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英雄はサボれない  作者: 笠舞直哉
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1-5 千原結佳子

 終礼の挨拶と同時に放課後が始まり、いつも通りの喧騒が広がった。その騒がしさは、生徒それぞれ違った熱がまぜこぜになった雰囲気のように感じた。

 朝から同じことを、同じ服を着て――画一的にやってきたことから解放されるのが放課後なのだとしたら、ここからの時間が個性の発揮といえなくもない。

 あるものは部活に、塾に、家に、どこかへ遊びに行ったりするやつもいるだろう。それらに入れ込む熱は、それぞれに違う色と勢いを持っていることだろう。

 しかし俺にはそんな熱はない。家に帰ったところでボーッとするだけ。部活に行っても無難にこなすだけ。忠志とかと遊びに行っても楽しくもなんともない消化作業。およそ俺には燃料というものが枯渇しているかのようだ。

 忠志を見ると、まだ周りの連中と話し込んでいて動く気配がない。帰っても良いんじゃないだろうかという思考が働くが、そんな勇気もわかないので待つことにした。

 すると、教室の入り口に今現在最も会いたくない人がキョロキョロこちらを覗いているのが見えた。

 まずい――と思って腰を浮かすがもう遅い。その人は俺の顔を見つけるとうれしそうに微笑んだ。まるで安心したかのような笑みだった。

「藤崎……!」

 千原結佳子先輩が笑みを見せることなんて滅多にない。ましてや手を振って誰かを呼びかけるなんて――剣道部員であれば恐怖で凍りつくだろう。それは置いといて、彼女に邪気は全く感じられない。よほど俺のことを心配してくれていたのだとわかる。

 結佳子さんは下級生たちの視線を無視して真っ直ぐに俺の席まで入り込んできた。

「藤崎、もう学校に来ても大丈夫なのか? 妹さんはもういいのか?」

 ズキリ、と胸が痛んだ。結佳子さんには、妹の病気を理由に部活にはしばらく行けないと伝えてある。

「え。ええ、そうですね・・・・・・まだ病院には行ってあげないといけないんですが……」

「そうか……なら部活にはまだ顔をだせないか」

「もうしばらくは、すみません」

 うそだ。妹の病状は三年間全くかわっていない。部活に行きたくないから口実につかっているだけだ。

「しかたない、か……」先輩は困ったように目をふせる。「しかし藤崎、せっかく選手に選ばれたんだ。この霞ヶ丘で、しかも初心者から習って一年でレギュラーなんてすごいことなんだ。大会には出れるだろう? 全国につながる初戦だから……」

「先輩……」俺は結佳子さんの言葉を途切れさせた。「このままだと。その……大会には出れないかも、しれないです」

 絶対に出たくない。

 公式戦で未だに勝ったことがない。

 試合で無様に負けるなんて嫌だ。

 結佳子さんはなぜか悔しそうに眉をひそめた。

「そんなこと言うなよ。お前、この一年頑張ってきたじゃないか。うちの祖父さんも褒めていたぞ。そうだ、うちの道場なら夜遅くまでやっているし、そっちの稽古に参加しないか?」

 全身が泡立つように震えた。先輩の道場は元警察官である結佳子さんのお祖父さんが建てた道場。勤務を終えた警察官がぞろぞろ集まって稽古をはじめるという鬼の巣窟だ。

 二ヶ月ほど前、部活終わりに先輩からのお誘いで夜のデートかと期待した俺は(なぜか剣道具一式持参だったからそのときに気づくべきだった)その道場につれて行かれたことがある。まさに地獄の稽古を経験したため一生近づくまいと誓った俺なのだ。

「先輩、それはちょっと……」手と首を同時に振る。我ながら強い拒絶反応である。

「なに、遠慮することはない。鷲崎さんや星野さんなんて、あの坊主はもう来ないのか、なんて訊いてくるくらいだぞ」

 その二人の名前は聞きたくもない。代わりばんこにけちょんけちょんのボロ雑巾みたいにされた記憶が蘇る。あれは剣道界の輪姦行為だ。警察官とはいえ違法で懲役くらわせるべきだろう。

 会いたくなくて震えている俺だったが、先輩はなぜか目を輝かせている。

「そうだ、それがいい。防具は私が運んでやろう。お前は身体一つで来てくれればいい。なんだったら晩ご飯も食べていけ。ご母堂は忙しいから外食ばかりだと言っていたな。栄養が偏っては試合に差し支える」

 先輩は俺の手を握るほどのハイテンションだ。顔が近過ぎて、どこを見て良いのか、視線がうろついてしまう。

 稽古中は後ろでまとめている黒髪が、今は腰あたりまで下ろされている。それだけでどぎまぎしてしまう。なにより、見映えが良すぎるほどに整っている彼女の顔を直視することができない。

 力量と実績と、そしてその美貌から、剣道雑誌の表紙を何度も飾り、一ヶ月まえにテレビ出演もして話題となっている千原結佳子。この学校で知らないやつはいないだろう。クラスメイトの男子どもがまだ帰らずにこっちをちらちら見ているはそういうことだ。有名人を鑑賞している野次馬どもめ。

