23.ゴブリンキングダム 2
ゴブリンとなったシックスは、醜悪な顔つきや手足の長さまで変化した。身長は半分ほどに縮み、黒っぽい肌色に変わっている。元々人間だったということなど、誰も気がつかないほどに本物のゴブリンそっくりとなっていた。
「ボクのスキルは対象を最弱のモンスターに変容させることができる、いわば強制的弱体化のスキル。発動の前提条件は対象者がゴブリンを殺害する瞬間を、ボク自身が目撃すること。ボクはね、ずっと君を尾行していたんだ。だから準備に時間はかかったけど、この通り。もう、キミはボクに決して反逆できない。そして、もう一人の異世界人にもね」
『まさか、アリスも……』
「そうだよ。ボクはあの異世界人がゴブリンを討伐するところを目撃している。だから、キミと同様にゴブリン化することができるんだ」
『まてよ。言葉が……通じている?』
「ボクのスキルだから、当然だよね。だけど、君が話しているのはあくまでゴブリンの言語なんだ。だから、どれだけ助けを呼んでも、誰も助けになんてこない。――むしろ、叫んでみてくれないかな? もしも通りすがりの冒険者がくれば、モンスターの姿である君は殺されるだろうからさ。見ものだろ?」
どこに転移されたかなんて、シルフィ達には知る方法がない。仮にまっすぐシブキダンジョンの第二階層まで駆けつけてくれたとしても、速くて半日。絶対に間に合わない。シルフィ達の手助けはまず、期待できない。
『さっさと、元の姿に戻せ!』
「――なっ――に――!?」
喰らいつくように足をつかむと、スキルを発動させる。足を内側から破壊させて、動けなくすれば逃げる算段もつくはず。そうすれば、勝てる見込みもでてくる――そう思っていたのに、シックスの思惑は外れ、ブシュッ!! とナイフで切った程度の血液しか出なかった。傷が思ったよりも浅く、怪我というほどのダメージも与えることができなかった。
『なんだ、スキル……が……うまく発動しない……!?』
「ちっ――この偽物がああっ!!」
『ぐあああああああっ……!』
頭をサッカーボールのように蹴られる。体重が人間の時よりも軽くなったせいでより吹き飛び、脳が揺らされた。立ち上がって応戦しようにも、足元がふらつく。
「……なるほどね。本来だったら、君はゴブリン化し、自分のスキルすらまともに使えないはずだけど、まさか、それほど使いこなせるなんて……。初めてみたよ。ボクのスキルを喰らっていても、一発目でスキルを不完全ながらも発動できる奴なんて……」
『…………ど、どういうことだ?』
「スキルは一人一つで完全オリジナル。他のスキルを使えるなんて、例外がない限りありえない。だから、普通、ゴブリン化するほど、身体が変わってしまったら拒絶反応が起こるんだよ。身体が変われば、その身体に適応するスキルも変わらなければ辻褄が合わない。だけど、スキルを変えられるわけがないから、不完全な発動となるはずなんだ。だけど、異世界人であるキミはスキルを習得してからの日が浅い。だから、この世界の人間のようにスキルが身体に馴染んでいないかもしれないね」
つまり、発動条件を満たしさえすれば、誰が相手でも無双できるスキルということだ。
「――それに、キミのスキルも関係しているのかもしれないね。他人のスキルでも節操なしに使えてしまうそのスキルのせいで、ボクのスキルの効力が薄まっている……。スキルには相性っていうのもがあるけど、屈辱だよ。まさか、このボクが君のようなクズ相手に血を流すことになるなんてね……」
『くそっ! くそおおおおおおっ!!』
いつもよりもスキルの効果範囲が狭く、威力が低い。だったら、また直接身体に触れてスキルを発動するしかない。狙うべきは人体急所。身長差で狙う場所も限られるが、それ故に迷いはない。だけど、
「……ふんっ!」
『ぐああああああああああっ!!』
選択肢が少ない分、トリスタンにとってはシックスの動きが読みやすい。また蹴り飛ばされる。トリスタンは、他の冒険者と比較しても、決して身体能力的に優れているわけではない。むしろ下の部類。それでも、くぐってきた修羅場の数が違う。相手の動きを予測し、動きを合わせることなど、造作もない。
