隊に限らず王国騎士の部隊は、その場の環境によって常に隊列を変えている。何があっても対応できるようにと事前に訓練に訓練を重ねて、森ならば森の、山ならば山、海ならば海、雨ならば雨の隊列があり、故にその量も膨大。騎士にとって最初の難関がそれを全て覚えることだと言われているほどに……。今回もそうだ。この森に合わせた編隊で、進行していた。
だから、本来ならば誰か一人が遭難することなどはありえない。しかも誰にも気付かれることなく、忽然と姿を消していた。
これは意図的なものとしか思えなかった。
意図的に隊を離れて、一人で勝手に動き始めた。
完全な独断専行だ。そんなのは一つの部隊を預かる身として決して許せることではない。しかも、それが下の者の模範となるべき存在でもある者だとすればなおのこと。
(全く……。能力的に問題がないとはいえ、これは協調性が無さすぎますね)
エリアは呆れて、静かに立ち上がる。
薄桃色のポニーテールが揺れて、風が褐色の頬を撫でる。
使える時間は無限ではない。
このまま今ここで副隊長を探すことに時間を費やすのでは、本来の目的から大きく外れることになる。
自分たちが今日ここに来た理由は、一つ。
この付近にドラゴンが出現したという情報の真偽の確認と、それが正しかった時の情報収集。それが目的だ。
副隊長を探すのは、それを終えてからでもいいだろう。
エリアは部下達に捜索の中止を告げると、
「あの、隊長。本当に副隊長を探さなくてもいいのですか?」
部下の一人に話し掛けられた。
「副隊長はまだ子供ですよ。もしかしたら今頃一人寂しく……」
「子供といえど我が部隊の二番手。自己責任です」
きっぱりと冷たく切り捨てるエリア。
「ですが、もしかしたら何かに巻き込まれた可能性も」
「私達に一切気付かれずに、ですか」
「それは……」
言い詰まる。
そんなことはありえない。
彼女たちは曲がりなりにも王国を守護する最高位の騎士だ。当然、魔法を使うこともできるし、個々の戦闘能力は普通の貴族よりも高い。しかも、その中でもエリアは隊長レベルの騎士だ。
そんなエリアたちに一切気付かれないように何かするのはまず無理だろう。なので、自分から隊列を離れたと考える方が余程自然である。
「それでは行きますよ。無駄口を叩いている暇はありません」
「……はい」
そうしてエリア部隊は移動を再開する。と、そのときだ。
「!」
その気配を感じ取ったのは。
最初は何だか分からなかった。
夜の海のように深く静かな黒い何か。
だが、次第にその気配が何なのかまで分かってきた。
魔力だ。
この森のどこかで魔力が使われている。
勿論そんなことは普通は分からない。でも、彼女だけは別だ。
エリアは魔力を色彩として認識することができる。
それがエリアの"固有魔法"である。
固有魔法というのは、魔法使いが個別に扱うことのできる魔法で、ドラゴンでいうところの『ブレス』のことだ。
「これは……」
エリアは眉間に皺を寄せて考える。
見覚えのない魔力の質だ。黒と青が混淆している。
その魔力の反応を受けて、彼女は指示を後方の部下にハンドシグナルで伝える。と、一気に部隊に緊迫感が巡る。
エリアは部下達に合図があるまで待機を命じた後、気配を消して魔力の反応を辿るとその先に見えたのは、開かれた空間の中で木材回収に励んでいる者達。
あれは魔物討伐者だろうか。だが、あの中に魔法使いがいるとは思えなかった。
エリアは木陰に隠れて、その作業風景を眺めながらも異質な気配だけを追いかけて、そこで一人の少女の姿を見付け、驚いた。
「……まさか。こんなところに身を隠していたのですか」
魔力の質だけは以前見たものとは決定的に違っていたが、その美貌は間違いない。
見間違えるはずがない。
「……ヴィーナ・リリファル嬢」
元第二王子アーナイトの婚約者でありリリファル家の長女。そして現在は第三王女誘致の罪人。ヴィーナ・リリファルだ。
エリアは腰の柄に手をかけ、
(彼女がここにいるということは、ユア様も近くにいるはず)
ゆっくりと剣を引き抜きながら
(まずは捕らえて居場所を吐かせましょう)
微笑み、一気に駆け出した。
木々を抜け、急勾配の斜面を滑り降り、彼女は彼女の元まで迫る。
あまりの速度に、並の者では捉えきれない。
その速度に唯一反応できたのは、魔力の反応を事前に察したヴィーナだけだが、その彼女ですら姿形まで正確に捉えることはできてはいなかった。
何かが来る。だらか防壁を展開して迎え撃つ。
もはや感覚の次元ではあるが、ヴィーナにとって感覚というのは時に五感よりも重視されるものだ。見えてはいなくても感覚的に何か来るから防壁を展開し、身を守る。
