ユアとヴィーナの出会い⑥
「ーーっ」
放たれた黒い塊を展開した防壁で逸らし、ミーシャと隻眼の女、反乱軍の者達は一斉に駆ける。逃亡を図るために。
当然だ。今の彼らでは目の前の相手に勝てるわけがない。
「逃がすわけないでしょう」
目を閉じて全てを委ねるユアを抱えたまま、ヴィーナは一気に魔法陣を展開。虚空に六色の魔法陣が編み込まれた。
それは拳銃のリボルバーのように回り、その陣の中心から弾丸が射出。音速を超えて、一人、また一人と反乱軍の者達を撃ち抜いていく。ある者は一撃で屠られて、またある者は避けたせいで苦痛が引き伸ばされた。
「ヴィーナ様……」
ユアはヴィーナの首に手を回しながら、ただ目の前の血みどろな光景を直視しないように目を閉じる。
「あなた、この子をお願い。私も闘いに参加します」
「お、おう」
王妃は腕の中のアーナイトを王に渡した後、ヴィーナの隣に移動する。
「ヴィーナさん、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえ、礼などは不要です。これはリリファル家としては当然のことです」
「そうですか」
一つ、また一つ。命が潰える。
王妃が出たことにより、それはさらに加速。もはや逃げることは不可能だ。
「ヴィーナさん、あの二人は殺さずに捕らえます。恐らくは何らかの情報を持っているはず」
「分かっていますわ」
防戦に応じるミーシャと、ヴィーナの弾丸の尽くを大剣で打ち払う隻眼の女。あの二人だけは次元が違う。恐らく今回の騒動の中心人物の内の二人だ。
少しでも気を抜けば逃げられる。その程度の余力は残してあるように見えた。
「王妃様は隻眼の女をお願いいたします。私は赤毛の方に行きます」
「分かりました」
その二人を残し、全てを打ち倒した後、ヴィーナと王妃は交差。一気に標的の元まで駆ける。
「油断だね。そんなお荷物を抱えた状況で僕と戦って大丈夫なの?」
お荷物というのはヴィーナの抱えるユアのことを指している。痛い所を突かれたからかユアの手に力が入る。足でまとい。傍から見れば確かにそうだろう。だが、実際は違う。
「お荷物? まだ分からないのかしら」
ヴィーナは髪を払い、ユアの頭を撫でる。
「私、お父様曰く魔法の構築だけは相当上手いらしいの。子供ながらにラファリス王国の五指に入る程度には。だけどね、魔力の量は"そこそこ"なのよ」
そこそこ、とは言っても並の魔法使いの十倍はある。リリファル家の人間にしては低いというだけだ。
「そんな私がどうして今ここまで際限なく魔法を使っていられるか分かる?」
「……! まさか君……」
ミーシャは考え、その理由に思い至り、驚いた。ユアは目を閉じながらも首を傾げる。自分の有用性に皆目見当もつかないからだ。
「……馬鹿なことをするものだね。その子を魔力のタンクにするなんて。一歩間違えれば二人とも危ないというのに……」
魔力は個々によってその性質が異なる。色素、濃度、質量、系統など、千差万別だ。血液のようなものである。
そして体に合わない血液を無理に流し込めばどうなるか。答えは簡単。体が拒否反応を起こす。
それは魔力も同じで、合わない魔力を流し込まれると拒否症状を引き起こし、最悪死に至る。危険なものだ。
また、自らの魔力保有の限界容量を超えた魔力を流し込まれても、全ての魔力が抜き取られても同様の症状を起こす。その為、魔力を奪ったり与えたりというようなことは自殺行為のようなものだと認識されていた。
しかし、目の前の幼い子供は堂々と言う。