「レベル1のゴブリンに弱体化した君は満足に身体を動かすこともできない。元々、ゴブリンは動きが鈍いけど、君はその身体に慣れていないせいでもっと鈍い。だから、君は一方的にこれから嬲り殺されるしかない。――さて、君の心がいつ折れるか楽しみだよ」
『くっ――』
シックスのスキルじゃまるで太刀打ちできない。だったら、アリスのスキルで対抗するしかない。だけど――出そうとした直後にトリスタンに腕を蹴られる。現れるはずだった『冒険の記録』は消失する。
『――うっ』
「危ない、危ない。喰らうところだったよ。だけど、スキルを発動する速度が遅すぎる。そんなじゃ、他の冒険者にも通用しないよ」
『だめ、だ……』
絶対に勝てない。どうすることもできないのなら、逃げるしかない。何度も攻撃を受けたせいで身体はボロボロ。それなのに、傷を治療する余裕なんてない。身体をひきずりながらもなんとか離脱をシックスは試みる。
「プッ、ハハハハハ!! どこへ逃げるのかな? 君にはもうこの世界のどこにも居場所なんてないんだ。味方なんて誰もいない。どうせだったら、ボクに特攻をしかけたらどうだい? 勝てないにしても、手傷を増やすことぐらいはできるんじゃないのかな?」
ズルズル、と汚い音を立てながら、それでも必死に逃げる。水泳のバタフライみたいに手をばたつかせながら、流血している足を動かす。
「逃げられないって言っているだろ? いい加減にしろっ!!」
『……うっ、くそっ……』
何度も、何度も足蹴にされる。涙すら流しながら、みっともなくとも助かるために逃げる。視界には草原が広がっていて、果てなど見えない。逃げ切れるはずがないが、鈍重な総身を叱咤する。
(他の異世界転移の主人公だったら、こんなこと絶対しないんだろうな……)
異世界に来る主人公は、シックスと違ってみんな優秀な奴ばかり。シックスは遠く及ばない。肉の両面焼きをすれば感嘆されるだけの人心掌握術に長けていないし、鎧を脱いで身軽になる戦術を考え付く頭脳はないし、包囲殲滅陣を完成させるだけの統率力はない。
女神様を持ち物とする機会を与えられる幸運や、死に戻りできるような、とっておきの能力も持ちえない。魔道の才能を持つ幼女に転生することもできなかった。窮地に陥ったとしても、すぐに挽回できるだけの才能も、福音も、呪いなく、まさに文字通り本当に何もなく、もしかしたら歴代の異世界に来た者達の中で最弱なのかもしれない。
「まだ、諦めないのかな?」
『…………っ!!』
「――ちっ。いい加減、うざいんだよ、お前っ さっさと死ねよ!!」
『……うがっ! あがっ!』
さらに攻撃を重ねられる。骨が折れているせいか、もう動かない。重点的に足を痛めつけられたせいで、もう一歩も動けないほどだった。
「ボクはね、君のような無価値な偽物が嫌いなんだ。結局、この世は本物にしか価値はないんだよ」
『……何が、本物だ、何が偽物だ。そんなのお前が決めることじゃないだろ?』
「いいや、決めつけているわけじゃない。ただボクは客観的に事実を述べているだけなんだよ。偽物の家族しかいない。偽物の名前を名乗っている。そんな偽りだらけの君が、本物の家族の絆を壊そうとしている。それは君が偽物だからだ。偽物の家族しかいない君だから、本物を羨んで壊そうとしている。家族の団らんを、幸せを観るのが君は辛くて耐えられないだけなんじゃないのかな?」
『……ち、違う…………』
シックスが偽名を名乗る必要性なんてほとんどない。ただ、この世界を娯楽として楽しみたかっただけだ。そもそも、こうやって命を張ってシルフィのために動けているのだって、平和ボケした日本人が普通の神経で、できるはずがないのかもしれない。殴り合いのケンカなど片手で数えるほどしか記憶にない。人間関係の輪に入る勇気させないのに、ここまで食い下がれるのは、この世界を偽物だと認識しているから。そうだとしたら、どうなるか。
「君の瞳にはこの世界はどう映っているのかな?」
