03.バインドジャッジメント 2
異世界。バルゼの街の酒場スティエラ。
そこにいるのは、店主と黒エルフメイドと楠男の三人だけ。
異世界転移したばかりで混乱気味の楠男に分かることは、自分が罠にはまってしまったっていうこと。眼前の店主は敵で、ここは敵地の真っただ中。現実世界の物理法則が完全に無視した力を相手が行使でき、楠男は無力であるということだ。
(絶望的だ……。ご都合主義でもいいっ! 秘められた力でも蘇ればこの状況を打開できるけど……。そんな兆候なんて――ない――)
チラリ、と視線を外す。
「その天使みたいなものは?」
「これが私のスキル。どんな力を持つ者も、どんな技を持つ者も、どんな頭脳を持つ者も性能に関係なく、身分に関係なく、拘束することができるスキル。――それで、あなたはこれからどうするの?」
キャサリンは、いつの間にか本を持っている。
空中に浮かぶ文字と同じように光っているその本は、何も書かれていない白紙のものだった。だが、文字と光の色が全く同じということは、無関係ではないということ。
(そうか……。あの紙は、この本から破り取ったものか。もともとはこの本のようなものが契約書の束。それを破り取って俺に書かせたんだ……)
そのまま白紙の本をポン、と出されたら、いくら浮き足立っていた楠男でも一瞬迷った筈だ。名前を書かなかったかもしれない。だから紙を破って渡したのだ。そして、あの紙こそが、スキル発動の条件であることは間違いない。キャサリンが口を滑らせたこともあって、楠男は断言できた。
(そういえば、紙の端を触った時、左端の手触りが違った。あれはやはり、破った跡だったのか……)
勝ち目が薄いのならば、取るべき手段は一つしかない。
「簡単だよ。――逃げるんだ」
そう言って、楠男は扉へ駆ける。
それを全く静止するする素振りがなかったのに疑問を感じたが、そんなものは関係とばかりに体当たりする。だけど、ビクともしない。
扉というよりは、壁のようだった。
酒場に入った時は、普通に扉は開いたはずだった。押しても引いても結果は変わらない。
「うっ!」
「空間支配のスキルだって言ったでしょ? 誰もここからは出られない。それがルールなの。見えるでしょ? 空中に浮いているこの文字が……」
「ルールだと?」
「あなたは署名したはずよ。――ルールに従うと」
「なに……?」
「異世界人のあなたは文字が読めないんでしょ? でもね。あなたがサインしたあの紙にはキッチリと書かれていたわよ? 私と勝負するってことも、あなたが私の提示したルール全てに従うってね」
紙に名前を書いたが、前の文章をしっかりと読んでいなかった。いや、読めなかった。どうしてもっと考えてサインしなかったのか。そんな後悔なんて、今は何の意味もない。これから、どうやってこの状況を打開するか。それだけが楠男の頭の中で渦巻いていた。
「異世界人? そうか、あんたらから見たら、俺の方が異世界人か……」
「そうそう。転移されたばかりの異世界人はいいカモだから好きよ。なんたって、スキルを使えない。いや、スキルを持っていたしても、使いこなせないんだから」
「待て! 俺以外にも異世界人がいるのか?」
「……そうよ」
「…………」
時間稼ぎに、相手の話にあわせよう。そうしている間に、何かいい案が思い浮かぶはずだと信じて口を動かす。
「――スキルっていうのは、その超能力とか魔法みたいなものだよな。俺にもそういうのが出せるのか?」
「さあね。具現化できる自律型のスキルなんて相当珍しいから、あなたはきっと別のものを持っているはずじゃない? ただし、スキルはあなたも持っているわ。この世界にいる者なら赤ん坊から老人まで誰もが持っている。この世界に転移されたばかりみたいな、あなたにもね……」
自分のスキルが分かりさえすれば、楠男も眼前のキャサリンと互角に戦える可能性がでてくる。
