20.偽物の月蝕
リーヴを気絶させた。一件落着だといいたいが、眠り薬で眠らされたシルフィがまだ目を覚まさないことが気がかりだった。睡眠薬は大量に摂取すると最悪死に至るということを訊いたことがあるシックスは、シルフィの身体を揺らす。
「大丈夫か? シルフィ……」
パチパチ、と何回か瞬きすると、ゆっくりと目蓋を開く。しばらくしてから意識が回復すると、
「……えっ、と、私は、いったいどうしたんですか?」
「そのストーカーに攫われたんだ。大変だったけど、今倒したところ。安心していいよ」
リーヴを顎でしゃくる。
「どこか触られましたか?」
「……え? 大丈夫。肩とかは触られたけど、胸とかは触れてないと思う。あと、髪には触られたかな」
「そう、ですか……」
起きた一言目に身体を触られたかどうかを訊くなんて、シックスは考えもしなかったが、よくよく考えると自然なことかもしれない。
(寝ている間に赤の他人。しかも異性からベタベタ触られたかもしれないって思ったら、女性は怖いよな……)
声をかけることを躊躇っていると、いいタイミングでアリスが現れた。
まだ横たわっているリーヴの隣を、戦闘の終えたアリスが横切る。シックスと同じやり方で湖を渡ってきたアリスは、小走りになりながら、シルフィを気遣う瞳をしていた。
「大丈夫っ!! シルフィさんっ!!」
「だ、大丈夫です」
アリスはシルフィの肩をつかんで揺らす。
「あっ、大丈夫だったか? アリス」
「……絶対に私のこと忘れていたよね? まっ、私のスキルさえあればどんな相手だろうと関係ない。どんな攻撃も無効化できるからね。ちょっと手間取ったけどミノタロウロスは私一人で撃破したよ! ついでに、ブラッドファングもね! ――褒めてくれてもいいと思うけど」
「すごーい!」
「棒読み!?」
なんとか場を和ませることに成功したと思ったが、シルフィは余計に顔色を悪くしてしまった。
「……そうですか。アリス様にまでご迷惑をかけたんですね。――すいませんでした」
「ちょ、ちょっと、ちょっとシルフィさん、あなたが悪いわけじゃないんだから、頭をあげて!!」
「そうだよ。悪いのはそいつだろ? だから、そんな自分を責めなくていいんだよ」
「……でも、この人――名前は知らないんですけど、知っている人なんです」
「知っている人って……。……どんな関係なんだ?」
「この人は酒場のお客さんなんです。しょっちゅう来て、私を指名して横に座るように命令してきて、お酒を注ぐように言ってくるんです」
「――うちのお店ってそういうのありだっけ?」
「いいえ。そういうサービスはやっていませんし、一人のお客さんを特別扱いすると、他のお客さんから苦情が来ます。だからやりたくはなかったんですが、それでも一度ぐらいならってやっていたら、何回も、何回もやってくるようになって……」
目を瞑れば、リーヴが酒場へ足繁く通う姿が目に浮かぶようだった。
どう考えても迷惑な客だが、お金さえ落としてくれれば客だ。そう、守銭奴のキャサリンならば断言するはずだ。シルフィの気を引くためだったら大枚をはたくリーヴのことを、金の亡者が邪見に扱うはずもなかった。そうやってのめりこんだせいで、ある意味この事件が起こったといってもいい。
「でも、俺は、この人見たことないけど?」
「そうですね。最近はみかけなかったです。シックス様が来てからは一度も来店されていないと思います。それまでは浴びるように酒を呑んで、愚痴を吐いていたんですけどね。もしかしたら、男の人がきたから、今までのように酒を注がせることができないと思ったのかもしれません……」
「なんか、面倒な客だな……」
「そうですね。でも、この人、家族に捨てられたらしいんです。子どもの頃苦労して、ようやく今は生活できるぐらいには金を稼げるようになったって。それでも毎日両親に暴力を受けていた時のことを思いだすらしいんです。悪夢をみたくないから、ぐっすり寝るために毎日お酒を呑むって言っていました……」
「…………」
「…………」
シルフィの悲しい声色に、二人して押し黙ってしまう。即座に、そんなのただの言い訳だ。結局罪を犯したんだよ、あのモンスターテイマーは、とかそんな言葉を吐いてしまえば、なんだか、家族の――両親のいないシルフィのことも否定してしまうような気がしたからだった。そんなアンニュイな空気を無意識に醸し出していたのに、