全て、偽りだった。どれだけこの世界は本物なんだと言い聞かせようとしても、本心では見下していたのかもしれない。文化レベルの低いこの世界ならば、異世界デビューできるなんてはしゃいでいたのかもしれない。
「君がこの世界でやってきたこと全てが、ただの偽物で、ただの現実逃避だったんじゃないのかな?」
現実なんて直視していなかった。現実世界ではどうなっているのか、少しも考えなかった。今頃元の世界の人間は、シックス達がいなくなって心配している。友人がいなくとも、義理の家族はいる。心配して、泣いているかもしれない。
それに、他の同級生たちは必死になって、将来のために勉強しているだろう。やりたくもないことをやって、自分達のために努力している。それなのに、現実世界じゃ全く役に立たないことを繰り返して、教科書がないからと言い訳して勉強を一つもしないシックスはひどく後ろめたくなる。大学を卒業しても職がないといわれる現代で、既に一年も留年している。就職活動の際に、異世界へ行っていましたなんて言い訳ができるわけがない。未来の展望が見えない焦燥で、頭がどうにかなりそうだった。
「君のように現実を見えない異世界人達は僕らにとって害悪でしかないんだ。君達のもたらした革新的な技術によって生活は一時的に潤ったかもしれない。だけど、それ以上に犠牲は大きかったんだ」
『…………なんだって?』
「例えばそうだね。君達のもたらした技術の中に『テオシポンプ』があるよね?」
『手押しポンプって、井戸の話……か?』
「そうだね。ちょっと前まではボクらは釣瓶桶で、毎回、力を込めて汲んでいたんだ。だけど、異世界人が手押しポンプを教え、そしてあまつさえ、ダンジョンアイテムを利用して、電気を利用した井戸さえも造りだす始末……っ!! 将来的には井戸はなくなり、地面に管をはわせ、どんな種族にもすぐに水がいきわたるようにできる――だって? 確かに、それで生活は豊かになるかもしれない。――だけど、今まで井戸を作る仕事をしていた人達はどうなる? 仕事が無くなれば、生活ができなくなって路頭に迷うことになるよね」
『――そんなのッ――』
「手押しポンプだけじゃない。銃や鎧、刀剣といった技術革新も進んでいる。神は死んだだなんて、宗教に対するありえない考え方。王を打倒することを先導するような危険思想さえも君達は持ち込んでいる。そのせいで、これからきっと世界的な規模な戦争が近い将来必ず起こるよ? 既に始まっているところだってあるんだ。分かるよね? 君達がやっているのは――ただの侵略だよ」
『そんなの――知るかよっ!! 俺は誰かに連れてこられたんだ!!』
「そうだね。確かにそうだ。だけど、だったら何故黙っていられなかったのかな? 君達は凄いでちゅねーって褒めてもらいたいがために、自分の欲求を剥き出しに、ただいたずらに、何の責任も持たずに、技術を伝えるだけ伝えたんじゃないのかな? まるで、泣き叫ぶことを我慢できない赤ちゃんのように」
『…………』
人間の業。力を持てば使わずにはいられない。それは、歴史が証明してきた。シックスだって、日本の文化を何の考えもなしに酒場の連中に披露していた。そのせいで、この異世界の文化がどこまで歪んでしまうかなんて考えもしなかった。
「異世界人は異様に『ひきこもりにーと』とやらが多いけどさ、何もしてこなかった人が、自分よりも弱い立場の者を見つけて威張りだすようにしか見えないんだよね。ほんとうに哀れ過ぎて同情するよ」
『そ、れは――』
「ボクが実際に何人もの異世界人に会って感じたんだけどさ、異世界転移よりも異世界転生した者の方がより酷かったよ。彼らは一度死んでいるから、他人の命の価値も軽く見る傾向にあるんだ。だから自分のせいで他人が死んでもいいと思っている。まるでこの世界がゲームかなにかだと思い込んで、僕らの政治にまで干渉しだす。知性を持った生物の所業とは到底思えないよね。――ああ、そういえば、君も一度死んでいるんだったよね?」
『それ、は――』