「――俺のスキルは?」
「そこまで教えてあげる義理はないわね。知りたければ、まずは私とのゲームが終わってから知ればいいわ。私に勝とうが負けようが教えてあげるから」
「――ゲームっていうのは? 一方的に俺から暴力で金をむしり取ることか?」
「まさか。私はそういう野蛮なことが嫌いなの。私のスキルはルールを作ってプレイヤーを縛り上げるだけもの。それ以外では使わない。だから、あなたにも十二分に勝てる見込みがあるってことよ」
「…………」
あくまで、公平にゲームをするためだけに特化したスキル。ということは、今から始めようとするゲームに、絶対の自信があるということだ。
「シルフィ」
キャサリンがぽつりと呟くと、
「…………はい」
まるで幽霊のように、どこからか新しいメイドが現れる。
瞬間移動したみたいに、全く気配を感じなかった。さっきのメイドとは違って、ゴスロリ風のメイド服を着ている銀髪にして、頭に猫の耳がついている獣人。顔はトカゲとかではなく、完全に人間のそれだった。手入れされている尻尾もしっかりとある。
はっ、とするほどの美人。
それなのに、まるで接着剤で顔の筋肉を一生動かないようにしているかのごとく、無表情。美人だからこそ、ちょっと怖い。そんなシルフィがテーブルに置いたのが、楠男でも知っているポピューラな凶器だからこそより慄いてしまう。
「これは――拳銃? まさか、今からやるゲームっていうのは――」
「ロシアンルーレット。これなら、公平かつ、誰もが知っているゲームでしょ?」
椅子から立ち上がって、抗議する。
「や、やるわけないだろ! こんなの! 負けたら死ぬゲームだろ?」
「違うわ。野蛮なことは嫌いだって言ったでしょ? 殺傷能力が全くない弾丸を使うわ。おもちゃみたいなものよ。私が賭けるのはお金だけ。命までは奪わないわ。――まあ、もしも私の『束縛の審判』の作ったルールを破り続ければ、いずれ死ぬかもしれないけどね」
「なに?」
「おすすめはしないけど、試してみればいいわ。さっき脱出しようとした時に、もしも扉を壊してでも出ていこうとしたら、壊れるのは扉ではなく、あなたの身体の方だったでしょうね。私の『束縛の審判』は、ルールを破ったものに相応の罰を与える。そして、その罰はこの空間内にいるものなら誰にでも。――つまり罰は、主である私にも適応されるってことよ」
「……信じがたいな、色々と」
「そう。だったら、信じさせるわね」
キャサリンは回転式の拳銃のシリンダーに、一つだけ装弾する。それを回転させることなく、こめかみに銃口を向ける。撃鉄を指で起こすと、
「――実弾よ。これを、こうするの」
「お、おい!!」
このままじゃ、ペンキのように血をぶちまけることになる――はずなのに――
パァンッ!! と、躊躇なくキャサリンは発砲した。
銃弾は被弾したはずだった。それなのに、その銃弾を『束縛の審判』が、指の間に挟み込むようにして防いでいた。
「これで、理解した?」
「…………なんなんだよ」
「どうしたの?」
「なんで最初から俺の全財産を奪おうとしないんだ。こんな回りくどいことをしなくても、今なら簡単に奪えるんじゃないのか?」
「そうね。でもね、私はゲームが――ギャンブルが好きなのよ。ギャンブルをしている時だけが、生きているって実感ができる。自分の金も吹き飛ぶかもしれないひりつくような緊張感。そして、相手に勝利した時の充実感。そんなもの、ただの強盗じゃ、味わえない。私は、全てを得るか、失うかのギャンブルのスリルが大好きなのよ」
「ゲーマー。ギャンブル中毒者の台詞だな……」
狂人。何もかもが中途半端な楠男とは、まるで話が合わなそうだ。
しかし、ただの破滅型人間だと鼻で笑うことなどできない。この酒場を経営するだけの金を稼いで、そしてそれを失っていないのだ。ただ狂っているのではなく、冷静に狂っている。こういう人間を相手取るのは相当に厄介なはず。