ドラゴンの時もそうだった。限界まで動体視力を上げてはいたのにそれでも完全に動きを見切ることはできず、最終的には感覚だけが頼りだ。魔法の構築もそう。基本的な知識はあるものの、それ以降は「こうすればいいのでは」というような何となくの感覚だけで、魔法を構築している。それだけ彼女の感覚というものは絶対的な信用を持っていた。
実際、エリアの不意打ちによる一閃を、今こうして"何となく"防壁を展開したことによって防いだ。
「な、に……」
エリアは驚き、目を瞠る。
彼女は最強の魔法の名家と名高いリリファルの長女ではあるが、まさか奇襲による不意打ちが防がれるとは思っていなかった。
ぐぐぐと防壁に剣を押し込むエリアの姿を見た途端、ヴィーナは動揺する。
「王国の騎士団……、どうしてここに」
言葉には答えず、代わりに剣閃によってエリアは応えた。
問答無用、語る気はないということだろう。
ヴィーナは防壁を維持しながらも再度の問い掛け。
「何故、ここにいるのですか」
エリアは溜息をつき、渋々「それはこちらの台詞です」と言った。剣を握る手には力が宿ったまま。ぴしっと防壁にも亀裂が入る。ヴィーナは直ぐに修復するが、その直後にはまた深く亀裂が生じる。その鼬ごっこを繰り返しながらも淡々とエリアは言う。
「何故あなたがここにいるのですか。ユア様はどちらに?」
腹の探り合い。周りの討伐者たちは突然の事に身構えることすらしていない。
当然だ。王国騎士団は、罪人にとっては最悪な存在だけど、普通の国民にとっては抑止力という形で平和を維持をしてくれる有難い存在である。その騎士団に敵意を向けられるわけもないのは自明の理。むしろ、敵意を向けるべきなのは今まさに騎士の襲撃を受けているヴィーナの方だろう。
だが、それもタクラスの討伐者には無理な話だ。
街の救世主たるヴィーナに敵意を向けることなどできない。
だからこそ、彼らは動けずにいた。
どうすればいいのか。どうするのが正しいのか。それが分からないから動けない。
だが、それはヴィーナにとっては都合が良い。
騎士は善良な国民に刃を突き立てることはしない。なので、そうして大人しく二の足を踏み、事の成り行きを見届けるだけでいい。
こちらにもあちらにも刃を向けることだけは避けてもらいたい。そうすれば彼らはまだ無関係な一国民としての扱いを受けることができる。
「……っ!」
ヴィーナは防壁で剣を押し返し、弾くと二人の距離が離れた。
よかった、とヴィーナは安堵する。
彼女は心配していた。
この騎士が今ここにいるということはもしかしてユアも見付かったのではないか、と。危惧していたけど彼女の言葉から察するにまだユアのことは見付けていないようだ。
それが分かって少しだけ安心したが、とはいえユアが見付かるのも時間の問題ではある。
ヴィーナがタクラスの討伐者とここにいて、この場にユア本人がいない。ということはタクラスの街にいることは容易に推察できるはず。
だが……。
「答えなさい。ユア様は今どちらにいるのですか」
エリアはその推察には行き着かず、再び呟いた。
それは別に彼女の知能が足りてないわけではない。ただ、彼女たちが与えられた情報では、その推論を導き出せる方が異常というだけだ。
当然だろう。
彼女たちが与えられたのは『第二王子に婚約破棄された腹いせにヴィーナがユアが誘拐した』という大きく歪められた情報だ。
つまりユアの意思に関係なく、強引に連れ去ったのだ、と。
なので、街の中で普通に生活していると思えるほどの情報が不足していた。
(……どういうこと? 今のこの状況を見てもまだ何処にいるのか分からないの? それとも既に分かった上で、私の油断を誘うための演技かしら)
いやいやそれはない。
ヴィーナは即座にその考えを切り捨てる。
元々ユアの居場所は直ぐに知られることを前提に考えていたわけだし「居場所を教えろ」では油断を誘うほどの罠には成り得ないだろう。
少なくとも彼らのような王国騎士にしては、あまりにもお粗末な罠。ということはーー
(演技でもなんでもなく、本心から分かっていない。成程、そういうことね)
ヴィーナは防壁に魔力を流し込み、硬度を更に上げる。
(正しく情報を認識してはいない。ユアのことをよく知る人物から得た情報ならば、きっと直ぐに居場所を特定したことでしょう。だけど……)
偏見と個人的な感情の織り込まれた無価値な情報。そんなものを与えるのは恐らくアーナイトくらいのものだろう。
少なくともユアのことをよく理解している国王や、無意味に混乱を招くような情報を与えることを決して是とはしないユーベルトではない。あの無能だけだ。
よかった、とヴィーナは安堵すると、それがエリアには挑発のように感じたのか。再び剣が振るわれた。しかし、今度は魔法によって動体視力を上げてるから剣速を完全に捉えることができている。
ドラゴンのものよりも遥かに遅い。ヴィーナのお腹に抱きつくシルフも最初こそは警戒していたものの、徐々に飽きてきて、今ではすやすやと寝息を立てていた。