「君達にとって僕らは偽物なのかもしれない。だけど、僕らは血の通った君達と同じ生物なんだよ。それなのに、何もかも蹂躙していく君達こそ、生物失格。偽物なんじゃないのかな? チートを使えば、どこかにひずみができる。一歩ずつでも成長していくのが生物の営みなんだよ。――頼むから、死んでくれないかな? 寄生するだけ寄生して、何の覚悟も責任も持てない君達に生きていていい権利なんてどこにもないんだよっ! お願いだから、ほんとうに、今すぐ君達全員自害してくれないかな!?」
悲痛な叫びで心情を吐露するトリスタンの言葉は偽りではなかった。最初は、ただ精神的にシックスを追いつめるためだけに、厳しい言葉を選んでいただけだった。なのに、言葉を重ねていくうちに、ずっとため込んでいたものを、いつの間にか吐き出していた。あまり他人に弱みを見せたくないトリスタンが、絶対なる勝利を確信しているがためにこぼした本物の言葉。それは――
『それは違うぞ』
確かに心に突き刺さったけれど、シックスにとっては何かが違っていた。一側面の見解でしか、物事を語っていないように聴こえた。
『俺達異世界人は、あんた達に取り返しのつかないことをしてきたかもしれない。――だけど、異世界人をおだてて技術を吸収する道を選んだのはお前達自身のはずだ。全てを異世界人の責任にするなよ』
いじめは加害者被害者だけの問題じゃなく、周囲の空気が助長させるのと同じことだ。周りがはやしたてるから、事態がエスカレートする。もしもこの世界の人間が異世界人を利用して技術革新しようとしなければ、犠牲者はでるにしても、それは最小限に抑えられたはずだ。
『あんたは自分の都合のいいところだけを切り取って、正論を言っているだけなんだよ。シルフィの件だってそうだ! 両親が死んで大変だった時に、どうして傍にいてやらなかったんだよ!? 肉親が傍にいるってだけで、それだけでシルフィは救われたかもしれないのに!!』
「そうしたら、ボクも奴隷になっていたかもしれない。一度奴隷の烙印を押されたら、それを払拭するのは困難なんだよ。もしかしたら、共倒れだったかもしれない。だから、ボクはシルフィを救うための力を蓄えるために、一時的に離れていただけなんだよ。――その場の感情に身を任せているだけじゃ、何も救えない。何かを切り捨てる覚悟がない奴は、きっと何も救えないんだ」
『何も救えない? 切り捨てる覚悟? なんだよ、それ……?』
「君だって『ひきこもりにーと』とかいうやつなんだよね? 何も積み重ねていない君には理解できない高尚な考えかもしれないね?」
『理解、できるわけないだろっ……。一緒に苦難を共にしていない、苦しんでいないから、そんなご立派な言葉で過去を美化させることができるんだ。あんたは妹を見捨てて逃げた、ただの最低な兄貴。――――ただ、それだけだ』
「ボクだって苦しんだんだよ! 苦渋の決断だったんだ! ボクは自分を恥じることのない、責任感のある行動しかしていない!!」
苦しんでいるから、何をしてもいい。同じ苦しみを他人に味あわせても一向に構わないなんて、そんなのは間違っている。
『じゃあ、なんでいまさらのこのこ現れたんだ!?』
「………………っ!」
『家族ごっこがしたいだけだろ? あんたは過去の自分の過ちを後悔しているんじゃないのか? いまさら罪悪感が心にのしかかって、潰れそうになって、楽になりたいから、いまさら償おうとしているだけなんじゃないのか!? あんたは幸せのつまみぐいがしたいだけなんだ!! 幸せになるための過程をすっとばして、努力なんてしないなんて――異世界転移、異世界転生して俺tueeeするネット主人公みたいに、チートがしたいだけなんだ!! そんなあんたの方がよっぽど偽物なんじゃないのかよ!?』
「――異世界人風情が……偉そうにっ……」
人生にスキップ機能なんてない。それなのに、リスクがある時は退避し、ノーリスクの時は戻ってくる。そんなこと通る訳がない。見捨てた過去がリセットされるわけじゃない。心の傷が消えることはあっても、傷跡は癒えることはない。傷つく前に逃げ続け、両親の死からも正面から向かい合うことのなかったトリスタンには、全く理解できないことだろう。