「さあ、どうするの?」
「――ロシアンルーレットのルールを説明してくれ。それから考える」
「いいわよ、そうこなくちゃ」
ロシアンルーレット。
それは、弾が一つしか入っていない拳銃を、自分に向けて引き金を引くチキンゲーム。
度胸試しや、遠回しな自殺とも言われるこのゲームの多くは、個人で行うゲーム。だが、お金を奪い合うゲームを望んでいるキャサリンには、正反対のゲームだ。
楠男は、何故ロシアンルーレット? と頭を捻らざるを得なかった。
「ただ、ルールを説明する前に行っておきたいことがわるわ。まず、私がいいたのはゲームには流れというものがあるってことよ」
「流れ?」
「そう。運否天賦のゲームをするなら、なおさよ。だからこそ許せないことはね、ゲームにおいてのイカサマ行為ってやつなのよ」
「――どうかな? あんたがイカサマするに決まっているだろ」
カジノやパチンコ屋といったものが、どうして潰れないか。
それは元締めが最終的には儲かるように、イカサマをしているからだ。もしくは最初から儲かるようなルールを設定しているから。客と店側のどちらがイカサマをしやすいかといえば、圧倒的に仕掛けを作りやすい店側のはずだ。
「そう。そうなるわよね。ここで私がどれだけ口でイカサマはしないと言っても無駄。――だけど、ここで私のスキルが活用されるってわけよ」
そう言ったキャサリンの隣に、『束縛の審判』が浮き上がる。
【ルールその3 キャサリン・ルールブックはイカサマ禁止】
先ほどまでのルールの傍に、光る文字が見えない筆で書き加えられるように追加される。
「ルールを追加したわ。見ての通り、私はもう、絶対にイカサマなんてできない。でも、これだけじゃ、きっとあなたは不審に思うでしょ? だからね、ロシアンルーレットをやる時には、よりイカサマがやりづらい状況を作りたいって思うの」
「……どういうことだ?」
「例えば、あなたが弾を込めて、そのまま引き金を撃つ。――そんな風にしたらイカサマやりたい放題ってことよ。だから、あなたが引き金を撃つ時には、私が弾を込める。――それならどう?」
「撃つ側と、弾を込める側があるのか。それなら、確かにイカサマをしづらいな。だけど――」
本当に、イカサマが介在する余地はないのか思案を巡らす。ルールで縛られている以上、キャサリンには何もできないとは分かっているとはいえ、やはり、まだ楠男には不安が残ってしまう。
「疑り深いわね。だったら、これならどう? 毎ゲーム、弾の位置が変わるように、そこのシルフィにシリンダーを回してもらうって言うのは?」
「それなら、確かに……」
「この銃だと、撃つ側がどこに装弾されているか弾が分かってしまうけど、こんな風に――」
カシャッ、とシリンダーを隠せるような形の金属片を取り付ける。
「分からないように、こうやって上から被せるわ。ただし、このシルフィには毎回シリンダーの中身を確認してもらうことにするわ。このゲームを以前やった時に、弾を複数個いれるイカサマを以前やった奴がいるから、私も心配なのよ。だから装弾数の確認をこの子にしてもらうわ」
ぺこり、とシルフィがお辞儀する。
どうやら彼女がイカサマの監視役になるようだ。
【ルールその4 シルフィは、江藤楠男とキャサリン・ルールブックに公平なことしかできない】
【ルールその5 シルフィは嘘をつけない】
例によって、空中に文字が躍り出る。
「さらにルールを追加したわ。これなら、シルフィがイカサマする心配もなくなった。そうでしょ?」
「なるほどね。確かにこのやり方が、ロシアンルーレットで、イカサマがもっともやりづらいかもな」
「そうでしょう?」
楠男には他にも確認したいことが山ほどあった。