「ちょ。先輩。ち、近いっす」

 ずずずっと近づく先輩をさけるように、エビ反りよろしく上体をそらした俺だがもう腰が限界だ。この人との鍔競りも、いつもこんな感じである。

「ああ、すまない」

 彼女はぱっと手を離してから腕を組んだ。

「で、どうする?」

 まるでお仁王様みたい。怖い。でもかわいい。

 どうやってこの場を回避しようかと頭をフル回転させていたところ、帰り支度をすませたらしい忠志が、こちらに割って入ってきた。

「おい藤崎、はやく行こうぜ」

 ニヤニヤと嫌な笑みを顔に貼り付けている。どうやらこっちの事情を察しているようだ。会話を全部きいていたのかもしれない。やつの性格の悪さは折り紙付き。

 そうするに、ややこしいやつがきた。

「あ、ああ。先に行っててくれ。あとで追いつくよ」

「なに言ってんだよ。一緒にいこうぜ。遊びってのは移動も楽しむもんだろう?」

 ――こいつ。

 俺が部活に行きたくなくて嘘をついていることをわかって意地悪をしてきている。

 先輩は首をかしげて忠志のほうをみた。

「おっと、千原先輩でしたっけ? すみませんね。今日、こいつと遊ぶ約束してますんで、そろそろいいすか」

 忠志はニヤニヤと笑いながら俺の肩に手をまわす。

「藤崎もさ、部活行きたくないならはっきり言えよ。じゃないと先輩がかわいそうだろ?」

 ――やめろ。

 拳に力が入る。

 それ以上言うな。その人には嫌われたくない。俺のなかの誰かがそう言っている気がした。

 しかし、肩に回された手が重くのしかかってなにも言えない。

「なんだお前は。すまないが後にしてくれ。藤崎に大事な用があるんだ」

 先輩はそう言うと、俺の肩にある忠志の手を払いのけた。忠志は予想外だったのか、目をぱちぱちさせて先輩を見やった。

 文字通り、肩の荷が降りて軽くなった感覚。

「いやいやいやいや、話聞いてました? 藤崎は俺たちと遊びに――」

「私の話はどうなんだ。聞いてなかったか」

 冷たい声だった。

 温度が急激に落ち込んだかのような錯覚を、忠志は感じたに違いない。剣道部員全員が首肯して共感してくれるあの感覚だ。人の言葉で足がすくむ経験は、普通の人は持ち得ないだろう。先輩の言葉は本当に足がすくむのだ。 しかし忠志はそんなそぶりも見せず、ため息をついて苛ついている様子。

「イラッとするねあんた」

「私は忙しいんだ。ちょっと黙っててくれないか」

「それだよ。わかるぜその目。人を見下すときの目だ」

「よくわかったな。見下され慣れてるのか。可哀そうに。すまないが、毎日遊びほうけているお前らみたいなやつを見るとどうしても軽蔑してしまう」

「遊びをわからないお子ちゃまを、俺は軽蔑するけどな」

 忠志はぐりぐりと先輩を指さす。

「お前みたいなやつが勝手に遊び狂って進退窮まるのはまったくもってだれも口を挟まないから好きにしてくれというところだがな……、うちの藤崎を巻き込まないでくれ。大事な人材なんだ」

「その藤崎といまから遊びにいくんだよ。お前んとこのくだらねえ部活には行きたくないんだとよ」

「私の藤崎を巻き込むな。そう言ったぞ?」

 足がすくむ。絶対零度とも思える冷たい声。

 さすがの忠志も彼女に対する悪辣な言葉を飲み込み、かわりに深いため息をはき出した。

「藤崎のまわりによってくる女子はみんなこんなだな。こりゃなに言っても面白くない」

 彼は鞄をかついで再度俺の肩に手をまわす。「玄関で待ってるからな」

 そう言って教室を出て行く。取り巻きどもも彼を追ってぞろぞろと出て行った。誰も彼女と目を合わせないのは偶然ではないだろう。気づけば教室には誰もいなくなっている。

「藤崎――」

「は、はいっ」

 蛇に睨まれた蛙のようにすくんでいた俺は、彼女に呼びかけられて素っ頓狂な声で返事を返した。

「妹さんの見舞いが終わったら連絡をくれ」

 やさしい声だった。

 責めることも、伺うこともない真っ直ぐでやさしい言葉。

 それがまた、俺の心を引っ掻いて傷つける。声も出せずに首を縦に振った。

 先輩は俺の頭に手を乗せて、くしゃくしゃになで回した。

「お前にもいろいろ事情があるのだろうけど、みんな心配している。早く戻ってきてくれ」

 先輩が教室からいなくなったあとも、俺はしばらく動けないでいた。泣くのを我慢するために、しばらく時間が必要だった。

 ああ、逃げたい。

 全部放り出して、どっか一人で――。


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