「偽物の癖に、調子に乗るなよ? まさか、自分こそ価値がある――本物よりも偽物の方がいいとか、そんなことを言うつもりじゃないだろうな?」
『いいや、俺はそうは思わない』
「…………なに?」
偽物だとか、本物だとか、そんな形容、本当はどうでもよかった。
『俺は何も切り捨てない。本物も、偽物も、全部捨てるつもりなんてないっ!!』
最初、この世界はシックスにとって偽りだった。それはもう否定しない。現実逃避しない。だけど、それで終わりにはならなかった。それで終わるはずがなかった。
グスローのようにこの世界に根をはって生きている奴や、シルフィのように苦悩しながらも前を向いている奴だっていた。味方になって親身になってくれる人だっていたし、敵意を隠さずに向けてくる奴がいた。キャサリンやリーヴ、そしてトリスタン。彼らは明確なる敵として立ちはだかった。
誰もが強くて、無双なんてできなかった。
本当にこの世界が創作だったら、もっとチートができたはずだ。この世界の誰もが異世界転移の主人公を崇め奉ったはずだ。だけど、そうじゃなかった。シックスは間違えてばかりだった。こうしてシックスを否定する奴もいる。スキルを持っていないのにいきなり不意討ちをするような敵だっていた。そして、シックスは気がつく。清濁併せ持つこの混沌たるこの異世界は、現実世界と何の違いもなかったということに――。
最初は偽物でも、今では本物だって思えるようになれた。だったら、偽物と本物に価値基準を持ち出すこと自体間違っている。きっと、どちらも価値があるもので、どちらも切り捨ててはいけないもののはずだ。
『たとえ、奴隷になるかもしれなかったとしても、俺があんただったらシルフィの傍にずっといた。どんなに苦しくても、二人一緒にいれば、きっと半分になるはずだから!! 一度でも自分の本物の妹を切り捨てたあんたになんかに、兄貴だとか、家族だとか、そんなこと言って欲しくないんだよ!!』
「――ッそれが一番難しいんだよ。何かを捨てないと、結局すべてを失うんだ! それが、一番犠牲を伴う選択なんだ。できっこないんだよ、そんなことは!!」
トリスタンが最後の一撃を与えるために、拳を握る。たとえ一撃外れても、馬乗りになって何度も拳を打ち下ろすつもりだった。もう、動けないほどにダメージを喰らっているシックスにできることは、ただ叫ぶことだけだった。
『できる! その証拠に俺は何も捨てずにお前を倒して未来へ行く。そのために、どこぞの色のないカラーギャングの創始者みたいに、俺は――数に頼るっ!!』
「数に頼る? 仮に酒場の誰かがここまで辿りついたとしても、ボクのスキルでゴブリン化すればいいだけだ! 君の助けになってくれる奴なんて、もうどこにもいないんだっ!!」
弱体化したシックスに反撃なんてできるわけもない。だから――
後頭部に不意打ちの一撃をかませたのは、野生のゴブリンしかいなかった。
ドゴォンッッ!! と、武器の形に変わってしまいそうな勢いで、ゴブリンの棍棒はトリスタンの頭に振り下ろされた。
「な、にぃいいいいいっっ!!」
トリスタンは油断していたつもりはなかったが、まさかこのタイミングでゴブリンという最弱のモンスターに横入りされるのは想定外だった。しかし、トリスタンにとってゴブリンなんて取るに足らない存在。一撃を喰らっても、少しフラフラするだけ。すぐに潰せてしまうぐらいには、まだまだ余裕があった。
「なんて運の悪さだ。たかがゴブリンに不意打ちを食らうなんて、でも、もうおしまいだ。とっととクズを片づけて――」
言葉が続かないのは、眼前に広がる異様な光景に血の気が引いたからだ。一匹や、二匹じゃない。五十匹以上のゴブリンが、いつの間にか視界に広がっていた。さっきまでモンスターの気配なんてまるでなかったのに、完全にゴブリンの集団に包囲されていた。
「な、なんだこれ、は……? いくらダンジョン内といっても、何の意味もなくこんなにゴブリンが大量発生するわけがないっ!! お前かっ! お前の仕業かっ!? 何をした、異世界人っっ!!」