「弾はやっぱり、一発だけだよな?」
「そうよ。五発入るシリンダーに、一発だけ入れる。そして、何発目で弾が出るかを当てる。それだけのゲームよ。出ると予測した時だけは、金貨を好きなだけ賭けられるようにするわ」
「かけ金の上限は?」
「なしにしましょう。ただし、必ず場には金貨十枚は置いてもらう。あなたの持ち金は金貨三千枚。ちまちま一枚ずつかけていたら、今日中にゲームが終わらないかもしれないから」
「上限なし? それじゃあ、下手したら一発目で勝負がつくこともあるってことか?」
「そういうこと。察しがいいわね。それと、もう一つ、すぐにゲームが終わらせられるようにルールを設けるわ」
「それは?」
「ゲームは第十ゲームまでしかやらないことにするわ。弾が出るまで同じ人が引き金を引いていき、弾が出たら相手に交換するルールに。消極的に十枚しか場に出さないなんて興が乗らないやり方をされたらつまらないもの。十ゲームまでっていう制限をつければ、いつかは絶対に勝負をしないといけなくなる時が来るでしょ?」
「第十ゲームまでってことは、お互いに引き金を絶対に引くまでってことか?」
「そう。どっちも拳銃を持てる公平な数字でしょ?」
「勝利条件は?」
「最終的に金貨を一枚でも持っていたプレイヤーの勝利っていうことにする。勝利したプレイヤーは、負けたプレイヤーの残った金を全ていただく。もちろん、勝負の途中で金貨三千枚を失ったら、その時点で終了。これでいいでしょ?」
ゲームをどれぐらいやるかは理解した。
しかし、まだまだ理解できていないことがあった。
「なあ、俺がもしも予想を外したとするな。そしたら、金貨はどうなるんだ? ルーレットのルールだったら、店側、ディーラーとかが回収することになるけど、それじゃあ、俺があまりに不利だろ? どんどんあんたの資金が増えるってことだろ?」
「そのことなら心配ないわ。私もプレイヤーとして参加して、三千枚しか賭けないから。三千枚の金貨がなくなったら、私も負けになる。もちろん勝負が終わったら、シルフィが回収した金貨は私のものになるけどね……」
「なるほど……」
お互いに三千枚の金貨を奪い合うゲーム。
どちらかの金貨がなくなったら、そこでゲーム終了となる。
「さっきから話を聴いていて思ったんだが、ロシアンルーレットじゃなくでもいいんじゃないのか。ポーカーやジャンケンでもいい気がするんだけど……」
「……そうね。まだちゃんと説明していなかったけど、撃つ側が、弾が入っていることを的中させたら三倍、そして弾がないことを的中させたら十倍――つまり、百枚を得るっていうルールを設けることにしましょう?」
「なるほど、撃つ側はそれ相応の金を得るって訳か……」
「弾を込める側は、弾が出る、出ないにかかわらず、的中させたら普通に二倍っていうことでどう?」
「あ、ああ……。でも、弾を撃つ側は、弾が出ると判断したら、そのまま引き金を引くのか?」
「いいえ。天井にむかって撃つことにするわ」
「なるほどね」
もしも、撃つ側になったら、とにかく弾が入っていないと宣言し続ける。
それがもっとも有効な手段といえるだろう。
楠男は頭がこんがらがってきたので、ルールを再確認する。
1.まず最初に、撃つ側と弾を込める側に別れる。
2.込める側が拳銃を受け取り、弾を込めた後ディーラーに渡す。
3.弾を込められた銃のシリンダーを、ディーラーが回す。
4.弾が出るかどうかを賭けていく。
5.弾が出た時点で終了。撃つ側と弾を込める側の役を交代する。
6.どちらかが持ち金の金貨三千枚がなくなるまでゲームを続ける。
7.ただし、第十ゲームが終了したらその場で終了となる。
8.最終的に相手より金貨を多く持っているプレイヤーの勝利となる。
これが、おおまかなゲームの流れ。
イカサマがなければ、ほんとうに運が左右されるゲームだ。