「あなたの常識で推し量るのはおやめなさい。言ったでしょう。私は魔法の扱いには優れているのよ」
自身の力を示すようにヴィーナは手の中に幾重にも重なり合う魔法陣を展開する。
「魔力の譲渡、いいえ、この場合は吸収というべきかしら。この魔法陣は、その為に少し前に編み込んだもの。これは魔力を濾過し、私の体に合うように変換する魔法の構築陣。この程度の構築は造作もない。そして」
ヴィーナは笑い、誇らしげに胸を張る。
「この子の魔力はほぼ無尽蔵。まず魔力が空になることはないわ」
「ヴィーナ様……」
ミーシャは目を細め、大きく溜息をつく。
「成程ね。王家の人間で危険なのは王妃だけと聞いていたけど、そうでもないね。いや、むしろ将来的に危険なのは、その子か」
「そうね。あなた達にとっては、そうかもしれないわ」
ヴィーナは言いながら魔法陣を幾重にも組み合わせる。手の中に重なり合うように現れた無数の魔法陣は、
「私も将来は、きっと王妃の座につく。つまりあなた達の掲げる下らない目論みは、今日この時点で失敗に終わる。残念だったわね」
その中心に黒い球体を顕現させ、
「それでは少しの間おやすみなさい」
解き放つ。咄嗟にミーシャは防壁を展開。だが、それは何の壁にもならず、硬球を叩き付けられた窓ガラスのように砕け散り、ミーシャのお腹にぶつかる。
「ーーーーぁ、ぐ」
呻き、床に崩れて伏すミーシャにすかさずヴィーナは、拘束魔法を施した。
「くっ、殺せ……」
そう言ったのは隻眼の女。ミーシャ同様に拘束魔法の光の弦によって身を縛り上げられた彼女は、可能な限りの敵意を以て目の前の倒すべき存在らを睨み上げる。と、それに答えるのは王妃。
「いいえ、まだ殺しません。あなた達には聞きたいことがあるので」
彼女の腕には、ユアが抱かれていた。余程怖かったのだろう。全てが終わった途端、いつものユアからは想像できないような甘えの姿を見せていた。
「いいから殺せ」
「しつこいですね。後で殺してあげますよ。その前に話すことは話してもらいます。何故このようなことを?」
「……はっ、決まってるだろう。貴様らを殺す為だ」
その目に宿るのは明確な殺意。実力が圧倒的に勝る此方がゾッとする程に強く激しいものだ。
それをミーシャは黙って目を閉じる。
「私たちが何かしましたか?」
「白々しい。あのような地獄を作っておきながらよくも……」
「地獄……、そう、あなた達は地獄の出身ね」
「ああ、そうだ。私もここにいるミーシャも、他の者らも全員、地獄の出身者だ」
……スラム。名前だけではあるが、聞いたことがある。元々犯罪者を構成させる為に作られた街だが、今では暴徒化して荒れ果て、手が付けられなくなっているという。ラファリス王国の闇の一部である。
「そうですか。地獄の出身者とは、納得いたしました。それでは他にも幾つか聞きたいことがあります」
王妃の目が一瞬悲しみに揺れる。
「この城にあなた達を手引きしたのは、ユーベルトですか?」
「……」
だが、それには答えない。しかし、それが答えのようなものだろう。恐らく言えないように魔法で口封じされている。それが二人の反応から見て取れた。
「そうですか。なら次の問い。あなた達に魔法を教えた者は一体……」
誰ですか、と言い終わるよりも前に"それ"は来た。無数に枝分かれた氷の柱。その斜線上には、ユアの姿。
ヴィーナは数瞬遅れてそのことに気が付いた。
「ーーーー!!」
咄嗟に防壁の魔法を展開。でも、それは魔力の練り込みが甘く、その氷柱の前では紙同然の効果しか発揮しない。
(まだ……甘い、これじゃあ抜かれる!)