ずっと、シックスは逃げ続けていた。でも、逃げ続けていたからこそ、一矢報いることができた。どうしよもなく弱いから、逃げて、逃げて、自分ひとりの力じゃどうしようもなかったから、他人の力を借りてまで戦う。そこまでして戦うのをみっともないと罵る人間はいるだろう。だけど、足掻くことでしか、強くなれない異世界転移の主人公だっているのだ。
『紙ひこうきって、知ってるか?』
「なに?」
『紙を折りたたんで、鳥のように翼をつくるんだ。そうすると、紙は飛行する。俺はおりがみの中では、紙ひこうきだけは得意なんだよ。それだけなら、他の誰にも負けない自身がある。折り方によって真っ直ぐ飛ぶものも、曲がって飛ぶものも、飛行距離も全部計算できるんだ』
「……な、何の話だ?」
『だから、飛ばしたんだよ、俺は……。――――――紙ひこうきの『冒険の記録』を――――――』
「…………そ、そうかっ。あの時の溺れるように手を動かしていたのは、紙ひこうきを飛ばしていた動作だったのか……。だが、それでどうやって――」
『声だよ』
「――まさか――」
『どうやらやっと気がついたみたいだな。俺は自分の声を『冒険の記録』で写真化し、その写真を紙ひこうきにして飛ばしたんだよ。俺は今ゴブリンの言語しか喋れない。でもだったら、ゴブリンに救済を求めればいいだけだ』
「……そうかッ……。『冒険の記録』の写真が見えなかったのは『隠密行動』によって透明化していたからか……。まさか、スキルの同時使用を――スキルを合成するなんてことができるスキルが存在するなんて――」
ダンジョンはまるで屋外のように自然に溢れているが、あくまで洞窟内。声が木霊することによって、声の発生源がどこからか伝わりづらい。だから、ゴブリンの声でSOSを叫んでも問題ない。
『お前のスキルはレベル1のゴブリンに弱体化するスキル。だけど、最初からゴブリンだったら、弱体化することもできない。同族殺しをするはずもないから、発動条件を満たすこともない。――つまり、今から始まるのは一方的な蹂躙だ』
ゴブリンに弱体化されたからこそ、ゴブリンの言語を発することができ、指揮することができる。こうして大量のゴブリンを呼び寄せたことができたこの時点で、既に勝負は決した。
どれだけ強くとも、多人数を一気に相手取るには敵を一瞬で即死できるような全体攻撃を持つ者以外いない。最弱のモンスターだと揶揄していたトリスタンが、皮肉にもそのゴブリンに倒されるのだ。これほど屈辱的なことはない――はずなのに――
「アハハハハハハハハ!! 惜しかったね、異世界人。一瞬で考えたにしては中々の作戦だったことは褒めてあげるよ。――だけど、この作戦には大きな穴がある」
トリスタンはまだ余裕があるようで、笑っている。
『穴、だと?』
「この数を相手にするのは、骨が折れる。だけど、この数が半数になればボクでも蹴散らすことができるんだ」
『なに?』
「君がゴブリン達に指示できるのは、君がゴブリンだからだ。人間の姿になればゴブリンの言語では喋れない。つまり――弱体化を解除してやれば、君にも敵意は向く」
『なっ――』
「アハハハハッ!! 馬鹿だねぇ。ボクなら大丈夫だけど、経験の浅い君が、この数を相手に逃げることができるのかな? 君はボクを追いつめたつもりで集めたその戦力で、君は死ぬんだ。自業自得なんだよ、異世界人!!」
スキルを解除されたシックスは元の人間の姿になってしまう。喜ばしいことだが、今この時ばかりは最悪の一手。つまされてしまった。
「グギュアアアアッ!!」
ゴブリン達が突然姿を変えた同胞に彷徨する。自分達を騙していたシックスに怒りの矛を向けてくるのは、火を見るより明らかだった――はずだった。
「…………ん?」
動きがおかしい。一度はシックスに視線を向けていたゴブリンが、くるりと反転するとトリスタンへと向き直る。
「な、なに? なんでまたボクにだけゴブリンの敵意が集中するんだ!? もう、ゴブリンの言語を話せない以上、新しい指示なんて出せるはずがないのにっ!!」
「――ああ、思い出したよ。そういえば、お前が差し向けたんだったよな? あのモンスターテイマーは」
「あの野良犬のことか? そいつの話が、今なんの関係がある?」