どれだけ金貨を賭けるかどうかの心理戦はあるが、公平な勝負と言えるだろう。
「それじゃあ、始める?」
「待て。まだ信用できない。もっと調べてもいいか? このへん一帯を」
「いいわよ、どうぞ」
別に警戒しているだけが理由ではない。
楠男はルールの穴を見つけただけだった。その穴をつくには、ゲームが始まる前しか、チャンスはない。周りにイカサマがないかどうかを確認すると、席に着く。
「気が済んだ?」
「ああ。それで? どちらが撃つ側で、どちらが撃たない側で始めるんだ?」
「ハンデとして、あなたが決めていいわよ。いつもだったら、コインの表裏で決めるんだけど」
テーブルで対面する。
キャサリンの後ろにはカウンターがあって、下には酒樽がたくさんあった。備え付けられている木製の棚には、多くの酒瓶があって、まるで鏡のように光を反射している。
「それじゃあ、俺がまずは撃たない側でいいか?」
「いいわよ、それじゃあ、さっそくあなたが拳銃を持って、弾を込めてくれる?」
「弾を込めた後、俺も回していいのか? そこのメイドだけに回させるのはあまり、信用できないんでね」
「もちろん。どうぞ。ただし、あなたがイカサマしていないかどうか、シルフィは一度、中身を確認するけどね」
キャサリンの言うとおりにする。弾を込め終えて念入りにシリンダーを回すと、それをシルフィに渡す。
「はいどうぞ」
「受け取らせていただきます」
中身を確認し、シリンダーを回転させ終えると、拳銃を今度はシルフィの方の机に置く。
「それでは、どうぞ、キャサリン様」
「分かったわ。さてと、拳銃を撃つ前に、どれだけ賭けるか決めないとね。別に順番は決めなくていいと思うけど、どうする? どちらから金額を決める?」
「それは――」
ここはキャサリンの出方を観たい。だが、消極的な行動は弱みを見せることになる。二つの相反する考えに楠男が葛藤していると、
「決められないみたいね。それじゃあ、私から宣言させてもらうかな。一発目。私は、弾が出ると思うわ。金貨を十枚以上賭ける。どれぐらいかっていうと――とりあえず百枚賭けるわ」
「なっ――」
いきなり、百枚も賭けると思っていなかった楠男は驚愕の声を上げるが、驚きはそれだけは終わらなかった。
「うおっ!」
「宣言した分は『束縛の審判』が自動的に置いてくれるわ。便利でしょ?」
金貨が宙に浮いて、ジャラジャラジャラと、積み重なっていく。
まるでチップの山のように自動的に動いた金。
傍には、フッと、まるで蝋燭の火のように『束縛の審判』が一瞬現れて、消えた。
「なるほど、一枚一枚数えていたら時間がかかるから便利だな。――それじゃあ、俺は出ない方に掛ける。つまり、賭けるのは十枚だけだ」
楠男が宣言すると、十枚だけ金貨がテーブルに出される。
「成立しました」
シルフィがお辞儀する。
そして、キャサリンが拳銃の引き金を引くと、
「――入ってないわ」
カチン、と撃鉄の音だけが響く。
それから、金貨は自動的にディーラーであるシルフィのところへと飛んで行った。
「それでは、第二ゲームに入りたいと思います。かけ金をつりあげますか?」
「いいや、俺は出ない方に賭ける。十枚だけだ」
「キャサリン様は?」
「――私は百枚でいいわ」
また一発目と同じかけ金になって、やることも同じだった。
そして、結果も全く同じだった。
「二発目も入っていませんでした。次はどうされますか?」
ここから折り返しになる。
弾が入っている確率は五分の一。
そろそろでてきてもおかしくない。
キャサリンは今のところ二百枚失っている。
楠男は最低限の十枚しか払っていない。それに、出ない方に賭けているので、二十枚ずつ金貨は増えているので、かなり余裕がある。ならば、ここで勝負に出るのは必定だ。
「そろそろでそうだな……。金貨百枚」