「まっ、それとこれとは別の話ですけどね」
シルフィは一転、不自然なくらい明るく振る舞う。
「え?」
「すいません、ちょっと落ち込んじゃいましたけど、もう吹っ切れました。うじうじタイムはもう終わりです! 起こったことを思い悩んでも意味なんてない。もしかしたら、私がもっと相談にのっていれば、この事件を回避できたかもしれない――なんていまさら悔やんでも仕方ないっ! 大事なのは、これから私が何をなすべきかってことですよね!?」
パン、と両手を叩いて、必死になって悲しみを打ち消そうとしていた。造られた満面の笑みは痛々しくて、口出しなんてできるはずもなかった。だから、シルフィが自分のスキルを使って、虚空からドアノブを出しても惚けることしかできなかった。
「これ、は」
ふん、ふん、とちょっと手間取りながらも、シルフィは気絶しているリーヴを運び出した。
「えっ、ちょっと」
せめて手伝ってやろうとしたが、シルフィは大の男をたった一人で思いの外早く宿屋の中まで運びきると、そのまま歪んだ空間を閉じてしまった。『秘密の宿屋』への扉の鍵を持っているのはシルフィだけ。ゆうならば、絶対に脱獄することのできない牢獄へ、リーヴを叩き込んだようなものだった。
「いったい、なにを……」
「両親がいない境遇は私にだって分かります。どれだけあの人が苦しんだかも、観てきました。だけど、気持ちが理解できるからこそ、許せないですよ。私のことを想ってくれて、近づきたいのなら、きっと、もっと違うやり方があったはずだから。――とりあえず、私の宿屋に入れておきます。ギルドに突き出したら、余罪が判明するかもしれないですから」
「なんか、すごい前向きだな……」
「――そんなわけないでしょ」
「えっ?」
「無理、してるの。知り合いが自分のことを誘拐しようとしていたんだよ? ショックに決まってるよ」
「――だよな」
シルフィに聴かれないように、小声でアリスが囁いてくる。どうやら、シックスよりもシルフィの心情を理解しているのは明白だった。
(――なのに、さっきから慰める役を俺に一任しているような気がするな……。俺じゃないといけない理由でもあるのか?)
女心はさっぱり分からない。むしろ男でトラブルがあったのだから、シックスという男に相手にして欲しくないはず。見たくもないはずなのに、なんとか気丈に振る舞っているのが謎。――そんなことしか思えないシックスにはお手上げの状況だった。
混乱に拍車をかけるように、シルフィは懐からナイフを取り出した。
「おい、なにを――」
制止の声も、傷心のシルフィには届かず――。
バッサリと、シルフィの綺麗な髪は躊躇なく切られる。
「あっ…………」
水中へと髪は吸い込まれていって、残ったのはショートカットになってしまったシルフィだった。長い髪の女性が髪を切るとかなり印象が変わるが、シルフィもご多分に漏れなかった。小石一つ落ちても気づいてしまうような静かな湖面のようなイメージだったシルフィ。とてもきれいだけど、静かで、近寄り難く、どこか遠くで眺めているだけでいいような印象だった。
髪を短くしたシルフィに、ちょうど後ろにある湖に光が反射して後光が差しているように見える。そのせいか、シックスの眼から見たシルフィはまるで――空に浮かぶ月のようだった。
「髪、切ろうと思っていたんです。なんだか、最近長くてメイドの仕事にはちょっと邪魔かなって……」
泣きそうな顔をしているシルフィは、何を思っているのかシックスには量り知れない。そして、横からアリスに肘でつつかれる。さっさとフォローの言葉をいれろということらしい。
「髪、短くても似合ってるよ」
「そうそう。凄く可愛いと思います。私で髪の毛整えましょうか?」
「………………!」
シルフィだって小芝居だってことは理解しているような表情をしている。だけど――さっきまでの悲しいだけの笑顔は、歪んで消えた。
「よろしくお願いします」
月は自身の力で発光しているわけではない。太陽や地球の光が反射して光っているもの。それは、偽物の光。本物の光は眩しすぎるけど、月だけはいつまでも眺められる。儚い存在だけど、本物よりもずっと近くにいてくれる。絶望の闇を切り裂いてくれるその月は欠けてしまったけれど、今までよりも強く輝いている気がした。