「あいつのスキルを使ったんだよ。モンスターを操ることができるスキルによって、司令塔になれるレベルの高いゴブリンを操った。モンスターを操る数には限界があるが、司令塔さえ操ればゴブリンの集団を意のままに動かすことはできる」
ゴブリンは鳴き声で仲間を呼び、そして司令塔を作って集団行動をとる。司令塔は最も年齢が高いゴブリンか、レベルの高いゴブリンがすることを知った。その習性を利用するためには、リーヴの『愛とはつまり支配欲』を条件にあてはまるゴブリンに使用した。ずっとダンジョンに潜っていたので、時間をかけて条件に合うゴブリンを見つけることができた。
そして、ただゴブリン探しに時間を費やすことなく、『愛とはつまり支配欲』のスキルも練習した。最初はうまくつかえなかったが、試行錯誤を重ねてシックスはリーヴのスキルを使うことができるようになった。一匹だけ操ることができればゴブリンの集団を操ることができると分かれば、それを使わない手はない。モンスターを先行させていれば、自分は傷つかないで済むし、探索範囲もグッと広がる。ダンジョン探索の効率化のためにやっていたことが、ここにきて開花した。
「だが、奴のスキルには時間を必要とする発動条件があるはず。まさか、偶然にも呼び寄せたっていうのか? 既に支配化においていたゴブリンの司令塔を――」
「やれやれ。そんなご都合主義展開が起きるわけないだろ。そもそも紙ひこうきを飛ばしただけで、ここまでの数のゴブリンが一気に集合するわけがない。俺は司令塔になれるべきこのシブダンジョンで一番レベルの高いゴブリンを、写真化していた。そして、数十匹以上のゴブリンも『冒険の記録』に保存していたんだよ。いざという時のためにな」
リーヴのスキルの厳しい発動条件――24時間24メートル以内にいないといけないこと――は、アリスの『冒険の記録』が解決してくれた。アリスのスキルならば、モンスターを写真にして常備することができるからだ。
そして、仮に、トリスタンがこの作戦に勘付いてしまったとしても、決して逃がすことはしなかった。既に手持ちとして持っていたゴブリン達を指揮して、動きを封じることができたのだから。
「そんな、馬鹿なっ……!」
「あんたが放った刺客のおかげで、あんたは負けるんだ。あのモンスターテイマーのことを散々こき下ろしていたけど、あんたの方がよっぽど使い物にならないみたいだな。それもこれも、あんたの過信が敗因。――自業自得だな」
「くそっ! くそがあああああああああああああああ!! 今、何をしているのか、分かっているのか!? ボクを誰だと思っている!? こんなことをして、貴様だけじゃない――貴様の周りの連中が全員処分されるんだよ!? 今なら許してやる!? さっさとこいつらをボクから遠ざけろぉおおおおおおお!!」
ようやく、負けを認めたトリスタンは最後の悪あがきとばかりに大声で喚き散らす。
「ボクがいるからギルドは――バルゼは平穏を保っていられるんだ。ボクがやられるようなことになったら、バルゼそのものが瓦解する。他の敵対ギルドから目をつけられることになる。ボクは抑止力なんだぞ!!」
「だとしても、あんたがシルフィの敵になるんだったら、まずはあんたを最初に排除する。あいつの敵は、俺の敵だ。これでも、あいつのご主人様とやらみたいでな。たまには、それらしいことをやってやらなきゃ……」
「馬鹿が……。ボクにここでやられた方がお前は幸せなんだよ。言ったはずだ。貴様の進むその絶望に満ちた道こそ、最も犠牲のでる道だと……。――君は必ず後悔することになる。何も切り捨てない道こそ何もかも切り捨てなければならない。――そんな血みどろの道を選んだことを――」
「絶対に俺は、後悔なんてしない。これから先に進むのがどんな道だろうと、絶対に」
手を振ると、指揮権を持っているゴブリンが突撃の号令をかける。五十匹以上のゴブリンが、たった一人の敵に対して一斉に殺到する。
「くそっ、やめろ、やめてくれええええええええええええええええ!!」
トリスタンは大量のゴブリンに埋め尽くされ、耳にこびりつくような悲鳴と共に蹂躙された。