「……私は出ないと思うから、金貨十枚だけでいいわ」
弱弱しくそう宣言すると同時に、金が移動する。
そして、キャサリンが引き金を引くと、パァンと銃声が鳴り響く。
「うっ!」
キャサリンが思わずといった様子で呻く。
「第三ゲーム、楠男様正解されました。楠男様は弾を込める側なので、賭けた金額の二倍――二百枚獲得となります。キャサリン様は間違えましたので、十枚失います」
「よしっ!」
順調な滑り出しになった。
今の金貨所有枚数は――
江藤楠男 3220枚
キャサリン・ルールブック 2790枚
という結果になった。
かなりの差をつけることができた。
「それでは、今度は楠男様が撃つ側となります」
今度は楠男が弾を撃つ番だった。
やはり、ここは十枚だけで様子見をするのが得策だ――と心の内で次の策を楠男が結論付けていると、シルフィが場を仕切りだす。
「何枚おかけになりますか?」
キャサリンは一瞬逡巡すると、
「――それじゃあ、五百枚で」
「は、はあ!?」
「どうしたの? あなたも賭けなさい」
スタート時の全金額の六分の一も賭けるなんて、なんの確証もないのに賭けるような金額ではない。リスクは引き金を引く側でないにしろ、明らかにおかしい。
しかも、一発目だ。
当たる確率は五分の一。
三発目、四発目で宣言するのなら、百歩譲って分かる。それならば、銃弾が入っている可能性は高いのだから。
(まさか……イカサマか?)
ざわっ、と心に疑念が芽生える。
あれほどありえないと確認したはずだ。イカサマができないと、ルールでも決めたはず。だが、溢れんばかりの自信がキャサリンの表情に出ている。それが、楠男の手を止めていた。
「…………」
消極策にでるか、こちらも大金を賭けるか。
(いや、これこそがキャサリンの作戦か? 俺がイカサマを疑って、ここで銃弾が出ると判断して、大金を賭ける。すると、どうなる? 賭け金を大幅に失うことになる。……そうか。これこそが、キャサリンの狙いだ。俺が自滅するのを誘っているんだ。――騙されるものか)
ふぅー、と大きくため息をつくと、
「――弾は出ない。――十枚だけでいい」
初めて拳銃を撃つ側だ。緊張しながらゆったりとした動作で、引き金を引く。
すると、
「うあっ!」
パァン! と、拳銃は冗談みたいな音を立てた。
「弾が出ました。今回の第四ゲームは、キャサリン様が勝ちました。キャサリン様は的中させたのでかけ金の二倍――千枚を得ました。そして、撃つ側の楠男様は残念ながら間違えましたので、十枚を支払ってもらいます」
第四ゲームまでの結果。
江藤楠男 3210枚
キャサリン・ルールブック 3790枚
逆転された。
しかも、五百枚以上も差をつけられてしまった。
「嘘、だろ……? 本当に一発目で出た……」
「それでは、今度はキャサリン様が撃つ番です」
シルフィの言葉は、楠男の耳を素通りしていく。
(つ、次は俺が弾を込める番だ。次で第五ゲーム。このゲームは十ゲームまでしかないから、次は折り返しになってしまう。そろそろ大金を賭けないと、店主に逆転するのは難しくなってくる。キャサリンのように一発目から賭けるか? いや、ここは定石通り、様子見でいくべきだ……)
スッ、とテーブルに最低限の金貨を乗せる。
「俺は十枚だけでいい。次は、弾なんて出ない」
「私は――」
拳銃を持ちながらキャサリンは、
「三千枚賭けましょう」
神妙な面持ちでほとんど全額をベットした。
「は、はああああああああ?」
言い間違いでも、聴き間違いでもない。
キャサリンが三千枚を宣言したことの証明に、大量の金貨が空を舞う。
「分かってるのか? また一発目ででる確率なんて――」
「だから、流れなのよ。ゲームで大切なのはゲームなの。私はさっき一発目で当たった。だから、次も当るはずだって確信しているわ。どうする? あなたがどうしてもっていうなら、あなたがかけ金を上げるのを待ってあげてもいいわ」