どうすれば、と考えるが、もはやどうしようもない。それは完全なる不意打ちだ。対応に間に合わない。
氷柱は防壁に衝突。直後に砕かれる。
(そうだ。ここは私の体を盾にすればーー)
そう考えるよりも先に一歩、前に踏み込む。と、ふわりとユアの体が浮遊。曲線を描くように空中に投げ飛ばされて、王妃の腕の中なら離れた。
「お、かあさま……」
ユアは呟き、手を伸ばす。が、その手は届かず、ただ離れていく。その次の瞬間、王妃の体を氷柱が貫いた。
鮮血が飛び散り、その直後、別の魔法も発動。王妃の傷口に紫色の魔法陣が展開した。それが何の魔法かはユアには分からないが、碌でもないものなのは確かだ。
すると再び幾つかの氷柱が虚空に生まれ、ユアの体に向けて放たれた。が、今度はその全てをヴィーナは同質の氷柱をぶつけることで相殺させ、そのままユアの落下地点に身を滑り込ませて、その小さな体を受け止めた。
「ちっ、……ぐっ……片方、生きてるか……」
猫背の男は満身創痍で城の外に倒れていた。腕が千切れ、顔半分が焼け爛れた悲惨な状態だ。
あの使用人の足止めを突破した所まではよかった。ほぼ無傷で、魔力も余力を残したまま彼はユアを追い掛けた。城内に駆け回るユアの反応を確かめて、そこに向かおうとした。その途中のことだった。
彼は小さな怪物に遭遇した。
少し舌っ足らずで幼く可愛らしい女の子。だが、その中身は怪物のそれだった。あれはもはや天才とかその次元を異にしている。
彼女は、レーナ・リリファルは彼では到底及ばない領域の存在だった。勝ち目はなく、ただこうして運良く生きて逃げることができたのは、この計画の要でもある"地災降臨"のおかげである。
彼は地災降臨で転移魔法を使い、外まで逃げてきた。そして玉座の間を監視しながらもその付け入る機会を伺っていた。同胞が無惨にも殺されていくのを見るのは辛かったが、彼らを助けることで此方の存在を相手が認識してしまえば折角のチャンスが無駄になるかもしれない。
それだけは避けなくてはならない。
そうして待ち続け、ようやく訪れた刹那の好機に彼は残りの魔力の全てを使い、幾つかの魔法を発動させた。
一つは王妃とユアを襲った氷柱の魔法。その全てには回復阻害の呪いも付加し、放った為、致命傷になればまず助からない。
二つ目は、
「うわっと」
「なっ……ここは」
これだ。捕えられた者らの救出の為の転移。遠距離からの攻撃が来たとなれば恐らくは警戒が強まり、ヴィーナも王を守ることを優先し、彼女達のことは二の次にするはずだ。その考えは正しいもので、実際に今こうして容易く二人をこの場に転移させることに成功した。
「はぁ……はぁ……、っ、出来れば全員殺したかったが、当初の目的は達した。お前らは逃げろ……」
魔力も使い切り、男は既に死に体だ。
「おい、しっかりしろ。大丈夫か」
隻眼の女は、男を抱える。が、その体からは徐々に熱が失われつつあった。
「……いや、悪い、が、……もう助からない。俺を置いていけ」
ミーシャは男の胸に手を当てるが、完全に魔力が枯渇している。このまま魔力が切れた状態が続けば、間違いなく死ぬだろう。だが、魔力を補填する方法を彼らは直ぐに用意することはできない。
「……馬鹿を言うな。お前を置いていくなど出来るはずが」
男の体を揺すり、声をかける隻眼の女。その肩を掴み、ミーシャは隻眼の女の行為を止める。
「……無粋な真似はよしなよ。折角、彼の悲願でもある憎き王族の一人を始末できたんだ。せめて笑って送るべきだ」
「……っ」
猫背の男はミーシャに向けて「ありがとう」と笑う。
「……お前ら。わりいな、後は任せる……。我らの悲願の為に……反乱軍に栄光あれ」
最後、そう言い残して男の息は途絶えた。彼の走馬灯に過ぎったのは地獄のような日々の数々だった。
その姿を見送り、二人も追って呟いた。
「反乱軍に栄光あれ」と。
次回で出会い編は最後になります。
よろしくお願いします