「い、いや、俺はこのままでいいっ! 出るはずがないっ!!」
確率的に、絶対にありえないはずだ。
一発目に再び出る確率は、5×5=25となって、つまり――二十五分の一の確立になるはずだ。
(流れだと? そんな曖昧なもの、存在するはずがない。ただのギャンブル中毒者の妄言に過ぎないはずだ……)
ゴクリ、と喉を鳴らしながら、拳銃を凝視する。
出るはずなんてない――それなのに――天井に向けて撃った中から、一発目にでかい音が発せられた。
「なっ――」
楠男は絶句する。
それとは反対に、シルフィあくまで冷静に状況を報告する。
「一発目で当たりました。キャサリン様の勝ちです。撃つ側で当たりましたので、賭け金の三倍――九千枚獲得となります。残念ながら、楠男様は外れましたので、十枚を失うことになります」
第五ゲームの結果。
江藤楠男 3200枚
キャサリン・ルールブック 12790枚
「くそっ!!」
楠男は悪態をつきながら、拳をテーブルに振り下ろす。
金貨がこぼれそうになるが、『束縛の審判』の力が働いているせいで落ちなかった。
「おかしいぞ! やっぱり! イカサマだっ!!」
混乱する楠男とは異なり、キャサリンは余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「……はあ、いるのよね。自分の勝負運の悪さや、流れを読みきる能力がない奴に限って、イカサマを疑う奴って……。でもね、あなたも再三にわたって確認したでしょ? イカサマが介在する余地なんてないの! どう考えてもね」
「いや、何かあるはずだ! イカサマだっ!!」
キャサリンとの契約書である本破る。
こんなものがあるから、ゲームに巻き込まれてしまったのだ。これを破ってしまえば、契約の効力は切れるはず――と思った、楠男は八つ裂きにする。
「バカね……。紙を破っても何もならないわよ。燃やしても意味がないのよ。――何故なら、その紙は私のスキルで作ったもの。つまり、絶対に誰にも私とあなたの契約書を破ることはできない」
八つ裂きにした契約書は元の形に戻り、そして、破った本のページも、輝きながら新しくページが加算されている。
楠男の行動に何の意味もなかった。
ギリッ、と歯噛みしながら、溜まりに溜まったストレスを、衝動的に拳で解消する。キャサリンへの脅しの一撃。本気で当てるつもりはなかった。それなのに――
「くそっ――」
「ルールにあったでしょ? 暴力禁止だって」
殴りにかかった楠男の拳は、『束縛の審判』につかまれる。『束縛の審判』の見た目は儚げで腕力なんてなさそうなのに、ビクともしない。拳を引き戻すことすらできない。
そして、普段腕が曲がらない方へと、強制的に曲げられる。
「ぐああああああああっ!!」
骨を、折られた。
楠男の右腕がだらん、とぶらさがる。
「私のスキルは、どんなスキルを持つ相手にでも有効なの。誰だろうと関係なく、私の罠にかかったものは勝負することになる。私に勝つにはね、流れを読みきることしかできないのよ」
「くそっ、くそっ、くそっ!」
逃げるしかなかった。
立ち向かってもどうしようもなく、これ以上ゲームを続けても勝てる気がしなかった。でも、逃げることもできない楠男は、奥の部屋に引きこもる。
そこは、倉庫だった。
ひんやりとした空気が漂っていて、ズラリ、とワインセラーのように酒瓶が並んでいる。
「大丈夫ですか? 楠男様。怪我していますが」
いつの間にか、後ろにはディーラーのシルフィが立っていた。
感情の見えない瞳で、見下されていた。
両膝をつきながら、絶望感に打ちのめされている楠男に、隠さず憐憫の色を瞳に宿していた。それを受け入れがたくて、拳を握る。
「うるさいっ!!」
殴りつけた衝撃で、酒瓶が棚から落ちて割れた。